最初の章の最初の節であるこの節では、この本全体の目的を示したい— それは異文化の見える時を分析することだ。
この章では、異文化の見える時の特徴を「ためらい」という言葉でとらえていきたい。その典型例として呪術をめぐって頻出するためらいを、異文化の見える時として再提示したい。
この論文は「異文化の見つけ方」( (中川 2014))の続編である。当該論文の出発点は古典的な相対主義の文化観である。そのような文化観に基づく限り、論理的に「異文化」の存在の余地はない— 「異文化」は語り得ぬものとなる。文化は自閉症的様相を呈すのだ。その出発点から異文化を議論に入れるために、当該論文は経験論的な手法で議論を進める。われわれの(「人類の」と言ってよい)生得の能力(それによって、全ての人が自閉症になるわけではない能力)に訴えかけたのである。アスペクト把握である。アスペクト把握こそが自閉症者に欠けている能力であり、その能力を人類学者に付与するならば、古典的な文化観は、同時に相対主義を可能にする、そのように議論を進めた。
ピジョンホール相対主義の文化観相対主義が不可能← 「異文化」は語り得ないアスペクト把握の能力の導入相対主義が可能になる主語は人類学者である
この本でアスペクト把握を付与したいのは、現地の人びとに対してである。すなわち、民族誌の分析にアスペクトの考え方を適用していきたいのだ。人びとがもう一つの文化を見つけるプロセスを見ていきたいのである。
前の本:人類学者のアスペクト把握能力この本:現地の人のアスペクト把握能力 →主語は「現地の人」だ
すなわち、現地の人がおのれのアスペクト把握能力を生かしながら、いかにして自らのピジョンホールから抜けでるのか、それを見ていきたいのだ。
自らのアスペクト把握の能力を生かしながら、自らのピジョンホールを抜けだしていくさまを見ていきたい
わたしがこの本で行いたいことを一言であらわす、出来合いの最適の言葉はない。「文化変容」が近いかもしれない。「文化変容の一つの側面」と言う方が正確であろう。「文化変容」をテーマにする諸研究が対象とするのと同じ類いの現象を、わたしは取り扱う。ただし、違った視点からなのだ。
文化変容 (acculturation) の一つの側面「文化変容」をテーマとする研究と同じ現象を扱う—ただし、視点が違う
わたしは、これまでの著作の中で、文化の変化に関して、レヴィ=ストロースの著作のある一節とそれに関連してメルロ=ポンティのある一節とをしばしば引用してきた。
動物的な生活段階のいかなる時点で、またいか
なる状況下に言語が出現したのかはともかくと
して、言語の誕生はただ一挙にしかありえなかっ
たのである。事物は漸次的に意味をもっていく
ことはできなかった。その研究が社会科学の領
分に属するのではなく生物学と心理学の領分に
属する変化の結果、なにものも意味を有しない
段階から、すべてが意味をもつ別の段階への移
行が実現したのである。この指摘は一見なんの
変哲もないことであるが、知識は緩慢にかつ漸
次的に磨きあげられるものであり、この根本的
変化は知識の領域においてこれに対応するもの
のないものであるがゆえに重要である。言いか
えれば、全世界が一挙に意味あるものとなった
時点で、たとい言語の出現が知識の発展のリズ
ムを速めさせるようになったのは間違いないと
しても、世界はそれだけによく知られたものと
なりはしなかった。したがって、人間精神の歴
史のなかで、一つの基本的な対立が、不連続の
性格を示す象徴的思惟と連続性によって特徴づ
けられる知識とのあいだに存在するのである。
<!---[@ls-j-73: レヴィ=ストロース 1973]--> (39: レヴィ=ストロース 1973)
世界の意味は一気に獲得された世界に関する知識は(それ以降に)じょじょに獲得された
世界に関する知識はじょじょに積み上げられていくが、世界の意味は一気に誕生したのだ。世界に意味を与える枠組みを「概念枠組」と、あるいは「文化」と呼ぶ。文化は突然誕生するのだ。
世界に意味を与える枠組を「概念枠組」、「概念図式」と呼ぶあるいは「文化」と呼ぶ
そして、メルロ=ポンティは言う:
なるほどわれわれは数ヶ国語を話すこともできるけれども、しかしわれわれがそのなかで生活している国語というものは、やはりいつでもそれらの国語の中の一つだけである。完全に一つの国語にどうかしてしまうためには、その国語が表現している世界をひきうけなければなるまいが、人はけっして同時に二つの世界に属するわけにはゆかないのだ。 (219: メルロ=ポンティ 1963)
われわれは数ヶ国語を話す生活する国語は一つだけであるその国語が表現する世界を引き受ける同時に二つの世界に属することはできない
彼の多言語話者の比喩をそのまま用い、わたしは文化が変化するとき、それは突然変化するのだと主張してきた。「文化変容」と言えば、文化がじょじょに変容していくことを指すだろう。わたしは文化に関してあたらしい主張をしているのだろうか?
