2 「貧しさ」って何だろう?
2.1 国際貧困ライン
2.2 石器時代の経済学
2.3 もう一つの基準
3 エンデで食べること
3.1 市場経済と無記名性
3.2 エンデの日々の食卓
4 エンデで与えること・繋がること
4.1 市場経済と贈り物
4.2 贈り物のやり取り
4.3 大勢で働くこと
Draft only ($Revision$ ($Date$)).
(C) Satoshi Nakagawa
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この論文で、 私は、 私の調査地エンデの事例を通して、 とりわけ「食べる」ことを通して、 エンデの社会を文化人類学的に紹介してゆきたい。 私は一九七九年から始めて、 四〇年近くエンデの人びとの 暮しを追っている。その間にさまざまな 意味で変化が起きている。 この論文では一九九〇年代前後を「民族誌的現在」 として語ることとする。 この章の対象はエンデの社会であり、 切り口は文化人類学である。 この節では、 この二つ、すなわち対象と切り口について簡単に紹介しよう。
エンデはインドネシアの東部、 フローレスと呼ばれる島の中央に住む 人たちの名である。 フローレス島は四国くらいの大きさの島であり、 人口は百万人ほどである。 この小さくそして人口もさして大きくない島に、 数え方によるが、 五から十ほどの言語が喋られている。 エンデはその一つの言語(エンデ語)を 喋る人たちである。 エンデの人口は十万人程度、 生業は焼畑である。
文化人類学を特徴づける考え方の一つに 「_MARK(文化相対主義)」と呼ばれる考え方がある。 この論文では、 エンデの文化を紹介する中で、 文化相対主義の考え方の 片鱗を示せればと思っている。
「_MARK(相対主義)」と言うのは、 「それぞれがそれぞれに」ということだ。 ある高校の生徒たちを考えてみよう。 鈴木くんはよい成績をとることを とりあえずの目標にして学校に来ているとしよう。 彼の成績はどれも平均以上だ。 とりわけ英数国の成績はたいへんに優秀である。 もう一人の学生、 中村くんはいずれスポーツ選手になることが 夢だとしよう。 あなたは鈴木くんの数学の成績のよさを褒め、 中村くんの百メートル走の速さを褒めるだろう。 あなたは、 それぞれを、 それぞれの目標を基準にして評価しているのだ。 正しいやり方である。 中村くんの自らの目標を無視して、 彼の英数国の成績で、 中村くんが鈴木くんより「下」であるなどと 評価してはするのはおかしいのだ。
しかし、社会や文化が単位となると このような当たり前である筈の相対主義が ないがしろにされることがある。 自分の社会の_MARK(基準)で他の社会を評価してしまうの だ。
この章で問題にしたいのは、 _MARK(豊かさ)・貧しさという評価である。 私たちは、 私たちの基準だけで 他の社会・文化を評価していないだろうか--- これが、 「豊かさ・貧しさ」という考え方を通して 私があなたに問いかけたい疑問である。
「東南アジア」ということばを聞いて、
「貧しさ」という語を連想する人は多いだろう。
インドネシアという国は「開発途上国」に
分類される。
開発が行き届いていない
「豊かさ」・「貧しさ」とは何だろうか? 最も有名な定義は_MARK(世界銀行)による 国際貧困ラインであろう。 二〇一五年に改訂された基準によれば、 そのラインは「一日 1.90ドル」とされる。 これよりも下の支出をする人びとが 「貧しい人々」とされるのである。 この基準を使えば、 (フローレス島のある)NTT州はインドネシアの中で 貧困ライン以下の人数が最も多い州の一つとなる。 このような数字を聞いて、 あなたはエンデを_MARK(かわいそう)な人たちだと 思うかもしれない。
私がこの章で主張したいのは、
エンデの人は貧しくはない、
すくなくとも彼ら自身の基準に照らせば
貧しくはないのだ、ということである。
その基準からすれば、
むしろ、
日本の私たちのほうが
鈴木くんと中村くんの話を思い出して欲しい。
異なった
私が暗示しているのは、
