HOME>>人類学>>講義ノーツ>>引用と人生



第7章 「クピは世界一高い山か?」---信念と知識

中川 敏

1 はじめに
1.1 ゲームの外側はない

2 学校者と出稼ぎ者
2.1 伝統の知識
2.2 近代の知識
2.3 ドルゼ
2.4 再びエンデへ
2.5 伝統と近代

3 知識と信念
3.1 知識の古典的理論
3.2 基礎付け主義
3.3 外在主義
3.4 オースティンと濱本と中川
3.5 中川

4 知識と信念

5 枠組と内容

6 事象様相と言表様相

7 まとめ

Draft only ($Revision$ ($Date$)).
(C) Satoshi Nakagawa
Do not quote or cite without the author's permission.
Comments are welcome


[PREV: 第7章:地と図] [TOC] [NEXT: 第9章:社会の危機]

1. はじめに

1.1 ゲームの外側はない

人はその時になっているゲームを 生きている。 それがゲームであることに気がつかない。 典型的な単相状況である。 地となっているゲームは_MARK(自然)なものであり、 意味に満ちたものなのだ。 人はそのゲームにのめりこんでいるのだ。 彼女は(として提示された)ゲームを ゲームとして(すなわち、一抜けて)見ている。 彼女は自分はゲームの外にいると思っている。 しかし、 その立場いつでも引用符に入れられるものなのだ。 _MARK(デリダ)という哲学者「テクストの外側はない」と 言った [1] という。 かっこういいので、 その言い回しを拝借したい--- ゲームに外側はないのだ。

2. 学校者と出稼ぎ者

さて、 「図と地」の概念をわたしたちの議論に導入することの 有意義さは納得してもらったこととしよう。 つづいて、図と地の概念を、 ひとつの民族誌の解釈に適用してみたい。 とりあげる例は私自身の昔の論文の 引用論による言い換えである。 [2]

取り上げる論文は 「学校者と出稼ぎ者」 [中川 1999]である。 この論文で焦点をあてられるのは、 _MARK(出稼ぎ)を契機にした フローレス島の_MARK(エンデ)のある村での伝統と近代という 二つのゲームの_MARK(せめぎあい)である。

2.1 伝統の知識

わたしの調査した村を含めた いくつのかの村は ひとつの「儀礼共同体」、 _MARK(タナ・ゾゾ)に統合される。 タナ・ゾゾの_MARK(起源神話)は 次のようなものである。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

・・・・・ 【バンゴ先生、クピ村への訪問】 ・・・・・

簡単に言えば、 「_MARK(クピ)(地名)が世界一高い山である」 (そしてそこから世界中の民族が発生した)ということ だ。

2.2 近代の知識

・・・・・ 【坂道でのガスパ先生との会話】 ・・・・・

_MARK(学校)では 「クピは決して世界一高い山ではない」と教えているの だ。

エンデの村では、いわば、 二つの矛盾する教えが_MARK(共存)しているのである。 エンデの村人の_MARK(合理性)を維持したまま、 この共存をどのように説明すべきか、 これが論文で取り組んだ問題である。

2.3 ドルゼ

この問題を分析するにあたり、 わたしがまず最初に採用した議論は、 _MARK(スペルベル) [スペルベル 1979 (1975)] の象徴的知識に関する議論である。 スペルベルが_MARK(ドルゼ)の民族誌からもちだした 疑問は概略次のようなものである: _MARK(ドルゼ)の人びとは (1) 豹はキリスト教徒であり、 安息日には断食すると言う、そして (2) その安息日に彼らは豹の襲撃を恐れているのだ。

この矛盾を解くために、 彼は2つの種類の_MARK(知識)を区別する。 すなわち、 「豹は安息日に断食する」に代表されるような 象徴的知識と、 「豹はいつでも狩をする」に代表されるような 百科全書的知識である。 彼の結論は、 象徴的知識は引用符に囲まれて 百科全書的知識になる、ということである。 豹の例で説明すれば、 「『豹は安息日に断食する』と祖先が言った」となる。 これは百科全書的知識である。 この命題は 「豹はいつでも狩をする」と矛盾はしないのである。

