先日聞いた A Sore Convulsion の続きだ。 港である殺人が起こり、 マクリーヴィーとマホランドが捜査にあたることとなる。 この殺人の背後に、 ドック拡張工事をめぐる汚職が暗示される。 いっぽう、 その工事の責任者スペンサーの妻、エミリアが、 ジーン・ブラッシュの母を同じくする妹であることがわかる。 これが前回までの粗筋だ。
ジーンはおずおずとエミリアの言うことを信じはじめる。 二人の友情が深まり、 二人がそれぞれの人生を語る。
BBC Sounds で ドラマカテゴリーをチェックしていたら、 McLevy in the New World を見つけた。 「わ、McLevy の新しいシリーズだ!」と喜んで聴きはじめる --- なんと、マクリーヴィーがリース (Leith) の警察をやめて、 ジーン・ブラッシュと二人でアメリカに来ている。 エピソードをかなり飛ばしてしまったようだ。 あわてて、 古いエピソードを調べる。 まだ BBC Sounds で聴ける状態でたくさんのこっていた。
きょうは Series 10 の A Sore Convulsion を聞いた。
舞台は変わらずに、 リース (Leith) (エディンバラの近くの港町らしい)だ ・・・安心した。
リースの港のドックの拡張計画を背景にして、 その計画に関係していると思われる殺人事件が発生する。 上司 Lieutenant [--「所長?」--] Roach は、いつものとおり、 深入りをさけようとするが、 インスペクタ(警視)マクリーヴィー (McLevy) と コンスタブル(巡査)マホランド (Mulholland) の捜査は、 どんどん深みにはまっていく。 一方、もう一人の主人公、 エディンバラでナンバーワンの娼家 (Bawdy House)、 「正義の土地」(Just Land) の持ち主、 ジーン・ブラッシュ (Jean Brash) は自分の人生を見直す契機となるような 人物と出会う。 母を同じくする妹、エミリア・スペンサーである。
二つの筋はいまのところそれ程つよくは 絡みあっていない。 エミリアの夫がドックの拡張計画のボスなので、 続編があるだろう。
でぶっちょで下品なマクリーヴィーは、 大好きだ。 今度好きな警察官リストをつくってみようかな。 マクリーヴィーはフロストと並んでトップ3に入るだろう。 大嫌いなのはモース警視だ。 「スノッブ」というのはこういう不愉快な人物を指す言葉だ。
閑話休題。
思うに、ジーンとマクリーヴィーの距離はもっともっと 離れていたように思う。 まだまだ聞いていないエピソードがあるようだ。
きょうの散歩のお伴も In Our Time だ。 In Our Time の今日のタイトルは Cambiran Period (2005-02-17 放送) だ。 In Our Time は科学分野が一番おもしろい。 ちょうど学会発表のために進化論を食い散らかしていた時でもあり、 とっても面白く聞いた。 「カンブリア大爆発」とは、 いまから5億3千年前、カンブリア紀において、 複雑な構造をした多くの種類の海洋生物がとつじょ出現した「事件」の ことである。
番組のある時点で、当然のことだが、 この事件に関する有名な本の1つである、 グールドの Wonderful Life: The Burgess Shale and the Nature of History (Gould 1990) が話題になった。 司会のメルヴィンが、 その本の中で主張されている グールドの「歴史の巻き戻し」議論についての意見をゲストに尋ねていた。 一人のゲストはその通りだと言っていたようだ(あるいは、 たんにその議論を視聴者に説明しただけだったのかもしれない) --- 進化の歴史を巻き戻すと、 歴史は全然ちがった流れをとるだろう、というのだ。 その中にはホモサピエンスが現れない歴史だって、もちろん、あるわけだ。 もう一人のゲストは、 「そんなことはない。もう一度おなじようなコースをとるはずだ」と主張した (ようだ)。 彼が言うには、 「その証拠は・・・」(かな?) 「イルカの脳がうんぬんかんぬん・・・」(自信なし)。 じつは、 この辺がよくわからなかった。 興味あるところなので、もう一度聞き直しておこう。
グールドの評価って生物学界ではどうなっているのかな。 「適応万能主義批判」、「断続平衡説」そのものはともかく、 その背景になっている偶然万能主義(ぼくの命名)って、 とても説得的なのだが・・・。 偶然万能主義にちょっとだけ適応主義をふりかけた 「ほぼ偶然(ときどき適応)説」(ぼくの命名) [--大ざっぱにいえば「ほぼ中立説」なのだが、あれは分子レベルの話--] がもっとも説得的だと、ぼくは思う。 しかし、 ドーキンスなんかを読んでいる限り、 グールドなどの説はもはや見捨てられた学説のように響く。
ひさしぶりに In Our Time を聞いた。 今回のテーマは「哺乳類」 Mammals (2005-10-13)。 とっても面白かったので、絵をみたくなった。
ゲストの一人が言ってた: 「誤解しちゃいけないよ。『恐竜の時代』がおわって いまは『哺乳類の時代』などと考えてはいけない。 いまは、グールドの言うように、 『バクテリアの時代』のまっただ中なんだぜ」と。 調べたら、出典は、 Full House: The Spread of Excellence from Plato to Darwin (Gould 1996) だった。 原文は次のとおり (p. 176):
We live now in the "Age of Bacteria." Our planet has always been in the "Age of Bacteria," ever since the first fossils --- bacteria, of course --- were entombed in rocks more than three and a half billion years ago.
