2 グローブとスフィア
2.1 グローブ自然観
2.2 スフィア自然観
3 フッサール『ヨーロッパ諸学の危機…』あるいは数量化
3.1 自然の新しい理念
3.2 ガリレイとデカルト
4 大森荘蔵
4.1 ガリレイの錯誤---第一性質と第二性質
4.2 第一性質と第二性質
4.3 ガリレイの錯誤
4.4 主格いり混じった景色から風景へ
5 三つめの環境主義を求めて
5.1 二つの環境主義
5.2 それぞれの問題点
5.3 三つ目の環境主義
5.4 使用上の注意
6 アイスランドのサーガ
6.1 前産業化時代の漁業
6.2 産業化時代の漁業
6.3 環境主義の時代の漁業
6.4 まとめ
Draft only ($Revision: 1.7 $ ($Date: 2011-12-01 10:46:42 $)).
(C) Satoshi Nakagawa
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わたしがまず展開する「自然の離床」のアイデア自身は 新しいものではない。 「われわれが自然の一部だということを忘れてしまっている」 などという言い回しは、 環境保全を訴える新聞記事などにあふれているだろう。 この言い回しはわたしの言う「自然の離床」に言及しているのである。 A・エスコバルの 「自然のあとで」を見てみよう。 その論文において、 彼は自然を三つに分類する--- (1)有機的自然、 (2)資本主義的自然、 そして、(3)テクノ-自然である。 [escobar-after-nature] 有機的自然の特徴を彼は次のように言う--- 「有機的自然制度 (regime) を定義づける特徴は、 自然と社会が分離していないことである」 [escobar-after-nature: 7]と。 有機的自然制度を持つ社会を P・デスコーラは 「自然の社会」 Societies of Nature) という。 デスコーラは次のように語る--- 「そのような『自然の社会』においては 植物や動物、その他の物は 社会・経済的な一つの共同体に属し、 人間と同じ規則に従っているのである」 [descola-constructing: 14]と。
資本主義が、そしてある種の人間観が、 そして近代が、 自然と社会を分離するにいたる、と エスコバルは説く [escobar-after-nature: 1]。 彼の説く因果論は混乱しきっており、 何が何の原因かは全く示されず、 ただ印象主義的な語り方に終始している。
この節の目的は、 精密に、どのようにして自然が社会から分離 (わたしの言葉で言えば「離床」)したのかを 測定することにある。
近代の「自然」が先鋭的な形で現れている 一つの領域に環境主義の言説がある。 T・インゴールド [ingold-globes] は、 環境主義の言説にしばしば現われる 「グローブ(地球)」 (globe)としての環境に着目する。 そして、それを「スフィアー(玉)」(sphere) という言い回しに 対照することによって、 それぞれの語の表現する二つの種類の自然観を抉り出す。
「グローブ」という言葉が表現する自然観は、 西洋近代に特徴的な自然観である、と彼は主張する。 「グローブ」という言葉が想起する二つの典型的な場面を 考えてみよう--- (1)教室で地球儀を持つ子ども、 そして (2)宇宙船から地球を眺める宇宙飛行士である。 どちらの状況においても、 「グローブ」は自分から離れて存在する物体なのだ。 「グローバルな環境は生活世界 (lifeworld) ではない。 それは生活から分離した世界なのである」 [ingold-globes: 209--210]と彼は言う。
「グローブ」に対照させるに、 インゴールドは「スフィア」 (sphere) という用語を取り上げる。 非西洋あるいは近代以前の西洋に見られる 「スフィア」としての自然観を、 彼は図像などを頼りに分析していく。 そして、 「われわれは スフィアとしての自然の中に住んでいるのである」 と結論するに至るのである。
彼は、 「環境」 (environment) と 「自然」 (nature) という語にも同じような対立を指摘する。 すなわち、 われわれは環境の中に生活するが、 われわれは自然の外に生活するのだ、と。 [ingold-culture-nature]
「離床」という言葉で、 とりわけ、 「自然の生活世界からの離床」という言葉で わたしが言いたいのは、 「グローブ」という語で表わされる生活からの分離なのだ。
タンバイアの議論を受け入れた上で、 いかにして「因果論的」な世界への態度が、 「融即的」な世界への態度から生じるに至ったのかを、 すなわち、 いかにして自然が生活世界から離床したのかを、 見ていくこととしよう。
