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Summary - 残日録 --- The Remains of the Day

最終更新時間: 2025-04-28 11:09

2024-03-28 Thu

 40時間かけてキャンベラに到着した---Cちゃん、Bくん、EMと会う: [Summary]

きのう Eといっしょに朝 5時前に大阪の家を出て 関空へ行く。

関空からケアンズ、ケアンズからシドニーへと飛ぶ。 シドニーに着いたのはきょうの午後 1時だ。 そこからバスに乗って、キャンベラに向かう。 7時半着の予定だったが、8時に着いた。

Cちゃん、Bくん、EMが迎えにきてくれていた。 Cちゃんちに着いたのは 8時半だった。

2023-12-28 Thu

 4年振りの大忘年会。こじんまりと。---とても楽しかった: [Summary]

コロナ禍がひらけて、 2019年の年末以来おこなっていなかった 「大忘年会」(@ぼくんち )が、とうとう開けるチャンスが やってきた ・・・ ところがタイミングわるく、 いつも幹事をしているUT (OB)くんとMY (OB)くんが サバティカルでそれぞれマレーシアとインドネシアにいっている。 「今年も無理かな」と思っていたら、 OW (OG)さんが「不肖わたしが・・・」と幹事に立候補してくれた、 あとはトントン拍子でいつもの通りに 12-28 に開催が決定した。

たまたま海外にいっている人も多く、 いつ もよりずっとこじんまりした会になったが、 それでもとても楽しい会になった。

     
[ごちそうのほんの一部]

NF (OG)さんの失敗談、 MK (OG)さんの子供の話などなど、 楽しい年末の一時でした。

2023-12-16 Sat

 KAPAL (インドネシア研究会)で発表した;タイトルは「頭をつかむ」だ---懇親会であやうく終電をのがしそうになった: [Summary]

きょうは立命館で学会。 ぼくの発表は 「頭をつかむ:エンデで歴史を書き換える方法」だ。 まぁまぁかな。

夜は大学のそばの居酒屋を貸切で懇親会だ。

生態学の人たちと話してて、 とても面白かった。 隣にすわってた人が帰るというので ぼくも帰ることとする。 京都駅まで一緒に来てくれたので 迷わずにすんだ。

京都駅から家まではけっこうある。 最後は京田辺駅から 23時37分に乗る。 これが最終だった。 あやうい、あやうい・・・。

2023-12-10 Sun

 筑波での発表がうまくいったので、山の上ホテルで天麩羅を食べる---おいしゅうございました;たのしい昼食会: [Summary]

きのうの東南アジア学会(@筑波大学)での発表がうまくいったので、 きょうはお茶の水のクラシックなホテル、山の上ホテルで 有名な天麩羅を食べた。 この昼食会はM (OG)さんとNF (OG)さんと6年前くらいから 約束していた昼食会でもある --- 台風と COVID-19 で延びに延びてた会だ。 あやうくホテルの休館にぶつかるところだったが、 なんとか間に合った。

とても楽しかった。

2023-12-09 Sat

 第105回東南アジア学会@筑波大学で発表する;ほっとした---夜の懇親会が楽しかった;ビルマについていろいろ勉強した: [Summary]

ぼくの発表は一日目の午後の一番だ。 とてもやり易い時間帯だ。 かなり苦労した「ベクの認識論、レッダの存在論」を読み上げる。 まぁまぁかな。

2023-11-15 Wed

 そろそろ日常生活にもどることとする---発症してから一週間以上たってるんで、もう問題ないだろう: [Summary]

COVID-19 が発症してから10日以上たっているし、 症状がなくなってからも一週間以上たっている。 というわけで、引きこもりも今日までにする。

2023-11-01 Wed

 ティモール島クパン到着、昼はリヴァの娘ヘスティンからおよばれする;夜はもと学生のMY (OB)くんとフーユンハイと焼き魚をたべる---ヘスティンの息子、ピーポ(2歳)が不思議で可愛いかった: [Summary]

朝、フローレス島のエンデを出発。 隣の島、ティモール島のクパンへ飛ぶ。

リヴァの娘、ヘスティンがティモール島のクパンで働いている。 ぼくらがクパンを通るということを聞いて、 彼女がお昼ご飯に招待してくれた。 空港から彼女のコース(下宿)まで行く。 大きな焼き魚!リヴァに似て料理が上手だ。 2歳くらいの息子、ピーポがとても楽しい子だった。

