エンデにおける言語行為
2023-09-30
これこそまさしくスナークのいる所! |
これこそまさしくスナークのいる所! |
これこそまさしくスナークのいる所! |
これで三度言ったぞ、 |
わしの三度言ったことに間違いはない! |
(『スナーク狩り』ルイス・キャロル) |
かつてギアツは人類学の営為を 経験から遠い 概念と経験から近い概念のあいだの往復運動と定義した。わたしがこの論文で行ないたいのは、まさにそのような往復運動である。
第1章において、わたしの調査地、エンデからの不思議な制度、ベクとレッダについて紹介したい。これが経験に近い(少なくともエンデの人の経験に近い)概念である。 第2章においてオースティンによる言語行為論を紹介する。これが、この論文における経験に遠い概念である。
言語行為論の中でベクやレッダはより広い脈絡に位置付けられることとなり、わたしたちのベクやレッダへの理解は深まるだろう。それがこの論文でわたしが行ないことである。いずれ別の機会には逆のやり方、言語行為論をベクとレッダの光でみることを行ないたい。
わたしは1979年以来、東部インドネシアのフローレス島の中部に住む「エンデ」と呼ばれる人々の間で人類学的な調査をつづけてきた。 調査の初期、わたしは、アプさんという50台の男性を「父」としながら、エンデの人の共同体にはいりこんでいった。本論にはいる前に、アプさんをめぐるいくつか印象的なエピソードを紹介したい。
ある日、アプさんにとても近い男が亡くなった。死者の村はちょっと離れた場所にある村だった。死者の村の若者が葬式に招待をするためにアプさんの家までやってきた。
若者の口上を聞いたのち、彼はすこし考えたあと、葬式に出席しないと返事をした。私はとてもびっくりした。あとでアプさんが説明してくれた、「あの若者は、わたしに『嫁を与える者として出席せよ』とベクすべきだった」のであるという。換言すれば、ある人を「嫁を与える者だ」とベクすることによって、その人は(社会的文脈において)「嫁を与える者」となるのである。
上記のエピソードの中に、エンデの親族用語である「嫁を与える者」(原語は「カッエウンブ」)という語が使われていたが、以降も何度も使うこととなるので、簡単にエンデの親族組織を説明しておこう。
エンデにおいて親族(そして人々が日常顔をつきあわせるのはすべて親族なのだが)は三つのカテゴリー(二つの関係)から成立している。一つ目のカテゴリーはキョウダイ(アリ・カッエ)、二つ目は嫁を与える者(カッエウンブ)、そして三つ目はそれに対応する嫁を受け取る者(ウェタアネ)である。関係としてはアリ・カッエ同士の関係と嫁を与える者と嫁を受け取る者の関係の二つがある、ということである。
第一が「キョウダイ」(アリ・カッエ) である。第一義的にそれは父系親族同士の関係を指す。しばしば、その範囲は拡張される。たとえば、同じ村に住んでいる人は(たとえ父系の関係にない場合でも)場合に応じて「キョウダイ」とみなされるのだ。
第二のカテゴリーに「嫁を与える者」(カッエウンブ)(WG)(カッエウンブ)がある。これは自分および自分のキョウダイに嫁を与えた者たちをさす。自分の嫁の出身集団、自分の父親の嫁(母)の出身集団、自分の父方並行イトコの嫁の出自集団などを指す。嫁を与える者のキョウダイは嫁を与える者である。嫁を与える者の嫁を与える者は嫁を与える者である。
第三のカテゴリー、「嫁を受け取る者」(ウェタアネ)(WT)は、「嫁を与える者」の相手である — A が B の「嫁を与える者」ならば、 B は A の「嫁を受け取る者」となる。
□(コメント) 関係は世代をこえて維持される
別の日、私はアプさんといっしょに隣村まででかけていった。ある家で私たちは昼ご飯をご馳走になった。
饗宴の残りなのだろう、珍しく肉の料理が出された。主人は「これは犬の肉です」と言いながら配膳をした。アプさんも「旨い犬の肉だ」と言いながらそれを食っていた。私が小さい声で「私は犬の肉は食えないんですが・・・」と言うと、アプさんは小さい声で、「だいじょうぶ、これは豚の肉だから、安心して食べなさい」と答えた。私はよく理解できないまでも、黙って豚肉の料理をいただいた。
