この数ヶ月 テレビ放送の受信状態がとてもわるかった。 まともなのは NHK 教育テレビくらいで、 他の局は受信状態がとても悪いか、 さもなくばまったく受信できない、という状況だった。 とは言え、見ているのは(録画予約しているのは) NHK 教育テレビと NHK BS だけだ --- 「おじゃる丸」とか「はなかっぱ」とか「ダーウィンが来た」 とかだ。
それほど不自由感じていなかったのだが、 去年の大晦日、どうしても「行く年、来る年」が見たかった。 とても残念だった。 そして翌日の能登半島の大地震 --- その時その場のニュースが まったく見れないのはとてもいらいらした。
それでも我慢していたのだが、 とうとう「おじゃる丸」さえ受信状態が悪くて、 見るに耐えられない状況になった。
・・・というわけで、 接続箇所のチェックをした。 重い重い家具の裏に配線があるので、 とてもたいへんだった。 ともかく、 ワンタッチ・プラグの中の線の接続がゆるゆるだったので、 ドライバーとラジオペンチをつかって締めなおした。
さて・・・
びっくり、テレビにこんなにチャンネルがあることを 忘れていた。 感動してしまった。 いろいろ録画予約してしまった。
なんかとても嬉しい。
居間で半分うとうとしながら、 ながしている番組は Niat Kuring だ。 『世界ふれあい街歩き』の スンダ (Sunda)(西ジャワ)の農村バージョンと言えばぴったりかな。 もちろん素人の作ったものだが、 それなりによくできている。 ぼくの大好きなチャンネルである。 著者が村人と話している言葉はだいたいがスンダ語なので、 よく分からないが、 なんだかとても癒やされる。
ここ数日の散歩のお伴は Christie の The Sittaford Mystery の朗読だ。 読んでいるのは Hugh Frazer、 デイビッド・スーシェの『ポワロ』で Captain Hastings 役を演じた人だ。 面白くないわけがない。
The Sittaford Mystery はもう何度も読んでいる/ 聞いている。 [--テレビ番組としては観てないいような気がする。--] トリックとそれを彩るオカルト趣味がとても印象的なので、 ぼくの頭の中では短編としてしまわれていた。
じっさいは長編で、 最初のうちは、 答をしっているのでその回り道にいらいらしたけど、 この回り道がとても面白いのだ、ということに気がついた。 当初はトリックが主で、回り道が従だとばかり思っていたが、 読んでる途中で、トリックは付け足しに思えてきた。 --- 尤も、 トリックがあかされる場面は爽快だ。
クリスティの小説技法って素晴しい。
数日前から Netflix で Hilda の最新シリーズ、シリーズ3 を見ている。 どのエピソードも面白い。 きょうの夜は Episode 8 (最終エピソード)を見始めた --- 現実逃避の続きだ。 ヒルダのお父さんは Episode 6 だか 7 で出てきたのだがが、 ヒルダの家族(とりわけ母ジョアンナ)にまつわる、 その他のいろんな謎(ジョアンナの父母がいない、 ジョアンナのおばさんがジョアンナの育ての親)が とける回だ。 えらく長い。 他のエピソードの長さは30分弱なのだが、 このエピソードだけは1時間20分ほどだ。 物語の筋がちょっと早送りすぎだけど、 全体としてはまぁまぁかな。 途中で(筋の展開からして) もうこれでほんとうの最終回かと思ったけど、 だいじょうぶだ;まだ続くようだ。
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大好きな BBC のラジオドラマ、 McLeyv を聞く。 きょうから Series 11 を聞く --- 「払うべき代償」(A price to pay) だ。
いつもの、 インスペクタ・マクリーヴィーと コンスタブル・マホランドのコンビが、 夫殺しの捜査にとりかかる。 「夫殺し」というのは、 すでに妻が犯人として名乗りでていたからだ。
さらに、 いやみな上司、 リユッテナント・ローチ(副署長?)と、 おなじみ美しき娼家の女主(あるじ)、 ジーン・ブラッシュがからむ。
夫婦の娘がでてくるところがなかなか --- 娘が言う、「母は非道い状況にあると思います」、 マクリーヴィーが答える「まお父さんほどではないが」。 フロスト以上にブラックかしらん。
ローチのさらなる上司、 Chief Constable (署長かな)クラドックがでてくると、 ローチさえもいい人風に見えてくる。 これをドラゴンボール効果と呼ぶ(なかがわ命名) --- 「新しい敵がでてくると古い敵が味方になる」効果だ。
とまれ、 なかなか推理小説としても通じそうなひねりもあり、 『マクリーヴィー』の中でも佳作かな。
ジーン・ブラッシュがちょっと拗(す)ねているのが 可愛い。
きょうの散歩のお伴の In Our Time は、 なんと Anscombe だ!
