きょうは検査の日だ。 きのうは検査食を三食たべた。 お粥やら、ビスケットやら・・・ひもじくてたまらない。 一日 Youtube で他人(ひと)が脂っこいものを食べるのをずっと見ていた。
きょうは午前中に下剤を2 リットル、2時間かけて飲む。 その間ずっと検査の後(あと)に何を食べるか考えていた。 やっぱりカツ丼かな・・・。
検査の結果は、 念のために一泊だけ検査入院となってしまった。
夕食は重湯。泣きながら食べる。 もらった書類によれば、あと1週間から10日くらいは用心深い食事をしなければいけないそうだ。
「カツ丼は遠くなりにけり・・・」
きのうはインドネシアでお世話になった家族が日本にやってきた。 若い夫婦が、 4人の子供と奥さんのお母さんとを連れてやってきたのだ。 久し振りに他人としゃべった。 今日も外出だ。 むかしの学生さんたち(2人)が飲み会をセットしてくれたのだ。 きょうも大阪の真ん中に出掛ける。
おいしい料理でした。たのしいお喋りでした。満足まんぞく。
きょうはBくんとCちゃんの仕事場である AHC で ホーリーの御祭りがある。[--暦の上では明日--] インドの二大祭だそうだ。 1つは10月のディワーリの祭(「光の祭」)、 そして、今回のホーリーの祭(「色の祭」)だという。 ホーリーの日は、道行く人々がたがいに絵の具などで、 相手に色をつけるのだという。 この日には外出はしないほうがいいということだ。
きょうは一日はやく AHC 内だけでのホーリーの御祭。 家族が、とくに子供達があつまって、 チョークの粉をかけあう。[--去年は絵の具でやって大変なことになったそうだ--] みな、汚れてもかまわない(安ものの)白いクルタ(膝丈のシャツ)を着ている。
広い中庭に屋台がいっぱい、そしてテーブルが並んでいる。 その中庭の一部が区切られており、 色かけごっこはその中だけで、という約束だ。 EMちゃんは着いてすぐに、 色かけに夢中で、中庭のその部分をかけまわっている。 他の子供たちとかけたりかけられたりだ。
そろそろ草臥れた頃に、 色かけから、花弁(はなびら)かけにうつる。 EMちゃん、色かけごっこに増して、 花弁かけごっこに夢中でした。 大人たちに上から花弁をかけてもらって、 音楽にあわせて踊っていた (^o^)
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きのうインドに着いた。 Cちゃんちにやっかいになる --- というか、旅の主な目的は EMちゃんのおさんどんだ。
とまれ、こないだ行けなかったタージマハルに行く。 運転手さんつきの大きな車に乗って、デリーから4時間くらいかな。 アグラの町につく。 一泊して、明日の朝、タージマハルへ出発だ。
今年も肝煎りのUT (OB)くんたちががんばってくれて、 恒例の大忘年会が開催された。 ぼくは場所を提供するだけ。
小屋主をいれて大人が13人、子供が3人、合計16人! みんながいろいろ持ち寄ってくれたので、 おなかもいっぱい、お酒もいっぱい。 子供たちが手品をしてくれたので、今回は余興もあった!
8月31日の夜9時半にデンパサールをテイクオフする。 チャンギで乗り継いで、 関空に着いたのは朝の 9時ころである。 飛行機を降りたところで、 航空会社のグランドスタッフによびとめられる。 なんと、ぼくの荷物 (2つあるうちの1つ)がチャンギで乗り継ぎができなかったそうだ。
ラゲージクレームのところで JAL の職員さんといっしょに (問題の航空会社は JAL でありません)書類を作成する。
去年につづき、□□航空の失態・・・。 来年は JAL か ANA にしようかな(羽田乗り換えになる)。
いよいよズパドリ村を出る日である。 ミルスのトゥーバンダの後にも、 数え切れない程のトゥーバンダがあった。 誰が誰に何を贈ったかをメモするだけで、 疲れきってしまったが、 (せこい言い方だが)論文1本は簡単に書けそうだ。
カニスの車(軽トラ)でエンデの町まで送ってもらう。
ここ数年は、 町では、 中国人(中国系のインドネシア人)の家に泊めてもらうことにしている。 豪華なおうちでゆっくりする。
夜は、 車(乗用車)でエンデの町を案内してもらう。 洒落たレストランで食事 --- おいしゅうございました。
明日、エンデを出て、バリへ行く。
きょうはミルスのトゥーバンダ(「婚資を運ぶ」儀)の日だ。 夕方でかけるということだったので、 4時ころから、 ぼくらもミルスの家で待機している。 なんや・かんや・いろいろあって、出発したのは夜の7時半だ。 むかしは歩いていったが、この頃は車(軽トラ)である。 3台に分乗して出発する。