あとでアプさんが教えてくれたのは、「あれはレッダ (rEda) だよ」ということだ。アプさんは、隣村の男にとって嫁を与える者にあたるので、彼がアプさんに豚肉を与えるのは強い禁忌(ピレ)であるのだ。「さきほどは」、アプさんは説明をつづけてくれた、「彼は豚肉しかなかったので、それを犬の肉にレッダしたのだよ」ということだ。簡単に言うと、レッダとは、「これは犬の肉だ」と宣言することで、豚肉を犬の肉に(社会的文脈で)変えることである。
このエピソードを十全に理解するには、エンデの経済(贈与交換)について知る必要がある。簡単に紹介しよう。
レッダの物語で、ホストはアプさんの WT である。アプさん(WG)が豚を与えるのであり、その逆ではない。ホストにはたまたま豚の他に「ご馳走」がなかった。ホストがとった方策がレッダだったのだ。レッダによって、豚を犬に変えたのだ。
親族と贈与に関して最後に言っておかなければならないのは、非親族(他人)と非贈与(市場交換)についてである。エンデの社会は、日々顔をつきあわせる相手は親族である。例外として曜日市場(パサール)で出会う人があげられる。この例に典型的にあらわれる様に、非親族(「アタ」、NR)同士の交換は市場交換、「売る」「買う」なのである
2つのエピソードに共通するのは、コトバが世界を変える、という点である。
ぼくらが尋ねた家の主人は「これは犬の肉だ」と言うことによって、豚の肉を犬の肉に変えた。メッセンジャーが「おまえは嫁を与える者だ」と言わなかったので、嫁を与える者であるアプさんは嫁を与える者となり得なかった。逆に言えば、メッセンジャーが「お前は嫁を与える者だ」ということによって、アプさんは嫁を与える者となることができるのである。
「レッダ」や「ベク」のような、世界を変えるコトバは、エンデ語の他にも、日本語や英語などにも多く見られる。 それらの特別なコトバの使い方に注目したのが J.L.オースティンである。
この章ではオースティンの基本的な議論と、それをより詳細に論じたサールの議論を紹介しよう。
オースティンが注目したのは、コトバを喋るという行為をすると同時に、その行為の中で別の行為(世界を変える、その他)を行う、とくべつな発語行為である。
たとえば、野球において審判による「ストライク」という宣告はその投球を「ストライク」として認定することになる。「被告は有罪である」という宣告は、ある人物を無罪から有罪に変化させることになる。ただし、それは適当な脈絡で、適当な人物によってなされなければならない — すなわち、裁判において、裁判官によってなされる必要があるのだ。オースチンは、『言語と行為』(オースティン 1978) の中において、このような発話に注目した。
オースチンはこのような発話、それ自身が行為となるような発話を顕在的遂行発語、あるいは遂行的発話と呼ぶ。彼の議論は、顕在的遂行発語から始まるが、すべての種類の発語に、顕在的遂行発語のもつ力をみとめることとなる。それを彼は発語内的な力と呼ぶ。発語内の力とは、たとえば、「質問」、「依頼」、「許可」、「約束」などである。
オースティンは発語内の力の由来を規約 に求めた。いささか曖昧なオースティンの議論を受けて、発語内的な力について考察をつづけたのがJ.R.サール である。彼は言語行為が発語内的力を有するのは、それが規則に基いているからであると宣言する。 ただし、規則の中でもある特殊な規則である。彼の議論を追っていこう。
サールは規則を二種類に分ける。彼は一つは規制的規則、もう一つを構成的規則と名付ける。構成的規則は、ある行為を規制する、そのような規則である。たとえば、「士官はディナーの席でネクタイを着用しなければならない」 (サール 1986) (サール 1986) あるいは「廊下を通るときは静かに」である。これらの規則は、それらの規則とは無関係にあらかじめ存在する行為、「ディナーの席につく」あるいは「廊下を通る」について、その細かい作法を規制している。