On any possible, reasonable, or fair criterion, bacteria are --- and always have been --- the dominant forms of life on earth.
グールドの本を読みたくなった。 もともとぼくはグールドが大好きだったんだけど (あの野球の蘊蓄さえ止めてくれれば・・・)、 進化論の勉強の中でドーキンスに(いやいや)改宗した。 ・・・ ネオダーウィニズムの進化論の勉強もそれなりにしたので、 ドーキンスからグールドに宗旨替えしようかしようと思う。 うちにあるグールドの本をもう一度読み返そう!
こないだ映画版『ホビット』 (Hobbit) 三部作の一部と二部の 途中まで (Amazon Prime Video で)見たので、 今日はその続きを観る。[--映画館で一度見ているが続けて観るのははじめて--] 一部はほぼオリジナル通りだと思う。 きょうは二部の後半部と三部を観る。 二部の後半もそうだが、 三部はオリジナルとは全く違うと思う。 (オリジナルを読んだのは40年ほど前なので自信はないが・・・) そして最後は、映画版の『指輪物語』 (Lord of the Rings) 同様に 鷲(イーグルズ)がやってきて めでたし・めでたし ・・・そうなるんじゃないかと思っていた (- -;)。
[2023-04-21] こう書いて、ちょっと心配になったので、 日本語訳を読み直した。 びっくり、原作に忠実に作ってあるんだ。 サウロンだけが無理矢理の付け足しかな、と思ったのだが、 原作でも言及されている --- 尤も 「サウロン」としてではなく、 「北のネクロマンサー」としてだが。 鷲もちゃんと出てくる --- ただし 本で読んだときには、 不思議なことに、 あまりデウス・エクス・マキナっぽさは感じなかった。
とは言え・・・ 映画版『指輪物語』は 主人公フロドに魅力が全くないのでつまらんかったが、 『ホビット』のビルボ [--BBC の Sherlock のワトソン役の人--] は とてもいい。
この頃は散歩のお伴に (In Our Time と換えて)Twilight Zone を聞いている。 きょうのタイトルは Prime Mover だ。 出来事には原因がある。 その原因にも原因がある・・・とたどっていった先の 最初の原因(神)といった意味だったと思うが、 ま・いっしゅの洒落だ。
自動車道のわきの喫茶店から物語は始まる。 登場人物は、 店主のエース、コックのジンボ、 そして「きれいの一歩手前」の女給さん、キティの三人だ。 じつは、ジンボには隠された才能がある。 念力でモノを動かすことができるのだ (というわけで、あのタイトルとなったわけだ)。 さて、このことを知ったエースは、 ジンボとキティをつれてラスベガスに勝負にでかける・・・という ストーリーだ。 「どうなるんだ。 もう悲劇的な結果が見えている」・・・と 思いながら、聞いていた。
ベガスでは注意を引かないように エースは目立たない勝負に終始する。 しかしチマチマ儲けるのに飽きたエースは、 ジンボの止めるのにもかかわらず、 とうとう一世一代の賭に挑む --- 暗黒街のボスとのサシでの勝負だ。 勝負の途中でジンボが苦しみはじめる。
・・・
途中で聞くのを止めようとしたのだが、 ついつい最後まで聞いてしまった。
・・・ハッピーエンドはいいですね (^o^)
いつもの散歩のお伴 In Our Time は暫くお休み。 きょうからは Youtube で拾った Twilight Zone (ラジオドラマ版)を聞く。
最初に聞いたのは旅客機の物語だ。 まもなく着陸態勢にはいろうという旅客機の中が舞台だ。 物語は、 パイロット席で、 下に広がるべき都市(ニューヨークだったかな)が見えないので、 あわてるパイロットと副パイロットたちの姿からはじまる。 当惑するスチュワーデスたち、 あわてる乗客たちと視点はうつる。 パイロットは、下に見えるのはニューヨークの昔むかしの姿だと 確信する。 飛行機が時間を後ろ向きにジャンプしたのだ、と。 もう一度同じことをすれば、 ふたたび「現代」に戻れると信じて、 飛行機はもう一度同じこと(エアポケットみたいのの再現だったかな)を する。 今度こそニューヨークは見えたのだが・・・。 といった筋だ。
まぁまぁかな。