一生を変えた本というのがあるとすれば、 ぼくにとってそれはアンスコムの『インテンション』である。 時は1981年、いまから40年ほど前のことだ。 場所はオーストラリア国立大学のメンジス図書館。 なぜか、ぼくは哲学の棚をうろうろしていた。 ぼくの指が、目立たない小さな黒い本をさぐりあてた。 これがアンスコムの『インテンション』である。
いまだに分からないのだが、 ぼくはこの本をすぐ借り出した。 もっと不思議なのだが、 ぼくはこの本を むさぼるように読んだ。 今読んでもとても難しい本なのに、 そして、 それまで分析哲学の本なんて読んだこともなかったのに、 ぼくは、いったいどうやって感動したんだろう。 ともかく、それ以来分析哲学を読み漁った。 あとの40年間の物語は省略する。
閑話休題。
さて、 In Our Time (podcast) にもどろう。 この回はできたてのほやほや、 おととい 2023-07-22 の放送だ。 毎回冒頭で司会者メルヴィンによる 話題(今回はアンスコムという人物)の紹介があるのだが、 まずは、 オックスフォード大学がアメリカ大統領、トルーマンに 名誉博士号を授与しようとした時、 アンスコムが強く反対したというエピソードが紹介される。 彼女はトルーマンを「無垢の人間を大量に殺戮した殺人者」と 糾弾するのだ。 もちろん原爆投下が問題にされているのだ。
このエピソードは、 放送の半ばでまたとりあげられるのだが、 ポイントは、 アンスコムの行為の哲学は、 道徳の問題と深く関係する類の行為の哲学だ、ということである。
恥ずかしながら、ぼく自身、 彼女のこの視線にはまったく気がつかなかった。
いまとりくんでいる「いじめ」の問題 (とりわけ別役実の枠組での問題への取り組み)へ、 おおいに寄与する視点である。 ようするに、 意図と責任と倫理という三つ組の問題として「いじめ」を 考えようということだ。
アンスコムをきちんと読みなおそう! そうだ! たまたま買ったまま読んでないアンスコムの本があるぞ・・・ Human Life,Action and Ethics: Essays by G.E.M. Anscombe (St Andrews Studies in Philosophy and Public Affairs Book 4) (English Edition) (Anscombe 2011)。 さぁ、頑張ろう!