     
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夜は調査に来ているMY (OB)くんにクパンを案内してもらう。 何度か来ている焼き魚屋さんで晩ご飯だ。 MY (OB)くんの大好きなフーユンハイ [--ちょっとびっくり --- グーグル検索でヒットするサイトのどこでも、 これがインドネシア料理だという--](蟹玉)も注文する。

     
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クパンでの楽しい一日だった。 明日はバリへ出発する。 バリで二泊して、いよいよ日本だ。

2023-10-31 Tue

 ズパドリ村からエンデの町に降りる;中国人の友達たちから嬉しいご馳走ぜめ---いっきに 3 kgくらい太ったかも: [Summary]

明日はクパンに飛び、明後日はバリだ。 そして 11-04 には帰国である。 というわけで、 きょうはズパドリ村からエンデの町に降りた。 町では、たいていカニスとリヴァのお姉さんのところに泊まるのだが、 今回は中国人の友だち、アポンの一家に招待されている。 アポンは亡くなっていたので、息子のアモン一家、というわけだ。 お昼はアモン一家から(蟹の料理の)招待があるが、 カニス・リヴァのお兄さんからの招待もある。 アモンの家でのお昼ご飯をちょっと早めにしてもらうこととした。

     
[蟹とロブスター]

車で山から降りて、 アモンの家で降りる。 アモンたちと握手、あくしゅ。 あったかいシャワーを浴びて、 冷房のついた部屋でお昼寝する。 そしてお昼ご飯は約束していた(北海岸産の)蟹だ。 きょうはその上にロブスターもあった。 昔アポンといっしょに食べた蟹の味だ。 旨い、うまい。

その後、すぐにカニス・リヴァのお兄さん、 ユスティヌスさんちに行く(歩いて5分くらいのところだ)。 彼は、ぼくより5歳くらい上だと思うのだが、 すっかり痩せてしまっている。 今回5年振りに会った人のなかで最も「5年」を感じさせる。 子供たちがあっちへ走ったりこっちへ走ったり。 おいしいお昼ご飯でした。

しばらくお話しして、 アモンの家に帰る。

アモンの家にすでに今晩泊まるように招待されているのだが、 きょうの夜はアポンの弟、アチュンの家にとまれとも言われている。 さらにアポンの妹のアモエからも「泊まれ」という命令がきているという。 嬉しい悩みだ、どこにしようかな。

夕方、町の近くのウォロピソ村(リオ人の村)に遊びにいく。 とても楽しかったのだが、 この話はいずれまた。

     
[ウォロピソ村の儀礼家屋]
     
[ウォロピソ村の教会]

夜はアモエの家のパーティに招待されている。 豚を一頭まるごと丸焼きにしてシンセキをいっぱい呼ぶだそうだ。 アモンの車でウォロレッケにあるアモエの家へ行く。 参加しているのは50人くらいいたかしらん。 ほぼ知っている顔ばっかりだ。 丸焼きの豚がめっちゃおいしい。

     
[豚をやいている]
     
[豚の料理]
     
[豚の料理]

けっきょく成り行きで、今晩はアモエの家に泊まりにいくことと なった。 おなかいっぱいで、ゆっくりと眠った。

     
[ウォロレッケの町並み]

2023-10-22 Sun

 海岸の町でボウ(婚資をあつめる集会)に出る---海岸は暑い!: [Summary]

カニスやリヴァの姉の息子フィンセンが間も無く結婚する。 この地域では男は結婚の際に妻方の親族に財をわたさなくては いけない。 人類学で婚資と呼ばれてきたものだ。 フィンセンも婚資を用意しているのだが、 自分一人ではとてもどうこうできるだけの量がそろわない。 そんな時、男はシンセキを呼んで婚資の援助をたのむ。 そのような集りをボウとよぶ。 きょうは、フィンセンのボウがある日だ。 みなで婚資の準備をして、 フィンセンが住んでいる海岸の町に降りていく。