近代における「自然の離床」について 詳細に述べたのは E・フッサールである。 『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 [husserl-krisis-j] の中で、 フッサールは、 「実在としても理論としても それ自体完結し、一つに包 み込まれた物体界として自然を見るような 「自然」の新しい理念のとらえ 方が、ただちに世界一般の理念の完全な変更をひき起こした」 [husserl-krisis-j: 85--86]と 主張する。 われわれの言葉で言えば、 「それ自体完結した物体界としての自然」は、 「離床した自然」の謂である。 そのような「自然観」の成立以前の「自然」は、 「環境」あるいは「生活世界に埋め込まれた自然」の謂である。
このような「二つの世界」への「分裂」を 引き起こしたのものは、 ガリレイ、 デカルトに始まる「数量化」である、 と彼は結論する。
. . . ガリレイは、幾何学と、感性的な現われ方をし、かつ数学化されう るものから出発して世界に眼を向けることによって、人格的生活を営む人 格としての実体を、またあらゆる意味での精神的なものを、さらに人間の 実践によって事物に生じてくる文化的な諸性質を、 すべて捨象する。この ような捨象の結果、純粋な物体的事象が残り、 それが具体的実在性として 受けとられ、その全体が一つの世界として主題化される。ガリレイによっ てはじめて、それ自体において実在的 に完結した 物体界としての自然という理念が現われてくる。 [husserl-krisis-j: 85]
ガリレイこそが世界を数学的に見れるものだけに限定したというのだ。 そのようにして残った世界、 それが物体的事象のみによって構成される世界である。 すなわち、「数学化」あるいは「数量化」こそが、 「自然の離床」の原因であるとフッサールは主張するのである。
大森荘蔵は言う、 「数量化は、むしろ、近代化の結果であり、 その原因ではない。 原因は別にあるのだ、」と。
彼の議論は近代以前の自然観を詳細に 分析することから始まる--- 生活世界に埋め込まれた自然を、大森は 「略画的世界」と呼ぶ。 かつて、 わたしたちすべては略画的世界に生きていたのだ、 と。 そこにおいて 「山川草木すべてが生きている。・・・・・ ここには自我対死物世界といった対立は生じえない。 自分と天地の間に距離がない」 [ohmori-jubaku: 31--32]のである。 そのような生きいきとした略画的世界は、 (「草木虫魚」すべてが生きいきとしていた世界は) 近代になって、 「死物」に満ちた密画的世界にとって代わってし まった、と大森は続ける。 この変換は、 物質が幾何学的・運動学的描写で尽くされるのだと 考えられてしまったことによって 齎される、と大森は考える。 ここまでは、 大森とフッサールの議論は重なる。 大森は、数学化が世界把握を変容させたと 言っているのであるから。
フッサールによれば、 世界を数学化して見ることが、 一方で「物体的事象のみで構成される世界」を生み出し、 他方で主体と客体の分離を生み出したと主張する。 大森は、むしろ、主体と客体の分離こそが 「密画的世界」を生み出したと主張するのである。 数量化は、その一つの帰結にすぎないのだ、と。
わたしには、たしかに大森の議論のほうが 説得的に見える。 彼の議論を追ってみよう。
大森は ロックによる 物質の性質の分類、 第一性質と第二性質への分類 [locke-understanding-web] に注目する。 第一性質とは、物そのものが持つ性質である--- 大きさ、重さ、あるいは速さなどの性質を言う。 第二性質とは、人間が介在して始めて存在する 物の性質である--- 色、匂いなどの性質を言う。
第一性質、すなわち幾何学的そして運動学的性質が 「客観的」性質であり、 第二性質、匂いや色は、 あくまで観察者に関わる「主観的」性質であるとされたのである。 そして、ガリレイは、 「語るに足る」性質は (わたし風にアレンジしたロックの言葉を借りて言えば) 1 第一性質、すなわち、客観的性質のみであるとしたのだ。
第一性質と第二性質の分離、 さらには、第一性質のみで世界が記述し尽しうるという 思いこみのいかがわしさについて、 大森は当時の他の哲学者 (ヒュームあるいはバークリーなど) によるこの考え方への批判を引用しながら 熱弁する。 しかし、近代はこのガリレイの錯誤によって 誕生し、いまに至ることになるのだ。
かくのごとくして、 「客体」が「主体」から分離し、 「客体」に第一の価値が置かれたのである。
第一性質は、数量化・数学化を招き寄せる。 そして、数量化・数学化された第一性質、 すなわち「幾何学的、そして運動学的」記述で 世界が記述し尽されるのだ (とわれわれは考えたのである)。
