酸っぱくても飲み、腐っても食べる

東インドネシア、フローレス島、エンデにおける先行と階層

Satoshi Nakagawa

2024-11-17

はじめに

この論文の目的はインドネシア東部のフローレス島の中央部に住むエンデの人々における親族の原理(出自と縁組)およびそれから導出される関係を、全体として記述し、分析することにある。 出自の原理としての父系制、 そして縁組の原理としての母方交差イトコ婚から議論をはじめる。

続けて、エンデには、父系制・母方交差イトコ婚の原理から逸脱したように見える民族誌的事実があることを指摘する。 今回の発表ではそれら一見逸脱したように見える断片もまたエンデの文化という大きなジグソーの絵の中に埋め込むことが可能であることを示したい。

フローレス島

0.1 経験と概念

ギアツは「現地の人の視点から」(1983) という刺激的なタイトルの論文の中で、人類学者の営為について次のように言う。 人類学者はフィールドでの経験を、(1) 「愛」や「憎しみ」などの経験に近い概念で語り、 同時に (2) 「リビドー」などの経験に遠い概念で語るのだ、と。 二つの概念を、言わば、合わせ鏡のようにして使用するのである。 「リビドー」の光のもとにフィールドの中の個別の「愛」を見、その個別の「愛」で理論概念「リビドー」をさらに豊かにしてゆく。 いわば、経験に近い概念と遠い概念の間の振り子運動こそが、人類学なのだ、そのようにギアツは言う。 (Geertz 1983)

(Geertz 1983)

ギアツの教えは深遠なのだろうが、その言い回しはいささか晦渋で難解である。ここは中川風にベタな例を出してみよう。第一歩はこんなんだ — 私のフィールドで見たこの現象 a は、あの偉い人の言う A である。私のフィールドで見たこの現象 b は、あの偉い人の言う B である。「おれ、すごい!」・・・・・これは卒論レベルである。

フィールドからの事例 ab の光のもとに、あらためて理論概念の AB をみると、 AB の欠陥が見えてくる。 A’B’ のように修正すべきである。・・・・・これで修論かな。

おじさん

改良された理論体系の A’B’ のもとに、 あらためて民族誌 ab をみると、さらに cd を予測することができる。あった!おれ、すごい!・・・・・これなら博論!

この論文は、上の記号をつかえば、 次のようになる:民族誌からのデータの ab母方交差イトコ婚父系に、そして既存の理論概念の AB先行(プレシデンス) と 階層(ヒエラルキー)に相当する。あとは見てのお楽しみ、ということで・・・。

0.2 これまでの3回の発表

さて 本論にはいる前に、これまでの私の KAPAL における三回の発表の題名だけでも眺めておこう。

☆ それぞれのタイトル

Year タイトル(改題) オリジナル
2 2020 象牙の路を辿る 従われない規則を守る
4 2022 トウモロコシを搗く 従われない規則を破る
5 2023 頭をつかまえる 破るべき規則を作る
6 2024 【参考】酸っぱくても 先行と階層

すべてがエンデにおける母方交差イトコ婚を題材にした発表 1 である。私がここで言いたいのは、(1)エンデでは母方交差イトコ婚という規則が重要だ、ということと、(2)母方交差イトコ婚についての詳しい解説は、(母方交差イトコ婚一般も、エンデにおける母方交差イトコ婚についても)行なわない、ということである。

母方交差イトコ婚の理念型

1 出自と縁組

まず、エンデの民族誌からはじめよう。 エンデの社会は親族関係の網の目である。 その親族関係は二つの原理から成り立っている。一つが縁組 (alliance) としての母方交叉イトコ婚である。 もう一つの原理が出自 (descent) としての父系制である。 そして、エンデでは、この二つの原理が相互に関係しあって社会を構成しているのである。

