なかがわさとし論文集(その1)民族誌編ん
2024-06-24
ここ(論文集第1巻)には未刊行の論文のうち、民族誌的なものを集めた。
わたしは1979年よりインドネシア東部、フローレス島の中部にすむ「エンデ」と呼ばれる人々の間で人類学的調査を行なっている。 1 「民族誌的なもの」というのは、それゆえ、基本的にエンデに関する論考が中心となる。
手元には84篇のファイルがあるので、段階的に選んでいきたい。
目次(単なる論文名の羅列)は ここ にある。
私は 2018年3月に退職をした。退職の状態は基本的に大好きなのだが、一つだけ欠点がある。授業がなくなったこと、聴衆の前で喋る機会がなくなったことである。
退職前に毎年日本文化人類学会でのみ発表していたのだが、退職以降(COVID-19 終焉以降)は東南アジア学会 そして、 KAPAL (インドネシア研究懇話会) 2 でも発表するようになった。
まずは KAPAL と東南アジア学会での発表を公刊したい。
KAPAL では 2021年以来「あきかえし」三部作を発表している。「あきかえし」とは折口信夫が古代日本の社会の原理の1つとして提案した考えである。負債をかえさないことにより関係を継続させるという考え方である。こエンデでもこの原理があると考えると、さまざまなエンデの親族の規則が理にかなっている (make sense) ことがわかる。
象牙の路を辿る — 従われない規則を守る仕方 (rules) は、 2021年の KAPAL の研究大会での発表したものである。すべての親族関連の規則の根底にある「母方交叉イトコ婚」という規則についての論考である。 40年前に調査を始めたときにさえ、ほとんど守られることのない規則だが、それがいつまでたっても(消えることなく)エンデの人の生活を律している。何故か?という論文である。「あきかえし」の論理があると考えれば、すべては腑に落ちる、というのが、この論文で私が述べている事である。
とうもろこしを搗く — 従われない規則を守る仕方 は、 2022年の KAPAL での発表原稿である。 2021年の発表で述べたように、エンデでは「母方交叉イトコ婚」という規則は守られない。この発表は、エンデでは「規則の破り方」があるという話から始まる。ポイントは、そのやり方さえも破られてしまうのだ、という話だ。これもまた「あきかえし」なのだと、私は言いたい。
頭をつかむ — 破るべき規則のつくりかた は 2023年の発表原稿である。今回あつかう規則は〈規則が破られた時になにをすべきか〉を規定する規則である。もう見当がついているだろうが、この規則もまた破られるのだ。そして、その根底に「あきかえし」の論理を見ることができるのである。
以上でアキカエシ三部作を終えた。 2024年11月の第6回大会はまた別の切り口でのエンデの親族論、酸っぱくても飲み、腐っても食べる を発表した。エンデの社会は親族の社会である。エンデの親族体系は出自と縁組から成り立つ。縁組は母方交叉イトコ婚である。出自は父系制である。この論文では、これまで扱ってきた母方交叉イトコ婚にくわえて、父系制をとりあつかう。フォックスの「先行」(“precedence”) とデュモンの「階層」(“hierarchy”) の分析概念をつかって、エンデの社会を描きあげる。
Year | タイトル(改題) | オリジナル | |
---|---|---|---|
2 | 2020 | 象牙の路を辿る | 従われない規則を守る |
4 | 2022 | トウモロコシを搗く | 従われない規則を破る |
5 | 2023 | 頭をつかまえる | 破るべき規則を作る |
6 | 2024 | 【参考】酸っぱくても | 先行と階層 |
東南アジア学会では 2023年にはじめて発表した。
ベクの認識論、レッダの存在論 (beku) が最初に(2023年東南アジア学会で)発表したものである。レッダ (rEda) は「言うことによって世界をかえる」力をもつエンデの言語行為のカテゴリーである。「これは犬の肉だ」ということで、目の前の豚肉が犬の肉になるのである。議論は、見当がついているだろうが、オースティンの言語行為論を軸に展開することとなる。
つづいて2024年に千の唇、百の舌
(wiwi_riwu
) を発表する予定である。
この節では、刊行された論考(ここには収録されていない論考)を挙げていく。