シリーズの最新作、けっこう楽しめた。 なつかしメンバーを揃えて、 これまでで受けるのがはっきりしいてるテーマを繰り返す、 という作戦にのっとった映画だ。 ハン・ソーローやマンダロリアンみたいな 「ぼろぼろの愛機」をあやつるむこうみずな冒険家 (女性)もまぁまぁ。 見た目、「食べられそう」という人物はちゃんと恐竜に食べられる。 善玉のなかの、あまり目立たない一人が、 もしかしたら「自分を犠牲にして皆を助ける」役で 食べられちゃうのでは、と心配になったが、大丈夫だった; ほっ。 悪玉が薬関連の大企業で・・・というのも、 どっかで見たテーマで、安心感がある。 シリーズの前の映画で受けた 「自動車が崖に落ちそうでハラハラドキドキ」場面の 自己パロディがあったり・・・ やっぱり tongue in cheek で見るべき映画かな。 かなり高度な「アイロニー」の一例として、授業で使えるかも。
じつを言うと、 『スターウォーズ』や『インディアナ・ジョーンズ』が最初に出たとき、 ぼくはこれらは冗談映画だと思っていたので、 以上の感想は、もしかしたら、 完璧な「間違い」かもしれない・・・。
先日聞いた A Sore Convulsion の続きだ。 港である殺人が起こり、 マクリーヴィーとマホランドが捜査にあたることとなる。 この殺人の背後に、 ドック拡張工事をめぐる汚職が暗示される。 いっぽう、 その工事の責任者スペンサーの妻、エミリアが、 ジーン・ブラッシュの母を同じくする妹であることがわかる。 これが前回までの粗筋だ。
ジーンはおずおずとエミリアの言うことを信じはじめる。 二人の友情が深まり、 二人がそれぞれの人生を語る。
BBC Sounds で ドラマカテゴリーをチェックしていたら、 McLevy in the New World を見つけた。 「わ、McLevy の新しいシリーズだ!」と喜んで聴きはじめる --- なんと、マクリーヴィーがリース (Leith) の警察をやめて、 ジーン・ブラッシュと二人でアメリカに来ている。 エピソードをかなり飛ばしてしまったようだ。 あわてて、 古いエピソードを調べる。 まだ BBC Sounds で聴ける状態でたくさんのこっていた。
きょうは Series 10 の A Sore Convulsion を聞いた。
舞台は変わらずに、 リース (Leith) (エディンバラの近くの港町らしい)だ ・・・安心した。
リースの港のドックの拡張計画を背景にして、 その計画に関係していると思われる殺人事件が発生する。 上司 Lieutenant [--「所長?」--] Roach は、いつものとおり、 深入りをさけようとするが、 インスペクタ(警視)マクリーヴィー (McLevy) と コンスタブル(巡査)マホランド (Mulholland) の捜査は、 どんどん深みにはまっていく。 一方、もう一人の主人公、 エディンバラでナンバーワンの娼家 (Bawdy House)、 「正義の土地」(Just Land) の持ち主、 ジーン・ブラッシュ (Jean Brash) は自分の人生を見直す契機となるような 人物と出会う。 母を同じくする妹、エミリア・スペンサーである。
二つの筋はいまのところそれ程つよくは 絡みあっていない。 エミリアの夫がドックの拡張計画のボスなので、 続編があるだろう。
でぶっちょで下品なマクリーヴィーは、 大好きだ。 今度好きな警察官リストをつくってみようかな。 マクリーヴィーはフロストと並んでトップ3に入るだろう。 大嫌いなのはモース警視だ。 「スノッブ」というのはこういう不愉快な人物を指す言葉だ。
閑話休題。
思うに、ジーンとマクリーヴィーの距離はもっともっと 離れていたように思う。 まだまだ聞いていないエピソードがあるようだ。
きょうの散歩のお伴も In Our Time だ。 In Our Time の今日のタイトルは Cambiran Period (2005-02-17 放送) だ。 In Our Time は科学分野が一番おもしろい。 ちょうど学会発表のために進化論を食い散らかしていた時でもあり、 とっても面白く聞いた。 「カンブリア大爆発」とは、 いまから5億3千年前、カンブリア紀において、 複雑な構造をした多くの種類の海洋生物がとつじょ出現した「事件」の ことである。
