山奥の村への調査行を諦め、 ディリから20 kmほどのアタウロ島へ行くこととした。 ディリの港からスピードボートに乗って 2時間ほどで到着する。 セマウ島へののんびり旅とは違い、 けたたましい2時間だった。 ずっと支柱をつかんでいたので、腕がしびれた。
ビケリ村でラプタ運動 についてインタビューをする。 ラプタ [--文献では Rabuta と書かれる。--] とは、 第二次世界大戦中にアタウロではじまった、 プロテスタントに根付いた、反植民地ムーブメントである。 しばしば「カルト」とも形容される。
夕方からハンモックにねころがって、 ゆらゆら読書---ごくらく極楽だった。
《More . . .》デンパサール(インドネシア、バリ島)から ディリ(ティモール・レステ、ティモール島)に飛ぶ。
空港にUT (OB)くん、OW (OG)さんが迎えにきてくれた。 二人ともに「ディリっ子」になってた。 運転手のアデリーノさんとも握手あくしゅの再会でした。
《More . . .》昨晩はソッエに泊まった。 ソッエから寄り道しながらクパンにはいる。
お昼ごろ、 クパン(ティモール島)から デンパサール(バリ島)へ飛ぶ。 明日はいよいよティモール・レステに入るのだ。 ・・・しかし・・・ 同じ島の西(クパン)から東(ディリ)に行くのに、 いったん他の島まで飛ばなくてはいけないのは あほらしい・・・。
アタンブアからアタププへ行き、 そこからすぐ側の国境、 モタアイン・イミグレーションを見学、 アタンブアに戻る。 アタンブアからインサナによって、王宮 (sonaf) を見て ケファへ行く。 ケファからオイクシとの国境の村々へ入る。 MY (OB)くんの調査を見守ることとする。 首狩りのはなしやら何やらかんやら、 楽しかった。
国境の村からノエムティへ。 かつてのポルトガルの飛び地だ。 会う約束をしていたおじいさんの家を尋ねる。 ところが、彼は、いま 村役場で土地争いの仲裁役をしている真っ最中だそうだ。 なかなか帰ってこない。 「彼の5番目の子」というおばちゃんが 話し相手になってくれる。 彼女の問わず語りの人生記が面白い--- 「豪傑」です。
1時間近く待ったので、次回を期して 今回は帰ることにする。 「それでは」・・・と車に乗る。
そこへ・・・「裁判は終わったよ」という 報せがきた。 おじいさんもすぐ帰ってくる。 「待たせてすまん、すまん」・・・ ニコニコしたいい顔だ。 「カエス・メタン」(「黒い異邦人」)、 すなわちポルトガルの子孫というのがすぐ分かる 顔つきだった。
家三代にわたる伝記を、 これもまた、問わず語りでしゃべってくれる。 ウェハリの王国が出てきたり、 オエクシの「カエス・メタン」の王族の争いが出てきたり、 これはまた娘さんのとは違った意味で 波瀾万丈の物語だった。
満腹まんぷく。
クパンにはいって三日目、 とうとう探検行に出発できた。 クパンからソッエそしてケファへ。 ケファからはベトゥン(ウィハレ)へ寄り道 をして、 アタンブアに入る。 瞬間時速110 kmを越える超特急の旅だったので、 アタンブアに入ったのはまだ陽のある内だった。 ティモール島(西側)内のすべての Ibu Kota Kabupaten (県庁所在地)を 一日でめぐったわけだ。
ベトゥンで、 ルマ・アダットに招待されて、 ウェハレ王国についていろいろ聞いた。 かつての(ポルトガルが来る前の)大帝国の末裔たちの 矜持をもった語りを聞けて嬉しかった。 ・・・そのわりに「聖なる偶像」をもちだしてきて、 [--忘れられたように地面に転がっていた小さいのも入れて、 四体だったかな。--] 子供たちとワイワイいいながら、 「さぁさぁ記念写真!」とはしゃいでた。 楽しい記念写真も撮れて満足まんぞく。
ケファにいる運転手くんがケファから 出てこれないという連絡が入った。 ららら・・・ これで探検行はさらに一日減って、二泊三日になってしまった。
MY (OB)くんの言うところの 「何もないクパン」に足止めされた。 MY (OB)くんが「セマウ島に行きましょう」と誘ってくれ た。 セマウ島はクパンから村々が見えるくらいの近くの島だ。
さっそく港へ行き、 漁船をチャーターして出発する。
ポンポン漁船ののんびりさがとても気持よかった。 顔にかかる水飛沫がすがすがしい。
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エンデ(フローレス島)からクパン(ティモール島)に飛ぶ。 MY (OB)くんと彼の友達のYSさんが 空港まで迎えにきてくれた。
明日からMY (OB)くんの作ってくれた プランに沿って、 四泊五日でティモール島内陸部探検の予定だ。 目的地はアタンブアである。 そしてアタンブアから、陸路でティモール・レステに 入る、という予定だった。