文化・社会によって
評価の基準が違っているという
ことである。
世界銀行の基準は
私がエンデの人々の社会を紹介することで 示したいのは、 またもう一つの基準である。 それは人と人との繋りである。 繋りの強い社会が豊かである、 そのような基準をもつ社会が存在する、 それを示したいのだ。 世界銀行の貧困基準でどのように計られようと、 エンデは決して貧しい社会ではない、 すくなくとも彼ら自身にとって 貧しい社会ではないことを示したい。
じつは、 交換の_MARK(方法)にこそ 無記名性と記名性をわける原因がある。
日本ではほとんどすべての交換は 市場 [しじょう]を 通して行われる。 そしてこの_MARK(市場)を支えるのが _MARK(お金)である。 あなたが会社員だとしよう。 あなたは生きるために、すなわち食べてゆくために、 _MARK(会社)で仕事をする。 しかしあなたは_MARK(名前のある) _MARK(誰か)を相手に仕事をして、 その人から食べるものを得ているわけではない。 あなたは会社という無記名の制度を相手に仕事をし、 お金を受け取り、 たとえば、 スーパーという無記名の制度からお金を使って パンを得ているのである。 このような会社やスーパーなどの無記名性の制度が 市場を構成するのである。 会社の中ではあなたは名前を持った個人ではなく、 営業課の課長という無記名の人間であり、 スーパーでは客という、じっぱひとからげの、 すなわち、無記名の人間なのだ。 一枚の百円硬貨に個性はなく(記名性はなく)、 どの百円硬貨も同じであるように、 あなたも単なる課長であり、 いつでも取り替え可能なのだ。
それではエンデでは市場経済でない どのような別の交換が行われているというのだろうか。 それについてすこしづつ述べてゆきたい。
とりあえず、 エンデの食事に戻ることとしよう。 ここではタイトルにある「ご馳走」ではなく、 日常の食事から紹介してゆきたい。
まず動物性の食物、肉から見てゆこう。 エンデでは肉はスーパーでグラムあたりでパックで売られている わけではない。 そもそも店というものはエンデの村にはほとんど ない。 村のほとんどの世帯は 犬、鶏、山羊、豚、牛を数頭ずつ飼っている。 肉を食べるとはそのような動物を一頭屠ることである。 それゆえ 日々の食卓には (あとで述べる「ご馳走」の場以外では) 鶏かせいぜい犬が供せられることなる。
続いてエンデの食事のうちの 植物性の食物、 米、芋、野菜について紹介していこう。
ほとんどのエンデの世帯が 数種類の動物を飼っていることについて 述べた。 同じようにほとんどの世帯が 畑をもっている。 米・芋・野菜などはその畑から持ってくるのだ。
フローレス島は山がちの島である。 ほとんど平地が存在しない。 そのような斜面を開墾して、 エンデの人たちは焼畑を作っていく。 エンデの一年は開墾から始まり、 火入れを経て、 収穫そしてその後の休息の期間で終わる。 一年を司る農作業はたんなる農作業ではない。 それはまた多くの儀礼を含む一連の活動なのである。
焼畑は一年・二年で放置されることもあるが、 たいていの世帯ではいくつかの焼畑を常畑として 維持する。 囲いを強固にして、 中に野菜などを栽培するのである。
一日の仕事を終えると、 エンデの人びとは畑からその日および 翌日の食事のための野菜と、 煮炊きのための薪木を家に持って帰る。 そして家族に食事が出されるのだ。 食事時(準備してから食器を洗うまで)の客には かならず食事が供される。 人はそれを拒むことはない。
エンデでは(日本のような)市場経済ではない もう一つの交換があり、 それが日本とエンデの大きな違いを生んでいる、 と私は述べた。 そして、 前節の最後に食事を与え、 それを受け取ることについて述べた。 この与え・受け取る交換こそが、 市場経済と違うもうひとつの交換なのである。 この交換を「贈与交換」と名付けよう。
贈与交換はじつは 日本において存在しないわけではない。 社会の片隅に (人の生き死にに関係しない程度に)贈与交換は 存在している。 たとえば誕生日プレゼント、 クリスマスプレゼント、 お年玉などの制度がそれである。 日本の例をつかいながら、 市場経済と贈与交換の違いを見てゆこう。
