4 開発
4.1 コンタクトゾーンとしての開発
4.2 言語論的転回
5 ズパドリ村
5.1 ものを借りる二つのやり方
5.2 豚を数える二つのやり方
5.3 いっしょに働く二つのやり方
5.4 バイリンガリズムとその失敗
2008年の9月のことであった。 わたしは調査地の村 (インドネシア、フローレス島、エンデ県のズパドリ村)に 短期調査のために滞在していた。
ある晩、わたしはいささか特別な種類の集会に出席した。 ズパドリ村の有力者の一人、モサの家で行なわれた集会である。 30人ぐらいの村人たちが集まっていただろう。 風のない暑い夜だった。 電気はなく、 小さなランプがいくつかあるだけで、 部屋は薄暗かった。 それは電気を村に供給している発動機についての 集会だったのだ。 発動機は、夜になると係の人間が動作させて、 村に電気を供給していたのだ。 しかし、ここ数日の間、発動機は動かず、 電気は供給されていなかった。 村人たちは発動機に責任のある人びとにその説明を求めた。 彼らによれば、 月極めの料金を払っていない世帯がいるので、 燃料を買う資金がないのだ、ということであった。 村人たちはより詳細な説明を求めた。 かくしてこの集会が開かれたのである。 参加者にコーヒーとバナナが配られ、 人びとは村のことば、エンデ語で雑談をしはじめた。 ここまでは村人の集まる場でのしきたりのような ものである。 そして、突然、しきたりとはかけ離れた 形式ばったインドネシア語で、モサが開会を宣言した。 この集会の目的を、 もったいぶったインドネシア語、 村ではめったに聞かれない国家語で、 モサは説明した。 モサの挨拶のあと、 発動機の会計係であるクマルが会計報告を始めた。 クマルは月毎に詳細な収入そして支出を、 具体的な数字とともに読み上げていった。 クマルは国家語であるインドネシア語を喋っていた。 わたしはそれまでクマルがインドネシア語を喋ったのは 聞いたことがなかったので、いささか驚いた。 クマルの報告はとてもきちょうめんで堅苦しい、 村の生活ではほとんど聞いたことのない調子で続けられた。 そして、長い報告も終了した。 不思議なことに、 その報告は、 資金がまったく不足していない現状を報告したものだった。 すべての世帯が月極めの料金を満額、きちんと支払っているのだ。 資金が不足しているわけがないのである。
当然のことだが、 参加者の何人かが手を挙げて質問をした。 「もし十分なお金があるのなら、 なぜ燃料費が不足するのだ?」。 すこしたじろいだ後、クマルは答えた。 こんどはエンデ語でである。 「お金はここにあるわけではないのだ。 お金はわたしのとこにあるわけではないのだ。 お金はおまえらのところにあるのだ! (ドイ・ナー・ンドゥカ・ミュウ!)」と。
わたしはクマルが何を言っているのかよく理解できなかった。
クマルの発言の後の討論を聞いているなかで、
わたしは何が起こったのかがだんだん分かってきた---
クマルは、各世帯が決められた月極めの料金を
支払っている・いないに関わらず、
すべての世帯が月極めの料金を支払っているように
帳面をつけていたのだ。
数日後、わたしはやっとこの「何故」が理解ができた。
たしかにクマルは間違っていた。
しかし、その間違いは決して馬鹿馬鹿しいものではなかったのだ。
それは言わば
この論文は、 クマルのこの間違いを理解する鍵を提供することを目標とする。 そうすることによって、 わたしはインドネシア東部フローレス島に住むエンデの人たちの 近代化への取り組みを紹介したいのである。 エンデの人びとの社会は、いわゆる「伝統社会」に 分類される社会である。 他の伝統社会の住民と同じく、 彼女らは、いま、近代化の波にさらされている。 その荒波の中で、 彼女らがいかに、近代の合理主義に抗して、 そのアイデンティティを維持していくかを示すのが、 この論文の目的である。
ここで取り上げる近代化の具体例は、 開発、すなわち経済の領域における近代化である。 発動機の会議は開発の文脈の中で開かれた会議である。 発動機を通した事例を通じて、 エンデの人びとが、外からの開発という 経済ゲームをうまく受け止めながら、 自分自身の伝統的な経済ゲームをも 維持している様子を描いていきたい。
