2 人類学者の立ち位置
2.1 文化人類学と政治学
2.2 文化と政治
3 民族誌的視点
3.1 ティモール・レステという場所
3.2 東インドネシアという場所
4 ティモール・レステの誕生
4.1 革命という出来事
4.2 革命という物語
5 灰からの再生
5.1 政治の中の文化
5.2 文化の中の政治
6 ナショナリズム
6.1 政治の中のナショナリズム
6.2 文化の中のナショナリズム
7 エポカリズムとエッセンシャリズム
7.1 エッセンシャリズム
7.2 エポカリズム
8 歴史を作る---和解の道
8.1 ソロモンの真実和解委員会
8.2 ティモール・レステの受容真実和解委員会
Draft only ($Revision$ ($Date$)).
(C) Satoshi Nakagawa
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今年 (2015年)の院ゼミでは 国家あるいはナショナリズムを人類学的に分析する道を 探る。 今千年紀最初の独立国、 ティモール・レステ (ティモール・ロロサエ、 東ティモール)共和国 (DRTL) を 具体例とする。
Reading List の中の※印のものを 優先して読む。 人数に余裕があれば、※印以外のものも 読みたい。 監修者は、できれば、※印以外のものを 読んでおいてほしい。
第1回は、中川による講義である。 [nakagawa-96b]
問題は、 簡単にまとめればこうである。 人類学者がナショナリズムについて語る、 国家について語る例はたくさんある。 範例はあるのだ。 ポイントは、 どのような立場で語るのか、だ。 そして、 その立場が、その人類学者にとって 矛盾のないものなのか、ということだ。 各人が考えればいいことだが、 わたしを例にとって話をした、ということである。
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第2回(同日の後半)には、 中川の講義の中で触れられた ギアツの政治と文化に関する二論文 「過去の政治、現在の政治」 ( [geertz-past-j]/ [geertz-past]) そして 「統合的革命」 ( [geertz-integrative-j]/ [geertz-integrative])を読む。 さらに、ギアツにインスパイアされた 清水(展)による『文化の中の政治』 [shimizu-z-bunka] の第1章「出来事と物語」( [shimizu-dekigoto]) を読む。
とりあえず、 国家を語る二つの視点をテーマとして 議論を始めよう。 一つを「政治学的視点」と、 もう一つを「民族誌的視点」と呼ぼう。
二日目は、そのうちの 「民族誌的視点」をテーマにする。
まずは、 二つがバランスよく共存している ティモール・レステの全体像を 掴むに最適なモルナー(人類学者)による ティモール・レステの入門書、『ティモール・レステ』 ( [molnar-timor-leste])を読む。 第2章「人と文化」 (People and Culture)が 民族誌的な入門、 第3章「ポルトガル以前から「最初の独立」までの政治 の歴史」 (History and Politics of the pre-Portuguese to "First Independence" periods) が歴史学的入門と なる。
民族誌的な語りとして 人類学者フォックスによるティモールの入門論文、 [fox-tracing] と [fox-powerlessness] を読む。
二日目後半は、 民族誌的な視点を深めることを目的とする。
民族誌的な比較という文脈で、 ティモール東部に とくべつな意味はない。 ティモール全体という単位さえも それほど意味はない。 オランダ構造主義の言う 「民族学的研究領域 (ethonologische studieveld)」( [dejong.jpd-77]、 [dejong.jpd-77])として、 ティモールを含む「東インドネシア」の 比較研究に力をそそいで来たのが James J. Fox である。 基盤となったのは オランダ構造主義の傑作、 van Wouden の『東インドネシアの社会諸類型』 ( [wouden-35]/ [wouden-68]) である。 ファン・ワウデンは、 とりわけ、 母方交差イトコ婚とそれに関連する 贈与交換を強調した。