この章では、二つの原理およびその原理が生み出す二つの種類の関係について述べていきたい。

1.1 二つの原理

この節では二つの原理、すなわち父系制 と母方交叉イトコ婚とについて紹介する。 父系制はグループをつくり、 母方交差イトコ婚はそのグループを結び付けるのだ。

最初は父系制についてである。父系制とは、男性を通じて関係する人々は「同じ集団に属する」とする考え方である。エンデでは、同じ集団に属する者同士を「アリ・カッエ/アリ・カッエ」と呼ぶ。以後、この関係を “OG/OG” という記号で表わしたい。なお “OG” は “Own Group” の意である。次の図は OG/OG の関係から成り立つ父系のグループを表わしている。

父系性

続いて縁組としての母方交差イトコ婚という原理について述べる。女性をやりとりをした人々は嫁を与える者 (WG)(嫁側のグループ)と嫁を受け取る者 (WT)(婿側のグループ)に分けられる。エンデ語では「嫁を与える者 (WG)」を「カッエ・ウンブ」と、そして、「嫁を受け取る者 (WT)」を「ウェタ・アネ」と呼ぶ。

嫁を与える者と嫁を受け取る者

色は父系制の集団をあらわしている。緑グループの B2 を EGO としよう。父親 B1 にとって、カッエ・ウンブ (WG) は A0、すなわち紺色グループであり、本人 B2 にとって、カッエ・ウンブ (WG) は A1 の青グループである。それぞれの結婚のたびに新しいカッエ・ウンブ (WG) が出来上がるのである。

この図で A0 と A1 が同じ集団だとしてみよう。 A0 と A1 が親子だとするのだ。そうすると、父の嫁を与える者 (A0) と B2 の嫁を与える者 (A1) が同じグループになる。そして、B2 の結婚は母方交叉イトコ婚となる。すなわち、母方交叉イトコ婚では、自分にとっての嫁を与える者 (WG)、嫁を受け取る者 (WT)が次世代においても女性(贈与)を交換する関係にあるとする考え方である。次の図が母方交差イトコ婚の理念型2 となる。

すなわち、母方交叉イトコ婚という制度によって、嫁を与える者 (WG)/嫁を受け取る者 (WT)関係が世代を越えて維持されることになる。父の WG も、私の WG も同じグループ(青色)となるのである。次の図が母方交差イトコ婚の理念型となる。

母方交差イトコ婚

1.2 二つの関係

前節では父系制と母方交叉イトコ婚という二つの原理について述べた。 この節ではこれら二つの原理から導かれる二つの関係 (OG/OG と WG/WT) の性質について述べる。

私の「お父さん」であるアプさんは村の世帯のうち、どの家がアリ・カッエで、どの家が私にとってのカッエ・ウンブ、あるいはウェタ・アネであるかを詳細に教えてくれた。そしてどのような関係にある家と、どのように向き合うか、について、すなわち、それぞれの関係にある人との行動規範、倫理を教えてくれた。

それではアプさんに教えてもらったアリ・カッエとの付き合い方(行動規範)、カッエウンブ (WG)、ウェタ・アネ (WT)との付き合い方(行動規範)を見ていくこととしよう。

1.2.1 父系制の倫理

まず、父系制に由来するアリ・カッエ/アリ・カッエ関係(OG/OG)を見ていきたい。

アリ・カッエ/アリ・カッエ (OG/OG) は切り離すことの出来ない関係であり、その関係を貫く規範は「ス・アテ」(1つの心)というコトバで表現される。なお、アリ・カッエ/アリ・カッエ関係の典型的な例としてエンデ人が考えるのは兄と弟 (B/B) であることを付け加えておく。二者は切り離すことができないのだから、喧嘩も不可能だし、また交換も不可能である。二者の間のモノの移動は「与える」(パティ)「受け取る」(シモ)ではなく、「分かちあう」(バギ)と表現される。

基本的には OG/OG は平等である。ただし OG/OG のふたりの関係が「アリ(弟)カッエ(兄)」と表現されるとき、カッエがアリより上位におかれる。しかし通常 OG/OG 関係は「アリ・カッエアリ・カッエ」と表現され、上下関係は想起されない。