かくして、 「自然の離床」が起きたのだ。
ここでは、 印象主義的に客体としての自然を紹介するために、 絵画の世界に話を限定してみよう--- 風景画の誕生について話をしていく。
もともと客体と主体との関わり:長目---眺め、気色---景色 ・・・・・ 【前田・立本】 ・・・・・
生活から分離した環境、すなわち「自然」と、 身体から独立した心、すなわち「主体」が共同して 風景 (landscape) を誕生させることとなる。
ベルクは言う---
自己とそれをとりまく環境 を区別し、その間に距離を設ける主体の出現との相関であ る。 事実一方では、絵画における風景画の発展と、 いわゆる線的ないし古典的な遠近法の 完成の間に時期の符合が見られ、また他方では、このプロセスと、当時の 思想潮流において近代的な主体が 徐々に確立されていったプロセスの間に、 深い類比関係が感じられるのである。 [berque-paysage-j: 55]
主体と自然が、かくして、 まず最初に16世紀フランドルにおいて landschap 「風景」を、 そして「風景画」を誕生させるのである。
風景画で描かれる自然は、 切り取られ、 管理すべきものとしての自然である。 [crandell-nature] それは、フッサールの言う 「物体界としてのみの自然」であり、 われわれの居場所はそこにないのだ。 都市工学者中村好夫の洒脱な言い方を 借りれば、 「風景画に鼻は描かれない」 [nakamura-huukeigaku: ?]である。
環境主義を焦点にして物語が組み立てられるのだが、 手始めに大きな見取図を描いておくことは意味があるだろう。
ミルトンは二つの環境主義を区別する [milton-environmentalism: 75] --- (1) 技術中心の環境主義と (2) 生態中心の環境主義である。
技術中心の環境主義は技術に信を置く。 あくまで人間が自然を支配するのである。 政策などを通じて 産業が自然にやさしくなるように努めるのが 彼女らの環境主義である。 開発は疑問に付されることはない。 それに対して、 生態中心の環境主義は人間はあくまで自然の配下にあるもとと 捉える。 [milton-environmentalism: 75]
この二つの対立が明らかになった最も初期の例として 谷本によるヘッチ・ヘッチ論争の顛末を引用する。
飲料水に悩むサンフランシスコ市では、 長い間、貯水ダムの建設を 計画していた。 一八八二年に市の技師が ヨセミテ渓谷の北にある ヘッチ・ヘッチ渓谷が最適であると指摘していたが、 一八九一年にヨセミテ国立公園が制定されてから立ち消えになっていた。 ところが、 一九〇四年四月の大地震で市の水不足は深刻になり、 ヘッチ・ヘッチにダムを造れという声が再び強くなった。 一九〇八年五月、市長は再度ダム建設の申請をした。 これに対し、 ミューアら自然保護派は反対運動に立ち上がった。 しかし、この時代、ミューアとは意見を異にする自然保護活動家がいた。 ローズベルト大統領の片腕として 森林行政に手腕を発揮したギフォード・ピンショーという人物である。 彼は「自然は基本的に人間の役に立てるべきであり、 人間が有効に利用し続けるためには自然保護を強化すべきだ」 という考えであった。 こうして、ミューアとピンショーはヘッチ・ヘッチ渓谷をめ ぐって激しい論争を展開することになった。 [tanimoto-kankyou: 228]
Amasoya
・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
環境主義が持ち込まれる現場にいる ローカルな人びとの視線から 二つの環境主義を考えてみよう。
ビンショーの考え方自身はともかく、 その発展とされる技術中心の環境主義は、 いわば開発思想の薄められたバージョンである。
ブッシュが「京都議定書はまちがった政策である」と言うとき、 また「環境保護政策は経済発展を妨げないようにすべきである」と 言うとき、 彼の技術中心の環境主義 (あるいは保存 conservation の環境主義)は明らかである。
経済的効率を考えるならば (そしてそれは、 環境破壊を最小に抑えたうえで、 最大の経済的効果をはかるならば)、 多数の小農よりも 少数のプランテーションの方がよい、 という考えかたはそれなりに説得力を持っている。 2
・・・・・ 【「彼らだってトヨタが欲しいのだ」---土地の売却】 ・・・・・
保全 (preservation) の環境主義、 あるいは ・・・・・ 【】 ・・・・・
・・・・・ 【SF 物語】 ・・・・・
・・・・・ 【周辺化される先住民】 ・・・・・
どちらの環境主義も、ローカルな人びとの視線から見る限り 問題を孕んでいる。 第三の、 ローカルな人びとを周辺に追いやることのないような 環境主義は可能なのだろうか?