2.4 再びエンデへ

この_MARK(スペルベル)の議論を、 しかしながら、直接にエンデの事例に 適用ができない、という点がわたし自身の議論の 出発点となる。 なぜなら、 (もちろん、 象徴的知識が引用符に囲まれる事例もあるのだが) しばしば象徴的知識ではなく、 百科全書的知識が引用符に囲まれているからなのだ。

2.5 伝統と近代

わたしが辿りついたのは 次のような結論である: (1) 二つのゲームがある。 (2) 会話状況のなかでどちら一つが になり、 どちらか一つがになるのだ。 図となったゲームの言明が引用符で囲まれる。 2つのゲームを _MARK(伝統)の言語ゲームと 近代の言語ゲームと名付けよう。 あるときは伝統が地になり_MARK(近代)が図となる: 「クピ山が世界一高い山だ」と祖先はいった。 あるときは近代が地になり伝統が図となる: 「クピ山は世界一高い山ではない」と先生が言った、と。

地になっているゲームは生きられている (人びとがのめりこんでいる)ゲームであり、 人びとは図になっているゲームからは 一抜けているのだ。 地になっているゲームはそれがゲームとしては 意識されていない。

3. 知識と信念

3.1 知識の古典的理論

・・・・・ 【JTB】 ・・・・・

3.2 基礎付け主義

・・・・・ 【感覚印象】 ・・・・・

・・・・・ 【「所与の神話」】 ・・・・・ [sellers-empiricism-j]

・・・・・ 【1963年の Gettier の論文】 ・・・・・

[gettier-jtb]

スミスの (b) は JTB であり、 知識であるべきだ。 しかし、知識とは言えない。

3.3 外在主義

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

3.4 オースティンと濱本と中川

・・・・・ 【知識の日常的意味】 ・・・・・ 、 ・・・・・ 【「間違った知識」】 ・・・・・

[austin-truth] [hamamoto-wager]

3.5 中川

4. 知識と信念

知識と信念という言葉をつかって、 これまでの議論を言い換えたい。 ・・・・・ 【JTB】 ・・・・・

わたしの言いたいことは、 もちろん、地が知識であり図が信念である、という ことではある。 ポイントは、 知識が問題になるのは、 飽くまで信念が問題になった時点でのことだ、 ということである。

地は図があってはじめて地として意識される。 図がなければそれは地でさえないのだ。 それは単相状況・複相状況の議論とも重なる。 単相状況の 「ウサギだ」をアスペクトは言わない。 複相状況、すなわち 「アヒルだ」と出会ったとき、 はじめて「ウサギだ」が 「ウサギに見える」「アヒルに見える」」となる ことにより、 アスペクトが浮上してくるのでる。

同様に、 _MARK(知識)はそれが地であるあいだは 知識でさえないのだ。 他の_MARK(信念)の出会うとき、 はじめて知識として意識される。

オースティンの「真理」 [austin-j-91a]のペーパーを、 この議論の脈絡にあうように_MARK(翻案)して 紹介したい。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

5. 枠組と内容

相対主義の批判としてデイヴィドソンの 「概念図式という考え方そのものについて」 [davidson-scheme] について前の論文で 言及した。 ここで批判の対象になるのは _MARK(枠組と内容)という二元論である。 そしてこの批判を、 わたしは正しいと思っている。

ゲームの外側をあれこれ言う者は、 この二元論に与しているのである。 枠組の向こう側(ゲームの_MARK(外側))に _MARK(内容)がある、という考え方である。 たとえばウサギゲーム、 アヒルゲームの外側に、 インクの染みとしての形(内容)がある、という 考え方である。 野矢は言う:「インクの染みもまた アスペクトである」と(出典不明)。 [3]

