前の月 / 次の月 / 最新

残日録 --- The Remains of the Day / 2025-03

2025-03
SMTWTFS
1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

2025 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12

2025-03-03 Mon

ニュース…「Where is the best way to buy ebooks that aren’t Amazon」---GAFA 離れ計画の第一歩、まずは Amazon から : [Category Book]

[Visit Website Good-E-Reader]  

もう遅いのかもしれないが、 GAFA の泥沼から脱出したい。 F(acabook) とは全くおつきあいがないので、 問題なし --- そんな会社があることすら意識していないで過してきた。 A(pple) は、逆だ。 ぼくの大嫌いな企業だ。 けっきょく結果は同じだ --- Apple がらみのしがらみはない。

問題は G(oogle) と A(mazon) だ。 この二つのしがらみをどのように断てばいいのだろうか・・・。

というわけで、 まずは Amazon だ。

この記事は Amazon 以外のどこで電子書籍を買うか、という話である。 もちろん、紙の本回帰、という手もあるのだが・・・。

さぁて、どうしよう。

この1ヶ月以内に この記事の続編を書きたいと思う。

きょうはここまで。

PS Amazon からの自由はなんとかなるかもしれない。 問題は Google である。 Google からの自由は、正直、むずかしそうだ。 むかし "Don't be wicked" の社是に感心して、 自身のまわりを Google だらけにしてしまったという経緯があるのだ。

2025-03-04 Tue

ニュース…「デモ隊の要求に対しマンガライ県知事ヘリーが返答する「自然を破壊する意図はなく、ましてやポチョ・レオク住民の文化を破壊するつもりもない」と」---フローレス島の西の端、マンガライ県での地熱発電問題についての記事である;ローカルレベルの政府は今のところどっちつかず : [Category Flores]

[Visit Website Berita Flores]  

原題は: Respon Tuntutan Masa Aksi, Bupati Hery: ‘Tidak Ada Niat Hancurkan Alam, Apalagi Merusak Budaya Warga Poco Leok’

フローレス島マンガライ県 (Manggarai) で続く 地熱発電問題についての記事である。 [--"Berita Flores" という新聞の名前は、はじめて聞いた--]

県知事への抗議のデモがあったのであろう。 反応は良くもわるくも「とりあえず」のものである。 いずれ、 中央政府側につくか、 住民側(反地熱発電)につくかの態度決定を迫られるだろうな。 立場的には中央政府につくしかないのだろうが、 どうやってうまく立ち回れるだろうか。

以下 DeepL の翻訳

ヘリー県知事は、 快適な生活を妨げたり、 自然を破壊したり、 ましてや地域の文化を破壊したりする意図はまったくないと述べた。

もう一度強調しますが、 快適な生活を妨げたり、 自然や環境を破壊したり、 ましてやマンガライの文化を破壊したりする意図は一切ありません。

ヘリー県知事のこの主張は、 2025年3月3日月曜日、 マンガライ州知事事務所のヌカ・ラレ・ホールにおいて、 "ポコ・レオク・ユース"を代表する抗議者グループとの謁見の中でなされた。

謁見の中で、 抗議者の一人であるタデウス・スカルディ氏は、 地元の慣習の問題を提起し、 ポコ・レオク地熱プロジェクト建設のための立地決定 (ペンロック)に関する法令 (SK)を撤回するようヘリー県知事に求めた。

以上最初の数段落の翻訳。

あたらしい発展はないようだ。 もしかしたら、住民たちにとって、 地熱発電じしんは問題なく、 問題は場所なのかしらん。

More . . .

2025-03-05 Wed

ニュース…「多機能な電子書籍ビューアー「Koodo Reader」で読書情報を同期し、Ubuntu間で共有する」---なんだか夢みたいなソフト・兼・環境だ! : [Category Soft]

[Visit Website Gihyo.jp]  

「なんと素晴しい!」・・・と思ったのだが、 肝心の Android でサポートされていない。 Onyx から使えないのだ。 Kindle や Kobo のハードウェアをつかわずに、 すべて Onyx で代替しようと思っていたのだが、 どうもその夢はかなわないのかな。

しかし、 Github で開発されているんだから、 そのうちに何とかなるのではないかな --- 期待したい。

More . . .