1.2.2 母方交差イトコ婚の倫理

つぎに母方交叉イトコ婚に由来するカッエウンブ/ウェタ・アネ (WG/WT) 関係について見ていこう。 アリ・カッエ/アリ・カッエ (OG/OG) が一体を強調するのに対し、この関係 (WG/WT) は、特権的に二つの実体の交渉の場として考えられる。

なお、カッエウンブ/ウェタアネ関係のひとつの、そして典型的な例としてエンデ人が考えるのは母の兄弟 (MB)と姉妹の息子 (ZS)であることを付け加えておく。

WG/WT の間の上下関係は(基本的に平等主義的な OG/OG に比べて)明白である。 WG は WT に対してあらゆる意味で優位にあるのだ。たとえば、あなたの母方のおじ (MB) があなた(彼の 姉妹の息子 ZS)に何かを要求したら、あなたはそれを拒むことはできない。そんなことをすると、彼はあなたを病気にするかもしれないのだ。にいたらしめることさえある。 MB にはそれだけの力があるのである。

□(コメント) 生命の源としての母の兄弟

WG/WT は二つの実体の間の関係である。 WG と WT は、特権的に交換をするエージェントである。3 彼らはお互いに「与え」(パティ)、「受け取る」(シモ)関係にあるのだ。二人は緊張関係にあるので、つねに調整が行なわれなければならない。そのような調整こそが二者間の行動規範であり、それは「パパ・パウェ」(互いによくあれ)と呼ばれる。

□(コメント) エンデでは「調整」は与えられている

2 先行と階層

これまでエンデの民族誌、すなわち経験に近い概念 (Geertz 1983) を紹介した。 この章では経験に遠い概念、すなわち理論概念を二つ紹介したい。 一つはジェームズ・フォックスによる「先行」(precedence) という概念であり、 もう一つはルイ・デュモンによる「階層」(hierarchy)という概念である。

この論文は「先行」や「階層」の文献学的な調査をする場ではない。フォックス自身の使い方も微妙に変化しているようにみえる。また「階層」概念もいろいろと変化していることだろう。ここでは、グレッグ・アチアイオリ「階層と先行を区別する」(Acciaioli 2009) に手際よくまとめられた分析概念をつかうことにしたい。

2.1 階層

最初に取り上げるのはデュモン (Dumont 1970) による「階層」(ヒエラルキー)の考え方である。これはインドのカーストを説明するために考えられた分析概念である。 もっとも重要なのは「浄/不浄」(purity) の考え方である。

アチアイオリによる「階層」の要約をひこう。彼は、階層は一つの価値 (unitary value) からなっていると主張する。そして、その価値における単一の差異化再帰的に適応することによって、システムが生成されるのである

インドのカーストシステム(「階層」概念の生まれた土地)において一つのカーストが浄とされ、もう一つが不浄とされる。なぜなら、前者にはより多くの「浄」があるからだ。単一の価値(浄)の差異化(おおい/少ない)階層のシステムで問題となるのは「量」あるいは「程度」であることを確認しておきたい

再帰的二分法

アチアイオリはつづける、階層システムの目的 (rationale) は継続的な 排除 (exclusion)である、と。

2.2 先行

続いて、アチアイオリは先行 (プレシデンス) について(階層と対比させながら)まとめていく。 重要な論点は、階層では一つの価値(インドでは「浄」)が使われるのに対し、 「先行」においては使用される価値は多様である、ということだ。

アチアイオリは先行についてつぎのようにまとめる。先行が重要なのは対立(あるいは価値)の多様性である。一つの価値の有無、あるいはその価値が「多い/少ない」という対立ではないのだ。

アチアイオリの議論を簡単にまとめておこう階層は一つの価値(たとえば「浄」)の多寡(あるいは有無)によって分類をする。量的な対立と言うことができるだろう。先行は対立する項に共通する価値はない。対立の中に価値は非在である。それは質的な対立と呼ぶことができるだろう。

