HOME>>人類学>>講義ノーツ>>「社会」とは何か



2-7 サモアで噂話は内緒で

事実と解釈

2013-10-29 22:03

中川 敏

1 序
1.1 これまで
1.2 これから

2 解釈の中の行為
2.1 真偽の成立
2.2 パターンとしての解釈
2.3 生活世界の中の解釈
2.4 まとめ

3 サモアの動機
3.1 動機
3.2 サモアの噂話
3.3 スイッチ

4 まとめ
4.1 三つの世界
4.2 内と外の視点
4.3 解釈と心

Draft only ($Revision$ ($Date$)).
(C) Satoshi Nakagawa
Do not quote or cite without the author's permission.
Comments are welcome


[PREV: 議事録の作り方] [TOC] [NEXT: パターンの実在]

1. 序

1.1 これまで

前章において 行為の語り方、 言語行為論の枠組に重ねて三つあることを 指摘した。 すなわち 発語行為に相当する観察言明と 発語内行為に相当する規約言明、 そして 発語媒介行為に相当する解釈言明である。 観察言明の中に浮かび上がる行為を、 われわれは「ナマの行為」と呼び、 規約言明の中に浮かび上がる行為を、 「制度的行為」と呼んだ。

前章において焦点をあてたのは、 発語行為と発語内行為とに相当する 観察言明と規約言明である。 それを区別するのが 構成的規則だと指摘した。。

1.2 これから

この章で、 いよいよ最後の 発語媒介行為について述べる。 (3) の言明、 「彼は授業を盛り上げた」という言明に、 わたしは「解釈言明」という名前をつける。 そして解釈言明の中に現れる行為を 「解釈された行為」と呼ぼう。

観察による、 自然な結び付き ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

2. 解釈の中の行為

発語行為と行為一般の例を 再掲する。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

(3) の言明、 発語媒介行為に相当する言明を 「解釈言明」と呼ぼう。 そして、 その中に立ち現れる行為を 「解釈の中の行為」と 呼ぶこととしたい。

* * * * *

ここで発語行為論を 行為論の中に統合することとしたい。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

2.1 真偽の成立

まず指摘したのは、 それぞれの言明の真偽の成立の仕方である。

2.1.1 観察言明の真偽

「〜と言った」という行為を記述する 発語行為(言明)、 あるいは「手を上げた」というナマの行為を 記述する観察言明の真偽は、いわば、 証拠によって決定される。 それらの行為は、 物理世界の中の事実、 ナマの事実だからだ。

2.1.2 規約言明の真偽

発語内行為を記述する言明、 あるいは制度的行為を記述する規約言明の 真偽はどうであろうか?

わたしたちの生活世界の流れの中で、 これらの行為、制度的行為を記述する言明の 真偽には決着がつけられる。 あるいは制度的行為は成立したか、 しなかったかどちらかである。 約束はしたか、しなかったかのどちらかであるし、 質問はしたか、しなかったかの どちらかなのである。 もし、不問に付されている様子を呈している ならば、 それらの行為は成立しなかったのだ。

あなたがわたしが約束をしたと想定した としよう。 そして、 わたしが翌日学校に来なかったら、 あなたは、わたしが約束を破ったという 告発を行うだろう。 その告発は無効化されるか、 されないかのどちらかである。 無効化されれば、 制度的行為は成立しなかったのである。 (もちろん、ナマの事実として 「〜と言った」という行為は成立している)。

「質問をする」という制度的行為にも、 あるいはそれを記述する規約言明にも、 ほぼ同じことが言える。 制度的事実は、 制度的世界の中の事実なのである。

ここでゲームに戻ろう。 将棋の棋譜、あるいは 野球のスコアブックである。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

もし規約言明が真とされたならば、 あるいは制度的行為が成立したならば、 言わば、 棋譜あるいはスコアブックに相当する 帳面に「その記録が取られている」と 言うことが可能であろう。 それはわたしたちの生活世界の流れの中で すべての成員が準拠しなければいけない 記録なのである。