2025-03-06 Thu

 プログラムをゼロから書き直したら、数時間で完成した---やってみるもんだ: [Program]

ぼくの開発した エコシステムの中のメインのプログラム md2pandoc.pl (Perl) が必要以上に複雑になってしまった。 メインの部分だけで、140行以上ある。 なんとかもっと単純に、そして構造化しようと手を入れている。 しかし、 あまりに複雑怪奇になってしまって、うまくいかない。

この際、ゼロから始めることにした。

じつに簡単だった。

MAIN は以下の通りだ。 20行にもならない! (なお、 HTML では "<" および ">"(半角)を表示できませんので、 以下、それらを全角版で代用します。)


while(<>){
    $_ = &remove_stars($_);
    if(/<!--\s*BEGIN:\s*([^- ]+)\s-->/){
switch($1){
    case "SUMMARY" {&summary_read;}
    case "COMMENT" {&comment_read;}
    case "BEAMER" {&beamer_read;}
    else { print "$2 illegal";}
}
next;
       }
    if(/^(★|\#\#\#\#\#)\#*\s+(.*)$/){
&list_read($1, $2);
next;
    }
    print;
}

あとはサブルーチンを書くだけ。 じつに簡単だった。

2025-03-13 Thu

 科学と疑似科学の間、デモクラシーとポピュリズムの間に境界線をひくことができるのか?---「できない」という議論をつくってみよう: [Anthropology]

この頃「ポピュリズム」と「陰謀論」が気になっている。 思いつくことを書きとめておこう。

わたしの辞書で "populism" を引いてみた。 訳は1つだけ「人民主義」(ナロードニキの思想)である。 これにはびっくりした --- 直観的に「良き政治思想」と考えられる思想もまた、 「ポピュリズム」のラベルのもとに分類されるのだということにびっくりしたのだ。 「ポピュリズム」というコトバは最近作られたコトバで、 悪しき思想へのラベルだとばかり思っていたのだ。

というわけで、 『ポピュリズムとは何か --- 民主主義の敵か、改革の希望か』 (水島 2016) をぱらぱらと読んでいる。 民主主義とポピュリズムをどうやって区別するのか、が 大問題であることがわかった --- そうか、 線引き問題 (demarcation problem) だ。

この言葉、「線引き問題」を使ったのは、 〈民主主義対ポピュリズム〉の対立を 〈科学対疑似科学〉の対立に重ねたかったからだ。 科学対疑似科学の線引きの難しさは、 伊勢田(2003)が『疑似科学と科学哲学』で議論している 通りだ。

この本を読んだのはずい分前なので記憶が曖昧だが・・・

はっきりと疑似科学と(直観的に)わかるもの (たとえば UFO 論)を 「非科学的」だと論証する (or vice versa) のは とても難しいのである。 伊勢田は「科学と判断するための」 いろいろな操作的な基準を出してくるのだが、 (たとえば学術雑誌があるか、などなど) UFO 論はこれらの基準をすべてクリアしてしまうのだ。

けっきょく科学と疑似科学を区別するすべはないだろう、 というのが現代の哲学の趨勢だと伊勢田は おしえてくれる。(伊勢田自身の結論はそのような趨勢とは異るのだが、 彼の議論はここでは触れない。) ラウダンという哲学者は 満足できる基準をみつけることは不可能であり、 「科学の線引き問題は疑似問題だ」 (Laudan 1983)と 宣言した(という)。 ある理論が科学か疑似科学かという問いは意味がなく、 われわれがすることが可能なのは 「それがいい科学か、悪い科学か」と問うことだけだというのだ。

水島の『ポピュリズム・・・』の冒頭部分を読んで学んだのは 同じようなことが 民主主義(デモクラシー)とポピュリズムの間の線引き問題にも 言えそうだということだ。 (以降、「ポピュリズム」の同義語として 「疑似民主主義」を使用する。) 当該の本から一節を引用しよう。 「西欧のポピュリズムでは、 右派であっても民主主義や議会主義は基本的な前提とされており、 暴力行動を是認する、 いわゆる極右の過激主義とは明らかに異なる。 ポピュリストの多くは、 少なくとも主張においては、 「真の民主主義者」を自任し、 人民を代表する存在と自らを位置づけている」(location232)。 このように水島は言う。