さらに、彼はそれぞれの原理の理念 (rationale)、あるいは目的について述べている。階層のそれは排除であり、先行のそれは包含であると。以上をまとめると次のようになるだろう。

☆ 階層と先行

階層 先行
形式:量的/質的 + -
内容:排除/包含 + -

2.3 エンデ

ここでエンデの民族誌にもどろう。 アチアイオリの手際のよい階層と先行のまとめを、そのままエンデに適応するとどうなるかを見てみたいのだ。

階層と先行の表、とりわけ形式(対立)の列をみると、エンデの二つの原理に対応することが、容易く見てとれる。すなわち、量的な差異に基づく対立が OG/OG (アリ・カッエ/アリ・カッエ)であり、質的な差異(お互いに共通するものを持たない二項の対立)が WG/WT (カッエ・ウンブ/ウェタ・アネ)であると。

☆ エンデに階層と先行

階層 先行
形式:量的/質的 + -
エンデ OG/OG WG/WT

問題は内容、あるいは目的 (rationale) である。階層(量的対立)は排除を目的とし、先行(質的対立)は包含を目的とする。ところが、エンデの量的対立である OG/OG(アリ・カッエ/アリ・カッエ)は明らかに包含を目的としている。またエンデの質的対立である WG/WT(カッエ・ウンブ/ウェタ・アネ)は、明らかに排除を目的としている。表にすると次のようになるだろう

☆ 階層と先行とエンデ

階層 先行
量的/質的 + - + -
排除/包含 + - - +
OG/OG WG/WT

要するに、OG/OG および WG/WT階層と先行に重ならないのである。 OG/OG は量的な対立(父系性)であるのに(階層のように排除ではなく)包含を目的としており、また WG/WT(嫁を与える者/嫁を受け取る者) は質的な対立であるのだが、(先行のように包含ではなく)排除をその目的としているのである。

しかしながら、もともと形式(量的/質的)と内容(排除/包含)の間に論理的な結び付きなどない。量的な対立が排除という目的と論理的に結びつくとか、質的な対立が包含という目的と論理的に結びついているわけではないのだ。だから、2通りの形式と2通りの内容とで、4つの組合せがあることを予期してしかるべきだったのである。もう一度この節の結論の表を再掲しよう。

私たちが予測すべきなのは、エンデで階層 (+ +) に、そして先行 (- -) に相当する組織原理である。具体的に言うと、量的排除する組織原理そして質的包含する組織原理である。

3 弱い出自と強い縁組

前章の最後の図式を念頭にエンデの民族誌をひもとくと、 45年の間 私を悩ましてきた二つの民族誌的事実が、きもちよくエンデの文化の全体図へと組み込むことができることが分かったのだ。 この最後の章では、その二つのジグソー・パズルのピースとは何なのか、 そして、それらがいかにしてエンデの文化という全体図に埋め込むことができるのかを示していきたい。

3.1 「女のアリ・カッエ」

この節では、アリ・カッエ/アリ・カッエ関係 (OG/OG) について述べる。 アリ・カッエ/アリ・カッエとは、既に述べたように、父系的に関係する(すなわち男を通じて関係する)二者に成り立つ関係である。 ところが、「アリ・カッエ」と呼ばれる者の中には父系的に関連していない者がいるのだ。話はそこから始まる。

フィールドで体験を積みながらわかってきたのは「アリ・カッエ」という語は「父系的に関係している人々」以外にゆるやかに「仲間」という意味で使われている、ということである。その内でとくに目立つのが女性をとおして関係する二者である。

典型的な例は eZ/yZ (姉/妹)である。(正統的なアリ・カッエの典型例は eB/yB 兄/弟であった)あるいはその二人を通じて関係する男性、たとえば、妻が姉妹である男同士 (WeZH/WyZH) あるいは姉妹の息子同士(母方並行イトコ)(MeZS/MyZS) がその男性バージョンとなる。