文化が変化するとき、それは突然変化する、と主張してきた「異文化を見つけ方」について述べるという中川は変節したのか?
わたしは変節したのだろうか?
ちがう。この本でもわたしの基本的な論点は変わらない。あいかわらず文化はとつぜん変わる、じょじょに変わるわけではないと主張したい。
この論文の焦点は文化の担い手の個人にかかわっている。わたしは、文化変容と呼ばれている現象において、文化自身は変化していないと考えている。変化しているのは文化の担い手である個人、あるいは個人の集合である社会であるのだ、ということだ。もし個人と文化の関係が独我論的なものであれば、個人を見ようが、文化を見ようが同じである。いま(まだ何も分かっていないが)個人は独我論的状態以外の状態にいることが可能である。 [ under construction こんな議論を続けるべきか、どうか ] [ under construction あとのほうがいいかも・・・。 ]
通常の文化変容の研究:文化にわたしのやりかた:担い手に(文化は変わらない)文化は変わらず、個人の状態が(およびその集合である社会が)変わっている
ひとが文化Aから文化Bへと移動するとき、途中の段階を考えるのだ— それが「異文化が見えるとき」である、とそのようにわたしは主張する。
たしかにメルロ=ポンティの言うように、人は言語/文化には一つしか所属できない。しかし、多言語使用者が存在するのはまぎれもない事実である。ある人が多言語使用者になっている段階を、「異言語が見えているとき」と呼びたい。
異言語が見えている(時)
同じように、個人に焦点を与えれば、「異文化が見えている時」が存在するといいたいのだ。これこそが「中間段階」である。文化への所属に関して言えば、彼女の所属はあくまで一つだけである。ただし、彼女には自分の所属している文化以外の文化、すなわち異文化が存在していることに気づいているのだ。
彼女の属している文化は一つだけであるしかし異文化のあることに気づいているこれが中間段階である
分かりやすいように、文化の担い手である彼女の変化を、よろめきドラマのシナリオをつかって語り直してみよう。つぎのようになる:彼女は夫に満足し、平穏無事な結婚生活を送っているところから、物語は始まる。発端の状況を「平穏」と呼ぼう。そこに夫以外の男があらわれる。そして、その男の魅力に気づくのだ。この状況を「ためらい」と呼ぼう。そして、彼女はその男のもとに走る— これを「転落」の状況と呼ぼう。
平穏ためらい転落
このシナリオを多言語使用者に即して言えば、つぎのようになる:「平穏」とは、日本語のみを使用している状況である。そして英語をまなび、使ってみる、というのが「ためらい」の状況となる。そして、日本語を忘れ、英語のみで喋り、考えるのが「転落」の段階だ。
平穏:日本語のみ(異言語が見えない)ためらい:英語を学び、つかってみる転落:英語のみ(異言語が見えない)
人類学の扱うテーマで言えば「近代化」がその典型的な例であろう。ある伝統社会に属する人間がいる。彼女は、とりあえずは、その社会の文化に所属している。「平穏」の状況に比すことができるだろう。学校やマスメディアを通じて「近代/西洋」に触れた彼女は自分のものの考え方が唯一の正統的な考え方ではないことを知る。「ためらい」の状況である。そして、完全にものの考え方が近代/西洋風になったとき、それを「転落」の状況と呼びたいのだ。
「平穏」—ある伝統社会での暮し「ためらい」—(学校やマスメディア)異文化(近代)の存在への気づき「転落」—近代風にしか考えられなくなる
ここで、文化に注目して、このシナリオを見れみよう。それがまったく変化していないことを確認してほしい。日本語や英語、伝統文化そのもの、あるいは近代という文化自体は、なにも変わっていないのである。
は変わっていない日本語/英語は変わっていない伝統文化/近代(という文化)は変わっていない
この本でわたしが焦点をあてるのは、繰り返すが、担い手としてのそれぞれの個人である。個人が「平穏」から「ためらい」を経て、「転落」していく論理を探っていきたいのである。
文化の担い手としての個人から見る
「ためらい」の段階はけっして曖昧模糊とした状況ではない。それは離散的なものである、ということも、この本を通じて主張していきたいことである。
