The Spandrels of San Marco and the Panglossian Paradigm: A Critique of the Adaptationist Programme
(Gould \& Lewontin 1979)
を読みおわった。
ぼくがずっと思っていた疑問を、
明解に(いささか余計な衒いが多いが・・・)述べた論文だ。
以下、感想をかねた Todo と自分への設問。
Pangloss を読み終わって
- なぜ「遺伝子がそれ自身を再生産することが、それにとっての
生きる目的になる」ことが、
トートロジー(問答無用の真理)になるのか、を証明せよ。
- 群淘汰 (group selection) 説が正しくないことを、
証明せよ。
- 「学習」はダーウィン主義の根本をくずしてしまうわけではないことを
証明せよ。
- 性淘汰の議論は (1) 淘汰と整合しないわけではない、
そして、 (2) 同語反復になっているわけではない ---
ことを証明せよ。
- 以上、Pangloss 論文とはとくに関係ない。
これまで僕が進化論に関して理解していないこと
(疑問に思っていること)を列挙しただけである。
- 『ダーウィンの危険な思想 --- 生命の意味と進化』
(デネット 2000)、とくに
第10章をよんで、
グールドの議論がどのように論駁されているのかを確認せよ。
- 『進化論の何が問題か --- ドーキンスとグルードの論争』
(垂水 雄二 2012) を再読して、
ドーキンスがグールドにどのように反論しているのかを確認せよ。
--- デネットの議論は、たぶん(おぼろげな記憶だが)、
グールドに負けたくないので、
余計な衒学趣味・もってまわった議論がおおかったと思う。
たぶんドーキンスの方がストレートに議論を展開してくれていると思う。
- この論文で説明ぬきで導入されている Bauplan の考え方は、
人類学の機能主義にとりいれることができるのではないか。
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