5月末の学会での発表 「よろめきの美徳」 の大枠を考えてみた。
★ 「これまでのお話(その1)--- ないものがない(否定性の欠如)」。
自閉症(『自閉症の現象学』 (村上 靖彦 2008))、 概念枠組(On the Very Idea of a Conceptual Scheme (Davidson 1974))、 (ウィトゲンシュタインの)独我論 (Tractatus Logico-Philosophicus (Wittgenstein 1961)) はすべて単相状況 (『心と他者』 (野矢 茂樹 2012 (1995)))であり、 その世界には「ないもの(隠れているもの)がない」。 自閉症の世界には理解できないもの(「他者」)がいないのだ。
★ 「これまでのお話(その2)--- ないものがある(他者、異文化がある)」。
自閉症でない人の世界には影が、 見えないところが、 わからないものがある --- すなわち世界は「ないもの」に溢れているのだ。 「分からないもの」の典型が他者であり、そして異文化である。 ないものがある状況こそが複相状況であり、 ウィトゲンシュタインがウサギアヒルの図 Philosophical Investigations (Wittgenstein 1968) で示したものだ。 複相状況とは地としての自文化の上に、図としての異文化を見る、 そのような状況である (「異文化の見つけ方」 (中川 敏 2015)、 「引用と人生」 (中川 敏 2016))。
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★ 「これまでのお話(その3)--- 「ないものがある」にも程度がある」。
複相状況にもいろんな程度がある。 「エンデの人々は妖術を信じている」と報告する宣教師と、 「エンデの人々は妖術を信じている」と報告する人類学者の複相には差がある筈だ。
★ 「今回解いていきたい問題 「図と地が反転するとはいかなることか」」
人類学者がいくら「深い深い、まきこまれる異文化理解」とわめいても、 (Deadly Words: Witchcraft in Bocage (Favret-Saada 1980)) 彼の複相の地は、あくまで、自文化である。 けっきょく、節子は土屋とわかれ、倉越家の嫁として生きてゆくのだ (『美徳のよろめき』 (三島 2021))。
地が異文化になってしまう状況、 地と図が反転する状況とはどんなものなのだろう? 反転(あるいは「転向」)のよい例は QAnon への信仰のめざめの中に見られる --- 高学歴で、民主党支持の弁護士エミリが、 突然 QAnon の信者となる。 社会変革への熱心な支持者であったリベラルな考えをもつ アリスが突然 QAnon へとかたむいていく (The Quiet Damage: QAnon and the Destruction of the American Family (Cook 2024))。
なお、わたしが描きたいのは、因果関係ではないことを宣言しておきたい。 心理学的、社会学的な説明はちまたにあふれているだろう。 クックの本がそうだし、秦の『陰謀論』 (秦正樹 2022) をはじめ様々な 本がこの現象(QAnon への転向)を社会学的に説明している。 そうではなくて、 わたしが描きたいのは、「地と図が反転する」というのは 論理的にどのようなものかということだ。
★ 「これまでのお話(その4)--- トランプといじめ」
前回の発表、 「いじめの誘惑: ヒト、空気を読む」 (英語版) (中川 敏 2025) で行なったことは、 「いじめ」、とりわけ「冗談を武器にした いじめ」を、 デネットの「心(志向性)の埋め込みのレベル」を背景にして眺めてみることだった。 3次の志向性は霊長類学者が「(サルとヒトの)閾」として考えた「他人の心」である。 わたしは、3次の志向性を対象にする心的態度、 すなわち、虚構を楽しむ態度があることを指摘した。[--わたしはこれが「閾」であると主張したい--] いじめとは、さらに、この「虚構を楽しむこと」自身を 対象にした態度なのだ。
★ 「いよいよ本文」
最後にいじめ/冗談を可能にした舞台装置こそが、 地と図の反転に際の論理装置なのであることを示す。
・・・
なかなかいいじゃん。 これを枠組にして書き始めよう!
