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Anthropology - 残日録 --- The Remains of the Day

最終更新時間: 2026-01-22 16:52

2026-01-22 Thu

 午後は Claude をつかって、既発表論文の英訳をしてみた---素晴しい速さだった;英語の中身はまずまず;気にいらないところもある: [Anthropology]

論文は、 「千の唇、百の舌」 (merapano)である。

ChatGPT に比べるとものすごい速さだった。 もっとも、 ChatGPT も最初の翻訳はすぐにやり遂げた。 できあがりはこれだ --- A Thousand Lips, A Hundred Tongues (merapano) 。 読んでみると、いろいろ気になるところがある。

2026-01-11 Sun

 5月末の学会の発表要旨登録をすませた!タイトルは「よろめきの美徳」---「覗き見の愉悦」、「裏切りの快楽」、「いじめの誘惑」からの続編となります: [Anthropology]

ここ数日、胃が痛かった。 日本文化人類学会の研究大会発表要旨登録の 〆切り(2026-01-12)が近づいていたからだ。 今日、なんとかまとまりのある文章(1500字)を書き上げた。 タイトルは(三島由紀夫をひねって) 「よろめきの美徳」 (merapano) だ。 要旨登録もすませた。 [--MSWord は拷問だ--]

やることはやったので、 あとは、「夜が教えてくれる」(啓示が来る)のを待つばかり。 なんとかなるでしょう。

なお、直前の発表は 「いじめの誘惑」 (merapano) である。

2025-12-27 Sat

 デネットの言うことを人類学を軸に整理してみよう---面白い議論になりそうな・・・気がしないでもない: [Anthropology]

最初に宣言するが、 「えらい人が言ったことを正確に把握する」のは、 ぼくはとても苦手とする分野だ。 しかしながら、今回は、それをやってみようと思っている。

ダニエル・デネットが何をいっているのかをまとめたい。 このような設問には、 何か焦点がないと答えるのは難しい。 「デネット的な人類学はどのようなものか」、 この問いに答える形で、 デネットの議論をまとめてみたい。

『思考の技法: 直観ポンプと77の思考術』 (デネット 2015) の項目から、 人類学の定義に関連して、 重点的に参考にすべきは、以下の二つの項目だ。

一つは「ヘテロ現象学」(VII 意識について考える道具)、 もう一つが「素朴自己人類学としての哲学」 (IX 哲学者であるとはどのようなことか) である。 [--括弧の中はその項目の属している章の名前である--]

さらに、 道具としてもっとも人類学に関係するのが「日常的イメージ」 (「外見的イメージと科学的イメージ」 III 意味あるいは 心的内容について思考する道具)だろう。

この項つづく(たぶん)。

2025-12-25 Thu

 きのう(「酸っぱくても飲み、腐っても食べる」)に続けて、「象牙をたどる」、「とうもろこしを搗く」、「頭をつかむ」の三論文に対しても、形を整えた: [Anthropology]

パブリッシュしたバージョンに、 よけいな箇条書きがのこっていた 以下の三論文に手をいれた: 「象牙をたどる」「とうもろこしを搗く」「頭をつかむ」

2025-12-18 Thu

 来年の日本文化人類学会での発表をかんがえる---心問題はどうだろう?: [Anthropology]

[16:17:32] 退職 (2019-03) 以降、 毎年3つの学会で発表している。 KAPAL(インドネシア研究懇話会)(7月)、日本文化人類学会(6月)、東南アジア学会、である。 [--今年は KAPAL がなかったので2回だったが--] 日本文化人類学会(九州)の発表の申し込み〆切りが1月である。 簡単なものでいいのだが、 そろそろ内容を考えておかなければいけない。

タイトルは予定どおり「よろめきの美学」で発表する。 ただし、内容がまだ決まっていない。 なにをすべきか考えている。 「よろめき」(二つの複相の話)に何を絡めるか、だ。

心の議論をもってくるか? すでに何度もやっている、次のような話だ。 システムが単純なインプット・アウトプット (刺激と反応、原因と結果)をもっているならば、 それは観察者に物理姿勢を呼び起こさせる、 原因・結果でわりきれない時に (説明不能の時に)、 観察者はシステムの影の部分を (なにか複雑な処理をしている)「心」と呼ぶのである。

新鮮さがない。 いままで「ダンゴムシ」 (『ダンゴムシに心はあるのか(PHPサイエンス・ワールド新書)』 (森山 2011) )を例にだしていたが、 あらたにミミズ (『ミミズによる腐植土の形成』 (ダーウィン 2020))と 粘菌 (『粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)』 (中垣俊之 2010))を出す・・・くらいが新鮮味だ。

2025-12-18 Thu

 来年の日本文化人類学会での発表をかんがえる(その2)---デネット風の存在論はどうだろう?: [Anthropology]

リアリズムのはなしとして、 「何が存在するか」みたいな議論をするのも面白いかもしれない。 --- どのように単相・複相とからめるかは今から考える。 セラーズの日常的イメージ (manifest image) や、 アリストテレスの存在論とかと絡めて議論すると面白いかも。 繰り返すが、 どのように「絡める」のかは、今の時点では、 全く見当がついていない。

2025-12-06 Sat

 東南アジア学会で「根幹から枯れ枝へ」を読む---発表をはじめると恍惚状態になってしまう;神 空にしろしめす: [Anthropology]

