1 序
1.1 これまで---文化論的独我論まで
1.2 ポイントとキーワード---エピファニーの時をもとめて
2 アスペクト盲から則天去私の共同体へ
2.1 アスペクト盲
2.2 認識論から存在論へ
2.3 アスペクト盲に皮肉は通じない
2.4 アスペクト盲にとっての約束の不可能性
2.5 独我論は純粋の実在論である
2.6 則天去私の共同体
3 教えること
3.1 やかんと子ども
3.2 ピュシスとノモス
3.3 観点の二重化
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(C) Satoshi Nakagawa
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この講義のテーマは 相対主義である。
まず直前の議論をまとめておこう。
じっさいの議論の順番とは 違う順番で語ろう。 ウィトゲンシュタインの 論理空間の議論から始める。 それは思考し得るものの総体である。
この章以降の議論のより大きな道筋を、 まず、提出しておこう。 第1部を思い出していただきたい。
・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
問題を言い換えればこうなる: あたらしい実験的民族誌の書き方として、 わたしはローティの反反自民族中心主義を基礎に 据えた書き方を提唱した。 そこでも「あまりに茫漠とてしている」という 不満を感じた人がたくさんいた筈だ。 ただし、その不満自身が茫漠としているという 問題があった。 いまこそその不満を明晰に述べることができる だろう--- 「反反自民族中心主義から出発して、 いかにして異文化へ至ることができるのか」、 これが不満である。
これから行なうのは、 わたしの立ち位置、全体論から帰結した 文化論的独我論からの、 異文化への道の探求、 エピファニーの時を求める旅の第一歩である。
・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
自ら築いた要塞ではあるが、 文化論的独我論の要塞は堅固である。 脆く見える箇所が一箇所ある。 それは 「一つの規則空間、すなわち文化の中では すべての成員の間で100パーセント のコミュニケーションがなりたつ」という 箇所である。 この結論は、あまりに わたしたちの知っている現実と乖離している、 という感想をだれもが抱くだろう。 ここを要塞を決壊させる起点としたい。
まず「すべての成員で 100パーセントのコミュニケーションが成立する 状況」について考えることから始めたい。 「じょじょに」には 譲歩しない、という基本方針を貫く。
・・・・・ 【多視点的民族誌】 ・・・・・
論理空間あるいは それに基づく言語論的独我論は、 前期ウィトゲンシュタイン、 すなわち 『トラクタートゥス』のウィトゲンシュタインの 議論である。 そして、 わたしは (後期ウィトゲンシュタインに由来する) アスペクト論をそれ (論理空間)に接木することによって 規則空間としての文化、そして 文化論的独我論を主張した。 もしかしたら、 後期ウィトゲンシュタインに対して 忠実でないかもしれない点は、 わたしが「水源地モデル」 (この語自身は野矢による)を 否定したことになる。 これが前節までの学説史的解説となろう。
・・・・・ 【後期ウィトゲンシュタインを、 とりわけアスペクト論を見ていこう】 ・・・・・
・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
ウィトゲンシュタインは アスペクトの考え方を導入した後、 つぎのような 面白い思考実験を わたしたちに迫る--- 「アスペクトを 把握できない人を想像せよ」と。 このような人をウィトゲンシュタインは アスペクト盲と呼ぶ。
アスペクト盲を、 わたしたちがこれまで使用してきた 野矢の言葉に言い換えれば 「複相状態を把握できない人」 あるいは「単相状態だけで生きている人」 となるだろう。
この野矢用語への言い換えで 明らかなように、 「アスペクト盲」とは、 (ウサギアヒルの例を使えば) アヒルが見えないとか ウサギが見えない人の謂いではないことに 注意する必要がある。 彼はウサギは見えるのだ。 しかし、アヒルを見ることがない、 そのような人である (あるいは、もちろん、その逆でもよい)。
「ウサギが見えるのなら、それは アスペクト盲ではないだろう」と言う人が いるかもしれない。 そうではない、アヒルに見ることが できない限り、 彼はアスペクト盲である。 わたしの出した信念文の議論を思い出そう。
・・・・・ 【単相状態は存在論、 複相状態は認識論】 ・・・・・
・・・・・ 【複相状態は旅人の言明】 ・・・・・
アスペクト盲、 あるいは単相状態の人間にとって ウサギはアスペクト あるいは「見え」ではないのだ。 それは存在なのだ。
・・・・・ 【アスペクト盲にとって皮肉は意味(ア スペクト)の反 転ではない。それは存在の変身、 出来事の変身、 世界の変身であ る。誤解も同様である。】 ・・・・・
・・・・・ 【アスペクト盲とは「意味盲」と言って もよい。】 ・・・・・
ウィトゲン シュタインが意味盲に対して、それは色覚異常のよ うなある種の感覚の欠如した者ではなく、 むしろ 精神薄弱 に類することなのだと言うのも、それゆえで あるだろう。[ noya-tasha-bunko ]
さらに議論をすすめよう。
・・・・・ 【単相状態は存在論、 複相状態は認識論】 ・・・・・
・・・・・ 【複相状態は旅人の言明】 ・・・・・
・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
ビーティ [ beatty-emotions ] 感情の人類学的研究に関して は次のように不満をもらす--- 構築主義者(わたしたちの言葉で言 うところの相対主義者)はしばしば感情を説明す るだけではなく、 説明し尽く (``explain away'') して しまうというのだ、と。
5.0.1 バイニンのアヴンブック
・・・・・ 【 [ fajans-85 ]】 ・・・・・
5.0.2 ジャワの恥
・・・・・ 【 [ geertz.h-59 ]】 ・・・・・