2 序
2.1 人類学、理解、科学、芸術、遊び
2.2 芸術と遊び
2.3 科学と遊び
2.4 流れ
3 人類学と異文化理解---複相把握
3.1 独我論と自閉症
3.2 アスペクト把握
4 人類学と修辞---引用
4.1 呪術へのためらい---異文化の見えるとき
4.2 ウサギかアヒルか---アスペクトと相貌
4.3 引用論
4.4 異文化、ゲーム、虚構---虚構を怖がる
5 これから---なぜ模型
5.1 『表象と介入』との出会い
Draft only ($Revision$ ($Date$)).
(C) Satoshi Nakagawa
Do not quote or cite without the author's
permission.
Comments are welcome
この本のテーマは「模型」である。 「模型」について人類学的に議論をしてゆきたいのだ。 いささか「模型」というテーマ設定が 奇異に響くだろう。 この章は「なぜ模型なのか」について、 すなわち、 模型をより大きな脈絡に置くことを 目的とする。 「より大きな脈絡」を説明するために、 この章ではわたしの(中川の) ここ数年の作業を紹介することとしたい。
人類学の一つの大きな目標は 生活世界における理解を解明することだと わたしは思う。
・・・・・ 【社会の分類】 ・・・・・
科学と芸術が、とりわけて、 西洋近代にあらわれるとするならば、 人類学が優先的に扱う「伝統社会」で それら(科学と芸術)に相当する領域は何であろうか? ひとつのポイントは(モース [Mauss 1990 (1950)] による) 「全体的 社会的事実」という考え方である。 すなわち近代社会は、 各領域(経済、政治その他)に分かれているのに 対し、 「伝統的社会」においては それらの領域への分化は起きていない、という 考え方だ。 モノのやり取りは、近代社会においては 経済という領域に限定されるが、 伝統的社会においては 経済的見地のみならず、 政治的、儀礼的、その他の見地からも 考えなければならないのだ。 これが「全体的社会事実」の教えである。
・・・・・ 【「民族誌世界」】 ・・・・・
なお、わたしの中では 芸術と遊びは区別されていない。 芸術は西洋近代にあらわれた 遊びの一種であり、 それはある制度 (それは社会的なもの かもしれないし、 理念的(アイデオロジカル)なものかもしれない) をともなっている。 芸術について考えるとは、 西洋近代に特殊なこの「ある制度」
・・・・・ 【『言語ゲームが世界を創る』 [中川 2009]】 ・・・・・
・・・・・ 【要するに】 ・・・・・
2014年に相対主義の授業をした。 その骨子を 「異文化の見つけ方」 [中川 2015]として 発表した。 2015年は引用についての 授業だ。 その骨子は 「引用と人生」 [中川 2016]として 発表した。 2016年は 「異文化の遊び方」(あるいは人類学と美学)の 授業をした。 その骨子は [中川 (印刷中)]として 発表予定である。
今年度は とつぜん具体的なテーマ、 「模型」になるが、 「模型」の意味、 理論的な意味については次の講義で詳しく 述べる。
今回の講義は、 今年の講義を聞くために 必要な知識、 これまでの三年間の授業で 展開した議論の中から知らなければ 今年の講義が理解できない三つの概念を 説明したい。
・・・・・ 【模型をめぐる】 ・・・・・
・・・・・ 【ガイド・マップ】 ・・・・・
1 | 2 | 3 | 4 | |
DD | 自文化(概念図式) | 理解 | 異文 化/気づかない | |
LW | 独我論 | 我(論理空間) | 他者/語り得ぬも の | |
自閉症 | わたし | 他者 | ||
ふつうの人 | わたし | 否定性 | 他者 | |
単相 | 複相 | 単相2 | ||
確信 | 信念 | 確信 | ||
自文化 | 浅い理解 | 深い理解 | 異文 化 | |
単相 | 浅い複相 | 深い複相 | 単相 2 | |
引用 | 引用なし | 言及 | 引用 | 使用 |
鑑賞 | 現実世界 | 劇の外から | 劇の内か ら | 虚構世界 |
よろめき | 平穏 | 出会い | 誘惑 | 堕落 |
もともとは「人類学原論」とでも 言うべき問題意識から始まった。
「概念枠組」あるいは 「概念図式」という語が、 この立場を代表する用語であろう。 ・・・・・ 【レンズなど】 ・・・・・
1 | 2 | 3 | 4 | |
DD | 自文化(概念図式)(則天 去私) | 理解 | 異文 化/気づかない | |
LW | 独我論 | 我(論理空間) | 他者/語り得ぬも の | |
自閉症 | わたし | 他者 | ||
ふつうの人 | わたし | 否定性 | 他者 | |
確信 | 信念 | 確信 |
さいしょに紹介するのは、 最も重要である「複相把握」の概念である。
めでたく人類学者は異文化理解を手に入れた。
しかし、考えてみれば、 ま・異文化理解があることは、 もともと当たり前だった。 それでは人類学者の「異文化理解」と、 例えば、旅人あるいは19世紀植民地官僚の 「異文化理解」に違うところがあるのか。 ともに、例えば「エンデ人は妖術師の存在を 信じている」という報告を書くだろう。 けっきょく同じなのか?
議論は、まずは「信じること」について 考えることから始まった。 そこであらわになったのは、 「信じる」のは曖昧な状況だということだ。
1 | 2 | 3 | 4 | |
独我論 | 否定性 | 他者 | ||
確信 | 信念 | 確信 |
まだ人類学者と旅人の区別はついていない。
1 | 2 | 3 | 4 | |
独我論 | 否定性 | 他者 | ||
単相 | 浅い複相 | 深い複相 | 単相2 | |
単相 | 複相 | 相貌 | 単相2 |
「全体論」というそれなりのキー概念は 紹介されたが、 あなたは、 それでも)「浅い理解(浅い複相把握)」と 「深い理解(複相把握)」というペアには、 とってつけたような感じを抱くかもしれない。 このペアが理論的な対立に基いているもので、 印象主義的なものではないことを、 「引用」という現象に注目して示していきたい。
1 | 2 | 3 | 4 | |
単相 | 浅い複相 | 深い複相 | 単相 2 | |
引用 | 使用 | 言及 | 引用 | 使用 |
1 | 2 | 3 | 4 | |
単相 | 浅い複相 | 深い複相 | 単相 2 | |
引用 | 使用 | 言及 | 引用 | 使用 |
修辞 | パロディ | アイロニー | ||
ゾロリ | まじめ | ふまじめ | まじめ にふまじめ | まじめ |
・・・・・ 【往復運動としての複相把握】 ・・・・・
1 | 2 | 3 | 4 | |
引用 | 使用 | 言及 | 引用 | 使用2 |
言及と使用2の往復 | ||||
遊び | 現実世界 | 外から見る | 内か ら見る | 遊びの世界 |
演劇 | 現実世界 | 太郎 | 猿 | 桃太郎の世界 |
絵画 | 現実世界 | 絵というモノ | 鑑 賞 | 虚構世界 |
科学に関しては 二種類のリアルなモノが考えられる、と ハッキングは言う。 ひとつは現象であり、それは「生起」するという 意味で実在(リアル)であり、 もうひとつは理論であり、それは 「正しい」(少なくとも正しさを目指している)という 意味で実在(リアル)である [ハッキング 1986: 418]。 そして彼は次のように続ける--- 「モデルは中間的なものであり、実在的な現象からある 側面を吸い上げ、数学的構造を単純化することで、その 側面を現象を支配する理論に関連づける」 [Hacking 1983: 418]。