フォックスの編になる『生命の流れ』(1980) (Flow of Life) ( [z.fox-flow])は、 東インドネシアの比較研究の誕生を宣言する書であった。 題名の「生命の流れ」とは、 (たいていの場合、母方交差イトコ婚に基づく) 嫁を与える者 (WG) と嫁を受け取る者 (WT) の関係を 言う。 その意味で、ファン・ワウデンの流れを 忠実に辿っていると言える。 その後、フォックスの比較のための「研究領域」は オーストロネジアンへと広がり、 キーワードも「先行性 (precedence)」 1 などが 加わることになる。 フォックス自身が「先行性」に WG/WT の関係を含めてい るかどうかはよく知らないが、 わたしは、 「先行性」は、むしろ、父系親族同士の関係と捉えたい。
『生命の流れ』から、 フォックスの序文 ( [fox-intro-flow])と スクルテ・ノルドホルトの 「アトニの象徴分類」( [nordholt-80])と クラマジランの「エマの社会組織」 ( [clamagirand-80])、 そしてトラウベの「マンバイの白と黒の儀礼」 ( [traube-black_and_white])を 読む。 2
松野は 「五世紀にもおよぶ外国支配の下で、 ティモール・レステは自由となる日を 夢見てきた」 [matsuno-dokuritsu-shi: 1] と言う。 嘘である。 人びとが「ティモール・レステの自由」を語るのは 1975年以降だ。 もちろん、 20世紀初頭のフローレス島の出来事を描く中、 「このとき彼は『インドネシアに独立を』と 叫びながら息絶えた」 [sejarah-ntt] と書く インドネシアの通俗歴史家にたいして、 わたしは文句はいわない。 それは文化の語りのなかで実在性 (真理性)を獲得しているからだ。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
それじゃぁ、やっぱり「ほんとう」はあるのか? ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
外側から そして内側から「東ティモール」が ある種のカテゴリーとして見えてくるのが、 1974年から75年以降である。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
1974年に宗主国ポルトガルの政変を受けて、 東ティモールの政局が動きだす。 いわば、このとき「東ティモール」が、 人びと(内側のみならず、外側の人びと)にとって 想像の一つの単位として、誕生したのである。
前半では、 1974年前後の出来事を押さえておきたい。
モルナーの本の 第4章「インドネシアによる東ティモールの『保護』」 (The Indonesian "Custody" of East Timor)、 そして 第5章「完全な独立に向けて」 "On the road to full independence: the United Nations Trasitional Administration in East Timor" を読む。
政治学的な語りの典型として 松野による『独立史』 ( [matsuno-dokuritsu-shi]) の第4章(「占領とレジスタンス」)および 最終章(第6章「独立への道」)を読む。
1978年に出版されたジャーナリスト、 ジョリフェによる『東ティモール:ナショナリズムと 植民地主義』 [jollife-78] にたいする人類学者 トラウベの書評( [traube-review_jolliffe])が、 人類学者の不満をよく伝えるものだろう。 トラウベは言う---「これではまるで東ティモールの人びとは、 植民者の、CIA の、インドネシアの、オーストラリア の、有名な革命家などなどの陰にいる ひたすら受動的な人々のようだ」と。
トラウベの書評と同じようなスタンスによって 人類学者によって書かれた、 ティモール・レステの革命の物語は、残念ながら、 まだない。 またティモール・レステ自身による物語も (国家によるものであろうと、 フィールドワークを通して得られた 人びとの語りであろうと) まだ探しあてられていない。
院ゼミでは、 その代わりに、 フィリピンの「二月革命」の 人びとによる物語を紡ぎなおした、 清水の諸論考のうち 「聖コリーを待つ時間」 ( [shimizu-cory])をとりあげたい。
どう「内側/外側」と関連づけていいのか わたし自身、まだ迷っているのだが、 (「想像の共同体」 [anderson-j-87] [anderson-83]の著者である) アンダーソンによる「ティモール・レステを想像する」 ( [anderson-imagining])を 読みたい。
2002年に独立を達成したティモール・レステ共和国 であるが、 2006年には内戦の危機を迎えることになる [as-tl-2006-nevins]。
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革命の後の 新興国ナショナリズムについての 古典的な論考である ギアツの「革命のあと」( [geertz-after-j]、 [geertz-after])を読む。