ぼくの発表は 12時50分から13時25分までだ。 Conoha サーバーを読む。 さいごはわりと余裕があったので、 ゆっくり読んだ。 残り時間「あと5分」で読み終わった。 (本来は 13時10分、「あと 15分」までに読み終わることが期待されている)

「神 空にしろしめす。すべて世はこともなし」って感じ。 しあわせ、しあわせ。

2025-12-04 Thu

 土曜日の午後の発表(20分&15分)のための原稿「根幹から枯れ枝へ」を読み上げる---昨日は70分かかったが、今日は 40分;あと少し;でも、もう削る箇所がない・・・: [Anthropology]

ずっと Conoha サーバー の作業をしていた。 4時過ぎにいったん作業をとめる。 Zoom をつかって読み上げてみる(疑似発表)。 ほんとうに滑舌がわるくなっている。 どもりながら発表を終える。 40分だった。 ちゃんと時間内で読み終わる可能性がでてきた。

2025-11-22 Sat

 東南アジア学会発表の「根と幹から枯れ草まで」の流れ---公理(「原理」)をはっきりさせる: [Anthropology]

数学のように、 公理(あらかじめ与えられたもの)から、 なにかを証明する。 そのような「公理」に相当するもので、 「原理」と呼ぶ。

(1)「モースの原理」、交換が関係をつくる。

(2)「生命の流れの原理」、ワイフ・ギバーが ワイフ・テイカーに生命を与える。

(3)「アキカエシの原理」、 負債が紐帯をつくる。

ロティなどの「生命の路」"Path of Life" は 「生命の流れ」を二回適用したものだ。 エンデの「婚資で結ばれたキョウダイ」は、 (1)と(3)から導出される。

2025-11-19 Wed

 学会発表まであと16日;答が浮かばない---「夜」が来るのをじっと待つ: [Anthropology]

12月6日の東南アジア学会の発表が進まない。 問題ができたので、安心していたのだが・・・。 たいていは、問題さえ作ることができれば、 答は自ずと出てくるものなのだが、 どうも、安心し過ぎたようだ。 もう1ヶ月ほど渋滞したままだ。

エンデでは、寝ているときに「夜」が教えてくれるという (エンデ語で「コンベ・ソッド」と言う)、 まだ夜は来ていない。

去年の同じ頃の日誌を調べると、 KAPAL (インドネシア研究懇談会)では 10日前に「夜」がやってきていた。 東南アジア学会では、 なんと 3日前にやっと夜の訪れがあった。 そのわりに全然あせっていない・・・。

今年もどっしり構えて、 夜が来るのを待とうかしらん。

2025-10-18 Sat

 パングロス論文を読み終えて考える---もっと勉強しなくては: [Anthropology]

以下は、 「進化学界においては、 パングロス論文は間違ったものとされ、中間説は定説になっている」という 理解にもとづいて書きます。

グールドとルウォンティンが パングロス論文、 すなわち、 "The Spandrels of San Marco and the Panglossian Paradigm: A Critique of the Adaptationist Programme" (Gould \& Lewontin 1979) の 中で目指すのは、適応至上主義はまちがっており、 進化にはそれ以外の道もあるのだ、ということを示すである。 そこで出された様々な具体的な案はどれも面白いが、 それらはさておき、 野望は以上のとおりだ --- すなわち、 適応で説明するのがいかんというのではなく、 それだけではないよ、という議論だ。

中間説とは、まさにそのような答えじゃないのだろうか?

分子レベルだと中間説(自然淘汰じゃないよ)はよくて、 表現型レベルだと中間説(自然淘汰じゃないよ)はよくない、というのだろうが、 その辺の議論が、ぼくにはよく分かっていない。

2025-10-15 Wed

 Pangloss 論文を読み終わる---とてもよく出きている論文だ;「終わっている」論文のようには思えない: [Anthropology]

The Spandrels of San Marco and the Panglossian Paradigm: A Critique of the Adaptationist Programme (Gould \& Lewontin 1979) を読みおわった。 ぼくがずっと思っていた疑問を、 明解に(いささか余計な衒いが多いが・・・)述べた論文だ。 以下、感想をかねた Todo と自分への設問。

Pangloss を読み終わって

  • なぜ「遺伝子がそれ自身を再生産することが、それにとっての 生きる目的になる」ことが、 トートロジー(問答無用の真理)になるのか、を証明せよ。
  • 群淘汰 (group selection) 説が正しくないことを、 証明せよ。
  • 「学習」はダーウィン主義の根本をくずしてしまうわけではないことを 証明せよ。
  • 性淘汰の議論は (1) 淘汰と整合しないわけではない、 そして、 (2) 同語反復になっているわけではない --- ことを証明せよ。
  • 以上、Pangloss 論文とはとくに関係ない。 これまで僕が進化論に関して理解していないこと (疑問に思っていること)を列挙しただけである。
  • 『ダーウィンの危険な思想 --- 生命の意味と進化』 (デネット 2000)、とくに 第10章をよんで、 グールドの議論がどのように論駁されているのかを確認せよ。
  • 『進化論の何が問題か --- ドーキンスとグルードの論争』 (垂水 雄二 2012) を再読して、 ドーキンスがグールドにどのように反論しているのかを確認せよ。 --- デネットの議論は、たぶん(おぼろげな記憶だが)、 グールドに負けたくないので、 余計な衒学趣味・もってまわった議論がおおかったと思う。 たぶんドーキンスの方がストレートに議論を展開してくれていると思う。
  • この論文で説明ぬきで導入されている Bauplan の考え方は、 人類学の機能主義にとりいれることができるのではないか。

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