はじめに

Satoshi Nakagawa

2024-05-25

1 伝統と近代

この講義は環境主義 (environmentalism) が(1)近代という文化の中でいかにして誕生したかについて、そして、(2)伝統社会がどのように環境主義と対峙したのかについて描いている。

最初の3つの章で「近代」そのものの誕生の歴史を追い、つづく2つの章で、近代の中でいかにして「環境主義」が生まれたのかを辿る。そして最後の3つの章で環境主義が「伝統」社会に適用されるさまを描く。

以上の短かい紹介文からも明らかなように、わたしは「伝統と近代」という(「古くさい」とも言われる)図式を自明のものとして議論を展開している。さらに続ければ、わたしはこの一連の議論の中で、人類学者をしばしば揶揄する「伝統びいき」の立場を貫いていることも念頭においていただきたい。近代の主張する正義を、いわばポピュリズム(ま・左よりだろうが)の一種としてシニカルに眺める立場である。

以上の指摘(あるいは非難)を、私はあえて否定しない。ひとつだけ付け加えることは、わたしの持つ「伝統と近代」の図式は、いささか特殊だという点だけである。以下、その特殊さを簡単に説明しよう。

文化は1つ2つと数えられる。1 エンデ2 の文化があり、ヌアー3 の文化があり、そしてトロブリアンド諸島4 の文化があり、そして西洋近代という文化があるのだ。確認しておきたいが、これは正しい図式である。この図式を『「伝統と近代」(伝統バージョン)』と呼ぶ。

問題は「西洋近代」という文化がもつ、それ自身の諸文化の俯瞰図である。それによれば、文化は2つだけである。すなわち、「近代」と「伝統」である。この間違った図式を『「伝統と近代」(近代バージョン)』と呼ぶ。この図式のなかで、エンデの文化や、ヌアーの文化、あるいはトロブリアンドの文化はその特性を喪失し、のっぺらぼうの「伝統」としてまとめられるのだ。この非近代の諸文化の(いわば)一般化 (generalization) を支えるメカニズムを、わたしは類化 (generification) と呼ぶ。

この類化のメカニズムこそが、この講義の結論の章、「類化される原住民」である。換言すれば、この講義は、「伝統と近代」(近代バージョン)という間違った図式が、いかにして正しい図式「伝統と近代」(伝統バージョン)から生まれてきたかを描いているとも言うこともできるだろう。

2 近代、環境主義、類化

上述したようにこの講義は三部構成をとっている。第1部で近代がどのように誕生したかを記述する。キーワードは「離床」である。

第2部ではその近代の中で環境主義がいかにして誕生したかを述べる。生物学の歴史の中で、環境主義の2つ第3部では環境主義が伝統社会に導入されることによるインパクトについて述べている。

3


  1. この考え方については、わたしの別の講義録、『失なわれた異文化をもとめて — 相対主義の可能性』 を見よ。

  2. 私が 1979年以来フィールドワークをしている社会である。インドネシア東部、フローレス島の中部に位置する。

  3. 人類学者エヴァンス=プリチャードがフィールドワークをした社会である。

  4. マリノフスキーがフィールドワークをした社会である。