『文化の中の政治』の冒頭 (「第1章 出来事と物語」)において、 かなりいさましい宣言をした清水も、 最終章(「物語の陶酔」 [shimizu-monogatari])では、 いささか歯切れがわるいように思える。 赤裸々な政治の現実の前に、 彼には、 文化が二義的なものに見えてきているのでは ないだろうか。 そこには、 「革命のあと」のアキノの政治の もたらした落胆の影響も垣間見えている ように、わたしには思える。
人類学の中で、 文化の中の政治以上に、 政治の中の文化が描かれることがおおい。 ここでは、 アチアイオリのインドネシア政府の 「文化」政策をあつかった、 「芸術としての文化」 ( [acciaioli-85])を その典型として読んでみたい。
違った観点から書かれた論文だが、 ティモールの古代王国、ウェハリ王国 (中心は西ティモール、インドネシア領にある)の 政治的考慮のなかで揺れ動くさまを描いた フランシロンの論文、 「ウェハリへの侵攻」 ( [francillon-80])もあわせて読みたい。
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ナショナリズムについての良質の政治学的論考は、 インドネシアに関してたいへん多い。 土屋健治の諸著作はすべて人類学者にとって 有益であろう。 この院ゼミでは、 スポモの「マジャパヒトのイメージ」 "Image of Majapahit in later Javanese and Indonesian Writings" ( [supomo-79])と アンダーソンの [anderson-90a]「ジャワ文化の中の力の概念」 "Idea of Power in Javanese Culture" を 読みたい。 なお、アンダーソンの論文は『インドネシアにおける 文化と政治』(ホルト編) [holt-72]所収の論文で ある。 その論文集の最後に置かれたギアツによる 一種のまとめ、 「意味の政治」 ( [geertz-politics-j]あるいは [geertz-politics])もあわせて読むこととする。
まだ文化の中からナショナリズムを 書く論考に出会わない。 ここでは、 政治的出来事を背景にした 民族誌二つ、 トラウベの「旗を植える」 ( [traube-planting_the_flag])と、 モルナーの「ポルトガルにつかえて死す」 ( [molnar-died])を 読みたい。
「革命のあと」 [geertz-after-j]の中で、 ギアツは革命のあとの新興国のナショナリズムの取る 二つの方向、 エポカリズムとエッセンシャリズムとについて 述べる。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
ヒックスのエッセイ 「東ティモールの共同体と国家」 ( [hicks-community])は、 現在(2007年)のティモール・レステ共和国の状況、 そして直面する問題を描いている。 その中で彼が強調するのが 「文化の復興」 (resurgence of culture) である。 フィールドワークを終えたばかりの 政治学者井上も 「平和ミッション下の選挙」 [inoue-election]において同じ 傾向(文化の復興)を指摘している。 論文のテーマとして「文化の復興」を とりあげたのが、 バーンズの「起源、先行性、社会の秩序」 ( [barnes.s-origins])である。 この三つの論文をあわせて読んでいきたい。
藤井くん監修および 発表。
ルナンは「国民の存在とは、 日々の国民投票なのである」と書いた。 そのルナンはさらに 次のように言う。
l'oubli et, je dirais m\^me, l'erreur historique sont un facteur essentiel de la crEation d'une nation ...
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ティモール・レステは1999年8月の 「国民投票」によって独立を達成した。 騒乱の時を経て2002年、 国連の後ろ盾による「真実和解委員会」が結成され、 2005年にはその報告書 (Chega!)が提出された。 委員長 Aniceto Guterres Lopes の序で宣言する--- 「この報告書は忘れることの拒絶である」と。
[robinson-ten_years_on] [fukutake-nahebiti]
[1] それと関連して「起源 (origin)」。 [Back]
[2] なお「エマ」は自称で、 他称は「ケマ」であること、 マンバイの民族誌の著者の名前が トラウベであることは、 覚えておいてほしい。 [Back]