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第3章 芸術が離床するとき---古典的美学入門

中川 敏

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(C) Satoshi Nakagawa
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1 序
1.1 これまで
1.2 これから

2 古典的美学の成立
2.1 芸術と価値
2.2 美学と芸術の誕生
2.3 生活の中の芸術

3 離床
3.1 経済の離床---大転回
3.2 自然の離床---自然科学の誕生
3.3 芸術の離床---芸術世界(アート・ワールド)の誕生
3.4 古典的美学

4 まとめと展望
4.1 まとめ
4.2 展望

1. 序

1.1 これまで

1.2 これから

2. 古典的美学の成立

この節では、西洋近代に議論の 焦点をしぼって、 西洋近代の意味での「芸術」の 誕生の歴史と、 その後の発展とについて述べていきたい。

わたしのこれからの議論に 西洋近代の意味での「芸術」が頻出するのは 否めない。 それは次のような理由による。 (1) わたしは「遊び」について、 とりわけ遊びのもつ「面白さ」 (playability) の 一般論(人類学的美学)を 打ち立てたい。 しかし、 そのような議論はほとんど存在しない。 もちろん、 ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』 [huizinga-ludens-j] カイヨワの『遊びと人間』 [caillois-asobi]などの 古典はある。 1 しかし、 それらは単発的であり、 「遊び論」は作られることはなかった。

(2) 一方、芸術には美学という学問が 味方についているのだ。 その場において、 18世紀以来多くの議論が積み重ねられてきた。 その対象は、もちろん、 西洋近代の意味での「芸術作品」である。

わたしは、 これらの古典的美学の議論を、 人類学的美学へと吸収したいのだ。

2.1 芸術と価値

佐々木健一は言う: 「平安朝の貴族にとって、うたを詠むことは、 絵画よりも蹴鞠のほうにずっと近い活動であったに 相違ない」 [sasaki-jiten: 32]

パトナムは、 ベンサムを引きながら次のように言う:

Bentham is saying that a preference for `the arts and sciences of music and poetry' over the childish game of pushpin is mereley subjective, like apreference for vanilla ice cream over chocolate ice cream. . . . We don't prefer poetry to pushpin because poetry has greater value that pushpin, Bentham is saying, rather, it's the other way around, and poetry has greater value than pushpin because people prefer poetry to pushpin. (For no reason apparently). [putnam-81: 151]

【抄訳】鋲遊びより芸術に価値があるので、芸術が好ま れているわけではない。鋲遊びより芸術のほうが好まれ ているので、芸術に価値があるとされるのだ。そして芸 術が好まれるのにとくにこれといった理由があるわけで はない。

ここで、 パトナムは(ベンサムと並んで) ゲームと芸術が同種のものであると、 平然と宣言しているのだ。

ベンサムも言うように、 芸術はゲームよりも好まれており、 「価値」があると考えられてきた。 たとえば、現在 マラルメの詩と ママゴトとを同列に論じる人など いないだろう。 それほどに芸術は特殊なのだ。

わたしがまず言いたいのは、 (1) このような「芸術観」が 西洋近代によるものであるということと、 (2) これらの議論は、 そのような意味での「芸術」だけに限らない、という ことである。

* * * * *

2.2 美学と芸術の誕生

ステッカーは 彼の美学への入門書を次のような 文章から始める: 「〈芸術 [アート]という概念も、 美学 [エステティックス]という学科も、 18世紀より前には存在しなかた〉と言うと、驚かれるかもしれない。だが これは、現在ではひろく受け入れらている見方である」 [ステッカー 2013:9]

「美学」(エステティックス aesthetics)は、 1735年、当時21歳であったバウムガルテンの 修士論文の中ではじめて使われた。 そして1750年の彼の著作 [baumgarten-aesthetica-j]の タイトルとして『美学』が使われた。

ある日とつぜん 「これから猫と掃除機をあわせて クリーニャと呼ぶ」 と宣言しても、 誰も見向きもしないであろう。 もちろん、 芸術という概念、美術という学科がとつぜん 出現するには、 それなりの状況(絵柄)が 18世紀までに整っていたのだ。

それでは、 超特急で西洋における 芸術の歴史をおさらいしておこう。

2.3 生活の中の芸術

西村は言う: 「かつて絵画や彫刻は、神殿や教会の祭壇、 また宮殿を荘厳するものとして、 共同体のコンテクストにおかれ、 画家や彫刻家の職人技も、 これら宗教的な権威や政治的な権力に奉仕するものであった」 [nishimura-art: 25 西村 1995:25] のだと。

じっさい造形美術(絵画、彫刻、建築)は、 他の技術と同様に 職人ギルドの中で作成されていたのである。 それらのジャンルが芸術の地位を獲得するのは、 17世紀になって誕生した それぞれのアカデミーの力によるものである。 [sasaki-jiten: 32--33]

