朝のぶらぶら散歩@ネコの公園。 ひさしぶりに翡翠(かわせみ)橋のふもとに クロ1号を見たが、 キャットフードをもっていなかったので、 遠くから写真を撮るだけ。 棚田への入口のちょっと手前 (いつもはネコを見ない所)でビジョ・サバトラにあった。
散歩しながら、In Our Time の Lamarck and Natural Selection (2003-12-25)を聞く。 Epigenetics についての話がちょっと出たけど、 まだまだ際物(きわもの)あつかいされていて(2003年の放送だ)、 面白かった。 「エピジェネティックス」という言葉は イギリスの何とかいう人が作った言葉で、 その彼がどっかに「エピジェネティックス研究所」をつくったのだそうだ。 つづいて、 British Empire を聞いた。 何度か 話が大声での罵(のの)しり合い(というほどではないが)になった。 議論自身はけっこう不毛な論点をめぐってのものだ。 メルヴィンの司会能力が試されたわけだが、 まぁまぁの処理能力を示していた。
公園の出口のところで Cryptography (2004-01-29) がはじまった。 なかなか面白そうだが、 きょうの Podcast タイムはここまで。
きょうの散歩のお伴は In Our Time で Chance and Design (2003-02-13) を聞いた。 進化の話だ --- 聞きごたえのある回だった。 メンバーは: Simon Conway Morris, Professor of Evolutionary Palaeobiology at Cambridge University and author of The Crucible of Creation --- the Burgess Shale and the Rise of Animals; Sandy Knapp, botanist at the Natural History Museum; John Brooke, Andreas Idreos Professor of Science and Religion at Oxford University.
Sandy Knapp さんが喋っているところに John Brooke さんが重ねて喋るのが気になるが、 メルヴィンが遮らないので、 たぶんそれほど無礼ではなかったのだろう。
いくつか考えたいポイントは「ディレクション」 (方向)の問題、 そして インテリジェント・デザイン (phil-web) と クリエーショニズム (phil-web) の問題だ。 Creationism は Intelligent design の 一種である。 (あるゲストによれば)Creationism 自身は問題にするに足りない。 学問的に問題なのは Intelligent design の方だ。 ということ。
「方向」の問題に関しては、 こないだどこかで読んだばかりだ。 ダーウィン説にとって、 ラマルク説が問題なのは、 「獲得形質の遺伝」ではなく、むしろ 「進化の潜在的な方向」の考え方なのだ、 と書いてあった。 この方向に注目して、 ドーキンスは ラマルクを「指令説」として紹介する 。 その意味で Intelligent design に結びつくわけである。
きょうの散歩のお伴の In Our Time は Imperial Science (2001-02-01) --- インドに進出した西洋植民地主義と それにバックアップされた西洋科学と、 インドの科学の対照。 よくある話だし、あまり興味のある話じゃない。 つづいて Gloriuos Revolution (2002-04-19) --- 1688年のイギリスの名誉革命だ。 知識があれば面白いのだろうが、 ほとんどゼロなので楽しめない。 ちょっと勉強してから、 もう一度聞こうかな。
きょうの散歩のお伴は(いつも通り)In Our Time。 さいしょは Chemical Elements (2000-05-25) だ。 ぼくには元素 (Chemical element) と原子 (atom) の違いが わかっていなかった。 Wikipedia で 元素を調べてみた。
元素 _KDOTS は、 古代から中世においては、 万物(物質)の根源をなす不可欠な究極的要素 _KDOTS を指しており、 現代では、 「原子」が《物質を構成する具体的要素》を指すのに対し 「元素」は《性質を包括する抽象的概念》を示す用語となった _KDOTS。 化学の分野では、 化学物質を構成する基礎的な成分 (要素)を指す概念を指し、 これは特に「化学元素」と呼ばれる _KDOTS。
Wikipedia は、 さらに 「《原子》は構造的な概念であるのに対して、 《元素》は特性の違いを示す概念である」と続ける。
テクニカルには陽子の数が同じ原子は、 1つの元素と言う。 水素は陽子が1つ(そうすると電子は必然的に1つ)だが、 中性子の数が違う三つの種類(0ヶ、1ヶ、2ヶ)がある。 これらは同位体(アイソトープ)と呼ばれる。 原子としては三つあるが、 性質はかわらないので1つの元素と扱う。
・・・
もう一度聞くべきだな。
続いて Imagination and Consciousness (2000-06-29) を聞く。 面白そうな話題なのだが、 いまいち盛り上がらない。
