従われない規則を守る仕方
2025-02-20
この論文が答えようとしているのは次の問いである 「なぜエンデ人のあいだで、ほとんど行なわれることのない規則、(母方交叉イトコ婚)が、廃れることなく、いつまでも人々の行動を統御しているのだろうか?」というものである。
なお、この論文は、「アキカエシ」三部作の第1作となることを付け加えておく。
論文の前半部は、「母方交叉イトコ婚」とは何かを説明するために費される。後半部において、その問いにこたえたい。
論文の舞台となるエンデは、インドネシア東部のフローレス島の中央部に住んでいる人たちである。 行政区画で言うと、ヌサ・トゥンガラ・ティムール州のエンデ県である。 わたしは1979年からこの地において断続的に人類学的調査を続けている。
東インドネシアは(後に詳述するが)さまざまな親族にかかわる規則で有名な場所である。もっとも有名なものが「母方交叉イトコ婚」である。 (next plus) (plus)この人類学の用語は、ある結婚の規則を男の視点から述べたものである;〈男は、彼の母方交差イトコと結婚する〉という規則である。
ある二人の人間がイトコであるとは、彼らの親がキョウダイである関係を指す。なお「キョウダイ」は兄弟・兄妹・姉妹・姉弟のすべてを指す語として使う。(next plus) (plus) すなわち、イトコには母を通じたイトコ(母方のイトコ)と、父を通じたイトコ(父方のイトコ)がいる。
人類学ではキョウダイの関係を、性が違う同士のキョウダイ(兄弟・姉妹)と性を同じくするキョウダイ(兄妹・姉弟)とに分けて考えることがある。前者を「平行」、後者を「交差」と呼ぶ。すなわち、母方交差イトコ婚とは男が、母の兄(ないしは弟)の娘と結婚する規則のことである。ちなみに、女性の視点から見れば、これは父方交差イトコ(父の姉妹の息子)との結婚となる。
(Lévi-Strauss 1949) (F. A. E. van Wouden 1935) (F. A. E. V. Wouden 1968) (Needham 1968) (Needham 1968) (Needham 1970) (Needham 1970)
母方交差イトコ婚に関する人類学的な議論は、レヴィ=ストロースによる『親族の基本構造』 (LEvi-Strauss 1949) において1つのピークを迎える。『親族の基本構造』の発行年である1949年は、人類学の構造主義の始まった記念すべき年と言うことができよう。
(Lévi-Strauss 1949)
構造主義、とりわけ親族の構造主義的分析は、じつは、レヴィ=ストロース以前から行なわれていた。「オランダ構造主義」と呼ばれる流れである。その中でとりわけ影響力の強い本が 1935年に刊行されたファン・ワウデンによる「東部インドネシアにおける社会構造」 Sociale Structuurtypen in de Groote Oost (1935)である。
かくして、東インドネシアは、人類学の中で、その特殊な結婚の規則によってつとに有名だったのだ。わたしが1979年にエンデを調査地として選んだのはこのような背景からであった。ちなみに、当時の構造主義のリーダーの一人であるロドニー・ニーダムによって1968年 (Needham 1968) 1970年 (Needham 1970) にエンデのイトコ婚の規則の分析がされている。
(Needham 1968) (Needham 1970)
前節で述べたように、この論文の最終的な目標は、ある規則がほとんど従われることがないのに、なぜいつまでも当該の社会で忘れさられることもなく、社会の成員の生活を律しているのか、という問いに答を提供することである。
この節では、まず、当該の規則、母方交叉イトコ婚という規則について、概観を紹介したい。
(サール 1986) (サール 1986)
エンデでは母方交叉イトコ婚の規則が知られている。それは100年前のオランダの植民地文書の記録にあり、また、現在のエンデの人々、私のインフォーマント達も、この規則を知悉している。
この規則は、規制的規則の形、「〜せよ」という形をとっている。しかしながら、この規則はほとんど従われていないのである。規則がすたれるのはよくある事である。しかし、エンデにおいては、このほとんど誰も従うことのない規則が今でも廃れることなもなく、人々の生活を律している。何故だろうか。