規制的規則が、その規則以前に存在している行為を規制するのに対し、構成的規則は、規則が行為をうみだす、そのような規則である。たとえば、「チェックメイトがなされるのは、 キングがいかように動こうとも攻撃を免れ得ないような仕方で攻撃されたときである」 (サール 1986: 39) (サール 1986) とか、「打者が三振するとは、三つのストライクをとられた時である」といった規則がそれである。これらの規則によって、(それ以前には存在しなかった)「チェックメイトする」あるいは「三振する」という行為が生み出されるのである。
サールが焦点をあてるのが後者、構成的規則である。これこそがオースティンの言うところの規約の正体である、というのが、サールの主張である。
そして、サールは、「言語を使用することは」すなわち、発語内の力を発揮するとは、「構成的規則に従って行為を遂行することである」 (サール 1986: 65) (サール 1986) と断言する。そして、このような構成的規則によってなされる行為から成り立つ事実を、彼は制度的事実と呼ぶ。
ここで(後に使用することとなる)もう一つの用語を導入しておこう。世界がそれから成り立っている最も基礎的な事実は、ふつう「生の事実」 (brute facts) と呼ばれてきたが、それは「制度的事実」以外の事実と規定するのが一番自然であろう。
さて・・・
もちろん、サールの言うように、一つ一つの構成的規則ではなく、大事なのはその紡ぎ出す体系である (サール 1986: 63):
ここに言う「体系」とはゲームである。前述の例を使おう。「ストライク」の規則は「野球」というゲームをつくる構成的規則である「チェックメイト」の規則は「チェス」というゲームをつくる構成的規則である。
それでは有罪の規則はどのようなゲームの中の規則なのだろうか?それは単に法廷に関するだけのものではない。「罪」は法廷の外にまで影響をおよぼすのだから。そのゲームは、他のゲーム(野球やチェス)とは違い、その影響する時空間に境界はないのだ。そのゲームは24時間私たちの生活に影響を与え、どこにいても私たちはその影響下にいる。問題になっているゲームを、ごくごく曖昧に「社会」とか、あるいはちょっと気取って「社会性」という語をつかうことは可能だろう。しかし、それは問題の解決にはなっていない。「社会」や「社会性」自身がさらに分析を必要とする概念だからだ。ここでは、それらの言葉よりはもう少し具体性をもった言葉、「公」という語を使って、問題となっているゲームを指すこととしたい。
もちろん「社会性」なり「社会」なりの語を使いつづけてもかまわないだろう。
この章で展開したいのは「制度的事実とは(西洋近代における)公の場である」という議論に説得性をもたせることである。
ハーバーマスやアーレントによって、制度と私的空間の絡み合いについての
□(コメント) 西洋近代の公私の空間 □(コメント) 以上のサマリで言いたいことは
紹介したい議論はイリイチ によるものである。 イリイチは市場の登場が公と私の区別をもたらした契機なのであると論じる。現在の市場社会 では再生産がウチ(私)、生産がソト(公)となっているが、イリイチは、前産業社会ではそのような区別はなかったという。
『シャドウ・ワーク』(イヴァン・イリイチ) (イリイチ 1990) (イリイチ 1990) 『資本制と家事労働』(上野千鶴子) (上野 1985) (上野 1985)
I. イリイチは『シャドウ・ワーク』の中で (イリイチ 1990: 228–9) 「アメリカでの家事の変容」について前産業社会から産業社会への転換を次のように述べる。1810年代のニュー・イングランドでは、食糧の加工・保存、ろうそく作り、せっけん作り、手紡ぎ、機織り、靴作り、羽根布団作り、腰掛け作り、小動物の飼育、果樹園の手入れ、これらすべては家屋敷において行われた。女性とは、生活の資を供する家の女主人だったのだ。1830年代においては、商業的農場経営がサブシステンス農業に取って代わりはじめた。女性は、就労前の子供たちが住み、夫が憩い、夫の所得の消費される場所の守り役となっていったのだ。
産業社会になって、生産領域が「家族」の外へ組織化されるようになる。そうすることによって「私」の領域が確立されたのである。そのようにイリイチは述べる。