目的地の村には30分ほどで着く。
なんや・かんや・いろいろあって、 ンバッボがはじまったのは、10時近くだ。
カニスが婿(ミルス)側を代弁する。 贔屓目かもしれないが(彼はぼくの「弟」となる)、 なかなかうまく交渉を進めていた。
交渉はほぼ決定したので、 (この後、まだまだいろいろプロセスがあるのだが) 一足さきに失礼した。 やはり先に帰りたがってた おばちゃんたちといっしょに軽トラに乗り、 ズパドリ村に帰る。
ねむい・ねむい。
この10年くらいの間、 カトリック教会は結婚式は(1年に1度)教会が決めた日にだけ行なうという、 「集団結婚式」(ニッカ・マッサル)の制度を採用している。 というわけで 8月に結婚が沢山ある、というのには慣れていた。 「それにしても多過ぎる!」・・・というのが今年の状況である。
ハニ先生やリヴァ、カニスたちに質問してみて、納得した。 カトリックにとって、今年は 25年に1度の 「ユビリウムの日」にあたるのだそうだ。 いままでカトリック教会が認めなかった結婚 (親の許しがない結婚などなど)も、 まとめて認可する、ということだ。
ふつうはトゥーバンダ(「婚資を運ぶ」儀)は、 その名のとおり、 婿側の親族が「婚資を運ぶ」、 すなわち、婿側の親族が嫁側の家に行くのが普通なのに、 マーの例のように、 嫁側が受け取りにでかけるという事例もけっこうあった。
ルールは実はこうなのだ、という --- (1)嫁が まだ両親といっしょにいるのなら、 婿が(嫁のいる家に) 「トゥーバンダ(婚資を運ぶ)」のだが、(2)嫁が すでに婿側の家で暮しているときは、 嫁側の親族が婿側の親族(嫁のいる場所)にでかけていくことになるそうだ。
きょうはマーの娘のンバッボ(婚資交渉)の日である。 夫もまたズパドリ村の住人である。 どちらからも招待がきた。
ぼくは、リヴァやハニやカニスといっしょに、 まずマーの家(嫁側の家)へ行く。 そこでお昼ご飯をごちそうになる。 ここから皆で婿側の家に行くのだ。 その出発の前に、 ハニとカニスとぼくは失礼する。
そこから、こんどは婿側の家に行くのだ。 ハニとカニスも嫁側とも、また婿側とも、 それなりの親族関係がある。 今回は、主に婿側として行動することを決めたようだ。
さてしばらくすると、 嫁側の親族が行列をなして、 贈り物(豚や寝台や米や衣服などなど)をもってやってくる。 婿側が豪勢な食事をもってかれらをもてなす。
夜中になって、やっとンバッボ(婚資交渉)がはじまる (婚資は婿側の親族が嫁側の親族に渡すものであふ)。 婿側が用意した婚資(象牙が2本、牛、などなど)は、 ぼくが見ても「まぁまぁ」の量があった。 しかし、嫁側はなかなか納得しない。
12時をすぎても、まだまだンバッボは続きそうなので、 私は一足先に帰ることにした。
ミルスは、 ぼくの「父親」だったアプさん(1990年代に亡くなっている)と 同じ父系親族(ワジャ・ビッサ)に属す、村の若者である。 今月の19日(きょうは 10日)に婚資をもって妻方の村へ行く予定である。 これを「トゥーバンダ」と呼ぶ。 さて、アプさんの後を継いでいるのは、 末っ子のカニスだ。 彼がミルスの「仲間」のリーダーとなる。 「仲間」とは、ミルスの父系親族と、 彼の「ウェタ・アネ」と呼ばれる姻戚である。 リヴァはカニスの姉妹(ウェタ)なので、リヴァとハニは このウェタ・アネとなる。
19日にぼくら(ミルスの親族とウェタ・アネたち)が婚資をもって、 妻方の家を訪れるのだ --- トゥーバンダである。 そして、その夜、婚資の支払いの交渉(ンバッボ)が行なわれる。 このンバッボのための戦略について考えよう、というのだ。
集会には、女もいれれば40人、50人はいただろう。
いったん解散して、また夜あつまる。 だいたいの作戦が決まったようだ。
COVID-19 以来バリからエンデまでの直通便 (途中で寄港はするが、フライトナンバーがかわらない便)が なくなった。 今回は DPS/LBJ (デンパサール/ラブアンバジョ)をバティックエア、 LBJ/ENE (エンデ)をウィングスエアで飛んだ。
なお、DPS/LBJ の乗客はブレ(白人)ばっかりだった。 中国人がいない。 そう言えば、 バリに二泊したが、 街中を「ジャラン・ジャラン」しても会うのはブレ(白人)ばっかりだった。 この10年くらいは中国人ばっかりで、 去年はインド人であふれかえっていたのだが --- 一気に「インド料理屋」が増えた --- 今年はむかしのバリに戻ったみたいだ。
それはさておき、閑話休題・・・ 無事、エンデに到着した。 そして、空港から一目散にズパドリ村へ向かった。
毎年お世話になっているリヴァとハニ先生に迎えられる。