『ディープラーニング 学習する機械 ヤン・ルカン、人工知能を語る 』 (ヤン・ルカン 2021) を読んでいる。 まだ第2章「私の小史」までしか読んでいないが、 ここに〈なぜ私がこの本を読んでいるか〉を 書いておこう。
機械学習は最初 (たぶん1980年代、1990年代に)は connectionismと呼ばれた。 その後 「ニューラルネットワーク」と呼ばれるようになった。 世の中になかなか受け入れられなかったので、 2000年代に deep_learningに名前をかえた・・・ ということだ。
私が人工知能を勉強することによって知りたい事は、 〈人工知能にアブダクションの能力があるのか〉ということだ。 この疑問は、 〈赤ちゃんはいつアブダクションの能力を獲得するのか〉そして、 〈チンパンジーあるいはボノボにアブダクションの能力があるのか〉という 疑問と組になった疑問だ。
2017年に出た本(『心の進化を解明する』)のなかでデネットは、 ディープラーニングは知識をどんどん肥大させることはできるだろうが、 (気づきによって)1つ上の段階には行けない(だろう)と言っている。 すなわち、 デネットは「ディープラーニングにはアブダクションはない」と 言っているのだ。 これは「原理として無理」ということだろうか、 それとも「現在のところは無理」ということだろうか?
たまたまテーブルの上にころがっていた 『カラー図解 Raspberry Pi ではじめる機械学習 基礎からディープラーニングまで』 (金丸 隆志 2018) をぱらぱらとめくる。 こんな文章が目にとまった --- 「それ【ディープラーニング】までのニューラルネットワークや 機械学習では、 画像などの入力のうち「何が重要な特徴か」を人間が見つけて あらかじめ抽出しておく必要がありました。 これを前処理と言います。 ディープラーニングには この特徴抽出の前処理も人間の手を介さずに 自動で行なうことができるという性質があります。」 (p.22) これって、 規則の発見ではないだろうか! まるで、 人工知能はアブダクションができる!と言っているように見える。
ちょっとどきどきしてきた。
「教師なしの学習」が「アブダクション」に相当するのか、 がまず第一に解決すべきことだろう。
ヤン・ルカンの本を読みおわってから、 いろいろなことをまとめてみようと思う。 今日はここまで。