女を通じたアリ・カッエ

エンデではそのような関係を「女のアリ・カッエ」(アリ・カッエ・アタ・ハイ)と呼ぶ。それに対して、父系のアリ・カッエを「男のアリ・カッエ」(アリ・カッエ・アタ・アキ)と呼ぶ。「女のアリ・カッエ」は父系制の裏付けのない、名称だけの、言わば「弱い OG/OG」ということができりょう。

女のアリ・カッエの間は(男のアリ・カッエ同様)平等である。また男のアリ・カッエ同様に、ときおり上下関係が強調されることもある。ポイントはこの「上下関係の強調」である。

エンデの人はアリ・カッエの上下関係を強調するのに、しばしば年齢世代に翻訳する。男のアリ・カッエであれば、つぎのようになる — 「兄(カッエ)と弟(アリ)とは、父と息子の様なものだ」と。

男のアリ・カッエにおける年齢

男のアリ・カッエにおいては、年齢を世代へと翻訳することは、全体の含意に対して大きな影響はない。それに対し、女のアリ・カッエの場合はこの翻訳は大きな影響を及ぼす。翻訳は次のとおりになる — 「姉(カッエ)と妹(アリ)は、いわば母と娘の様なものだ」と。

女のアリ・カッエにおける年齢

父系の社会が背景にあるので、男を通して考えてみよう。「姉と妹は母と娘のようである」を言い換えれば、「姉の夫(カッエ)と妹の夫(アリ)は、いわば母の夫娘の夫のようなものだ」となる。男性に視点から語ろう。姉の夫からみれば「妻の妹の夫は、娘の夫のようなものだ」、あるいは、妹の夫からみれば「妻の姉の夫は、妻の父親みたいなものだ」となる。

女のアリ・カッエにおける年齢(承前)

すなわち、姉と妹WG/WT 関係にあるのである。

女のアリ・カッエ (OG/OG) は形式上男のアリ・カッエと同じである、すなわち、それは量的な対立 (+) もとづく関係である。しかし、女のアリ・カッエの内容はむしろ、WG/WT と同じなのである、すなわち、排除 (+) がその目的なのである。言い換えれば、女のアリ・カッエは階層+ +)なのだ。

☆ エンデ

階層 先行
量的/質的 + - + -
排除/包含 + - - +
弱い OG/OG OG/OG WG/WT

父系の OG/OG 「男のアリ・カッエ」(+ -) と母方交差イトコ婚 WG/WT (- +) は階層 (+ +) と先行 (- -) ではない。とくべつな種類の OG/OG (弱い OG/OG)「女のアリ・カッエ」(+ +) こそが階層なのだ。次は先行 (- -) さがしである。もちろん、とくべつな種類の WG/WT にそれが見出されることになるだろう。

3.2 「酸っぱくても飲む」

この節では WG/WT、すなわち母方交差イトコ婚をとりあげる。 これまでの3回の発表で述べたように、母方交差イトコ婚のイデオロギーはエンデの人たちの生活を律する重要な規則である。 意外なことに、母方交差イトコ婚は、じつは、「よい結婚」とは考えられていない。 むしろ、「よくない結婚」と考えられている節(ふし)がある。

この事実はエンデ文化というジグソーパズルの中で仲間外れのピースのようであり、私の中でつねに気になっていた事実である。 ところが、今回の発表の脈絡に置くと、このピースがみごとに全体の中におさまるのだ。

アプさん再登場

3.2.1 「ナイフをかかえ」

母方交差イトコ婚の位置について、最初に何かおかしいなと思ったのは、アプさんと彼の異母弟であるソプさんの口喧嘩での売り言葉に買い言葉の中の言い回しである。細かく見ていこう。