市場経済の例としてスーパーでの買い物を 考えてみよう。 あなたがスーパーで七七九円の豚肉を買ったとする。 あなたはレジで一〇〇〇円を払い、 その豚肉と二二一円のお釣りをもらう。 当然である。 一円の単位まで計算した上での 貸し借りなしのきれいな関係が保たれるのだ。 お釣りが少なければ、あなたは怒ってもかまわない。 当然である。 豚肉の色がおかしいと思えば交換してもらえばいい。 当然である。 人と人との関係に焦点をあててみよう。 レジ担当の方と購買者であるあなたとの関係である。 この関係に何も変化はない。 二人はまったくの他人であり、 他人のままに終わるのだ。 当然である。
贈り物を考えてみよう。 あなた(仮に男性だとしよう)が好意を もっている女性に花束を贈ったとしよう。 ちなみに、花屋で一五三五〇円で買った花束だ。 女性は花束を受け取った。。 翌日彼女が思わせぶりに、 リボンのかかった箱をあなたに渡す。 どきどきしながら箱を開けたあなたが 見たものは・・・
一万円札、 五千円札が一枚ずつ、 そして百円玉が三枚、五十円玉が一枚、 ぜんぶで一五三五〇円の現金がそこに入っていたのだ。 一円単位で貸し借りなしのきれいな関係が 保たれていたのだ。 二人は交換の前他人であり 交換の後もまた他人であるのだ。
もちろん、この例は失敗した贈与交換である。 贈与交換は市場経済の交換となっては ならないのである。 それでは成功した贈与交換とはどのような ものであろうか、 それを見てゆこう。
箱の中にたとえば手袋がはいっていれば、 あなたは喜んでいいだろう。 贈与交換は成功したのである。 その手袋を見て、安そうだなと思っても、 あなたは怒ってはいけない。 スーパーでお釣りが少ないのとは違うのだ。 色が気にいらなくても受け取らなければならない。 スーパーで品物を交換するわけではないのだ。
豚肉が無記名であったのに対し、 手袋が記名性をもっている (彼女の名前を、人格を担っている)ことも 忘れてはならない。 そして、 もっとも大事な市場経済との違いは 結果する人間関係である。 交換の前に他人であったかもしれない二人は、 いまや(少なくとも)友達となったのである。
既に述べたように日本では 贈与交換はあるが、 それは社会の片隅である。 社会を成り立たせているのは 飽くまで市場経済である。 エンデは贈与交換の社会である。 そこでは贈与交換こそが社会を成り立たせているのである。 それはどのようにして可能なのだろうか。 次の節では、 エンデの贈与交換を追っていくこととする。
エンデの村ではさまざまな契機で 人びとが集まる。 私が村に入ったばかりの頃、 夜中、ある家に村人がほとんど全員 集ったことがある。 その家の女性がたいへんな難産だったのだ。 村の女たちは家の中でその女性の出産を助けようと 必死だった。 男たちは山刀を腰にさし、家のまわりをぐるりと 取り囲んだ。 難産の女性を妖術師 が殺しに来るのを防ぐためだ。 女たちの介護、男たちの守りは一晩中続いた。 翌朝無事に健康な赤ん坊が産まれた。 とても感動的な一晩だったことを 今でも覚えている。
それ以降も頻繁に村の人びとが集まる 場面に遭遇した。 高い木から落ちて大怪我をしたとか、 重い病気にかかったとか、 さまざまな場面で人びとは集まる。 そして集まった人びとにはかならず食事が提供される。 日々の食事とはちょっと違った ご馳走が供されるのがこのような機会なのだ。
緊急時で最たる機会は人の死である。
日本のほとんどの葬式は 葬儀会社がとりしきる。 それは たいへんお金のかかる儀式である。 そして、 葬儀会社との連絡をも含め、 喪主たちは忙しく立ち回る。 葬儀のあと数日たって やっと死を悲しむことができたという 話を、何度か聞いたことがある。
エンデでは葬式にはお金は ほとんどかからない。 そして葬式の間、 喪主はただただ死を悼んでいる。 すべては周りの人がやってきて とりしきっていくのである。 エンデの葬式を紹介しよう。