番組のある時点で、当然のことだが、 この事件に関する有名な本の1つである、 グールドの Wonderful Life: The Burgess Shale and the Nature of History (Gould 1990) が話題になった。 司会のメルヴィンが、 その本の中で主張されている グールドの「歴史の巻き戻し」議論についての意見をゲストに尋ねていた。 一人のゲストはその通りだと言っていたようだ(あるいは、 たんにその議論を視聴者に説明しただけだったのかもしれない) --- 進化の歴史を巻き戻すと、 歴史は全然ちがった流れをとるだろう、というのだ。 その中にはホモサピエンスが現れない歴史だって、もちろん、あるわけだ。 もう一人のゲストは、 「そんなことはない。もう一度おなじようなコースをとるはずだ」と主張した (ようだ)。 彼が言うには、 「その証拠は・・・」(かな?) 「イルカの脳がうんぬんかんぬん・・・」(自信なし)。 じつは、 この辺がよくわからなかった。 興味あるところなので、もう一度聞き直しておこう。
グールドの評価って生物学界ではどうなっているのかな。 「適応万能主義批判」、「断続平衡説」そのものはともかく、 その背景になっている偶然万能主義(ぼくの命名)って、 とても説得的なのだが・・・。 偶然万能主義にちょっとだけ適応主義をふりかけた 「ほぼ偶然(ときどき適応)説」(ぼくの命名) [--大ざっぱにいえば「ほぼ中立説」なのだが、あれは分子レベルの話--] がもっとも説得的だと、ぼくは思う。 しかし、 ドーキンスなんかを読んでいる限り、 グールドなどの説はもはや見捨てられた学説のように響く。
ひさしぶりに In Our Time を聞いた。 今回のテーマは「哺乳類」 Mammals (2005-10-13)。 とっても面白かったので、絵をみたくなった。
ゲストの一人が言ってた: 「誤解しちゃいけないよ。『恐竜の時代』がおわって いまは『哺乳類の時代』などと考えてはいけない。 いまは、グールドの言うように、 『バクテリアの時代』のまっただ中なんだぜ」と。 調べたら、出典は、 Full House: The Spread of Excellence from Plato to Darwin (Gould 1996) だった。 原文は次のとおり (p. 176):
We live now in the "Age of Bacteria." Our planet has always been in the "Age of Bacteria," ever since the first fossils --- bacteria, of course --- were entombed in rocks more than three and a half billion years ago.
On any possible, reasonable, or fair criterion, bacteria are --- and always have been --- the dominant forms of life on earth.
グールドの本を読みたくなった。 もともとぼくはグールドが大好きだったんだけど (あの野球の蘊蓄さえ止めてくれれば・・・)、 進化論の勉強の中でドーキンスに(いやいや)改宗した。 ・・・ ネオダーウィニズムの進化論の勉強もそれなりにしたので、 ドーキンスからグールドに宗旨替えしようかしようと思う。 うちにあるグールドの本をもう一度読み返そう!
こないだ映画版『ホビット』 (Hobbit) 三部作の一部と二部の 途中まで (Amazon Prime Video で)見たので、 今日はその続きを観る。[--映画館で一度見ているが続けて観るのははじめて--] 一部はほぼオリジナル通りだと思う。 きょうは二部の後半部と三部を観る。 二部の後半もそうだが、 三部はオリジナルとは全く違うと思う。 (オリジナルを読んだのは40年ほど前なので自信はないが・・・) そして最後は、映画版の『指輪物語』 (Lord of the Rings) 同様に 鷲(イーグルズ)がやってきて めでたし・めでたし ・・・そうなるんじゃないかと思っていた (- -;)。
[2023-04-21] こう書いて、ちょっと心配になったので、 日本語訳を読み直した。 びっくり、原作に忠実に作ってあるんだ。 サウロンだけが無理矢理の付け足しかな、と思ったのだが、 原作でも言及されている --- 尤も 「サウロン」としてではなく、 「北のネクロマンサー」としてだが。 鷲もちゃんと出てくる --- ただし 本で読んだときには、 不思議なことに、 あまりデウス・エクス・マキナっぽさは感じなかった。
とは言え・・・ 映画版『指輪物語』は 主人公フロドに魅力が全くないのでつまらんかったが、 『ホビット』のビルボ [--BBC の Sherlock のワトソン役の人--] は とてもいい。