アプさんは異母弟のソプさんと犬猿の仲であった。それぞれの母親についての言い争いをしばしばしていたそうである。ソプさんは「俺の母親のほうが先にやってきた」と言い、それに対して、アプさんは、「お前の母親はトゥー・トゥッアじゃないか、おれの母親は『ナイフをもって、着物をかぶって』やってきたのだ」と返したというのだ。このやり取りを理解するには、エンデの結婚のタイプについての知識が必要である。

エンデにはいくつかの結婚のタイプがある。そのタイプによって、婚資(ンガヴ)の多寡も決まると言われている。最も婚資が高額なタイプは「アナ・アゼ」と呼ばれる。これまで一度も婚姻関係をもっていないグループから女性を嫁として迎える結婚の形態であり、もっともフォーマルであるとされる。仲介者をたてて、いくつものステップを経て、結婚に至る。アプさんの言う「ナイフをもって、着物をかぶって」 (piso tekE // rhambu remu) とは「アナ・アゼ」婚の別の詩的な言い換えである。

(Nakagawa 1988) (Nakagawa 1988)

それに対して、最も簡易で、婚資もほとんどいらない結婚が、ンブズーンドゥー・ヴェサスンダ婚である。それゆえ、このタイプは最も低いタイプと見られている。「ンブズーンドゥー・ヴェサスンダ」という語は、母方交差イトコ婚のことである。「トゥー・トゥッア」とは母方交差イトコ婚の一つの言い換えである。

あれほど重要な役割を担っている母方交差イトコ婚が、じつは、結婚のタイプとしては最も低いタイプなのだ。

ここでエンデの人たちが母方交叉イトコ婚についてすなわち、ンブズーンドゥー・ヴェサスンダ婚についてどのように語っているのかを、いくつかの儀礼歌を通してみてみよう。

エンデの人たちはンブズーンドゥー・ヴェサスンダ婚は、何度も繰り返すことによって、二つのグループを緊密に結びつける点を強調する。しかし、やり過ぎると二つのグループの関係、すなわち WG/WT 関係 が緊密になり過ぎる。強すぎる WG/WT 関係(何度も母方交差イトコ婚をくりかえした WG/WT 関係)について見ていこう。

ンブズーンドゥー・ヴェサスンダ

3.2.2 「二回引き延ばし、三回たいらにする」

「ンブズンドゥー・ヴェサスンダ」婚は、(これまでの発表で指摘したように)二つのグループをによって繋げていると表象される。。 最初におばさん (FZ) がその道を行き、そして (BD) がその道を辿るのである。 母方交叉イトコ婚、あるいはンブズンドゥー・ヴェサスンダ婚は、何度も繰り返されることが理想とされる。 そうすることによって、二つのグループの絆が強くなるのだ。

母方交叉イトコ婚によって作られる WG/WT 間の関係は、儀礼歌によって次のように語られれる。

☆ 紡ぎながら、切れないように

rua tunda // 二回ひきのばし
terhu ndEni 三回平らにする
tuu tunda // のばして連れていき
nawu ndEni 平らにしてつなげる
teta ma’E mbeta // 紡ぎながら、切れないように
towa ma’E nggEera あやとりながら、ほどけて
しまわないように

最初の道を開くときこそ(ンブズンドゥー・ヴェサスンダの名前のとおり)何十本もの象牙が渡されたかもしれないが、何世代にわたって同じ道が使われるとき、婚資はほとんど支払われることはなくなる。

なんども繰り返されたンブズンドゥー・ヴェサスンダ婚は、二つの集団間に親密な、とても近しい関係をつくりあげる。このようにして作り上げられた親密な絆を、エンデの人たちはつぎのように歌う。

☆ 倉庫で拾い・・・

tona iwa ka ono // たりなくても乞いはしない
bheka iwa ka rina 不足してもおねがいはしない
piu soku // 倉庫で拾って
ndua uma 畑に降りる
kombE piu // 夜に少しだけもらい
rhera xEro 昼には少量をとってゆく
nirhu minu // 酸っぱくなったものでも飲み
nggesa pesa くさったものでも食べる

