今年の6月に急逝された同僚のKH先生のための 学校で行なわれた「偲ぶ会」に参列した。 KHさんは、ぼくの数少ない友だちの一人だ。
時間が経っているので、 ご挨拶は軽妙な思い出話が多かった。 西原理恵子が(『ぼくんち』の) 「おじいちゃん」に語らせていたように、 「人は二度死ぬ」のだ--- 「じっさいに死んだときと、 人々の記憶から消えたときと」だ。
葬式が死という出来事を、参列者の 記憶に刻み込む役割を果たしているのなら、 偲ぶ会は生きている(いた)彼を (ないしは彼女を)参列者の記憶から 消させないためのものだろう。
エンデの100日目に行なう儀礼も、 そんな意味があるのかなぁ。 ・・・とまた、即席心理学者になってしまった。