開発とは 「さまざまな舞台に置かれた、 さまざまな社会的なアクターが、 権力や影響力、 権威、名声、支配をめぐって、 競いあう」 [sardan-development: 71] そのようなアリーナである。 その意味で、 開発のアリーナは メアリー・プラットが描く植民地時代のコンタクトゾーン、 すなわち 「しばしば非常に不均衡な支配するものと支配されるものという 関係の中で、 異質な文化が出会い、衝突し、つかみ合う」 [pratt-eyes: 4] 社会的な空間、 それに似たものであると言うことができよう。 開発とは近代の言説と伝統の言説の間のコンタクトゾーンなのである。
コンタクトゾーンを楽観的に描く人類学者たちがいる。 彼女らは 「自文化民族誌(オートエスノグラフィー)」 [pratt-eyes]、 「トランスカルチュレーション」 [pratt-eyes]、 「客体化」( [cohn-census]や [handler-objectification]など)、 「流用(アプロプリエーション)」 (例えば [turner-video])などについて語る。 植民地下、イギリス人の一種の道楽によって 導入された新奇な制度、センサスによって、 インドの人びとが自らの文化を客観的に見るようになる。 そして最終的にはセンサスを、 自らの民族主義の運動の武器として活用していくさまを コーンは描いている [cohn-census]。 コーンの議論を受けて、 さまざまな学者が似たような議論を展開する。 ウィルクは、いささか皮肉っぽく、彼女らを 「『だいじょうぶだ、彼らは流用しているから』学派」 [wilk-local: 115]と呼ぶ。
彼女らとは対照的に、 コンタクトゾーンでは、 いやおうなく 力の強い近代が 伝統社会を押し潰していると捉えている 悲観的な人類学者もいる。 伝統社会の人びとは、 意識的にせよ、無意識的にせよ、 近代の言葉を喋らざるを得なくなっているのだ、と 彼女らは主張するのである。 そのような脈絡で、 ウィルク、デルコアそしてエリントンとゲヴェーツは 「類化(ジェネリフィケーション)」について 語る ( [wilk-local]、 [delcore-generification]、 [errington-gewertz-generification])。 類化とは、 「文化的な特殊が文化的な一般へと翻訳される、 あるいは文化的な特殊の一般的な事例へと翻訳される」 [errington-gewertz-generification: 509] そのようなプロセスの謂いである。 パプア・ニューギニアの チャンブリの人びとの文化の中でかけがえのない儀礼家屋が、 ある事件をきっかけに、 一連のリストとその総額とに還元されてしまうことに チャンブリの人びとが気づくさまを エリントンとゲヴェーツは描く [errington-gewertz-generification]。 類化を経て、 文化的な特殊は、 外部の世界、すなわち近代の世界から 「読解可能」 [scott-state]なものとなるのである。
一方で近代化の荒波をやすやすと かいくぐる伝統社会が描かれ、 他方では近代化に押し潰される 伝統社会が描かれている。 エンデの社会の近代化を描くことで、 わたしは、ある伝統社会の歩みつつある 第三の道を描いていくつもりである。 それは「流用」学派の描く像ほどに わたしたちを楽観的にさせるものではないが、 「類化」の主唱者たちが描くほどに悲観的な像でもない。 その間の第三の道である。
コンタクトゾーンに関する古典的な論文の 冒頭で、 著者ベイトソンは文化変容の三つの可能なタイプを 列挙している--- (a) もともと異った集団の 完全な合体、 (b) 一つ、あるいは二つの集団の完全な消滅、 そして(c) 二つの集団の持続である [bateson-schismogenesis: 176]。 「流用」によせ「類化にせよ、 けっきょく、どちらの学派も (b) の可能性、すなわち どちらか一つの言説の消滅に言及しているのである。 伝統社会の言説、あるいは言語ゲームが、 近代のそれ、博物学のエピステーメー [foucault-70]によって浸透される、 と彼女らは主張しているのである。
