自然主義を標榜すると、 「起源」について語りやすくなる --- かつて(そして多くの人類学者にとっては、 今でも) 文化人類学では起源について語るのは タブーであった。 とっても「 *かっこお* わるい」ものであった。 ところが自然主義に転向すると 自由に( *かっこお* を気にせずに) 起源について語ることができる。 不思議な気分だ。
とはいえ、ぼくがあるモノ(あるいはコト)の起源について語ると、 (語っている自分にさえ) Just So Stories にしか 聞こえない。 どうやればまともな(Just So Stories ではない) 「起源語り」ができるのだろうか。