すぐ思いつく答としては 「緑の人権主義」がある。
人類学者もずいぶんと貢献した 「(生態学的に)高貴な野蛮人」という考え方を 紹介しよう。
・・・・・ 【理想的「未開社会」、「未開社会」の単一化】 ・・・・・
といっても授業では Sollen (当為)については 触れない---各自考えてくれ。 授業では Sein (実在)についてのみである。
自然観のコスモスからピュシスへの移行、 そして環境主義との出会いを、 アイスランドの漁業の展開の中に見ていこう。 ここでは便宜的に、三つの時代--- (1) 前産業化時代の漁業、 (2) 産業化時代の漁業、そして (3) 環境コンシャスな時代の漁業---に分ける。 ・・・・・ 【サイクルと逆転】 ・・・・・
・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
産業化以前、アイスランドでは peasant による 自給思考の漁業が行なわれていた。 その時代、 つぎのような社会・技術的な制限が漁業にはあったと パルソンは言う-- (1) 植民地状況のゆえに、生産に限界があり、 (2) 魚を取る tripに不確定性があったのだと。 これらの社会的・技術的諸制限は 民俗モデルと密接に関連している--- (1) 神秘的な水の生物が海と人間界を媒介する、 (2)人間は魚の受動的な受け手に過ぎない。「さかな性」が個人に関 わるものとしても、漁獲高の大小が個人のせいにされることはなかっ た。人間は自然のなすがままであった。 [palsson-fish: 129--130]
19世紀末から20世紀末にかけて、 3 アイスランドの漁業は自給漁業から市場志向の漁業に変化した。 この時、魚と人間の関係は逆転したと パルソンは書く。 人間はもはや受動的な富の受け手ではなく、 active なものとなった。 そして、人間の労働こそが価値を作りだすものとされる。 資源は無制限であり、海は開かれる。 古い神話は余計なものとなり、 メタファーは時代遅れとなる。 魚と資源に関する新しい態度が出現し、 社会関係があらたに定義される。 漁業は競争的になり、 個人の能力、「船長効果」が考慮される。 漁獲の大小に個人(船長)の責任が問われる。
ここ数十年間のあいだに、 過剰な漁獲の恐れから、 アイスランドの漁業に新たな発展が生まれる。 漁獲量に再び制限がもたらされるのだ。 人間は、集合的に、魚の維持に責任があるとされる。
変化は人間とコスモスとの媒介者としての魚の役割の 倒置 (inversion) を示唆する。 かつて(前産業化の時代)魚は人間の維持に責任があった。 現在は、人間が魚の維持に責任があるとされる。
環境主義の到来によって、 変化はサイクルを閉じたように見える --- かつての様に、自然の脅威の前に、人々は共同作業を余儀なくされ る;新しい規制を破るものは、自然の秩序を乱すものと見做される。 しかし、違いもある。魚はもはや精霊からの贈与ではない。魚が「贈 与」と見做されるとしても、それは新しい生態学的秩序への人間から の「贈与」なのである。そし、その秩序というのは、もちろん、人間 の役に立つものなのだ。
ピュシス自然観 (すなわち生活から分離した自然、という考え方)こそが 自然科学の基礎である。 そして、 コスモス自然観 (すなわち生活の中の自然、という考え方)は 「呪術的」思考の基礎である、ということである。
・・・・・ 【工事中】 ・・・・・
[1] ロックは 1632--1704、ガリレイは 1564--1643であるので、 時間は前後する。 ガリレイの前提を正確に言い表わす語彙を、 後にロックが提供したのである。 [Back]
[2] 一見、説得力を持っているが、 それは正しくないのかもしれません。 Michael Dove の議論を参考にせよ。 [Back]