こう聞くと、ラウダンといっしょに言いたくなる --- 「ある理論が民主主義か疑似民主主義(ポピュリズム)かという問いは意味がなく、 われわれがすることが可能なのは 「それがいい民主主義か、悪い民主主義か」と問うことだけだというのだ」と。

(続く)

2025-03-15 Sat

 こんどは「科学」と「民主主義」という概念を(それぞれ)一つの基準で定義できてしまうように、細工してみよう---そうすると原発反対論や環境主義がポピュリズムになる: [Anthropology]

さて、ポピュリズムについて先日書いた文章では、 「科学と疑似科学の間に線引きができないように、 民主主義と疑似民主主義(ポピュリズム)の間にも 線引きができない」 --- こんな結論がでるかもしれない、という議論をしてみた。

今回は「線引きはできる」というアイデアを 追ってみよう。 要するに、 手頃な基準を選んで、 それにあわせて概念を細工しようというのだ。 (パトナム風に言えば民主主義を〈一基準語〉にしてしまうのだ)

科学の線引き問題で参考にした ラウダン (Laudan 1983) に戻ろう。 彼が 議論の中で取り上げた(そして取り下げた) さまざまな基準がある --- 「検証可能である」、 「反証可能である」(ポパー)、 「よくテストされている」などなどだ。 そのうちの一つに 「進歩や成長」という基準がある。 これについては (伊勢田の論文 (伊勢田 2019)から孫引きするが) 「進歩や成長を科学の要件としてし まうと、ニュートン力学のように完成されてそれ自体として はもはや発展の余地がない分野が科学でなくなってしまう」 (だから基準として採用できない)と (ラウダンは)言うのだ。

私はここでラウダンから袂を分かちたい。 ラウダンの直前の議論は、 (1) 「これこれの基準をつかうと、私たちが直観的に「科学」だとしてきた 理論まで「科学」ではなくなってしまう」というものである。 そして、(2) 「(だから)私たちが直観的に「科学」と呼んでいるものをテストする 基準はない」と結論する。 私がやりたいのは、(1) を認めた上で、 (2')「私たちが「科学」という概念を変えていく必要があるのだ」という 結論とすることである。

これこそが戸田山・唐沢の言う「概念工学」 ((戸田山・唐沢(編) 2019)) (「概念のエンジニアリング」)であろう(知らんけど)。

これから じっさいに工作(エンジニアリング)を行ないたいのは「民主主義」という概念である。

まず「科学」という概念に工作してみよう。 ラウダンの議論の前提はこうだった --- (1) 「進化と成長の基準をつかうと、 ニュートン力学まで「科学」ではなくなってしまう」。 「だからこの基準は採用しない」というのだが、 私が提案するのは「だからニュートン力学は科学ではない」と結論しよう、というのだ。 より正確に言えば、 「18世紀・19世紀にはニュートン力学は科学だったが、 現在は科学ではない」と。 これならば、 通常の「科学」という語の使用とはかけ離れてはいない、と私は思う。

さて、民主主義を一基準語にしよう。 「民主主義」という概念を、 ある基準でテスト可能なように作り替えよう。

候補としては 数えきれない数の基準(なにが民主主義と疑似民主主義を分けるのかを決める基準)があろう。 馬鹿らしい基準、「その思想に賛成する人が100人以上の思想」とか、 「その思想を最初に言い出した人の名前が「あ」で始まる」とかもあるだろう。 また、まっとうな基準もある。 水島のあげているこれまでのポピュリズムの定義を例として出しておこう。 「カリスマがいる」とか、 「人民に重きを置く」などなどの基準が考えられる。