ためらいは曖昧模糊としたものではないそれは離散的な一つのはっきりとした段階である — ということを主張したい
なぜ「文化変容」などということばを使ったのか、疑問に思っている読者もいるだろう。正確には、わたしは「文化変容の一つの側面」と言った。それはこういう意味である— わたしが焦点をあてている現象(個人による異文化の発見)を、集団的に見れば「文化変容」となるのだ、ということである。
個人の異文化の発見(平穏→ためらい→ 転落)これを集団レベルで見れば「文化変容」の研究となる
文化A の担い手が100人いるとしよう。それらの人々がそれぞれ「平穏」、「ためらい」、そして「転落」の状況にあるのだ。平穏が100人だった状況から転落が100人になる状況を見ていくのが、とりわけその遷移のメカニズムを探っていくのが通常の文化変容の研究である。
文化A と100人の担い手 100人の担い手は、それぞれ「平穏」、「ためらい」、「転落」の状況にいる 100人の平穏→100人の転落このメカニズムを探るのが文化変容の研究である
この小節では、わたしがこの本を通じて行ないたいこと、行なわないことをあらかじめ宣言しておきたい。わたしがこの本を通じて行なうことは論理的分析であり、因果論的分析ではない。論理的分析をするとは意味に焦点をあてる、ということである。それに対して、因果論的分析は経験に焦点をあてる。
やること:論理的分析やらないこと:因果論的分析
具体的に述べれば、次のようになる:わたしは「平穏→ためらい→転落」のそれぞれの段階の意味を論理的に分析したい。わたしは、たとえば、人が平穏からためらいにどのような原因で移行するのか、ためらいから転落にどのような原因で移行するのか、ということを分析はしない、ということである。
論理的:平穏、ためらい、転落の意味社会学的:平穏からためらいへのメカニズム、ためらいから転落へのメカニズム(資本主義その他)
わたしの個人的な意見だが、そのような研究の正しい方法は、おそらく、生態学的なもの、とりわけゲーム理論に基づくものとなるだろう、と思う。
生態学的なものとりわけゲーム理論をつかったものとなろう → この本の中のわたしには興味はない cf: 『社会』の中の convention の授業
この本でわたしが取り扱うのは、文化の担い手である個人が異文化を見つけていく段階の論理的な分析である。
文化の担い手である個人が異文化をみつけていくプロセスのその論理的な分析である
個人がためらいの状況を経て、平穏から転落の状況に移っていくとわたしは言った。そして行ないたいのは、それぞれの状況の論理的分析である。わたしは、遷移の因果関係については扱わない。
自信はないが、その研究は、おそらく、心理学的な研究となるだろう。 1
平穏→ためらい→転落その因果関係の分析はしない(するのは論理的な分析である)因果関係は、たぶん、心理学的な研究となるだろう
もとに戻ろう。この章のテーマは「異文化の見えるとき」のイメージを得てもらうことだ。
人が文化A の所属から文化B の所属へと変化するとき、途中に「ためらい」と呼ぶような段階、異文化の見える時がある、というのがこの本のまず第一の主張である。
個人が文化A から文化B に移るとき「ためらい」の状況がある文化B (「異文化」)が見えるのだ
この節で行ないたいことは、ためらいの状況とは、具体的にはどのような状況なのか、ということである。
ためらいの状況の一例として近代化について触れた。ここでは、より鮮明にためらいの状況の見える呪術をめぐる人びとの態度について述べたい。
近代化、多言語使用(すでにおこなった)呪術の心性
呪術を例にすると分かりやすいだろう。途中の段階が曖昧なものとする議論として、浜本の斜面の比喩がある。
浜本は身近な人が不治の病にかかった場合を例にとり、不治の病を治すと称する薬や宗教の誘惑について語る。人は、さいしょの内は、そのような詐欺まがいの誘惑を馬鹿にしているだろう。人類学的伝統にのっとり、この「宗教」を「呪術」と呼ぶことにする。さて、近代医療がなにもできない状態が続くうちに、それらの「治療」のなにかをやってみようと人は考え始めるかもしれない。そのような「治療」をほどこす呪術の会合に何回か通ううちに、彼はその呪術にじょじょにのめり込んでいくという状況を考えるのは難しくないだろう、と浜本は言う。