□(コメント) 実名性・匿名性 □(コメント) 価値〜一人前の基準
前章で、産業社会(私たちの社会)において、制度的事実の空間とは公の空間、すなわち市場に関連する空間だということを示した。 議論の中で何度か強調したことだが、公の概念は歴史的に構築されたものである。それは普遍的ではない。 エンデの経済(贈与交換)は、冒頭に示したように、私たちの経済とは大きく違っている。 最後の章で、エンデにおいて制度的事実が、そして生の事実がどのように位置付けられるかを見ていきたい。 答を先に言うと、エンデでは市場こそが私の空間、生の事実となるのである。
エンデの民族誌に入る前に、もう一つの前産業社会であるバリを材料に、そこにある「公」の空間について述べておきたい。 取り上げる論文はギアツの「バリにおける人格、時間、ふるまい」である。
ギアツの「バリにおける人格、時間、ふるまい」 (Geertz 1973)の議論を辿ろう。バリにおける人格の捉え方、時間の捉え方、そして行動の様式を通して、ギアツはバリ文化のテーマをわれわれの前に示す。
それは役者は変わるが、役割は変わらないのだ、とまとめることができるだろう。バリ文化は、言わば、舞台の上で演じられる演劇なのだ。そして、結論として彼はこれまで「恥」と訳されてきたバリのルック (lek)の概念に言及する。それは「恥」ではない。そうではなく、舞台に登る前に役者の感じるあの恐怖感、「舞台恐怖症」(stage fright)なのだと結論する。
わたしの言いたいことは、この仮想の舞台こそが公と重なる空間だ、ということである。バリでは公・私の区別は、匿名性(ハムレット)と実名性(個々の役者)として表現されているのだと。
☆ バリの社会の公私のまとめ
公私 | 場所 | 名前 | 時間 | ||
---|---|---|---|---|---|
公 | 「舞台」 | 制度的事実 | 匿名性 | 循環名 | 循環する時間 |
私 | 舞台の外 | 生の事実 | 実名性 | 固有名 | 固有の時間 |
この論文はエンデのベクとレッダからはじまった。議論は哲学へ跳び(制度的事実と生の事実)、そこから西洋近代の民族誌を経て(公・私)、バリの民族誌へと至った(もう一つの公・私)。最後にエンデに戻ることとなる。
この節は、「えらく遠回りしたなぁ。どっかで誤魔化してないか・・・」と思う懐疑派の人にむけて書かれている。じつは、エンデの民族誌にレッダと公を直接つなげる民族誌的事実があるのだ。 それを紹介しよう。
□ 「とりあえずレッダしろ」
2011年のことだ。 アプさんはずい分前に亡くなり、私は彼の子どもたち(私の「弟」や「妹」)の所に世話になっていた。あるとき、妹のリヴァの家に村の女性が相談にやってきた。 その女性が彼女の WG へ贈与(婚資)をおくる必要があるのだが、そのために用意した牛が小さすぎるのではないか、という話である。リヴァの夫のハニもやってきて三人で長いこと話をしていた。 リヴァたちのアドバイスは「まずは牛をレッダしろ」ということだった。
□ 「レッダの意味は?」
客の帰ったあと、私は早速二人に「さっきの『レッダ』ってどんな意味だったのか?」を聞いた。 二人はうまい言い回しを見つけるのに苦労したようだが、最終的にこの場合のレッダは『公にする』ということで意見の一致をみた。
具体的に「牛を公にする」とは、とりあえず贈与の流れに入れろ、ということである。それを受け取った WG から文句がでないのならば、OKだし、もし WG が文句を言えば、その時に対策を考えればいい。生の事実としての牛を、制度的事実としての贈与にする、ということである。
前節の最後で、「生の事実としての牛、そして制度的事実としての贈与」という言い回しをつかった。 この節では、読者がその言い回しをよりよく理解するために、エンデからいくつかの民族誌的事実を紹介したい。
