引用と人生
2024-06-16
この授業のテーマは「引用」である。引用をキーワードに文化を読み解こうとする試みである。
出発点はさまざまなな呪術実践の中に見られるひとびとの ためらい である。
この本(『引用と人生』)は、異文化の見つけ方(相対主義の可能性)の続編として考えられている。『相対主義の可能性』を読まなくても、『引用と人生』を理解できるように書かれている。しかし、『相対主義の可能性』の流れを知ることは、この本の主人公である引用とアスペクト把握がどのように全体の議論の中に導入されてきたか、その文脈を知ることとなる。それはこの本の理解を広げてくれるだろう。
第0章:相対主義のまとめにおいて、簡単に『相対主義の可能性』の議論を復習したい。
第1章:呪術へのためらい—異文化の見える時
ひとびとは呪術は信じきっているわけではない。たしかに『信念の呪縛』[@hamamoto-jubaku]に書かれているような社会もある。しかし、多くの社会では「ためらい」の中で呪術が選ばれているのだ。 [@shirakawa-kotoba] [@seki-jujutsu-toha-2]
この授業は、呪術の実践にあらわれるこの「ためらい」を出発点にして、理論を組み立て、それを芸術、修辞、教育、制度、いってみれば文化全体に適用しようという試みである。
第2章:ウサギかアヒルか—アスペクトと相貌
相貌と観点、全体論。アスペクトと観点なし、全体の把握なし。
指示と直示について議論する。
指示において、ラッセルの確定記述の例、[@russell-denoting-j] そしてそれに反対するストローソンの指示の議論。[@strawson-referring-j]
クワインの存在論にも触れるべきか。 [@quine-on-what-j]
のめり込むと一抜けるが単相と複相に相当することを示す。
さらに、2つの複相、すなわちアスペクトと相貌が、一抜けるとのめるこむを両方行なうことに相当することを示す。ベイトソンの遊びの議論([@bateson-play-j] )を引用すること。
ここにウォルトン [@walton-mimesis] の「虚構世界の拡張」議論をいれることを考えよう。
アスペクト論、引用論がゲーム論でつながった。
人類学の記述の問題に触れることで、「二つの複相」議論がより説得的になるだろう。
A | B1 | B2 | |
---|---|---|---|
アスペクト | 単相 | 複相 | 複相 |
(アスペクト) | (相貌) | ||
引用 | 使用 | 言及 | 使用と言及 |
ゲーム | のめりこむ | 一抜ける | 遊ぶ |
原住民 | 旅人 | 人類学 |
物語として、よろめき物語にモーム型をつけくわえる
この表を利用して呪術論を
ここから第二部「民族誌篇」となる。
B1 の状態
エンデの話(学校者と出稼ぎ者)とドゥルゼの話(豹は断食をする)。
第6章:クピは世界一高い山か?—信念と知識
[[ground]] と同じタイトルだ?
知識と信念が引用であること。
オースティンの「他人の心」[@austin-minds] を説明する
顕在的遂行発話だということ。
P を見えない知識、 I know P を見える知識と呼ぶ。
JTB をめぐる内在主義と外在主義の議論を紹介する。
そして、
示す。
野矢の教育論とイヌイットの教育をまぜて、アイロニーへのイントロとする。
エコー理論を引用理論と読み換えて、ウィルソン=スペルベルから菅野のアイロニー理論を読み換える。
を前振りにして、制度の問題に迫る。
もちろん、サールの『社会の哲学』についても触れるべきだ。
整理するのに、いちばん時間がかかりそうだ。
できればエンデの贈与と呪術についても触れたい。
ここでモーム型を導入し、さらにウォルトンの「ごっこ」理論をもう一度引くべきかもしれない。
たぶん、2つか3つに分割されるだろう。