このような状況を「芸術が 生活世界に埋め込まれていた (embedded)」と表現しよう。

3. 離床

3.1 経済の離床---大転回

・・・・・ 【ポラーニーの「大転回」】 ・・・・・

[polanyi-transformation] [polanyi-transformation-j]

3.1.1 (社会に)埋め込まれた経済

3.1.2 囲い込み

一五世紀の土地の囲い込みから始まった変化が、 一八世紀末から一九世紀初頭の産業革命を経て、 大きく進展する。

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

商品 (commodities) とは本来、 売買のために生産された物をのみ意味するはずである。 しかし、 十五世紀の土地の囲いこみにより、 地代の観念が生じた。 自然が資源と、そして商品と化したのである。

また、同時に 土地から追い出された人びとは、 自らの労働を売ることによってしか生きてゆくことができなく なった。 人格に値段が生じたのだ。 本来、労働は人間の活動の別名に過ぎない。 いまや、労働は値段のつく労働力となったのである。

・・・・・ 【身体の離床】 ・・・・・

買ったり売ったりするものはすべて 売買目的で生産されたはずだという思いこみは まったく間違っている。 . . . 労働とは、生命そのものとともにある 人間の活動の別名に過ぎない。 そして、それは売買のために生産されるものではないのだ。 . . . 労働、土地、貨幣が商品だというのは 全くのフィクションなのである。 [polanyi-transformation: 72]


土地も身体も、本来売るために生産されたものではない。 それは商品ではないのだ。 しかし、 歴史(囲い込み)が それらを擬制として商品に見せることに 成功したのである。

3.2 自然の離床---自然科学の誕生

・・・・・ 【18世紀の自然の離床】 ・・・・・

モケは自然に生えるものであり、持ち主はいない。 モケは「精霊の持ち物」と呼ばれる。それ故、モケを作りたいと思っ た人間がまず最初に行なわなければならないのは、まだ誰も手をつけ ていないモケ(モケ・トゥマ)をさがし出すことである。 モケ・トゥマという名は「まだ手つかずの処女」を暗示す る。

適当なモケを見つけたら、梯子を木の幹に掛け、それをのぼる。 まず、彼は幹のまわりの繊維を剥す。 彼は、自分の作業をモケに告げる。

    私は繊維をはぎ取る
    ちょうど女性のスカートを脱がすように

次に、彼は

葉柄
をこじ開け、 その上に立つ。 その様にしながら、 彼は次のように唱える。
    
   私は葉柄をこじ開ける
   ちょうど女性の太股を開くように

「人は女性を口説くように モケを説得しなければならない」と エンデ人は言う。 腰巻きをはぎ取り、 太股を開くのは性行為への序曲である。 それらは女性に対してと同様に優しく行なわれる。 そして乳房を愛撫するのだ。 彼は女性の乳をしぼりとるようにして、 モケの木から樹液をとる。

マレイのココ椰子の砂糖作りのレトリックのテーマ、すなわち、 作業者の略奪行為の語りによる弁済は、エンデのモケ作りで一つの極 へと到達する。

* * * * *

大森は ロックによる 物質の性質の分類、 第一性質と第二性質への分類 [locke-understanding-j] に注目する。 第一性質とは、物そのものが持つ性質である--- 大きさ、重さ、あるいは速さなどの性質を言う。 第二性質とは、人間が介在して始めて存在する 物の性質である--- 色、匂いなどの性質を言う。

第一性質、すなわち幾何学的そして運動学的性質が 「客観的」性質であり、 第二性質、匂いや色は、 あくまで観察者に関わる「主観的」性質であるとされたのである。 そして、ガリレイは、 「語るに足る」性質は 第一性質、 2 すなわち、客観的性質のみであるとしたのだ。

* * * * *

3.3 芸術の離床---芸術世界(アート・ワールド)の誕生

・・・・・ 【18世紀の芸術の離床】 ・・・・・

・・・・・ 【「芸術世界」と「生活世界」】 ・・・・・

[danto-artworld]

[dickie-art]

[stecker-aethetics-j: 173]

3.4 古典的美学

3.4.1 無関心

3.4.2 三位一体

ハルトマンは『美学』 [ハルトマン 2001 [1953]] の中で、 芸術のなかで 美が成立するための三つの要素について 述べている。 中心にあるのが芸術作品である。 その美の観照者と、 創作者である。

[stecker-aesthetics-j: 11]

[nishimura-art: 25]

[baumgarten-aesthetiks-j]

4. まとめと展望

4.1 まとめ

4.1.1 何が芸術か

4.2 展望

4.2.1 三位一体の解体

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・


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Bibliography

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ENDNOTES

[1] わたしにとって最も重要な 「遊び論」はベイトソンの「遊びと空想の理論」 [bateson-play-j]である。 [Back]

[2] ロックは 1632--1704、ガリレイは 1564--1643であるので、 時間は前後する。 ガリレイの前提を正確に言い表わす語彙を、 後にロックが提供したのである。 [Back]