この節では、まず、母方交叉イトコ婚についての概観を紹介したい。人類学の中での母方交差イトコ婚がどのように扱われてきたかについて述べたい。そうして初めて、この論文のメインのテーマ、すなわち、エンデにおける母方交叉イトコ婚に取り組むことが出来るであろう。
最初に説く必要があるのはこの一見煩雑で無意味に見える規則の意味についてである。 じつは、この規則はある美しい帰結を生みだすのである。この規則を通じて、集団同士がコミュニケーションを行なうのだ、とレヴィ=ストロースは、主張する。
レヴィ=ストロースは構造主義の言語学を人類学に導入して、構造主義の人類学を打ち立てた。彼は、言語学を親族理論に応用するに際して、次のような注意をわれわれに与える。すなわち、 言語に関して言えば、われわれにとってその目的は自明である。それはコミュニケーションである。言語学が力を注いだのは、その規則(構造)の解明である。 それに対して、親族体系においては、むしろ、規則(構造)は自明である。わたしたちが探求するのは、その規則の目的、機能なのである、と。
とは言え、母方交差イトコ婚という規則はそれほど自明とは言えない。じっさいにどのような規則なのかを見ていくこととしよう。 じっさいにすべての人がこの規則に従っている状況を考えてみて欲しい。あなたの家を「ミドリ」家としよう。全ての人が規則に従うのであるから、あなたは母方のおじさんの娘と結婚することになる。母方のおじさんの家(すなわち母の実家)を「アオ」の家としよう。 あなたはアオの家に生まれた女性を妻としたのだ。アオの家は母の実家なのだから、あなたの父親も、じつは、アオの家に生まれた女性を妻としたのだ。あなたの息子の結婚相手はどうなるだろうか。彼は、彼の母の兄、すなわちあなたの妻の兄の娘と結婚することとなる — 彼女もまたアオの家に生まれが女性である。
この規則に従う限り、ミドリの男性はつねにアオの家に生まれた女性を妻とすることになる。もう一つの集団、「ハイイロ」の家としよう、があなたの集団(ミドリ家)に対して、同じような関係にあるとする。すなわち、ハイイロの男性はつねにミドリの家に生まれた女性を妻とすることになるのだ。
このような状況では、アオからミドリに、ミドリからハイイロに女性が移動することとなる、これが母方交差イトコ婚が含意している状況なのである。そして、これこそがレヴィ=ストロースの結論である。母方交差イトコ婚の機能とは集団同士のコミュニケーションなのである。母方交叉イトコ婚とは集団(家)と集団の間の女性の交換なのである。
この図とその説明を聞くといろいろな疑問が浮かんでくるだろう。じっさい人類学の中で様々な論争が母方交差イトコ婚をめぐってなされた。ここではその内の一つだけを紹介したい。
「この図は理想的な状況で、現実はこのようではない」という反論をめぐる議論である。この図ではすべての夫婦に男一人、女一人が生まれるという状況を描いている。問題は、 現実はたいていの場合、このような状況とは異なっているのだ、ということだ。夫婦にこれよりたくさんの子供が生まれる場合が多いだろうし、もしかしたら全然生まれないかもしれない。 そうすると、多くの人間が母方交叉イトコ婚の規則に従いようがないという状況が生まれるだろう。その時、社会はどうするのだ — これが反論である。
たとえば、Kunstadter らは、人口論的な見地から母方交叉イトコ婚は不可能であると結論した (Kunstadter, Buhler, Stephan & Westoff 1963)。
(Kunstadter et al. 1963)
母方交叉イトコ婚の報告されているじっさいの民族誌を読むと分かるのだが、たしかに現実の状況は図にあらわれるような状況にはならない。 じっさいの状況は二種類に分類し得る。 まず、「母方交叉イトコ婚」は個人と個人の関係ではなく、集団と集団の関係として捉えられている場合がある。 もう一つは、当該の社会では、「母方交叉イトコ婚」はめったに行なわれない、という場合ある。 この順番に説明していこう。
まずは、母方交叉イトコ婚が集団のコトバで語られるという状況である。さきほど、 B2 は A1 (母方のおじ)の娘 (a2) と結婚する、そして、そうすることによってアオの家とミドリの家に女性の流れがつくられるとわたしは説明した。