この論文のわたしの目的は、 すくなくともエンデにおいては、 コンタクトゾーンの状況は (c)、 すなわち二つの言語ゲームの持続である ということを示すことにある。
もともと「コンタクトゾーン」は 言語学上の概念である。 言語学にもどって、 わたしの言うエンデの社会が辿っている「第三の道」、 二つの言語ゲームがともに持続している状態を 言語学の例によって示してみよう。
プラットによれば、 言語学のなかの「コンタクトゾーン」とは、 「互いに定期的にコミュニケートする必要のある 異なった言語のスピーカーの間で発達してきた、 即席に作られた言語を指す」 [pratt-eyes: 6]という。 彼女は、コンタクトゾーンの例として ピジンとクレオールを挙げている [pratt-eyes: 6]。 「トランスカルチュレーション」、 「流用」そして「類化」を、 ピジンそしてクレオールに比することは可能であろう 。
プラットが考慮していない 言語接触による第3の可能性がある--- 「バイリンガリズム」(二言語使用)である。 わたしがこの論文で示すのは、 少なくともエンデにおいては、 バイリンガリズムに比することのできるような状況が、 開発のコンタクトゾーンにおいて起きている、という ことである。 結論を先取りして言えば、 論文の冒頭で紹介した クマルのエピソードは、 バイリンガリズムの失敗、 一つの言語からもう一つの言語への スイッチを失敗した例なのである。
以上、わたしたちは クマルのエピソードを考察する大きな枠組としての 開発というコンタクトゾーンについて述べた。 この節では、第2段階として、 クマルのエピソードをエンデの民族誌という 脈絡に置くこととしよう。 ただし、 その前に開発という文脈におけるエンデ、 あるいはフローレス島一般にあてはまる 二つの特徴について述べておかなければならない。 その第1は、 フローレス島には特筆すべき天然資源が存在しない、 という事実である。 そのため、 フローレス島は開発にとって 魅力ある場所ではなかったのである。 じっさい、古くは、 オランダ植民地政府にとって フローレス島は「利益のない島」 [dietrich-83]と呼ばれていたのである。 かくして、フローレス島の人びと、 (そしてそれは、もちろん、 エンデのズパドリ村の人びとを含むのだが)は 「ノルマンディに上陸する連合国の部隊のような」 「専門家たちの大規模の集団の上陸」 [escobar-encountering: 45]を体験しては いない。 じっさい、わたしは、 ズパドリ村において外部の(開発関連の)専門家に 会ったことはない。
天然資源の欠乏に加えて、 フローレスには開発を遅らせるもう一つの 要因がある。 フローレスにおいては最近までこれといった 市場経済あるいは都市化といった現象がなかった、 という事実である。 それゆえ、開発がターゲットとする 「ぼろを着たアジアの人びと」や 「アフリカの子どもたちの膨れた腹」 [ferguson-anti-politics: xiiim4_dnl ]、 すなわち「貧困」を、 潜在的な開発者たちは ここに見いだすことができなかったのである。 「欠乏」しているのは現金だけなのだ。 わたしが「エンデにおける開発」と述べるとき、 それはファーガソンの言うような巨大な何かではない。 エンデにおける開発は、 外部からの援助という形をとってのみ顕現するのである。
それでは開発、あるいは近代の経済ゲームを 受け入れるエンデの側の伝統的経済ゲームを、まず、 紹介しよう。
2008年、わたしは「妹」のリヴァと彼女の夫の家に 居候をしていた。 ある昼下り、 例の発動機の集会の数日後のことだ。 わたしは台所でリヴァと、 リヴァの世帯の財産について聞いていた。
[SN]「リヴァ、いま豚は何頭いる?」[リヴァ]「大きいのが5頭だよ。あと子豚が数匹いる」
[SN]「OK、5頭だね」(数字をノートに記入する) 「大きいのが2頭、 いつもこの辺をうろついているのは知ってるよ。 あと3頭はどこにいるんだい?」
[リヴァ]「人が来て、マザして(取っていった)んだ。」
リヴァは存在しない3頭の豚を、
あたかもそこにいるかの如くに勘定したのである。