私は「進歩や成長」をその基準としたい --- ラウダンが 科学と疑似科学を分ける基準として取り上げた あの「進歩や成長」である。 私は、 「進歩や成長」は、 民主主義と疑似民主主義を分ける基準として十分に意義があると思う。 「民主主義」とよびたい思想、運動があったとき、 それ自身が進歩や成長するものであれば「民主主義」と呼び、 そうでなければ「疑似民主主義(ポピュリズム)」と呼ぼうというのだ。 そのように「民主主義」という概念を変更していきたい。

これから、 「進歩や成長」を「民主主義」の基準として 採択することを擁護していくわけだが、 まずは、関連する一つの現象を指摘したい --- 水島は言う、 「ポピュリズムの特徴として最後に挙げるべきは、 そのイデオロギーにおける「薄さ」である」 (水島 2016) と。 ポピュリズムと呼ばれる思想を構成する一つひとつの単位、 たとえば「移民排斥」、「反科学主義」などなどは、 それについて皆で議論するようなテーマではない。 それは信じるか、信じないかというテーゼなのだ。 信じていれば「真」、信じていなければ「偽」となる。 それだけだ。 それ以上に議論は発展しない --- 「進歩」も「成長」もないのだ。

「民主主義はみなで議論することで成長する思想だ」というのではなく、 「みなで議論することで成長する思想を民主主義と呼ぶ」というのだ。 そして、そうでないものが「疑似民主主義(ポピュリズム)」なのである。

この新しく工作した(エンジニアした)概念、 「民主主義」そして「疑似民主主義(ポピュリズム)」では、 これまでの直観的な使い方とのずれも生まれることになる。 たとえば、 (トランプの大嫌いな)「環境運動」や(清く正しい)「原発運動」もまた 「疑似民主主義(ポピュリズム)」に分類されることになるのだ。 [--深入りしないが、「良い」ポピュリズム、「悪い」ポピュリズムがあるのだろう--] そのずれを引き受けた上で、 これからこの新しい「民主主義」および「疑似民主主義(ポピュリズム)」の 概念の有用性を示していきたい。

(続く)

2025-03-19 Wed

ニュース…「【Le Monde 紙】米国:フランスの研究者が「トランプ政権が進めている政策に対する個人的意見」を表明したことを理由に追い返された。」---The Onion あたりからの虚構ニュースだとばかり思っていた;ほんとうだったんだ : [Category World]

[Visit Website Le Monde]  

フランスの Le Monde の記事である。。 原題は "Etats-Unis : un chercheur français refoulé pour avoir exprimé <> "

リード文は: 「米国当局のこの決定を受け、フランスの研究大臣は水曜日に「懸念」を表明した。 CNRS の研究者は、 到着時にランダムチェックを受け、 その後パソコンと携帯電話が検査されたという」。

アメリカも、 レーガンやクリントンのいわゆる 「ならず者国家」に入ったようだ。

PS こちらは The Guardian --- French scientist denied US entry after phone messages critical of Trump found

2025-03-20 Thu

 散歩のお伴は Brother Cadfael シリーズの Monk's Hood だ---面白いのだが、筋が複雑な上に、英語理解が追いつかずへとへと;全5回をもう一度聞き直して、やっとわかった・・・: [Cinema/TV]

ここしばらくは Ellis Peters (Edith Pargeter) の Brother Cadfael シリーズの Monk's Hood を散歩のお伴として聞いていた。 英語がかなり難しい上に、 よく似た登場人物が沢山いて (たとえば、おなじ年頃の若い男性が4人から5人いた --- すべて重要人物だ)ついていけなくなった。 それでも、だいたい理解しながら聞き続けていた。

面白かったので、 Wikipedia から登場人物の名前を書き出した上で、 もう一度全5回を聞き直した。

すっきりした。

 ranger での画像表示がうらやましくていろいろ terminal を試してみた---mlterm でうまく画像が表示される: [Linux]

CLI のファイルマネージャー、 ranger が なかなかよい。 やはり vim のキーバインディングは素敵だ。 じつは、ranger はこれまで数年使っているが、 売りの1つの画像の表示がうまくいった試しがないので、 ついつい mc (Midnight Commander) に戻ってしまう。

今度こそ・・・本腰をいれて ranger に取り組んでみようと決心した。 default の w3m-img 以外のレンダリングソフトを試そうとしたが、 インストールでつまずいてしまう。 w3m-img でとおすこととした。