たいていの場合、 遠くから聞こえる大砲のような音が死の合図である。 死者が出た村では、 竹筒と石油を使って立て続けの大きな音を出すのだ。 遠くの村々はその音で死者が出たことを知る。 自分の村で死者が出た場合に最初に聞こえるのは 竹筒の音ではなく、 リタナンギと呼ばれる死者を悼む泣き声 である。 死を知った村人がその家に集まり、 死者を悼むのである。
死者の家はしばらくの間は混沌とした 状況である。 人がひっきりなしに訪れ、 死者に抱きつき、リタナンギを歌うのである。 しばらくすると、 ある種の活動が始まり、 状況は秩序だったものへと変化する。 集ってきた人びとが手分けをして 来たるべき葬式の準備を始めるのである。 男たちは手際よく客のための場所を作り、 どこからか椅子を集めてくる。 数人の男たちは、竹筒と石油で 知らせの音をたてる。 遠い村に住む 重要なシンセキに知らせるための メッセンジャーたちが派遣される。 いったん家に帰った女たちが薪木や 米などをもって死者の家に戻ってくる。 死者の家の豚や牛が、 なければ隣近所から借りてきた 豚や牛が殺される。 とやかく言う者はいない。 動物は、 いずれ適当な時に返すのだ。 男たちは動物を屠り、 解体にかかる。 女たちはすでに何十人と集まっている。 彼女たちは米粒の石抜きをし、 ご飯の用意を始める。 男たちによる肉の解体が終われば、 それを調理するのは女の仕事である。
しばらくすれば 他の村からシンセキが集まってくる。 豚をもってくるもの、 織物をもってくるもの、 米を持ってくるもの、 山羊をもってくるもの、 牛をもってくるものがいる。 客たちに食事が供される。 幾つもの村から客がやってくる。 食事はその都度供される。 帰ってゆく者もいれば、 そのまま残る者もいる。
殘った者たちは徹夜をする。 タバコや酒や食事が出される。
翌日埋葬が行われる。 多くの客は埋葬の日にやってくる。 彼らもまた贈り物をもってやって来て、 食事を供され、 御返しの贈り物を受け取って帰ってゆく。
【写真挿入 sapi-ngawu】
近親の人たちにとって これから三日間の喪が続くことになる。 彼らは三日の間様々な禁忌を守り、 夜は徹夜するのである。 村人たちや、 シンセキたちは入れ替わり 立ち替わり死者の家を訪れる。 とりわけ村人は客というより、 客(シンセキが主となる)の食事の 材料を運び、料理し、饗応する側となる。 客にはずっと食事が供される。 四日目の真夜中から 明け方にかけて死者と別れる儀礼が 執り行われ、 喪があけることとなる。
エンデの葬式とは、 言わば、人の死を契機とした、 壮大な贈り物の交換のアリーナなのである。 葬式において喪主は、いわば、_MARK(負債)を背負うこととなる。 後日、 手伝ってくれた人たちが 手伝いを必要とする状況になれば、 彼はすぐに参上するだろう。 贈り物をもってきた人たちには なんらかの機会に贈り物をもって行くことになる。 このようにして贈与交換は、 エンデの社会で作動しているのである。
葬式や(ここでは述べていないが結婚式)などで
贈与交換が作動するというだけでは、
エンデと日本の違いが
それほどはっきりしないかもしれない。
形だけとは言え葬式や結婚式には
贈与が(香典、結納といった形で)関与しているからだ。
この節で取り上げるのは、
日々の生活の中での贈与交換である。
エンデの社会の特徴として、
身の回りの品が記名性に満ちていることについては
既に述べた。
記名性の大きな原因として私は贈与交換を挙げたが、
もう一つの原因として
分業の程度の小ささを挙げることが
できる。
エンデの人びとは
身の周りのモノのほとんどを
自分で作ることができる。
大きなモノとして家を考えよう。
日本で誰かが「家を建てた」と言っても、
あなたはその人自身が家を
エンデではほとんどの男性が 家の建て方をしっている。 多くの場合、家を建て始めてから 住むまで数年かかる。 自分ですこしずつ作っていくからである。 ただし、 いくつかの節目 (定礎の時、屋根を作る時など)において 大勢の人を呼んで 共同作業(ソンガ)をする。 以下屋根を葺く日のソンガを紹介して ゆこう。