彼女がそうしたのは、
問題になる取引が
マザmarha(「取る」こと)だったからである。
なにか他の方法で借りられたなら、
リヴァはそのようには勘定しなかったであろう。
婚資などのために動物や象牙が必要なとき、
村人はしばしばこの方法を採用する。
やり方はあっけないほどに単純である---
彼らは、そのような状況に陥ったとき、
動物や象牙に余裕があることをあらかじめ知っている家にいき、
しばらくのあいだ
動物あるいは象牙をマザしていいか聞くのである。
もし、ある男が豚をマザしたならば、
彼に余裕が生まれたとき、
あるいはもとの所有者が返却を希望したとき、
彼は
このようにして持っていかれた豚は、 あたかもまだそこにいるように もとの所有者の所有物としてカウントされる。
ペッイ pE'i(「質」)はもう一つの ものを借りる方法である。 ペッイは、とりわけお金を借りるときに採用される。 ズパドリ村の村人にとってお金が必要になる機会とは、 とりわけて学費の支払いである。 村人によれば、 10万ルピアを借りるのには、 一本の椰子の木をペッイするのが、 だいたいの相場だということである。 負債を返却していない間、 貸主はペッイされた木を利用する権利を持っている。 椰子に実がなれば、それを食べること、さらには それを売ることもできるのである。
しばしば金を借りるのに象牙をペッイすることがある。
また、象牙を借りるのに椰子の木をペッイすることもある。
どちらの場合でも、
そのペッイが終わる時に返却される象牙は、
上述の二つの方法(マザとペッイ)は 異った原理に基づいている。 マザで作動する原理を「互酬性」と呼ぶことに問題はないだろう。 ペッイのそれは 市場経済の原理であるところの「等価交換」である。 互酬性と等価交換の差は微妙であるが、 その差を理解することは村人の生活を理解する上で 決定的に重要である。
等価交換の典型的な例、 売り買い(「テッカ」と「ンブタ」)もまた エンデの経済ゲームに登場する。 それらの語で描かれる情景は、 互酬性の典型的な例、贈与、すなわち 与える・受け取る(「パティ」と「シモ」)の描く 情景と対照的なものとなる。
贈与は、エンデの社会においては、特権的に、 婚姻で結ばれた父系の集団 (「家」と呼んでおこう)同士の間で 行なわれる交換である。 家同士で象牙、動物などがやり取りされるのである。
2008年のリヴァのシンセキの間で しばしば話題になっていた豚がいる。 ある豚が東から西へ移動したというのである。 物語は親族の語りに満ちていた--- 関与する親族関係の確認、 いま行なわれている婚資の交渉の詳細、 どの過去の婚資の交渉が 今回の婚資に関与するのかについての論争、などなど。 エンデの人びとが最も得意とし、 そして最も喜ぶ類いの語りである。
しかしながら、 それらの親族の語りを削除して、 豚の動きだけに限定して物語を整理すると、 それは非常に単純な物語である。 要するに、 (1) ズパドリ村の東側の村に住む親族から、 ある豚がリヴァの家へ贈られた、 そして、 (2) その豚は、リヴァの家から、 西側の村へ贈られた--- それだけの物語である。
関連する親族語りの面白さのゆえにだろうか、 この豚の物語はさまざまな人物によって 語られた。 わたしは出来得る限りの数の物語のバリアントを収集し、 記録した。 親族語りはさまざまに変異するものの、 基本的な豚の流れに変化はなかった。 ある豚が東からズパドリ村へ、 そしてズパドリ村から西へ運ばれただけなのである。
数日して、
フィールドノートを眺めているうちに
わたしは、
数人の人の語った興味深いバリアントを発見することになった。
その中で、豚は一匹ではなく、
二匹いるのである。
このバリアントの話者は、(1) と (2) の出来事の間に
第3の出来事を挿入しているのである。
リヴァの家に運ばれた豚は、
じつはズパドリ村の別の村人によてマザされていたのである。
数日後にその村人はリヴァに豚を、
互酬性のゲームの中にある限り、 二頭の豚は、あたかも一頭の豚として語られるのである。
贈り物は、このように、しばしば短い間に 家から家へと移動する。 一日に3軒、4軒と移動することも稀ではない。