よく似ているが民族誌的にしばしば出会う状況は、規則は個人ではなく、カテゴリーに言及しているという状況である。ミドリの家の男はアオの家の女性を妻とすると語られるのである。その流れの中でたまたま(アオの家の女性のなかで)母方交叉イトコが選ばれることもあるのだ。これ以降、ミドリの家から見たアオの家を「嫁を与える者」と呼ぼう。そしてアオから見たミドリを「嫁を受け取る者」と呼ぶ。
このタイプの社会では、たいていの場合、ミドリの家の男性にとってアオの家の同世代の女性の親族名称は同じである。エンデを例にしよう。 エンデでは嫁を与える者の同世代の女性を「アリ」と呼ぶ。民族誌家が結婚の規則についての聞き取りをして現地の男性から「わたしたちはアリと結婚する」という答を得たとしよう。当然民族誌家は「アリとは何か」と聞くだろう。 エンデの人々ならば、まずは「母方のおじの娘だ」と答えるだろう。それを聞いた民族誌家が母方交叉イトコ婚の存在を報告する、というのは、いかにもありそうなストーリーである。
このようなタイプの社会では、集団A に生まれた女性が、集団Bへと婚入し、集団B に生まれた女性が 集団C に婚入し、集団C の女性が D に婚入し・・・という状況が生まれる。レヴィ=ストロースは、このようにして集団が女性を通して繋がる状況を(二つの集団だけで完結する交換の体系に対照して)「一般交換」と呼んだ。
(Lévi-Strauss 1969)
系譜的なかたり(「母の兄弟の娘」)ではなく、集団の語りかた(「嫁を与える者」と「嫁を受け取る者」)に基づく「母方交叉イトコ婚」は、たとえば、エンデの西隣のンガオ (Nga’o) の人々、あるいはエンデの東隣のリオ (Lio) 人に見られる規則である。ンガオでは「アタ」 (ata)と呼ばれ、リオでは「サッオ (sa’o)」と呼ばれる氏族組織が、その規則の単位となる。
ところがエンデではンガオやリオのような氏族制度はない。エンデでは、「母方交叉イトコ婚」は飽くまで系譜的な語り(「母の兄弟の娘」)で説明されるのである。そして、節の冒頭で述べたような状況、「母方交叉イトコ婚はめったにない」が生まれる。
集団概念が残ってさえいれば、たとえ「母方交叉イトコ婚」が行なわれなくなっても、「あっちの集団が、われわれに嫁を与える者(アオの家)であり、こっちの集団が、われわれから嫁を受け取る者(ハイイロの家)である」という考え方は残るだろう。 日本における実家・分家を考えてほしい。実家・分家のさまざまな決まりが形骸化しても、「じぶんにとってどの集団が実家である」という考え方はいつまでも残っているのだ。「家」は、いわば、記憶の道具なのである。
しかし個人と個人を見る枠組としての「母方交叉イトコ婚」が、だれも従わない規則となっている状況で、いつまでも記憶されている、というのは考えにくい状況である。 40年前に調査を始めた時、「エンデの母方交叉イトコ婚」を「発見」した喜びは大きかったが、この規則は(「近代化」の中で)いずれ忘れさられていくだろうと思っていた。 ところが、エンデにはおいては、たんにその規則があるという記憶だけでなく、その規則は、たとえ従われないにしても、いまでも強く人々の生活を律しているのである。これが、この論文の解きたい謎なのである。
エンデの「母方交叉イトコ婚」は、エンデの文脈で考える必要がある。 エンデ県の親族理論において重要なことは、エンデでは親族と贈与が表裏一体となっているという点である。 「ワイザキ」 (wai rhaki) という語が、この表裏一体となった親族・贈与コンプレックスを指す。この節ではエンデのワイザキの中での母方交叉イトコ婚を紹介したい。
モースは『贈与論』(モース 1973 (1925)) の中で、「友達が贈与をする」 (Friends make gifts) と同時に、「贈与が友達をつくる」(Gifts make friends) と主張した。エンデ風に言い換えれば、「親族が贈与をする」と同時に「贈与が親族をつくる」のだ。エンデの母方交叉イトコ婚を支配する原理は後者、すなわち、「贈与が親族をつくる」である。この章では前半で「親族が贈与をする」例を、後半で「贈与が親族をつくる」例を紹介したい。
(モース 1973 (1925))
この節では、まず「親族が贈与をする」図式を紹介したい。贈与をする親族は、「嫁を与える者」と「嫁を受け取る者」である。彼らは特別のモノを与え、受け取るのである。