小さいソンガでも 村の世帯すべて (せいぜい五〇ほどであるが)を呼ぶ。 他の村に住むシンセキにも声をかける。 作業日の前夜から 村人たちや 近しいシンセキが集まってくる。 ある人は客として、 ある人は手伝いとしてやってくる。 動物が屠られ、料理の用意がされる。 また翌日の作業がうまく行くように 先祖へ祈りそして供犠が捧げられる。 そして客には食事が供せられるのだ。
当日、女たちは着飾ってやってくる。 村人ならばたいていは贈り物である 現在の家作りには必須のトタン板を 頭に乗せて やってくる。 特別な関係にあるシンセキは動物 (山羊や牛、そして豚)をもってやってくる。 彼女らは贈り物を家の者あるいは 手伝いの人たちに手渡し、 食事を供される。 そして御返しを受け取り、 帰ってゆく。
男たちは作業着でやってくる。 モノの交換は女たちが担い、 男たちは労働を供与するのである。 屋根を葺く作業は熟練と体力を必要とする。 若い男たちは、熟練の男たちに言われるままに 単純作業(釘の用意など)に 従事する。 熟練の男たちは屋根の上でトタン板を 配置してゆく。
【写真挿入 sao-3 】
開始時間も終了時間も決められている わけではない。 ゆっくりやってきて、 早めに帰っても誰も文句は言わない。 そればかりではない。 見渡せば、かなりの人数が じっさいの作業をしないで休んでいる。 村の世帯主には当然かなりの年輩の人もおり、 彼らにじっさいの作業を期待するのは、 とりわけ屋根にのぼるような作業を期待するのは 無理な話である。 彼らは腰をおろし、じっさいの作業をしている人たちに 対して、 役に立たないような注文をつけ、 文句を言う。 休んでいるのは年輩の人だけではない。 半分くらいが休んでいると言っていいだろう。 何人かのグループに分かれて、 雑談をしている。 酒がふるまわることも稀ではない。 そうなればますます雑談に花が咲くことになる。
夜になれば、 動物を屠り、すべての ソンガの参加者にご馳走が供される。 誰がさぼった、 誰が一生懸命働いたなどと あれこれ言う人はいない。
私は、エンデの村人から こんな話を聞いたことがある。 「私が_MARK(マレーシア)に出稼ぎに行っていた 時のことだ」と彼は言う。 「たまたまその日の作業では _MARK(日本人)がボスだったんだ。 こいつがとっても面白いことを言うんだ。 『仕事をしている時には_MARK(雑談)をするな』ってさ」。 聞いている人たちは一様にびっくりしたような 顔をする。 彼は話を続ける--- 「日本人が言うには、 『ちゃんと休憩時間をもうけてある。 休憩時間に雑談をしろ。 それ以外の時は仕事をしろ』ってさ」。 この「面白い話」は聞き手にたいへん 受けていた。 彼らは、 まるでおかしな冗談を聞いた時のように 笑いころげているのだ。
この話を聞いたあなたは、 「だからインドネシアは_MARK(遅れて)いるんだ」、 「仕事時間に雑談したり 休んでばっかりいたら、 仕事が進まないだろう。 _MARK(合理性)ということを 全く考えていない」などと考えるかもしれない。 その様な考え方は 市場経済の考え方であり、 エンデの人にとっては無縁であり、 それゆえにとてつもなくおかしいのだ。
この章の冒頭の議論に戻ろう。
社会を計る
エンデでは贈与交換が社会を支えている。 その目的は人と人との間を繋ぐことだ。 知的障害があろうがなかろうが、 人が家に来れば食事を供する。 友だちが困っていればすぐにかけつけ、 料理が必要ならば材料をもってやってくる。 エンデではこのようにして 繋がりのある社会が作られている。
私たちはお金を物差しにして 全てを計る。 それ自体悪いことではない。 文化人類学者はそのことに文句を言っている わけではない。 悪いのはその物差しが世界中で通用すると 勝手に思い込み、 よその社会をその物差しで計ることだ。 地球上のすべての社会で、 お金ですべてを判断する物差しが通用する わけではない。 それぞれの社会がそれぞれに「豊かさ」を 追求しているのだ。 文化人類学の教える文化相対主義とは そのような教えなのである。