エンデの親族・交換コンプレックスの重要な特徴は、ある親族関係にある人同士がある特定の交換を行なうというだけでなく、ある人同士がある特定の交換を行なうと、彼らの間にある特別な親族関係が生まれる、という点である。エンデの交換を説明する際に、私は「豚は WG が WT にあたえる者である」と述べた。豚の贈与のかげに親族関係を読むことができるわけである。じつは、エンデで起きることはこのような単純な現象だけではない。豚を与えることにより、与えた者が WG になり受け取った者が WT になる — という事が起きるのである。具体的には、 A が B に豚を与えることにより、 A は娘を B の嫁として与えることになるのである — A が B の WG となる、というのはそういう事だ。
これが実にわずらわしい規則だということは理解してもらえるだろう。豚や象牙をやり取りする度に、結婚の約束をする様なものなのだから。
このわずらわしさを回避する方法がある。ある意味、レッダの逆、すなわち、場を制度から生の事実へと移行させるのである。やり方は、レッダ同様、簡単である。「これは非贈与(売買)だ」と宣言すればいいのである。かくして、 A が B に豚を与えても後に残るのは債務(debt)だけであり、結婚を含む関係は残らないのである。
この非贈与が介入することにより、贈与の流れ(これこそがレッダが目的とするものなのだ)を断ち切る、というのは、つぎの禁忌およびその例外の説明からも明らかである。
贈与をめぐる禁忌の一つに「もともと自分のものだった項目(たとえば牛)を受けとってはいけない」という禁忌がある。次の図を見てほしい。 A が B に牛を与え、その牛を B が C へと与える、という流れが描かれている。その同じ牛がめぐり巡って A の所にもどりそうになることがある。 A はこの牛を受け取ってはいけないのだ。
この禁忌を話してくれたインフォーマントはすぐにつぎのように続けた。「ただし、その流れの中のどこかに売買がはいっていれば、さきほどの禁忌は成立しない」と。
すなわち、牛の同一性は途切れのない贈与の流れの中でのみ保たれるのである。
最後に、ある印象的な事件を紹介して本論を終わりにしたい。
私の調査している山の村は、近くの海岸部の村と土地をめぐる対立関係にあった。対立が最も激しくなったときには死者が出るまでになった。 その大事件の後も緊張は続いていた。そんな中で逆レッダの可成り印象的な事件が起きたのだ。たしかに逆レッダであるのだが、こんな風に重要な関係でさえチャラにできてしまうのに私はかなりびっくりした。
死者の出る事件(「戦争」と呼ぼう)そのものは1984年に起きた。その年、私が調査地に行くと、「戦争」の影響はまだまだ残っていた。ある日、海岸部の村から一団の男たちが登ってきた。彼らは手に槍や長い斧をもっている。私の村の村人たちは家に籠り、外をじっと見ている。「一触即発」の状況だった。彼らは威嚇行為の後、しばらくすると帰っていった。
翌日のことだ。海岸部の魚売りが登ってきて、元気に魚を売っている。見た顔である。
彼はきのう武装した一団の中の一人だったのだ。魚を買おうとした山の村の人がただした、「お前はきのう武装して登ってきた中の一人だろう」と。魚売りは答えた、「きのうはソンガ(種播きや収穫などの共同作業)だ。しようがない。お前だって知り合いがお前をソンガしたらつきあわざるを得ないだろう。きょうは俺は 魚を売っているのだ。きょうは俺は単なる魚売りだ」と。
強調したいことは一つだけである。それは魚を売るのは非贈与、私の場だということである。
結論の章である。これまでの章で議論を尽くしたので、とくに新しいことをここで述べるわけではない。 ここでは、冒頭のギアツの議論(経験に近い概念と経験に遠い概念)にもどって、どこまでギアツの議論を生かせたのか、それからの発展はあったのか 、それらについて述べたい。
□(コメント) 私が行なったのは
今回の探索の ターゲット はレッダ(彼らの経験に近い概念)であった。レッダを理解したいのだ。 レッダを制度的事実と生の事実という枠組(経験に遠い概念)でとらえ、 公私の概念(私たちの経験に近い概念)を説明項として説明したのが今回の発表である。
この文化の三角測量 2.0 によって、聞いている人が、エンデの文化を理解、すくなくともベクとレッダを理解できたと感じていただければ、民族誌家として嬉しい限りである。