贈与交換は姻戚の間で行なわれる。姻戚には(既に述べたように)二種類がある、「嫁を与える者」と「嫁を受け取る者」である「嫁を与える者」とは、あなたの母の出身の集団、あるいはあなたの妻の出身の集団(さきほどの図では共にアオである)であり、エンデ語で彼らをカッエウンブ (ka’E embu) と呼ぶ。その集団の成員は、あなたの集団(ミドリ)(「嫁を受け取る者」)をウェタアネ (weta anE) と呼ぶ。
贈与は流れる方向のよってその種類が決まっている。嫁を受け取る者が嫁を与える者に与えるのは象牙、(豚以外の)動物、金細工などである。嫁を与える者が嫁を受け取る者に与えるのは豚、米、土地などである。
以上述べたように贈与は、嫁を受け取る者からと同様に嫁を与える者からもなされるのだが、焦点は嫁を受け取る者からなされる贈与にあてられる。この発表でもエンデのやり方にならい、嫁を受け取る者からの贈与に焦点をあてて語っていくこととする。嫁を受け取る者から与えられる贈与は「ンガヴ ngawu」と呼ばれる。ンガヴのやりとりが見られる場の典型として結婚をあげることができよう。
結婚の際にやり取りされるンガヴを「婚資」(花婿側から花嫁側の集団に支払われる財貨)と呼ぶことは間違いではない。ただし、「ンガヴ」の語はその他の脈絡でも使われれ、「婚資」以上の広い意味の範囲をもっている。この論文では「婚資」の語は使わずに、「財」あるいは原語である「ンガヴ」を使う。
さきほど述べたように親族・贈与コンプレックスは「ワイザキ」というコトバで語られる。ほぼ毎年わたしはエンデに出かけている。村についてまず聞くのは、「今年もワイザキたてつづけにある」という会話である。じっさいほとんど毎日ワイザキに関するメッセンジャーが村を駆け巡る。 わたしが40年前に知りあい、「父」とも呼んだバパ・ロベさんはすでに亡く、いまはその娘のリヴァの家にわたしはお世話になっている。リヴァの家がかかわるものだけに限定しても、一週間に一度のワイザキに出席しなければならない状況だった年もある。そこら中でワイザキが、すなわち贈与のやり取りが行なわれているのである。
「それにしてもなぜそんなに頻繁に贈与の機会があるのか」、「結婚なんてそれほど頻繁に起こる事件ではない」とあなたは思ったかもしれない。答はこうだ。「贈与は連鎖しているのだ」。 一回の結婚に贈与が一回ではない。結婚の際に夫側から贈られる財(ンガヴ)は、夫側がその「嫁を受け取る者」から贈られたものであり、また、「嫁を受け取る者」はその財(ンガヴ)を彼らの「嫁を受け取る者」から受け取ったのである。贈与は連鎖しているのだ。
結婚を例にしよう。たしかに結婚式において、ンガヴは婚資として花婿側のグループ(嫁を受け取る者)から花嫁側のグループ(嫁を与える者)へと渡される。しかし、ンガヴは結婚式以前にも、そしてその後にも社会の中を動いている。 婚資の額は、たいていの場合、花婿側がその場で払うことはできないほどの巨大なものである。そのため、花婿側(嫁を受け取る者)は、彼ら自身の嫁を受け取る者に援助を乞う。さらには、援助を請われた嫁を受け取る者が、彼らの嫁を受け取る者に援助を乞うこともあるのだ。
人生のさまざまな段階で、贈与の網の目がつむぎだされるのである。結婚だけでなく、誕生や葬式でも同じことがいえる。あるいは家を建てる際にも聖体拝受 (Sambut Baru) や新しいところでは大学の卒業式 (Wisuda) などによっても贈与交換のスイッチがはいるのである。
前節で「親族が贈与する」(kins make gifts) について述べた。この節では、「贈与が親族する」(gifts make kins) について述べよう。
(Mauss 1990 (1950))
前節では「親族が贈与する」(kins make gifts) について述べた — 「ある関係にある親族がある特定の贈与をする」のである。嫁を与える者は、豚を嫁を受け取る者に与え、嫁を受け取る者は、象牙を嫁を与える者に与えるのだ。 「贈与が親族する」(gifts make kins) とは、「ある特定の贈与がある関係にある親族をつくりだす」のである。豚は、与えるものを嫁を与える者にし、象牙は、与えるものを嫁を受け取る者にするのである。