つぎは The Parallell という題名のドラマだ。 はじめて宇宙へ飛び立つ宇宙飛行士が主人公だ。 [--書かれたのはガガーリンの前の時代だろう--] 宇宙飛行士は、計画通り、 宇宙へ飛び出し、地球に戻ってくる。 戻ってきた地球が、彼の知っている地球と小さな部分で違っていることに、 彼は気付く。 彼は平行世界にはいりこんでしまったのだ・・・というお話。 [--タイトルがすでにしてネタバレ(spoiler)だ--] まぁまぁ。 最初の物語の同工異曲、という感じだ。
その次は Passersby --- 一度聞いたことのあるお話だ。 南北戦争が舞台だ。 [--Twilight Zone にはいくつか南北戦争ものがある--]
戦争がおわった ・・・ 勝った者も、負けた者も、疲労困憊して帰郷の途につく。 そんなもと兵士(南軍だったと思う)の一人に焦点をあてた物語だ。 彼の辿る道の途中に一軒家がある。 彼はそこで水を乞う。 でてきたのは一人の未亡人だ --- 彼女の夫も南軍で、 彼女は「いつかヤンキー(北軍)に目にものみせてやる」と思っているのだった。 彼は水を飲み、 彼女としばらく話している。 その家を故郷へと帰るさまざまな兵士たちが通りかかるのだ --- Passersby というタイトルはとてもいい。 そのような通行人の中に、 死んだはずの彼女の夫もいる。 そうこうする内に、 もと兵士があることに気づいた。 しばらくして、 未亡人も嫌々ながら認めたのは・・・。
Twilight Zone の南北戦争ものはどれも面白いと思う。
どうでもいいこと。 もと兵士が "Thanks for the dinner" というと、 未亡人が "Such as it was" と答えていた。 インドネシア語の "Apa yang ada" だ!
きょうの散歩のお伴の In Our Time は、 The Aztecs (2003-02-27) だ。 悪名高い人身供犠の件だが、 研究者たちが言うには、 その数には大きな誇張があるということだ(2桁くらい)。 ただし、人身供犠があったことは疑いない。 ある一人のゲスト(女性)が言うには、 この脈絡で注目すべきなのは彼らの戦争のやり方だという。 アステカは戦闘の際に敵を殺さないというのだ。 その代わりに敵を捕虜として連れ帰ったうえで人身御供とするのだという。 われわれは戦争のその場で敵を殺す --- われわれもまた「人身供犠」を(ある意味で) 行なっていると言うことができる、と彼女は主張する。 アステカがとりわけ残虐ではないのだ・・・ といった議論を展開した。 他の二人のゲストはその見方には賛成ではなかったようだ。 彼らは、 アステカの人身供犠は戦争捕虜だけに限らないことを述べて、 暗に彼女のアステカ擁護を非難していた(飽くまで「暗に」である)。 彼らは、例えば、つぎのような事実を指摘した --- 金持ちが、市場で奴隷を買って、 その奴隷を、自分の威信を示すために、犠牲として捧げるのだ、という。 「ほら、やっぱりアステカって残虐だろう」と言っているように聞こえる。
人身供犠に関する議論はともかく、 中央アメリカにおける戦争は、 ある意味で、とても儀礼に近かったと言えるようだ。 さきほどの敵を殺さずに、捕虜として連れ帰るといった慣習の他にも、 アステカは収穫の時には戦争をしないといった 儀礼的なルールがあるという。 そういう意味で、アステカおよび周辺の部族は 同じ規則でゲームをしていたらしい。 そして、それこそがアステカがスペインのコンキスタドールに 簡単に負けた大きな原因の一つであるようだ。 コルテスたちは、中央アメリカでの戦争の規則など知らなかったし、 知ろうともしなかっただろう。 彼らにとって戦争は人を殺し、勝つためにのみ行なうものなのである。
番組の最後に、メルヴィン(司会)が、 現在まで続く現地でのアステカの影響について質問した。 一人は現在まで喋られているナワトル語(アステカのことば)、 現在も見ることのできる慣習など、 ある程度常識的な答を返していた。 ところが二番目の回答者は「まったく無し」 ("none whatsoever") と答えていた。 マヤの後裔たちが(そしてある程度はインカの後裔たちも)、 文化運動あるいは政治運動として「マヤ」を大きく 打ち出す。 しかし、いまだかつて誰も「アステカ」の名のもとに (政治的にせよ、文化的にせよ)「運動」が行なわれたことはない、 という。 たしかに、その通りだ。 こう語った彼は「何故か」については 一言も触れなかった。
なぜなんだろう・・・… やはり「人身供犠」が悪名たかすぎたのかしらん。 人類学の論文にありそうなテーマだが、 いままで、このテーマで書かれた論文があるのだろうか?