2.1.3 解釈言明の真偽

解釈言明の真偽、 あるいは解釈の中の行為の成立・不成立は どうであろうか。

「(逃げるよう)説得した」という 解釈言明(発語媒介行為)、 あるいは「授業を盛り上げた」という 解釈言明である。 あるいはその中に現れる行為である。

これらの例から分かるように、 解釈言明の真偽は曖昧である。 観察言明や規約言明の真偽が明らかで あったのとは全く違っているのだ。 「授業を盛り上げた」と考える人も、 また「そうではない」と考える人もいるだろう。 どっちとも分からないという人もいる。 たとえば、 最後の人々、「どっちとも分からない」と 答える人々に、 わたしたちは決断をせまらない。 それはそのまま曖昧な状態のまま とめ置かれるのだ。

「名人が攻撃に出た」は 解釈言明である。 それが正しいかどうかは、 人によるのだ。 たしかに、その解釈が圧倒的多数を占める という状況は考え得る。 しかし、 「それでも、わたしは『名人は攻撃に出た』ふりを しただけだと信じている」と言うことに、 問題はない。

規約言明にこのような状況は許されない。 「名人が4二銀とした」は正しいか間違っているかの どちらかなのだ。 「そうではない、と私は思う。 名人は4二銀のふりをしただけで、 ほんとうは4三銀だったのだ」という言明の 不自然さからそれが分かるだろう。

2.2 パターンとしての解釈

2.2.1 黙約としての解釈

「二つのコンベンション」を思い出して いただきたい。 ・・・・・ 【ボート漕ぎ】 ・・・・・

・・・・・ 【黙約への信頼】 ・・・・・

・・・・・ 【規約への同意】 ・・・・・

2.3 生活世界の中の解釈

【授業では 3. となっている】

2.3.1 世界

生活世界の中で 解釈は揺れ動く。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

2.3.2 共同体

今迄の議論を 「共同性」から語り直してみよう。 わたしが主張しているのは、 共同性には二種類ある、ということである。 一つは規約に基づく共同性であり、 もう一つは解釈に基づく共同性である。

2.3.3 共同体への入り方

・・・・・ 【規約共同体】 ・・・・・

「解釈」は、その共同体あるいは文化にながく住むことによって 学習されていくだろう。民族誌家は、解釈共同体 [fish-j-1992]に属するようになるだろう。しかし、規約の共同体に属 する場合とは違い、解釈共同体に属した(と考えられた)上でなされ る記述は、誰によっても正当化されない(民族誌家の記述のみならず、 当事者のそれもまたそうなのである)。解釈は、「そこにある」 ("just there")わけではないのだ。

2.3.4 共同体と成員

解釈共同体と規約共同体の間の本質的な違いを、違った角度から 説明しよう。規約が共同体を含意する、と言えるように思えるかもし れない。規約がなければ規約共同体は確かに存在しない。しかし、よ り論理的に言えば、むしろ、規約共同体がなければ規約はありえない、 と言うほうが正確なのである。それに対して、解釈とその共同体の結 びつきは、単に偶有的なものだ。一人だけの規約(例えば私的言語) はありえないが、一人だけの解釈は十分考えられる。

2.4 まとめ

もういちど言い換えれば、規約は一気に変化(誕生)するが、解 釈は徐々に変化(誕生)するのだ。言語の誕生を「あるとき一気に誕 生した」[レヴィ=ストロース]としか論理的に考え得ないことを思い 出してほしい。民族誌家の経験に則して言えば、彼(あるいは彼女) は、規約は一気に獲得するが、解釈は徐々に獲得するのだ。

3. サモアの動機

既述の (2-5 「伝達いろいろ」) カルリの民族誌を思い出してほしい。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

カルリの状況を、 わたしは日本の法廷の場面、 そしてエンデのレッダと比較して 分析した。 カルリの状況は、 いわば、日本・エンデと逆の構図を もっているのだ、と。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

サモアでも、 カルリと似たような状況が見られる。 ・・・・・ 【サモアの動機】 ・・・・・

動機とはどのようなものなのだろうか?