もしかしたら、w3m-img とターミナルの相性の問題か と思って、いくつかのターミナルをインストールして調べてみた。 gnome-term も gtkterm もだめだ。 rxvt-unicode は対応していたのだが、 なぜか見た目がとても不細工になってしまう。

mlterm がちょうどいいことを発見した。

ctrl を押しながら、 左クリック(あるいは右クリック)をするとメニューがでるので、 そこでフォントの大きさも指定できる。

Linux、wsl (Windows Subsystem for Linux)、そして crostini (Linux on Chromebook) すべてにおいて合格だった。

ほぼ問題ないのだが、 (1) (mlterm の)tmux の上で ranger を使うと表示が乱れる。 (2) 頻繁にクラッシュする。 (2) に関しては、 ある特定のファイルに焦点があたった時に落ちる。 別のターミナル上の ranger で試してみると、 そのファイルに焦点をあてても落ちない。 明確に ranger と mlterm との問題である。

2025-03-21 Fri

ニュース…「(インドネシア)国会が軍に関する法改正を可決した;学生たちは多くの町でデモをする --- 「民主主義は国会によって殺された」と」---いよいよ正体をあらわしてきたプラボウォ政権 : [Category Indonesia]

[Visit Website BBC]  

原題は DPR sahkan Revisi UU TNI, mahasiswa gelar demonstrasi di berbagai kota – 'Demokrasi telah dibunuh di DPR'

スハルト政権下での軍の横暴の反省のもとに、 「軍法」ができた。 もっとも大事な部分は、 政府への軍人登用の制限した部分だ。 今回の国会の決定は、この制限を大幅にゆるめるものである。

以下、参考記事だ --- インドネシア、現役軍人の登用拡大へ法改正 民主主義の後退に懸念Guru Besar HTN Nilai Pengesahan UU TNI Langgar Prinsip Negara Hukum

この右傾化は、もちろんプラボウォ大統領によるものだが、 その根幹は、むしろ、末期のジョコヴィ政権にあるだろう。

2025-03-25 Tue

ニュース…「(インドネシア)2026年ワールドカップ予選:インドネシアがバーレーンに 1-0 で勝利」---すこしだけ希望が : [Category Indonesia]

[Visit Website Tempo]  

原題は: Hasil Kualifikasi Piala Dunia 2026: Timnas Indonesia Kalahkan Bahrain 1-0, Ole Romeny Cetak Gol Penentu

というわけで、 インドネシアにはグループ3位(プレーオフ出場)の可能性がある。 2位(ストレート・イン)はほとんどオーストラリアに決定した模様であるが、 インドネシア2位の可能性もないわけではない。

エンデの村の人も喜んでいるかな (^o^)/

2025-03-30 Sun

ニュース…「これが新しい善き羊飼いです。後に続く人を待っています。フローレス・レンバタの住民が地熱プロジェクトを拒否する司教の手紙について語る」---地熱発電にたいするカトリック教会の立場を高く評価する記事である : [Category Flores]

[Visit Website Floresa]  

原題は: Ini Baru Gembala yang Baik. Kami Tunggu Tindak Lanjut; Warga Flores-Lembata Bicara Surat Gembala Para Uskup yang Tolak Proyek Geotermal

NTT州 (エンデの人々の住むフローレス島が含まれる)と NTB州(スンバワ島など)とバリ州(もちろんバリ島)とで 一つの大きな教区となるようだ。 そこの司教たちが連名で地熱発電に反対する声明を発表したという。 地熱発電の現場、フローレス島・レンバータ島の人々は この声明を歓迎したという記事だ。 その一方、じっさいに地熱発電の行なわれる各県の司教から 立場表明がないことに、 人びとは不満を感じている、ということだ。 具体的にはマンガライ県の司教のことを指しているのだろう。

More . . .

2025 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2024 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2023 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2022 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2021 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2020 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2019 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2018 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2017 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2016 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2015 : 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12

前の月 / 次の月 / 最新

最終更新時間: 2025-04-28 11:09