身近な人が不治の病にかかる不治の病を治す宗教(呪術)の誘惑 → ばかにする近代医療の無能宗教にちょっとだけかかわる → 抜けられないほどにかかわる
宗教にちょっとだけ手を出す状況、それがためらいの状況である。その時、人は科学的世界観に立ちながら、呪術的な世界観を垣間見ているのだ。
宗教にちょっとだけ手を出してみる状況である
そのように人が呪術的思考法に陥っていくさまを、浜本は、人が尾根から谷底へ斜面をすべりおちていく様子に例えている。
尾根を歩いている限りほんのちょっとどちらかに足を踏み出すと、どちらかの斜面に入ることができる。・・・一方の斜面に足を踏み入れると、重量の力であれなんであれ、人をそちらの斜面の下へ下へと向かわせる抗いがたい力が働いている。しばらくそれに身を任せて、斜面の下へ向かっているうちに、いつのまにか再び分水嶺に引き返して反対側の斜面に行くことが困難になっている。 (11: 浜本 2014)
これは、「科学的」な考え方をもっていた人が、いつの間に呪術的な思考法に呪縛されていくさまの比喩である。この比喩では最初の段階(尾根)と途中の段階、そして最後の段階(谷底)に明確な境界はない—それはのっぺらぼうの斜面なのだ。わたしが言いたいのは、このすべり落ちていく状況が離散的である、というのである。
斜面(ためらいの状況)に段階はないのっぺらぼうである尾根/斜面/谷底に境はない ←→ わたし「段階がある」と主張したい
浜本が『信念の呪縛』 でぶ厚く描くドゥルマの社会は、斜面の出てこない社会である。まさに信念に、呪術・妖術をめぐる信念に呪縛された人々からなる社会である。その様を、浜本は尾根から描く。 2 斜面の比喩は、一種の免罪符である— 「わたしだって、いつ彼らみたいになるかもしれない」ということを示しただけであり、彼は尾根にとどまる。斜面についての言及はあるが、それに相当する民族誌的事実はほとんどないのだ。
ドゥルマは谷底にいて「信念に呪縛されている」浜本(科学実在論者)は尾根にいる斜面は、けっきょく、でてこない
他の場所では、ひとびとは呪術は信じきっているわけではない。たしかに『信念の呪縛』書かれているような社会もある。しかし、多くの社会では「ためらい」の中で呪術が選ばれているのだ。
ピッグによる秀逸なネパールの民族誌()を引こう。
彼は呪術に関する町の人の言説から論を始める。町の人によれば、「村の人は呪術を信じている」というのだ。しかし、じっさいに村に入ってみると状況は、町の人の描くものとは違っていることが分かる、とピッグは言う。村においても、呪術は疑惑をもって迎えられているのだ。
町の人:「村ではみな呪術を信じている」村の人→ 疑惑をもって呪術に接する
このような特別な呪術の心性を、白川と関は「Pと分かっているでもやはり・・・(Q)」( (白川 2012)、 (関 2012))というイディオムで表現する。「呪術が癌に効かないのはわかっている、でもやはり(もしかしたら効くかもしれない)」( (Favret-Saada 1980))というためらいの心性である。
「Pと分かっている、でも(Q)」フランスのボカージュの呪術の例(ファヴレト・サーダ)「呪術が癌に効かないのは分かっている、でも・・・」
科学的思考法という文化(浜本の「尾根」)から呪術的思考は見えない。文化の自閉症的な段階である。呪術的思考法に呪縛されるとき(「谷底」)、こんどは科学的思考法が見えない。「Aと分かっているでも(B)」というためらいの心性の状況が異文化が垣間見える状況なのだ。
尾根(科学的思考法)→他の思考法(文化)は見えない:自閉症的/独我論的段階(否定性の欠如)谷底(呪術的思考法)→他の思考法(文化)は見えない:自閉症的段階/独我論的(否定性の欠如)斜面/「とわかっている、でも」→他の思考法が垣間見える:否定性があらわれる
この異文化の垣間見える瞬間、ためらいの心性を分析し、それを他のさまざまな民族誌的事例に適用していくことがこの論文の目的である。
日本語話者が英語をつかうとき日本語だけ→英語をつかう→英語だけ
日本語だけ→英語をつかう→英語だけ平穏 → ためらい → 転落「ためらい」が異文化の見えるときである
呪術への態度 — ためらい「と分かっている、でも」異文化が見えている時
「ためいき」がアスペクト把握と密接に関わっていること「ためいき」が離散的であること(→ 引用)