村人に、自分が与えた豚がめぐりめぐって また自分に戻ることがあるのかを聞いてみた。 「それはタブーである。 自分が与えたものを受け取るわけにはいかない」と 彼女は、即座に、答えた。 しかし、 「だけどね、途中で売り買いが入ってれば別だよ」 と彼女はつけ加えた。 A が B に豚を贈り、B が C にその豚を贈り、 C が D にその豚を贈ったとする。 D はその豚を A に贈ることはできないのだ。 しかし、例えば、C から D に豚が移動するとき、 それが売り買いであったならば、 D はその豚を A に贈ってもいい、というのである。 たとえ一頭の豚であっても、それは二頭の豚と 数えられることとなるのである。
互酬性の交換は人を結びつけ、 等価交換は人を切り離す。 交換の鎖は、そして交換を通して築きあげられる 人と人との鎖は、等価交換によって切り離されるのである。 エンデにおいて「買う」ということば、 「ンブタ」という言葉が「切る」という意味をも 持っていることは示唆的である。
互酬性と等価交換の二つの原理の対照は エンデの社会生活のあらゆる領野に浸透している。 それはモノの交換だけに限らない。 共同作業を例に取ろう。 ソンガ songgaと呼ばれる共同作業がある。 多くの人手を必要とする農作業 (たとえば種蒔きだとか収穫だとか)の時に採用される方法である。 明日種蒔きを予定している世帯は、 村人や、近くの村のシンセキや友人に人をやり、 「明日ソンガがあるから、来てくれ」と依頼する。
「もし、ソンガに誘われて行かなかったらどうなるんだ?」 という私の質問に、 ある村人は次のように答えてくれた--- 「そのうち、遅かれ早かれ、 お前がソンガを必要とするときに、 来てくれる人がいなくなってしまうよ」と。 ソンガの原理は互酬性なのだ。 ソンガに来てくれた人がいつ来たのかとか、 何時まで働いたのかを記録するホストはいない。 朝早く来るものもいれば、 昼過ぎから来るものもいる。 昼めしはホストが用意し、 畑で提供する。 夜は、ホストの家に働いたすべての人間が集まり、 宴会となる。 しばしばモケ(椰子酒)が振る舞われる。
ソンガと対照的な共同作業に 「クマ・ギジ kema girhi」と 呼ばれる方法がある。 「ギジ」は、おそらくインドネシア語、「ギリラン」からの 借用語であろう。 「ギジ」あるいは「ギリラン」は「順番」という意味である。 「クマ・ギジ」は「順番の仕事」と訳すことができる。 このタイプの共同作業は 「クロンポック」(インドネシア語)と呼ばれる 自助グループを単位に行なわれる。 クロンポックは1980年代になって組織された組合である。 1980年代は外部からの援助が盛んにフローレス島に 導入され始めた時期である。 地方政府は援助金を受け取り、 その管理に責任を持つ単位として自助グループを作成するよう、 援助金を受け取る各村落に命令した。 かくしてできあがった自助グループが クロンポックである。 ちなみに、ズパドリ村には二つのクロンポックが存在する。
クマ・ギジは同じクロンポックの成員の間で 「順番」に行なわれる共同作業である。 クマ・ギジの各回において、 クロンポックの成員はその日のホストの畑に、 朝8時ちょうどに集合する。 昼食は提供されないので、 各自が弁当を持参しなければならない。 仕事は昼休みを挟んで夕方の4時まで行なわれる。 仕事が終わると、 それぞれが自分の家に帰宅する。 ホストの家での宴会はない。
クマ・ギジが基づく原理は 等価交換である。 たとえば、 次のようなクマ・ギジのルールから、 互酬性との対照が明瞭になるだろう--- クマ・ギジに参加できない場合、 成員は25000 ルピアの罰金を払わなければいけない、 というのだ。 別の言い方をすれば、 罰金を払ってしまえば、 クマ・ギジに参加する必要はなくなるのである。
ソンガにおいて、 そしてマザにおいて問題とされているのは 社会関係である。 クマ・ギジにおいて、 そしてペッイにおいて問題となっているのは 負債の関係である。 換言すれば、 ソンガとマザの制度を支えているのは 「信用」(confidence)であり、 クマ・ギジとペッイの制度を支えているのは、 「信頼」(trust) [luhman-confidence] なのである。 信頼とはあなたが負けるかもしれない賭けである。 それは常に「リスク」と表裏一体のものなのだ [luhman-confidence]。 信頼のゲームでは、 (クマ・ギジやペッイで明らかなように) 常に数えること、記録することが重要になる。 なぜなら、信頼には、 つねに裏切りの可能性があるからだ。