エンデでの親族間におけるタブーについて述べよう。夫の父(HF)と息子の嫁(SW) 1 は互いにトゥッアと呼びあう。彼らの間には強いタブーが適用される。タブーの一つに名前を口に出すことのタブーがある。 SW が HF の名前を口に出すと、親族間に大問題を引き起こすだろう。たとえば、HF の名前が「ストゥ」だとすると、 SW は「土曜日(サットゥ)」という語を口にできなくなるのである。
あるエピソードを紹介したい。村でも一二の年寄のレレというおばあちゃんがいた。なかなかのキャラクターであった。ある日、私はレレおばあちゃんの家で女同士の話を聞いていた。相手はジメという名のおばさんである。 さて、話の中で、レレおばあちゃんが、彼女の夫の父である「ジゴ」の名前を口にしたのだ。ジメおばさんは、半分びっくりして、半分にやにやしながら、「あーららこらら、『ジゴ』の名前を口にしちゃったよ、このおばあさんは!」と声をあげた。それに対して、レレおばあちゃんが答えた — 「ジゴが私の婚資を出したとでもいうのかい」と。
レレおばあちゃんが結婚するときに、婚資をはらったのは、夫の父であるジゴではなかった。経緯は省略するが、じっさい婚資を払ったのは、カパという男性であった。カパは、わたしのフィールドでの「お父さん」である、アプさんの父親である。
トゥッアのタブーが適用されるのは、夫の父(「ジゴ」)ではなく、婚資を払った男、「カパ」なのである。レレが口にしてはいけない名前は「ジゴ」ではなく、「カパ」なのだ。贈与が親族(トゥッア)をつくるのである。
「母方交叉イトコ婚」は、エンデ語で「ンブズー・ンドゥー // ヴェサ・スンダ」 (mburhu nduu // wesa senda) と言う。ある結婚が「ンブズーンドゥー・ヴェサスンダ」と呼ばれる条件がある。それは、その関係がある特別な系譜的な関係、「母方交叉イトコ」であることではない。むしろ二人の関係の歴史に、特別な贈与があることが必要なのである。
まず、「ンブズーンドゥー・ヴェサスンダ」という名前から説明しよう。この名前は女性の視点から語られている。 2 「ンブズー・ンドゥー // ヴェサ・スンダ」は、「道をたどり // 隘路をむすぶ」と訳すことが可能である。エンデの人の説明によれば、ある女性が、彼女のおばさん(FZ)の路を辿る、ということである。すなわち、女性からみた「母方交叉イトコ婚」、すなわち「父方交差イトコ婚」である。この説明の中では、結婚は系譜の言葉で語られている。
じつは、「ンブズー・ンドゥー // ヴェサ・スンダ」にはもう一つの説明の仕方がある。十をたどり // 象牙をむすぶおばさんの婚資の路をたどる
ワッウ・スイム // ナイ・スイム一人出て // 一人はいる集団から女性が婚出する(婚資がはいる)(その婚資によって)集団へ女性が婚入する出た女性とそれを使った男性(兄弟)はとくべつな関係になる(婚資で結ばれたキョウダイ)
先程紹介したリヴァの結婚をめぐる議論に戻ろう。問題はンビンディの婚資の行くえである。アラが支払ったンビンディのための婚資(ンガヴ)は、ドゥリの妻の婚資として使われたのである。すなわち、一人(ンビンディ)がでていき、一人(ドゥリの妻)が入ってきた(ワッウ・スイム // ナイ・スイム)のである。この婚資の取り引きをつうじて、ンビンディとドゥリは特別な関係、わたしが「婚資によって結ばれたキョウダイ」とよぶ関係にはいったのである。 ンビンディは、ドゥリの娘が彼女の息子と結婚をすることを期待していたのだ。しかしドゥリはそのような結婚をアレンジすることはなかった。その意味で、ドゥリはンビンディに重い負債を負うことになる。 次の節で、最初に提出した問い(なぜ従われない規則が人々の生活を律しているのだ)の答をあたえるのだが、そのキーワードになるのがこのコトバ、負債である。 3
アラが払ったンビンディの婚資はそのままドゥリの結婚につかわれたンビンディはドゥリの娘が婚入することを期待していた「母方交叉イトコ婚」をしないということは、負債として把握されるのだドゥリはンビンディに 負債 を負っているのだ
エンデの母方交叉イトコ婚(「ンブズーンドゥー・ヴェサスンダ」)がどのようなものであるかは、これまでの説明でわかってもらえたであろう。 この論文の冒頭で述べたように、しかしながら、ほとんど誰もこの規則、「母方交叉イトコと結婚せよ」という規則、に従っていない。 ポイントは、それにも関わらず、エンデの人々の生活におけるこの規則がもつ重要性はまったく減っていない、ということだ。 この節ではいよいよこの謎を解くことになる。