「与え」(パティ)、「受け取る」(シモ)交換はすでにそこにない。あるのは倉庫にあるものを勝手に拾い、畑にあるものを勝手に収穫してしまう、とんでもない気安さである。それはむしろ「分かちあい」(バギ)である。

強く結ばれた WG/WT の間にみられるのは通常の WG/WT、すなわち 交換する二者 ではなく、共有する一者なのだ。それは OG/OG なのである。彼らは「酸っぱくなったものでも飲むし//くさったものでも食べる」のである

かくして数世代にわたって母方交差イトコ婚を行なってきたカッエ・ウンブ/ウェタ・アネ (WG/WT)、すなわち、強い WG/WT は、その形式において(WG/WT 同様に)質的でありながら (-)、その内容において包含の関係 (-) にあるのである。すなわち強い WG/WT こそが(フォックスの言う、あるいはアチアイオリの言う)先行に相当する関係なのである。かくしてジグソーが完成することになる。

☆ ジグソーの絵が完成した

階層 先行
量的/質的 + - + -
排除/包含 + - - +
弱い OG/OG 強い WG/WT OG/OG WG/WT

おわりに

繰り返しになるが、この章では、この発表で行なってきた事をまとめておこう。

「中川くんのやってることって、けっきょく、パズル解きなんだよね」と何度か言われたことがある。その通りだが、一言つけくわえたい。パズルを解く前に、問題を見つけなければいけない、と。問題はそこにころがっているわけではない。パズルの問題を見つけるのが(パズル解き同様に)面白いんだよ・・・と。

かくして、ジグソーの絵、エンデの文化(親族体系)の全体像が完成することになる。

☆ ジグソーの絵が完成した

階層 先行
量的/質的 + - + -
排除/包含 + - - +
弱い OG/OG 強い WG/WT OG/OG WG/WT

□(コメント) 双分組織は実在するか □(コメント) 二つの双分法 □(コメント) 注意

参照文献

Acciaioli, Greg. 2009. “Distinguishing Hierarchy and Precedence: Comparing Status Distinctions in South Asia and the Austronesian World, with Special Reference to South Sulawesi.” In Precedence: Social Differentiation in the Austronesian World, edited by Michael P. Vischer, 51–90. Canberra: ANU Press. http://press.anu.edu.au/austronesians/precedence/ mobile_devices/index.html.
Dumont, L. 1970. Homo Hierarchicus: An Essay on the Caste System. Chicago: University of Chicago Press.
Fox, James J. 1989. “Category and Complement: Binary Ideologies and the Organization of Dualism in Eastern Indonesia.” In The Attraction of Opposites: Thought and Society in the Dualistic Mode, edited by David Mybury-Lewis and Uri Almagor.
———. 2009. “Precedence in Perspective.” In Precedence: Social Differentiation in the Austronesian World, edited by Michael P. Vischer, 1–12. Canberra: ANU Press. http://press.anu.edu.au/austronesians/precedence/ mobile_devices/index.html.
Geertz, Clifford. 1983. ‘From the Native’s Point of View’: On the Nature of Anthropological Understanding.” In Local Knowledge. Basic Books.
Lévi-Strauss, C. 1973. “Do Dual Organizations Exist?” In Structural Anthropology, 132–66. New York, London: Basic Books, Inc.
Nakagawa, Satoshi. 1988. “The Journey of the Bridegroom: Idioms of Marriage Among the Endenese.” In To Speak in Pairs: Essays on the Ritual Languages of Eastern Indonesia, edited by J. J. Fox, 228–45. Cambridge: Cambridge University Press.
Vischer, Michael P., ed. 2009. Precedence: Social Differentiation in the Austronesian World. Canberra: ANU Press. http://press.anu.edu.au/austronesians/precedence/ mobile_devices/index.html.
折口信夫. 2006. 古代人の思考の基礎. Kindle; 青空文庫.