信用のゲームは対照的である。
マザとソンガの描写から分かるように、
人は数えることも、記録することもしない。
近い将来に、
この二つのゲームこそが、 わたしが冒頭に示唆した「バイリンガリズム」という 言葉で意味したものである。 エンデの村人たちは、日々の生活を、 二つの「言語」を使用しながら生きているのである。 彼女らは場面に応じて、 言語を切り替えるのだ。 マザ、贈与そしてソンガの脈絡では、 彼女らは信用と互酬性の言語、 すなわち伝統の言語を喋る。 一方、 ペッイ、売り買いそしてクマ・ギジの脈絡では、 彼女らは信頼と等価交換の言語、 近代の言語を喋るのである。
発動機の物語に戻ることとしよう。 問題の発動機は 「フータン・ラキャット」(「国民の森」)と呼ばれる、 森林局による一種の開発援助計画の産物である。 「フータン・ラキャット」の目的は、 「耕されていない」土地に 商業価値のある植物を植えることを促進することである。 このプログラムに興味のあるグループ(クロンポック)には、 50ヘクタール以上の土地を用意し、 50人以上の成員を集めることが求められた。 この条件を満たし、 森林局の地方役所に申請書を提出すれば、 マホガニーとカシューナッツの苗が無料で そのグループに提供される。 さらに、政府は、 苗を植える人びとに手間賃として、 一人一日2万ルピアを払うというのである。
このニュースを聞いたズパドリ村の人びとは、 まずズパドリ村にあった二つのクロンポックを融合して、 十分な大きさの新しいクロンポックを結成した。 さらに村のモサザキ(土地の儀礼的所有者)の一人に、 十分な大きさの土地を 「公共の利益のために」提供するよう説得した。 かくして課された条件(十分な土地と十分な人数) はクリアされたわけである。 最後に、 数人の教育のある人間が選ばれて、 申請書を作成した。 申請書は受理され、 苗が村に届いた。 事前に同意されていたのだが、 一人あたり一日に払われるお金は、 当人には渡されず、 クロンポックの口座に入金された。 このお金を使って、村の発動機が購入されたのである。 すべてが順調に進み、 2007年に発動機が村に届けられた。 そして電気が村人の手に入ったのである。 そうして、2008年9月のあの集会の時がやってきたのである。
上述の記述から明らかなように、 発動機に関わる事柄は近代の言語、 信頼と等価交換の言語で語られるべき事柄である。 それは開発に関わる事柄であるのだから。
クマルは伝統の言語の熟達した話者である。 じっさい村人は誰もが伝統の言語の熟達した話者である。 クマルは、しかしながら、 近代の言語に精通した男ではなかった。 彼の努力はわたしも認める。 じっさいクマルは 彼がそれ迄ほとんど喋ったことのないインドネシア語を喋り、 出きるかぎり「記録し」そして「数え」あげていた。 残念なことに、 彼はもっとも本質的な部分で失敗していたのである。 もしある世帯が月極めの料金を支払っていなかったら、 彼はそのように記録すべきだったのである。 そうする代わりに、 彼は、その世帯があたかも料金を支払っているかのごとくに、 ちょうどマザの場合のように、報告をしてしまったのだ。 彼は近代の言語、等価交換と信頼の言語を喋るべき場所で、 伝統の言語、互酬性と信用の言語を喋ってしまったのである。
取引が信用の脈絡で起きている限り、 それは伝統の言語で語られるのだ。 伝統の言語の中で行なわれる取引において、 豚は豚なのだ。 人びとは互酬性と信用の生活を送っているのである。 舞台が変わり、開発のアリーナとなるとき、 たとえば発動機をめぐる集会という場になった時始めて、 人びとは言語をスイッチする。 近代の言語、 等価交換と信頼の言語が喋られるのである。
村人たちはバイリンガルなのである。 もちろん、 達者なバイリンガルもいれば、 そうでない者もいる。