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ローティーンの女の子くらいにしか着れない 細身のザヴォ (rhawo) (絣(かすり)織りの腰巻)があった。 黄色だから、リオの村で作られたものだろう。 「ジューザ (jurha)」と言うのだそうだ。 あらためて考えてみると、 けっこう何度か聞いたことのある言葉だ。 どうやら婚資の一部ではあるのだが、 たいていその婚資の対象である女性と その親のもとに置いてあるのを見る。 「ダウンペイメント」と呼ぶべきなのかもしれない。
この言葉は、 〈日常よく聞くけれど、いざその意味を聞いたら、 「そんな言葉はない」と言われる類のコトバ〉だと 直観した。 じっさい「『ジューザ』ってどういう意味?」って 聞いたら「そんなコトバはない」と答えられてしまった。
そのまま論文に引用できそうな夢だった。
自然主義を標榜すると、 「起源」について語りやすくなる --- かつて(そして多くの人類学者にとっては、 今でも) 文化人類学では起源について語るのは タブーであった。 とっても「 *かっこお* わるい」ものであった。 ところが自然主義に転向すると 自由に( *かっこお* を気にせずに) 起源について語ることができる。 不思議な気分だ。
とはいえ、ぼくがあるモノ(あるいはコト)の起源について語ると、 (語っている自分にさえ) Just So Stories にしか 聞こえない。 どうやればまともな(Just So Stories ではない) 「起源語り」ができるのだろうか。
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最終更新時間: 2025-04-28 11:09