3.1 動機

動機は意図の一種である。 意図に焦点をあてて、 これまでの分析をまとめてみよう。 「行為者の意図」に注目して、 ナマの行為(観察言明)、制度的行為(規約言明) そして解釈の中の行為(解釈言明)を比較して みよう、というのだ。

3.1.1 透明な意図

観察言明(「なになにと言った」「手を上げた」)にみられ る行為者の意図は、(その行為者と同じ文化に属するものだけでなく) 誰にとってもあからさまである。彼は、その記述に現れる通りの意図、 「なになにと言う」意図、「手を上げる」意図を持っていたのだ。彼 の行為がそのように記述される限りにおいて、彼の意図に対して異議 がさしはさまれることはない。

規約言明---「命令した」「挙手をした(質問をした)」--- においてはどうであろうか。 通りすがりの人間には、 これらの記述として現れる行為の意図は不明である。 規約を共有する者にのみ、 すなわち文化を共有する者 (プラス有能な民族誌家)にのみ、行為者の意 図があからさまとなるのだ。 これらの者、 文化内の者にとっては、 規約言明の中の行為、 すなわち制度的行為の 行為者の意図は、観察言明に現れる意図と 同様に透明である。

3.1.2 不透明な意図

それでは、解釈言明 ---「わたしは彼を説得した」あるいは 「彼は授業を盛り上げた」---はどうであろうか。

行為者の意図は不透明である。 「意図は行為者本人以外には分か らない」という格言が通用するのが、 この解釈言明における「意図」なのだ。 「わたし」は決してあなたを逃げるよう説得した わけではないかもしれない。 「彼」は、「盛り上げよう」といった意図ではなく、 真摯な質問を行ったのかもしれない。 行為者以外の人間による解釈言明の中の行為は 「下司のかんぐり」以外のなにものでもないのだ。

3.1.3 解釈としての動機

「不透明な意図」の一例として 「動機」を考えることができる。

ある殺人があった。 その出来事が「殺人」として 社会的に同定される (すなわち裁判で「殺人」と認定される)と 同時に、 殺人者の「殺人する」という意図は 透明のものとなる。 それは規約世界の制度的事実となるのである。 またその手段 (絞殺、毒殺)が明らかにされれば、 それらの手段はナマの世界のナマの事実となる。

問題は動機である。 警察は動機を考える。 それは 「復讐」であるかもしれない。 「経済的利得」であるかもしれない。 あるいは 「恋愛感情のもつれ」かもしれない。 それらによって 同定される行為は、 解釈世界の中の解釈の事実/行為である。 動機は、とりあえずつけ加えられる要素であり、 殺人の判決(制度的事実)、 そして手段(ナマの事実)とは違い、 最終的なものではない--- いつでも変更し得るものなのだ。

3.1.4 動機の必要性

それでは、 わたしたちは 何故動機を必要とするのだろうか。 それは納得するためである。 ナマの事実(手段の同定)と 制度的事実(殺人行為の同定)からだけでは、 わたしたちは 「なぜ彼(殺人犯)が殺人を犯したか」を 理解できないからである。 ナマの事実/行為、 制度的事実/行為の背後には何も見えない。 すべてが説明されてしまうからだ。 行為者(殺人犯)の行為の背後には 何も隠されていないのだ。 そこに心は存在しないのである。

動機とは「ある行為を この光のもとに見よ」という命令の中の 光に相当すると アンスコムは言う。 わたしはこの比喩を受け入れながらも、 光の作る影に、あなた方の注意を 向けたい。 その影こそが「心」なのだ。

・・・・・ 【ダンゴムシ】 ・・・・・

・・・・・ 【原因と理由】 ・・・・・

3.2 サモアの噂話

動機は心を作り出す、と わたしは言った。 そして、サモアでは 動機は語られないとも言った。 それではサモアの人は 心を知らないのだろうか? 「空っぽの人格」概念を持っているのだろうか?