6. 事象様相と言表様相

「ゲームの外側はない」という考え方に 貫かれたのが 『言語ゲームが世界を創る』 ( [中川 2009])である。 最終章で展開される 「事象様相(デ・レ)はない」という宣言こそ、 「ゲームの外側はない」という宣言なのである。 すべてが言表様相(デ・ディクト)であるとは、 すべての言明が潜在的に引用符に囲まれる得る、 すなわち「不透明な文脈」を提供する、という ことなのである。

7. まとめ

_MARK(呪術)の脈絡に照らし合わせながら、 ここまでの議論をまとめておこう。

流用・先住民の叡智の二つともに、 言及だけの引用、 すなわち ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

homology には堕落の項が欠けていた。 図と地の議論を通して わたしが指摘したかったことは、 堕落とはもう一つの_MARK(平穏)なのだ、ということである。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

「よろめき型」を語り直してみよう。 こうなる。 平穏の状況とは地だけの状況である(単相状況)。 _MARK(ためらい)で図が浮かびあがってくるのだ (複相状況)。 堕落するとは、 図が地になってしまう状況のことである。 いままでの地が消えてしまうが、 いままでの図が全てを覆うわけなので、 けっきょく地だけの状況、 すなわち単相状況となるのだ。

これまでの時点の議論を補足して、 表 homology を 完成させよう。 表 complete を 見よ。

よろめき型平穏出会い誘惑堕落
モーム型平穏興醒め疑惑熱中
アスペクト論単相複相(アスペ クト)複相(相貌)単相
引用論使用言及使用と言及使用
ゲーム論のめり込むいち抜け る遊ぶのめり込む
記述原住民旅人人類学者原住民
修辞主張文パロディアイロ ニー主張文(嘘)
表 アスペクト論と引用論(完成版)

なお最終列(修辞)は、 次の節で扱う議論を先取りしたものである。


[PREV: 第7章:地と図] [TOC] [NEXT: 第9章:社会の危機]

Bibliography

[austin-truth] J. L. Austin.
Truth. In Philosophical Papers, pages 117-133. Oxford University Press, Oxford, New York, Toronto, Melbourne, third edition, 1979.
[davidson-scheme] Donald Davidson.
On the very idea of a conceptual scheme. In Inquiries into Truth and Interpretation, pages 183-198. Clarendon Press, Oxford, 1984 (1974).
[gettier-jtb] Edmund L. Gettier.
Is justified true belief knowldedge?. Analysis, pages 122-123, 1962/63.
[austin-j-91a] オースティン, J.L.
真理. In アームソン, J.O. and ウォーノッ ク, G.J., editors, オースティン哲学論文集, pages 183-208. 勁草書房, 1991.
[sperber-symbolism-j] スペルベル, D.
象徴表現とはなにか. 紀伊国屋書店, 1979 (1975).
[nakagawa-merantau] 敏 中川.
学校者と出稼ぎ者:エンデの遠近両用眼鏡. 国立民族学博物館研究報告, 23 no. 3 pp. 635-658, 1999.
[nakagawa-gengo] 敏 中川.
言語ゲームが世界を創る. 世界思想社, 2009.
[hamamoto-wager] 浜本 満.
信念と賭け:パスカルとジェー ムズ. 九州大学大学院教育学研究紀要, 10 pp. 23-41, 2007.

* * * * *

ENDNOTES

[1] 引用源を示すことさえできないほどに いい加減な知識だが、 許していただきたい。 [Back]

[2] 論旨はかわっていない。 [Back]

[3] 野矢は枠組と内容の二元論に 対して、 相貌(これはアスペクトの謂いである)と 力の二元論を主張する [340: 野矢 2011]。 わたしにはまだ「力」ということばで 野矢が何を意味しようとしているのか分からない。 [Back]