□(コメント) 負債の人類学
前節において、エンデの母方交差イトコ婚は交換であり、それは負債の考え方を軸にして転回していると述べた。 この節ではエンデの負債の考え方へのとっかりとして、古代日本の負債への考え方を紹介したい。
日本の歴史の中で負債について考える上で重要な位置にあるのが、「徳政令」である。その徳政令について述べた笠松宏至 (1983) は、折口信夫の本に注意をうながす折口は、『古代人の思考の基礎』の中で、アキカエシという制度を古歌を引きながら紹介する。 アキカエシ [商返]しろすと、みのりあらばこそ。わが下衣 かへしたばらめ(万葉集巻十六)。折口によれば、古代において、男女は契りをむすぶとキモノを取り替えるという。いわば魂を半分預けるのである。この古歌は次のような意味となる。 男がいう、「取り交わしたキモノを返してくれ」(関係をちゃらにしよう)と。それに対する女の答がこの歌であるのだ。女は言う、「アキカエシの令(徳政令)があればともかくそうじゃないのに、なんで返さなくっちゃいけない」と。男は関係を断ち切ろうとし、女は関係をそのままにしようとする。わたしが強調したいのは、関係が負債によって裏打ちされているということである。
(笠松宏至 1983)
以降、この古歌に歌われているような負債が関係を作る、というロジックを、「アキカエシ」のロジックと呼びたい。 4
(笠松宏至 1983) (折口信夫 2006)
「負債こそが関係を形作るのだ」というアキカエシのロジックは、それほど珍奇なものではない。それは世界各地の民族誌の中に見出すことのできるロジックである。ここでは、インドネシアからの有名な例を引こう。ギアツは、ジャワの農村を扱った民族誌『農業のインヴォリューション』 (Geertz 1963) の中で、「貧困の共有」について述べる。 土地を持つ者は「仕事の権利」と同時に「仕事を与える義務」をもつという。ここに自分の世帯を維持するのにぎりぎりの土地をもつ人間を考えよう。「合理的」に考えれば、彼は人から土地を借りたり、人に土地を貸したりしないで、自分の土地を耕していればいい筈である。 ところが、彼は、自分の水田の一部を小作にだすのだ。そうすると、その分だけ、自らの世帯を維持するのに土地が足りなくなる。彼は、自分は他の人の水田で小作として働くことになる。 それぞれの世帯がそれぞれ無関係に(独立して)あるのではなく負債によって連携しているのであるこのようなやり方を、ギアツは「貧困の共有」と呼ぶ。すでに明らかなように、「貧困の共有」こそ、「アキカエシのロジック」なのである。
(ギアーツ 2001
(1963)) (Geertz 1963)
□(コメント) ダグラス・ルイスの実験
エンデに戻ろう。 エンデにおいても、ジャワのように、すべての人が、誰かになんらかの負債を負っている。 エンデの社会とは、負債の網の目なのだ。
たとえば、ンバッボ(婚資の交渉)はかならず WT による負債宣言で終わるスッウ・ウズ // ワンガ・ワラ(頭で運び//肩で背負う)
(中川敏 2012)
カパの二番目の妻ウェアは、カパが三番目の妻をとったとき、彼女の姉のもとに逃げたある男(ガソ)がウェアと結婚したガソがカパにいった「お前がウェアのために払った婚資を返済する」とカパがいった「だめだ;このままにしよう。そうすれば俺等二人はキョウダイになるのだ」と → アキカエシのロジック
エンデの人々は WG/WT 関係(「道」)を大事にする「雑草はおい茂り // 道はくさる」状態にならないようにするとりわけ(母方交叉イトコ婚によって作られる)「婚資によって繋ったキョウダイ」は最も緊密な WG/WT 関係である
わたしたちは現象を無垢の目で観察できない(とハンソンは言った)「霧箱の素粒子の軌跡の写真」をそのように見るためには、わたしたちは素粒子の理論を必要とするある現象を「なされなかった母方交叉イトコ婚」と見るためには、わたしたちは母方交叉イトコ婚の理論を必要とする
WG/WT の繋り(「道」)を保つために、母方交差イトコ婚の規則が必要なのだ人々はその規則に 従わない ことによって、負債をつくりそうすることによって WG/WT 関係を緊密にたもつのである「従わない」ためにこそ、規則が必要なのだ