サモアの民族誌を見ていこう。

ミードは『サモアの思春期』 [mead-age-j]の 付録の中で、 動機について触れないサモアの人たちの 語りについて触れている。 典型的な例を引用しておこう。

「シラが家の外まで聞こえるような声で どなっているよ。 彼女は耳が遠いからな」

「ツリパが 弟に腹を立てている。 母親が先週ツツイラに行ったから」


このような

どんな個人的な質問に対してもつねに曖昧な答 しか返さないことが慣習的になっているために、 動機に対するこのような無関心はさらに助長され る。動機についてたずねると、それに対する最も 典型的な答は、タ・イロ(「さあね!」)である が、ときには、「知らないよ」がつけ加わわって、 さらに明確なものになる。 ・・・・・ 計画の破棄、 子どもの家出、離婚 ・・・・・そうした村の噂も事実 そのものは関心を引くけれども、その動機となる と、誰もが肩をすくめるのであ る。 [mead-age-j: 117--8]

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

3.3 スイッチ

後年、フィールドワークのために サモアに入ったガーバーも、 最初は、ミードが直面した困難と同じ困難を味わう。 いくら他人の行為の動機を聞いても、 「さぁね。わからないね」という返事しかかえってこなかったのだ。

ところが ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

彼らの、最初のうちの「知らない」という答えは さっさと脇にどけることにした。 そして、「わかった、わかった。 でも、あなたの心の中で考えたことで結構なのだが、 なぜ、彼はあんなことをしたと思う?」。 とつぜん私のイフォーマントの目が輝く。 [gerber-85: 133]

そして、動機について延々と語ってくれる、という。 [gerber-85: 133]

サモアのおそれている告発は、 次のような例を使うことによって、 われわれの議論になじみやすくなるだろう。 規約言明である「バントをした」は事実である。 1 「事実でない」というものは、 ゲームに参加する資格がないのだ。 しかし、同じ出来事に対する解釈言明、 たとえば「チャンスを広げた」は ゆるがぬ事実とは認定されない。 もしかしたら、打って出るべきであったのに、 バントをすることによって みすみすピッチャーを楽にしてしまったのかもしれない。 すくなくとも、 そのように解説する解説記事を考えることは可能である。 解釈言明に関して言えるのは せいぜい「事実である度合」くらいのものである。 それは多数決によって決定されていくであろう。 「チャンスを広げた」と考えるものが90パーセントいれば、 「チャンスを広げた」が事実である度合がそれだけあるのだ。 しかし、だからといって、 「チャンスを広げた」事実を否定するものから、 ゲーム参加の資格をはく奪できるわけではない。 彼女らの意見は少数意見ではあっても、 間違った記述ではないのだ。

3.3.1 固定した真理値と揺れる真理値

将棋の中の規約言明である「彼は4三金とした」は、 ゆるぎのない事実である。 しかし、「彼は守りを固めた」という解釈言明は、 たとえたまたま観戦者の100パーセントがそう言ったとしても、 ゆるぎのない事実ではありえない。 数日後に、 「じつは、この局面で、対局者は、守勢に回るとみせかけて、 大逆転の準備をしていたのだ。 すなわち、彼は攻勢に転じたのである」という新しい解釈が出現するかもしれない。 その新解釈は、それに賛成するものが、 たとえ当の解釈者ひとりであったとしても、 間違いではない。 しかし、「じつは4三金ではなく、4三金にみせかけた 4二金だったのだ」というあたらしい事実は決して出てこない。

3.3.2 サモアの恐れていること

カルリは後者の選択肢をとる。 解釈はいつか事実となり得るのだ。 そして、もちろん、間違いにもなり得るのだ。 行為の解釈の真偽は、 行為者当人によって最終的に決定される。 カルリにおいては、 動機を語ること(解釈を語ること)は、事実を語ることであり、 それは常に間違うリスクを背負っているのだ。 これがカルリの出来事の報告者のおそれていることの一面である。

4. まとめ

4.1 三つの世界

4.2 内と外の視点

4.3 解釈と心


[PREV: 議事録の作り方] [TOC] [NEXT: パターンの実在]

Bibliography

* * * * *

ENDNOTES

[1] あるいは事実でないか、どちらかである。 論を簡単にするために、 世界はこの言明を真にするように構成されていた、と仮定する。 次の段落の将棋の例も同じである。 [Back]