きょうの散歩のお伴の In Our Time は Intelligence だ。 AI みたいな、あるいは猿の知能みたいな話を期待していたのだが、 話題は IQ テスト、それの導くかもしれない差別の問題に 終始していて(「終始」は言い過ぎかもしれないが・・・) いささか詰まらん。 そして、 いつもは予定調和で進行している番組が、 今日はえらくぎくしゃくしていた。 ゲストが司会者に対して: 「Melvin、 おまえはわざと俺をコーナーに追い詰めるような 言い方をしているな」とか、 一人のゲストからもう一人のゲストへ: 「お前は自分の発言に質問されると突然良識的な言い方をして、 逃げようとしている」とか・・・。
あまり後味のよくない回だった。
Netflix で『乱馬1/2』を見終わった。 このギャグセンスは抜群。 天才 川原泉に迫るほどだ。 惜しむらくは、中途半端に絵がうまかったので、 『犬夜叉』みたいな無限トーナメント漫画を手掛けてしまったのだろう --- もったいない。
ドクターフーの Listen (S08E04) を観る。 Peter Capaldi のドクターにもだんだん慣れてきた。 いつも通り Claraはとっても可愛い。
この回は、 このシリーズでは クララの恋人のピンクが特別な役割を持つことが、 宣言された回だ(と、ぼくは思う)。 ベッドの下の怪物への恐怖、 時の終わりに不時着した男の不思議な系譜、 などなど。 謎がいっぱいの回だ。 恐怖への言及がえらく文学的だった --- とっても モファットぽいなぁ、と思った。
アガサ・クリスティの小説はオーストラリアに行く(1981年)前に 日本語で半分くらいは読んでいた。 オーストラリアに行ってから、 英語で彼女の作品のほとんど全部を読んだ。 さらに、 BBC ラジオドラマで、 一つにつき二度・三度と聴いた。 さらに、もちろん、TVドラマでも繰り返し見た。 そうそう、インドネシア語でも2本か3本読んだ覚えがある。
その後も繰り返し読んだので・・・
アガサ・クリスティの小説は(長編も短編も)どれも 最低で3回程度は読んで(あるいは聴いて/見て)いる。 ぼくは推理小説を二度たのしめる、という特技をもっている。 犯人を忘れてしまうのだ。 しかし、3度も読むと、 冒頭を読むだけで、 筋の展開・ 犯人まで全部おもいだしてしまう。
さてさて・・・
Youtube にアガサクリスティの朗読ファイルが いくつもアップロードされていた。 「なんと!」・・・The Third Girl があった。 いままでに一回しか読んだことがない小説だ。 でだしだけは覚えているが、 後の展開(もちろん犯人も)ぜんぜん思い出さない。 うれしくてしょうがない。 The Cat Among the Pigeons も一回しか読んだことがないが、 これは Big Four と競るほどにつまらんかったことを覚えている。 he Third Girl は単純に読む機会がなかっただけだ。 とても嬉しい。
11代目のドクターのさいしょのクリスマススペシャル。 舞台の町はディケンズのころのイギリスっぽい街並みだ。 天空を支配する大商人が主人公 --- もちろん彼がスクルージ役だ。 そして、スチームパンク風の機械たち。 雲の中を泳ぐ大小の魚という楽しい小道具! その惑星めがけて、 新婚旅行中のエイミーとローリーが乗った宇宙船がコントロールをうしなって、 突進するという設定だ。 エイミーがミニ・スカートで出てくる大サービス! ヒロインのアビゲイルもうつくしい。
堪能しました。
ここ数日の散歩のおともは R. D. Wingfield だ。 あの Touch of Frost の作者だ。 彼は、 最初はラジオドラマの脚本をいっぱい書いていたのだ。
きょう聞いたのは The Daylight Robbery --- いささか人里離れたところで下宿人をさがす 老婦人 --- 彼女は、じつは、銀行強盗をたくらんでおり、 仲間をつのっていたのだ。 4人の怪しい男たちがあつまる。
すばらしいどんでん返しにつぐどんでん返し。 江戸川乱歩のむりやりなどんでん返しとは違い、 Dramaturgy の中での必然なので、 とても楽しめる。
この頃散歩の時に江戸川乱歩の小説の朗読を聞いている。 いったん事件を説明しておきながら、 そのあとにそれを引っくり返すという展開がおおい。 じつに詰まらん --- 「作者が小説を作っているんだ」ということに 読者が気づいてしまうという効果があるのだ。 「そうか、結末なんて作者の気紛れで決定されるんだよな、 あ・つまらん」となってしまう。 一気に興が覚めてしまうのだ。 『かささぎ殺人事件』(Magpie Murders) が つまらないのも同じ効果によるものだった。
ダントーが、 『ありふれたものの変容:芸術の哲学』 (ダントー 2017) で、 芸術をもつことにより、 社会は現実を相対化できた、と述べている。 ぼくはこの指摘は正しく、そして大事な指摘だと思う。 さらに言えば、 現代芸術は、芸術それ自身を相対化する、と僕はおもう。 二番煎じはつまらないのだ。 ブレヒトの「異化」だ --- ぼくにはブレヒトの意図がわからない。 芸術を相対化することはおもしろくないのだ。
この Netflix オリジナル、 Dark Crystal --- the Age of Resistance --- (10 エピソード)は、 1980年代の映画、 Dark Crystal の prequel (前日譚)だという。 あまり気にしていなかったのだが、 よく考えたら、 映画 Dark Crystal は、 全滅したと思われた Gelfin 族に、じつは、生き残りがいた、という ところから出発する。 The Age of Resistance は支配者種族 Skeksi に対して、 Gelfin の7種族が蜂起する、という話だ。 くみあわせると、 このシリーズの結果 (すなわち映画の出発点)は、 ゲルフィン族の全滅、ということだ。 あららぁ。 いったいどうやってストーリーをつくるのかな・・・。
《More . . .》