きょうの散歩のお伴の In Our Time は Paul Erdos (2023-02-23) だ。 「ポール・エルデシュ」? 聞いたことのない名前だ、 またつまらん文学者の回かな・・・ スキップしようかと思ったが、 念のため聞き始める。
よかった、 面白い回を聞き逃すところだった。 ハンガリー出身の数学者の名前だ。 亡くなったのがごく最近 (1996年)なのに、 すでに 「伝説の人」になっているようだ。 ゲストの中では一人だけが、 エルデシュの晩年に一度あったことがあったという。 さまざまな問題を考えて、 それを美しい方法で解いてみせたという。 また、それまでの数学者とは異なり、 さまざまな人と共同作業を楽しんだという。 そのために彼の人生は旅に終始したようだ。 「変わったひと」とか「変人の天才」って、 たいていは、 その人の物語を聞くのは面白いけど、 会いたいとはあまり思えない。 でも、このエルデシュさんには会ってみたかったなぁ。
彼が解いた問題も、じっさいの証明はともかく、 わりと分かり易い問題が多いので、 聞いていて楽しかった。 とくにラムゼイ数の議論は 「あとでちゃんと勉強しよう」と思うくらい面白かった。 「あとで勉強するため」のサイトとして、 こんなんみつけた。
きょうの散歩のお伴の In Our Time は Mind and Body (2005-01-13) だ。 プラトン、アリストテレスのあたりはとても面白かった。 とりわけ、いま『アリストテレス 生物学の創造 上』 (ルロワ 2019)を読んでて、 アリストテレスの魂論をかじっているので、 理解が深まったような気がする。 デカルトは、まぁ、こんなもん。 デイヴィドソンの非法則論的二元論にはさらっと触れるだけ。 これはしょうがないだろう。 けっこう興味深いなと思ったのは Epiphenomenalism (随伴現象説)だ。 まず前提は、心と身体の二元論だ。 その上で、身体が心の原因となるが、 心は身体の原因とはならない、というのがエピフェノメナリズムだ。 日本語のウィキペディアの例によれば、 煙は工場(での活動)があげられている --- 工場は煙の原因だが、 煙は工場の原因ではない、ということだ。 同じように、 身体は心の原因で、心は身体の原因ではない、ということになる。 まじめにとるにはつまらない説だと思うが [--ただしいかどうかではなく、 この説からなにか面白い物語を紡ぐことができない(だろう)、という意味だ--] ゲストメンバーの間で熱く議論してたのが、 不思議だった。
きょうの In Our Time は、 Dreams (2004-03-04) だ --- 神経科学の人たちによる議論である。 その内の一人が Ramachandran (『脳の中の幽霊』の著者)だ。
フロイトの夢解釈は、思った以上に正しい方向なのである、という。 ふーん。
また REM と夢は関係ない、というのも新しい話だ。 たしかに REM の人を起こすと80%の確率で夢を見ているというし、 REM でない人を起こすと夢を見たいない(10%の確率で夢を見ている)という。 しかし、両者が無関係であるという決定的な証拠は、 夢を見れない疾患(そんなのがあるんだ)の人にも REM は あるという事である(そうだ)。 人類以外の哺乳類も夢を見るか、というメルヴィンの質問に、 「犬には聞けないので、答えはでない」という回答がおかしかった。
つづけて、 Superconductivity(超伝導)(2023-01-26) を聞く。
「超伝導って永久運動みたい」と思っていたのだが、 この比喩をだれも使わなかったので、 がっかり。
超伝導の説明の1つとして有力なのが、 それを 量子デコヒーレンスのマクロレベルでの現れと 見る見方であるという。 なんか分かりそうで、 いまいち分からん。
朝のぶらぶら散歩@ネコの公園。 ひさしぶりに翡翠(かわせみ)橋のふもとに クロ1号を見たが、 キャットフードをもっていなかったので、 遠くから写真を撮るだけ。 棚田への入口のちょっと手前 (いつもはネコを見ない所)でビジョ・サバトラにあった。
散歩しながら、In Our Time の Lamarck and Natural Selection (2003-12-25)を聞く。 Epigenetics についての話がちょっと出たけど、 まだまだ際物(きわもの)あつかいされていて(2003年の放送だ)、 面白かった。 「エピジェネティックス」という言葉は イギリスの何とかいう人が作った言葉で、 その彼がどっかに「エピジェネティックス研究所」をつくったのだそうだ。 つづいて、 British Empire を聞いた。 何度か 話が大声での罵(のの)しり合い(というほどではないが)になった。 議論自身はけっこう不毛な論点をめぐってのものだ。 メルヴィンの司会能力が試されたわけだが、 まぁまぁの処理能力を示していた。
公園の出口のところで Cryptography (2004-01-29) がはじまった。 なかなか面白そうだが、 きょうの Podcast タイムはここまで。