[16:53:11] 今日作った ikiwiki (phil-web) の エントリーを読みながら、 頭の中でアイデアが浮かぶのをまっている。 "Fiction and Metaphysics" (Peter van Inwagen 1983) の まとめ (phil-web) とあわせて、 クワインの存在論を読むと、 5月の日本文化人類学会の発表の筋がうかんできた。 日本語の「あるとはどいうことか」のまとめ (phil-web) も参照すること。
勉強の仕方を忘れていた。 やっとコンピューターの前に陣取って、 NotebookLM を相手に、いろいろと問答をかさねる。
NotebookLM の「芸術と説明論」を 「存在論の語り方」と改名する。 これを5月の日本文化人類学会の発表のネタとする予定だ。
KAPAL の発表に、AI にサポートされた論考を発表することに(ほぼ)決めた。 対象は Noemuti にしようとおもっている。 ノエムティ (Noemuti) の中に Kecamatan 毎の人口を記載した。 さらに、 "Mot nini Tradition: Dialogue with Ancestors in Noemuti Village" (Mokos, Taneo, Selan \& Bano 2024) の まとめ と "Kure': Sebuah Tradisi Religius di Kote-Noemuti" (Andreas Tefa Sa'u 2013) の まとめ をつくった。
オリジナルの論文は、 「千の唇、百の舌」 (merapano)である。
ChatGPT に比べるとものすごい速さだった。 もっとも、 ChatGPT も最初の翻訳はすぐにやり遂げたので、まだ結論を出すのは早い。 なお、できあがりはこれだ --- A Thousand Lips, A Hundred Tongues (merapano) 。 読んでみると、いろいろ気になるところがある。
ここ数日、胃が痛かった。 日本文化人類学会の研究大会発表要旨登録の 〆切り(2026-01-12)が近づいていたからだ。 今日、なんとかまとまりのある文章(1500字)を書き上げた。 タイトルは(三島由紀夫をひねって) 「よろめきの美徳」 (merapano) だ。 要旨登録もすませた。 [--MSWord は拷問だ--]
やることはやったので、 あとは、「夜が教えてくれる」(啓示が来る)のを待つばかり。 なんとかなるでしょう。
なお、直前の発表は 「いじめの誘惑」 (merapano) である。
最初に宣言するが、 「えらい人が言ったことを正確に把握する」のは、 ぼくはとても苦手とする分野だ。 しかしながら、今回は、それをやってみようと思っている。
ダニエル・デネットが何をいっているのかをまとめたい。 このような設問には、 何か焦点がないと答えるのは難しい。 「デネット的な人類学はどのようなものか」、 この問いに答える形で、 デネットの議論をまとめてみたい。
『思考の技法: 直観ポンプと77の思考術』 (デネット 2015) の項目から、 人類学の定義に関連して、 重点的に参考にすべきは、以下の二つの項目だ。
一つは「ヘテロ現象学」(VII 意識について考える道具)、 もう一つが「素朴自己人類学としての哲学」 (IX 哲学者であるとはどのようなことか) である。 [--括弧の中はその項目の属している章の名前である--]
さらに、 道具としてもっとも人類学に関係するのが「日常的イメージ」 (「外見的イメージと科学的イメージ」 III 意味あるいは 心的内容について思考する道具)だろう。
この項つづく(たぶん)。
パブリッシュしたバージョンに、 よけいな箇条書きがのこっていた 以下の三論文に手をいれた: 「象牙をたどる」、 「とうもろこしを搗く」、 「頭をつかむ」。
[16:17:32] 退職 (2019-03) 以降、 毎年3つの学会で発表している。 KAPAL(インドネシア研究懇話会)(7月)、日本文化人類学会(6月)、東南アジア学会、である。 [--今年は KAPAL がなかったので2回だったが--] 日本文化人類学会(九州)の発表の申し込み〆切りが1月である。 簡単なものでいいのだが、 そろそろ内容を考えておかなければいけない。
タイトルは予定どおり「よろめきの美学」で発表する。 ただし、内容がまだ決まっていない。 なにをすべきか考えている。 「よろめき」(二つの複相の話)に何を絡めるか、だ。
心の議論をもってくるか? すでに何度もやっている、次のような話だ。 システムが単純なインプット・アウトプット (刺激と反応、原因と結果)をもっているならば、 それは観察者に物理姿勢を呼び起こさせる、 原因・結果でわりきれない時に (説明不能の時に)、 観察者はシステムの影の部分を (なにか複雑な処理をしている)「心」と呼ぶのである。
新鮮さがない。 いままで「ダンゴムシ」 (『ダンゴムシに心はあるのか(PHPサイエンス・ワールド新書)』 (森山 2011) )を例にだしていたが、 あらたにミミズ (『ミミズによる腐植土の形成』 (ダーウィン 2020))と 粘菌 (『粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)』 (中垣俊之 2010))を出す・・・くらいが新鮮味だ。
リアリズムのはなしとして、 「何が存在するか」みたいな議論をするのも面白いかもしれない。 --- どのように単相・複相とからめるかは今から考える。 セラーズの日常的イメージ (manifest image) や、 アリストテレスの存在論とかと絡めて議論すると面白いかも。 繰り返すが、 どのように「絡める」のかは、今の時点では、 全く見当がついていない。
ぼくの発表は 12時50分から13時25分までだ。 Conoha サーバーを読む。 さいごはわりと余裕があったので、 ゆっくり読んだ。 残り時間「あと5分」で読み終わった。 (本来は 13時10分、「あと 15分」までに読み終わることが期待されている)
「神 空にしろしめす。すべて世はこともなし」って感じ。 しあわせ、しあわせ。
ずっと Conoha サーバー の作業をしていた。 4時過ぎにいったん作業をとめる。 Zoom をつかって読み上げてみる(疑似発表)。 ほんとうに滑舌がわるくなっている。 どもりながら発表を終える。 40分だった。 ちゃんと時間内で読み終わる可能性がでてきた。