夕方だったのだが、それでも海岸は暑い。 あまりに暑いので、贈り物をわたして・飯をくってすぐに帰る。

2023-10-16 Mon

 リオの有名な「伝統的な慣習村」をツアーした---オランダ人、ポーランド人、観光客がいっぱい: [Summary]

イネ・モニのお葬式に出席するためにリオ人の地域に やってきたので、 帰りに、ぼくたちのもう一つの調査地である、 リオの村、ウォロソコ村(儀礼村)の 出張村(街道の近くの村)ウル・ラウ村、に数日泊まることとした。 ぼくたちがメインインフォーマント(ランガさん)にした方が 去年亡くなったので、墓参りでもある。

きょうはランガさんの娘の案内で、 母村ウォロソコ村に遊びにいく。 ズパドリ村 はここ数年自給自足の焼畑経済から 換金作物(丁子やカカオなど)に変えていったが、 ウォロソコ村は観光に大きく舵をとっている。 入口には「伝統的な慣習村ウォロソコ村」という看板がかかっている。 たしかに見栄えはいい。 オランダ人の一行、 つづいてポーランド人の一行が村の中を歩いている。

     
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なんとなく割り切れない気分でウル・ラウ村に帰る。 ここは水田が広がっている場所だ。 観光バスがとまって、数人の観光客が降りてきた。 「インスタ映えがする場所」らしい。 能天気に写真を撮って、またバスに戻っていった。

2023-10-14 Sat

 イネ・モニが亡くなった;ズパドリ村の人が総出でリオまで葬式にでかける---遠い村からはるばるやってきた僕達を冷淡に迎えるリオの人たち・・・: [Summary]

カニスの奥さん(リン)の年取ったお母さん(「イネ・モニ」)はここ数年 カニスたちといっしょに暮していた。 つい最近、リンの兄弟たちがやってきて、 イネ・モニを自分達の村、リオ人の村に連れてかえった。 [--リオはエンデと方言程度の違いの言語を喋るが、2つの文化はかなり違う--] さきほどイネ・モニが亡くなったという知らせが届いた。 悲しみの泣き声があちこちから聴こえる。

1時間ほどすると、 葬式の準備がはじまる。 カニスは人望もあり、有力者でもあるので、 かなりの人がいっしょについていくようだ。 カニス自身の車の他に2台も借り上げて、 3台の車に人間と動物(贈り物の牛と山羊)をのせて出発する。 人間は50人以上いただろう。

     
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リオの村に着いたときは真夜中だった。

女たちが大声で泣いている。 [--「ナンギ」とよばれる「(儀礼的な)泣き」で即興の歌詞をきそう意味もある--]

エンデであれば客は諸手をあげて歓待されるのだが、 リオはもっとビジネスライクだ。 料理もいいかげんだし、客あしらいもぞんざいである。 あんなに遠くから、大勢で、動物も連れてやってきたのにだ・・・。 エンデの人たちは不満たらたらだ。

不満だらけの夜は更けてゆく・・・。

2023-10-10 Tue

 バリからラブアンバジョを経てエンデへ、そしてとうとうズパドリ村に到着!---バリからエンデへの直行便もなくなっていた・・・まいった、まいった: [Summary]

関空からバリへの直行便がなくなったのも不便だが、 バリからエンデへの直行便もなくなっている。 かつても途中ラブアンバジョ(フローレス島西部)で 途中下車するが、せいぜい30分ほどだった (フライトナンバーはかわらない〜同じ飛行機に乗る)。 今はラブアンバジョで飛行機を乗り換えなくてはいけない --- 乗り換えの待ちお時間が4時間10分だ。

     
[飛行機]

とまれ無事、バリからラブアンバジョ、 そしてエンデの空港(ハジ・ハッサン・アルブスマン空港)に到着した。 カニスたちが迎えに来てくれてた。 とうとう「ピックアップ」(軽トラ)を買ったんだ。 迎車だ、迎車だ!

エンデの町からカニスの車でズパドリ村へ行く。 じつに快適だ。 ズパドリ村ではリヴァとハニが迎えてくれる。

リヴァんちの晩ご飯は、 とてもおいしいご飯がまっていました。

     
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晩ご飯のあとオトんちからもお呼ばれで、 夜中にのこのこ村の端から端までいく。 オトんちも大ご馳走でした。 ふとっちゃう。

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