粋な人類学から野暮な人類学へ

中川 敏

その見解というのは、
おおまかに言って、すべての植物には知覚があるというものなのだ。
しかしアッシャーの妄想の世界にあっては、
この考えは一段と大胆な性格を帯び、
ある条件の下では、知覚は無機物にも及んでいるというのだ。
---
(『アッシャー家の崩壊』)


1 プロローグ

2 はじめに --- 心の内と外
2.1 人類学において「表象」とはなんだったのか
2.2 一方世間においては
2.3 スペルベルの「表象」

3 中川 --- 記号の進化論
3.1 ソシュールからパースへ
3.2 インデキシカリティがすべてを統べる
3.3 言語という壁

4 スペルベル --- イメージの疫学
4.1 スペルベルの戦略
4.2 疫学の実習
4.3 表象とイメージ

5 戸田山 --- イメージの進化論
5.1 因果論から目的論へ
5.2 イメージは進化する

6 おわりに --- 観念と記号の出逢う処

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1. プロローグ

わたしは2年生の後期、 キョウヨウキョウヨウブンカジン (教養学部教養学科文化人類学分科)に 所属することになった。 (ほぼ)最初の授業である、 吉田禎吾先生のゼミで 初めての人類学の本を読んだ。 浜本さんがいた。 読んだのは、 Rodney Needham の Structure and Sentiment [Needham 1962]だった。

2. はじめに --- 心の内と外

2.1 人類学において「表象」とはなんだったのか

浜本さんの 「戸田山発表に対するメモ」の冒頭からはじめよう。 [1] ・・・・・ 【浜本「メモ」の冒頭】 ・・・・・

たしかに、浜本さんの言う通り、 わたしにも「心的表象」は(言われてみれば) 変にきこえる。 こころみに ・・・・・ 【「人類学 表象」でググってみたら】 ・・・・・

さらに記憶を辿ると、 人類学で「表象」という語を使いはじめたのは ごくごく最近ではないかと思うようになった。 ・・・・・ 【いつから「表象」が流行ったのか】 ・・・・・

・・・・・ 【『表象とちょっかい』】 ・・・・・

・・・・・ 【たぶんぼくらは】 ・・・・・

2.2 一方世間においては

恥ずかしいが Wikipedia から始めよう---

表象(ひょうしょう、英: Representation、仏: Reprsentation)は、一般には、知覚したイメー ジを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用を いう(イメージそのものを含めて呼ぶこともあ る)が、元来は「なにか(に代わって)他のこ とを指す」という意味である[1]。類義語に、記 号、イメージ、シンボル(象徴)[2]がある。 (日本語版 Wikipedia)

・・・・・ 【なお、英語版 Wikipedia では】 ・・・・・

・・・・・ 【カントの Vorstellung】 ・・・・・ カントの 「表象」 (Vorstellung) は 心の中のものであるが、 デカルトの ides に対抗させるものとして 使われたという経緯がある。

2.3 スペルベルの「表象」

人類学の中で「表象」の語を「心的表象」の意味をこめて 「表象」はかくも複雑な歴史と内容をもつ。 スペルベルの立場を、とりあえず 出発点としよう。

・・・・・ 【スペルベルもかつては】 ・・・・・ 『人類学とは何か』 [スペルベル 1984] で スペルベルは「観念の疫学」について述べた。 それが「表象の疫学」にかわったのは、 心理学(とりわけ認知心理学)への歩み寄りを示すものだと 菅野はいう: 「・・・以降彼が「観念」 (ide) ではなく、 「表象」 (reprsentation)の語を一貫して 遣うようになったことは、 彼の構想が認知科学ないし認知心理学を 自覚的に援用し、この分野との積極的な 連携をもとめたことを明らかに 示している。」 [スペルベル 1979] [菅野 2001: 300]

・・・・・ 【ひっかっているのは】 ・・・・・


| 場所             | スペルベル | この論文       |
|------------------+------------+----------------|
| 心の中(個体内) | 心的表象   | 観念、イメージ |
| 心の外(個体間) | 公的表象   | 記号           |

・・・・・ 【戦略】 ・・・・・

・・・・・ 【警告】 ・・・・・

・・・・・ 【戦略】 ・・・・・


|                    | 進化論       | 疫学           |
|--------------------+--------------+----------------|
| イメージ(心の中) | 戸田山       | スペルベル     |
| 記号(心の外)     | 中川	 | (スペルベル) |