ところが数日前に分かったことだが、 (・・・とMY (OB)くんが浮かない顔で話してくれる) ビザ免除でインドネシアに入国した者は、 小さいイミグレーションからは出国できない、という。 ティモール・レステへの陸路で通る入管は 「小さいイミグレーション」なのだ。 ・・・というわけで、 陸路ティモール・レステ入国は諦めなければ ならない。 デンパサール経由で空路で入国、ということになる。 これで探検行は三泊四日となってしまった。
まずはクパンからデンパサール経由ディリ行きの 航空券を入手しなればいけなくなったわけだ。 さっそく三人でトラベルエージェントに向けて 出発する。 数分で済む話だ。
ところがところが・・・
クパンでは、 独立記念日関連のパーウェイ(行進)がまだ 行なわれており、 町はカオスだった。 そこら中に交通止めだ。 数分でいける筈のところが、 なんとま、数時間かかってしまった。
「こいつは幸先がいいな」・・・ (- -;;)
ズパドリ村からエンデの町に降りる。 シア先生[--ぼくの「お姉さん」、 町で小学校の先生をしている--]のお家へ行く。 きょうはシアさんちに泊まって、 明日クパンへ飛ぶ予定である。
迎えにでてくれた シアさんの目の周りが黒いので、わけを聞くと・・・
数週間前のことだ。 わたしは、ここで料理をならべていた。 そしたら台所で猫が喧嘩をはじめて・・・。 たいそうな鳴き声で、 煩くてたまらないので、 棒をもって猫をたたきに行った。 猫に近づいて、たたこうとした瞬間、 突然なにかに押されたんだ。 わたしは1mほども飛ばされてしまった。体中に怪我をした。
友だちがやってきて、 マッサージしてくれた。 不思議なことに、腕をこすると、 毛がはえてくるんだ。 さらにこするとその毛がぼろぼろと 落ちてくるんだ・・・。
典型的な「ポゾ(妖術師)」の語りだ。 誰が疑われているのかな・・・。
きょうはインドネシアの独立記念日だ。 ここ数年、独立記念日の式典はズパドリ村のまわりのいくつかの 村(デサ)がもちまわりで担当している。 今年はズパデッレ村で開催される。
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夜、停電になった。真っ暗だ。
なんだか村が騒がしい。 どうやら多くの人が外に出ているようだ。 夜中にこんなに人が外に出るなんて、 何があったのだろうか・・・。
兄弟喧嘩があったらしい。 弟が、 畑から帰ってくる兄を暗闇の中で待ち伏せして、 木の棒でなぐった、という話だ。 逃げた弟を追って、 [--急所をはずれたので、 兄の怪我はたいしたことはなかった--] 村じゅうの人間が山狩りをしているという。
原因は「財産争い」である。 弟が自分の取りぶんの少ないのを不満にもっていた、 というのである。 ここで問題になっている「財産」は、 近年導入された換金作物(カカオ、コーヒー、その他) である。
昔、財産(象牙や動物)の争いがなかった わけではない。 しかし、どうも近年[--1990年代以降かな--] 諍いが、 それも暴力的な諍い [--今回のはとりわけて、暴力的だ--]が 頻繁に起きているようだ。 何故だろう。
いいかげんな説明を思い付いた。
《More . . .》エンデでは婚資[--婿の「家」から嫁の「家」に 与える財貨--]として象牙(トコ)が重要だ。 昔は十本、二十本と使われたが、 いまはほんの二、三本しか使われない。 象牙の絶対的数が少なくなっているのだ。 [--中国人(商人)に売ってしまい、 婚資流通の外に出てしまったからである--] それじゃぁ具体的にどれくらい残っているのかと 考えた。 象牙は「財産」の典型的なものであり、 財産は秘密にされている・・・ というわけで聞いても分かんないだろうな。 ま・ダメモトで聞いてみよ。
というわけでリヴァに、 ズパドリ村のトコの全体数がだいたいどれくらいだと思うか 聞いてみた。
・・・出るわ、出るわ。 どこどこの家には何本と、かなり自信をもって 答えてくれた。 婚資のやり取りをほとんど全て覚えているのだ。 一本一本のトコの由来 (誰の婚姻で使われたのか)だけでなく、 その家に来るまでの道も、 かなりの分を辿ってくれた。 リヴァんちにある一本のトコの道は複雑を 極めており、 これだけで論文一本書けそ (^_^;)
きょうは日曜だ。 このあたりの村では唯一広場のある ズパドリ村でサッカーの試合があった。 [--教会がらみの活動だ。--] これまでサッカーの試合が無事に終わったことは めったにない。 [--かならず喧嘩になる。--] さて、どうなることか。
《More . . .》