めずらしくたくさんの人と会った日だった。
午前中はAK (M2)さん(トルコからの学生さん)の 修論指導セッションだ。 AK (M2)さんは日本語がうまいのだが、 原稿が英語だったので、 セッションもしぜんに英語になった。 途中から「うむ、ぼくの英語もなかなか」と 思うほどに淀みなく英語がしゃべれた。 ニコニコ。
セッションが終わる。
廊下を歩いていると、 教室からSN先生の英語が聞こえる。 とっても上手だ・・・ なんだかんだ言ってもアメリカ人の英語 には負ける(変ななまりはあるが)。
《More . . .》午後からJ大での東ティモール研究会だった。 メンバーの発表もどれもこれもワクワクドキドキに面白い。 研究会は、やっぱりフィールドワーク発表に限る。
研究会の後は、 特別ゲストのIHさんもいっしょに 近くのアジア料理屋さんで懇親会だ。 たっぷり酔っ払ってしまった。 いささか「お山の大将」になってしまい、 反省・はんせい。 SKさん(もとQ大)を見習って、もっと 飄々としなければなぁ。
きょうで授業は三回目となる。 これまで二回、どうも授業がうまく行かない。 いろんなもの(事務、学生、TAなどなど)に 責任転嫁してきたが、 先週、 学生さんが「教室のせいですよ」と言ってくれた。 これまでいつもの教室が修理中で使えなかったからだ。
予定より修理が早くに終わり、 きょうからいつもの教室に戻った。 これでうまくいかなかったら もう言い訳はできない・・・。
《More . . .》最初の院ゼミだ。 いつものように、ぼくが「今回のテーマ」について 1コマ分喋る。 いつもは(日本語の分からない学生のために) 日本語に英語をまぜるのだが、 けっきょくルー・大柴みたいになって、 日本語としても英語としても分かりにくい発表に なってしまう。 今回はいちばん大事なところを英語だけにした。 ・・・しっかし環境が英語でないところで 英語をしゃべるのは難しい[--はい、言い訳です。--]
内容はなかなか面白いと思うのだが、 学生さんたちの反応(表情)はイマイチだった なぁ・・・。
二回目の授業をした。 「第1章 呪術とためらい」だ。 なかなかうまくいかない。 授業が終わって、70人ほどの感想文を読む。 元気がでてきた。 来週こそは!
きょうは講義「人類学理論」の最初の授業だ。
ぜんぜんうまくいかなかった。 ・・・すべりまくってしまった。 (・・・しょんぼり・・・)
この失敗の原因は、 (1) とつぜん教室変更をした事務、および (2) きちんと空調管理をしていなかったTAさん、および (3) 聞き方が下手な聴講生である、と モウリーニョみたいに、責任転嫁全開の言い訳を考える。
「ぼくの授業力が弱いわけではない!」と頭の中でさけんだが、 いまいち説得力がない。
授業の内容は ↓
《More . . .》後期最初の院ゼミだ。 今回のテーマは「ナショナリズム:政治と文化」だ。 民族誌的な資料は、 ティモール・レステを中心に扱うことにした。
イントロとしての論考、 「ティモール・レステの語り方」は間に合わなかったが、 「院ゼミ日程表」はほぼ完成したので、 これをもとに、院生さんたちの発表の割り当てをした。
きょう・あすで合計20名の留学生の面接をする。 いささか鬱だ。 きょうは11名、面接は午後からだ。 午前にKY (D3)さんの博論セッションだったのだが、 とつぜんキャンセルだった。 そのまま11名の面接に。
つかれた・・・
ひさしぶりに卒業生のIA (OG)さんが 遊びにきた。 沖縄に「お嫁に行く」のでご挨拶だった。 アウェイの決意がなかなかいさましかった。
叔母さんが亡くなった。 山口県での告別式にでるべく始発に乗って 出発する。 徳山駅で降りて山陽線に乗りかえる。 聞こえてくる言葉が山口弁だ。 こないだ叔母さんに会ったのは4年前かしらん。 元気な時しか知らないので、現実感がない。 亡くなったことを納得するために 人は葬儀に出るのかしらん、などと 即席心理学理論を自分で作って 自分で納得しながら、式に参列した。
初七日にも出て、 大阪にとんぼ帰りだ。 行きの逆だから、 「新大阪から京都線に乗って大阪へ」と 頭で唱えながら新幹線を降りて 京都線のホームへいそぐ。
ホーム到着---「やっとうちだ」とほっとする。
そしてそのまま京都行きに乗ってしまった。
病院のエントリーが続くが、 これは日本の話だ。
土曜(4日前)にお腹がとつぜん痛くなった。 歩けないほどだ。 お腹の右下の部分が痛い--- 去年の手術の時と同じ場所だ。 あらら・・・。
《More . . .》08-27 にアタウロ島からディリに戻り、 08-28 にディリ (ティモール島、ティモール・レステ共和国)から デンパサール(バリ島、インドネシア共和国)へ飛ぶ。 そして 08-29 にデンパサールを出発して、 きょう(08-30)の朝、関空(本州島、日本国)に着いた。
そこから電車とバスとタクシーを乗り継いで、 ようやくおうちに辿りついた。
退院したときほどにはドキドキしていない。