3. 中川 --- 記号の進化論

わたしがこの数年間やっていることに タイトルをつければ、おそらく、 「記号の進化論」というタイトルがもっとも いいだろう。

3.1 ソシュールからパースへ

・・・・・ 【恣意性】 ・・・・・

・・・・・ 【パースの記号論】 ・・・・・

3.2 インデキシカリティがすべてを統べる

・・・・・ 【前回の発表(ウォルトンの写真論)でしたこと】 ・・・・・

3.3 言語という壁

4. スペルベル --- イメージの疫学

・・・・・ 【粋な人類学とやぼな人類学】 ・・・・・

・・・・・ 【「びびび」は認めない】 ・・・・・

・・・・・ 【(ゲダンケについて)しったかぶり】 ・・・・・ フレーゲは文のイミ (Bedeutung) と意義 (Sinn) の他に、 その思想 (Gedanke)を考えた。 それはデカルト以来の観念 (idea) と対照させて 捉えるべきである。 観念は誰かの観念である。 それにたいして思想 (Gedanke) 把握される必要はないという 特徴をもっている。 「思想」の考え方 (それが「心の中にない」という考え方)には、 フレーゲの反心理主義があらわれているという。

フレーゲは、 ゲダンケを「第三の領土 (der dritte Reich)」と呼び、 外的世界にも内的世界にも所属しないものと考えた。 ・・・・・ 【第三の領土】 ・・・・・

この存在論的な曖昧さは、 デュルケムの「集合的表象」に通じる。

真似事の目くばせや羊に偽の襲撃をかけること について間うべきことは、それらの存在論的身分が何 たるかではない。それは一方では岩や、他方では 夢と---それらはこの世界に属する事物である--- 同じ身分である。問うべきはその意味とは何かで あり … それらが生起するとき、それらの媒介に よって何が語られているのか、である。(ギアツ)

デュルケムは『社会学的方法の基準』 [デュルケム 1978] の中で、 社会的事実は個人に外在的であるとした。 そのような社会的なモノを心理学的なモノで説明する タルドを、 彼は鋭く批判する。

一方タルドは 「要素的社会学」のなかで 「社会的なものはすべて個人から個人へと 伝達されて広まったものであると主張する」 [(池田 2007)](bib/ikeda-kaidai)。 模倣とは、タルドによれば、 「それが意図されたものであるかないか、 あるいは受動的なものであるかないか にかかわらず、 精神面で生じる写真撮影のこと」という(タルド 2007:12) [タルド 2007: 12] そして、模倣されるモノは 信念と欲求、すなわち、 スペルベル風に言えば「心的表象」である。 [戸田山 2012]

4.1 スペルベルの戦略

心的表象のなかには若干の---きわめて僅かの割合 だが---反復して伝染する心的表象がある。こうし た心的表象がついにはその集団全体にひろまり、 その結果、集団のほとんどの成員がその心的ヴァー ジョンをもつことになる。 [スペルベ ル 2001: 57]


・・・・・ 【文化的表象】 ・・・・・

・・・・・ 【(スペルベル))人類学がすべきこと】 ・・・・・

・・・・・ 【表象の疫学の二つの目標】 ・・・・・ [スペルベル 2001: 86]

4.2 疫学の実習

・・・・・ 【クーヴァード(擬娩)がなぜすたれないか?】 ・・・・・ ・・・・・ 【不幸の説明と擬娩の持続】 ・・・・・ ・・・・・ 【感染を説明する他の方法はないだろうか?】 ・・・・・

・・・・・ 【自然化するいくつかの方法】 ・・・・・

4.3 表象とイメージ

・・・・・ 【外が先か、内が先か?】 ・・・・・ [スペルベル 2001: 134ffm4_dnl ]

5. 戸田山 --- イメージの進化論


|                    | 進化論       | 疫学           |
|--------------------+--------------+----------------|
| イメージ(心の中) | 戸田山       | スペルベル     |
| 記号(心の外)     | 中川	 | (スペルベル) |

さて、戸田山さんの表象の自然化議論をかんたんに まとめておこう。

5.1 因果論から目的論へ

・・・・・ 【記号論に適用できるのか?】 ・・・・・ [Munn 1986]

pict/mouse

5.2 イメージは進化する

・・・・・ 【イメージの進化と「どっちが先」か議論】 ・・・・・ ・・・・・ 【「言語が先か、思考が先か」議論】 ・・・・・

6. おわりに --- 観念と記号の出逢う処

[戸田山 2007]

* * * * *

ENDNOTES

[1] そして冒頭だけで終わる。 具体的な意図は、きょう聞けるだろう。 [Back]