[Visit Website Kompas] 1983年はインドネシアで皆既日食が見えた年だ。 ぼくはちょうどその時、フローレス島 にいた。 日食の日が近づくにつれ、 村では様々な噂が飛びかった。 政府がいろいろなことを テレビを通じて広報しているというのだ。 最初は「日食のとき、太陽をみてはいけない」という 真っ当な警告だった。 そのうちに、 「日食の日は家に籠っていなければいけない」、 「壁にある隙間を埋めろ」、 「その光にあたると死んでしまう」、 「家の中でもとくに安全な机の下に避難しろ」などなど、 だんだんエスカレートしていった。
町で誰かが見たテレビの内容が人から人へと 伝わるにつれて、 だんだん面白い内容に変化していくのだな。 こんど町に出たら、テレビで実際にはどんなことが 言われたのかチェックしておかなければ--- ぼくは、こんなことをのんびりと考えていたのだが、 日食が終わるとコロっと忘れていた。 そして、 この記事を読むまでその「噂」についても 忘れていた。
んで、なつかしく思いながら記事を 読んでみた。
なんとなんと! 噂じゃなかったそうだ。 まさに「光にあたると死ぬ」とか、 「机の下に隠れろ」と政府が警告していたという のだ---ちょっとびっくり。
日食当日のエンデの村の様子は ↓
エンデの村の人もこれらの警告を全面的に 信じていたわけではなかったが、 否定するだけの根拠ももたなかった。 日食の前日、 ぼくの居候している家に、 村の人びとが全員あつまってきて相談が 行なわれた。 ほんの少しの(ホントかもしれないという)疑いはあるけど、 基本的には誰も政府の広報を信じてはいなかったので、 なんだか「冗談に会議をしている」・・・ みたいな雰囲気で楽しい会議だった。 けっきょく、 「死ぬときはいっしょだぁ!」と楽しい議決が 行なわれ、 翌日をその家でみなで過ごすことが決まった。 そして、 各世帯から米と野菜をすこしづつ持ってくることに なったのだ。
日食の当日は、 村の全員がその家に集まり、 飲めや歌えの「世界終末パーティ」が行なわれた。 これまで「季節じゃないから」といって なかなか聞かせてもらえなかった農作業の歌を、 作業毎にフルで聞かせてもらえた。 恥ずかしがって小出しにしか聞いたことのない ウォイ(歌が入る伝説語り)も、 歌い手/話し手を変えながら次々と披露されていったの だ。