異文化の見つけ方

中川 敏

1 序、あるいは相対主義の代価

2 相対主義
2.1 コードモデル
2.2 水源地モデル
2.3 ピジョンホール相対主義

3 普遍主義
3.1 概念枠組
3.2 ウィトゲンシュタイン
3.3 語り得ぬものとしての他者
3.4 独我論の風景
3.5 反・反自文化中心主義

4 文化
4.1 墓碑銘のすてきな乱れ
4.2 ズレ
4.3 水源地モデルの批判
4.4 独我論からの出発

5 アスペクト
5.1 自閉症
5.2 複数の視点
5.3 複相とアスペクト盲

6 結論にかえて、あるいは拡張引用論
6.1 のめりこむことと一抜けること
6.2 引用論

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1. 序、あるいは相対主義の代価

この論文の目的は 「文化相対主義が可能である」ことを 示すことにある。

濱本満は、 30年ほど前の論文 「文化相対主義の代価」 [濱本 1985] において、 この問題、 「文化相対主義が可能であるか」が疑似問題 であることを示した。 わたしの出発点を 濱本の議論と対照させながら示したい。

相対主義者は言う、 (1) 「異なる文化に属する人々は 異なる世界に住む」と。 「文化」という言葉を使用する限り、 人類学者はこのテーゼを当然のものとして 使ってきた筈である。 問題は、そこから帰結すると思われる次のテーゼである: (2) 「われわれは、 異なる文化に属する人々を 理解できない」。 このテーゼが帰結するならば 人類学など成り立たないことになる。 このテーゼ (2) こそが、 濱本の言う「相対主義の代価」である。

濱本は テーゼ (1) が間違っていることを示す。 このような問題を立てる人々の 「文化」、 あるいはより厳密には「言語」、の捉え方が 間違っているのだ、と。 具体的には、 テーゼ (1) を主張する人々は、 言語が現実を表わす、 その表わしかたが一通りしかないと思いこんでいる。 しかし、 言語はそのような杓子定規なものではない、と 彼は言う。 もし言語がそのようなものであれば、 (彼は続ける) われわれの社会には詩人が存在しないことに なってしまうだろう。 詩人は言語のズレを武器に詩を書く。 言語とは本来的にズレを内包したものなのであり、 テーゼ (1) の言う「文化」などは存在しないのだ。 言語はもともと創造的であり、 それゆえ、(濱本は結論づける) 相対主義の基底にある、 文化(言語)が違うと世界が違うという想定が 間違っているのだ、と。 「相対主義に支払うべき代価などない」と彼は言う。 それは間違った言語観・文化観にもとづく 幻の代価なのである、と彼は結論づける。

2. 相対主義

濱本はテーゼ (1) 自身が間違っており、 テーゼ (2) の議論をするのはお門違いだ、と 論じているのだ。 私は、 濱本の言う「間違った」言語観から出発する。 すなわち、テーゼ (1) は正しいことを前提として 議論を始めたい。 そしてそこからテーゼ (2) が導かれないことを 示したいのである。

2.1 コードモデル

わたしが出発点とする言語観、 濱本の言う「間違った」言語観を、 明瞭に示しておきたい。 それは、 二つの前提からなる。 一つはコミュニケーションの「コードモデル」であり、 もう一つは意味の「水源地モデル」 [242: 野矢 2012 (1995)]である。 [1]

コードモデルによればコミュニケーションは 次のように執り行われる: (1) 話し手は伝えたいメッセージをコード化する、 そして (2) 聞き手はそのコード化されたメッセージを デコードして、もとのメッセージを手に入れるのだ、と。 いわば暗号解読手帳を話し手と聞き手がそれぞれ 持っているのである。

2.2 水源地モデル

コードモデルが成り立つためには、 その暗号解読手帳が共有されていなければならない。 手帳が同じものであることを保証するのが 水源地モデルである。 同じ共同体の人々が一つの水源地を共有しているように、 同じ言語共同体の人々は一つの意味の水源地を 共有していると このモデルは考えるのだ。

このように明示的に書いてしまえばすぐに 分かることだが、 この言語観は古色蒼然としており、 いまどきこのような言語観を大声で 唱える人類学者はいないであろう。 だからこそ カミングアウトした相対主義者はほとんど 存在せず、 相対主義者像は反相対主義者の描く中にしか 存在しなくなってしまうのだ。 [2] 相対主義者のできることは、せいぜい、 クリフォード・ギアツのように [Geertz 2000] 自らを「反・反相対主義者」と 描くことくらいである。

2.3 ピジョンホール相対主義

自己戯画化の意味も含めて、 以上のような古色蒼然とした文化相対主義を 「ピジョンホール相対主義」と呼びたい。 鳩を入れる容器は、 一羽一羽のための区切りが 設けられている。 この巣箱としての区切りを 「ピジョンホール」と呼ぶ。 巣箱にはいった鳩からは 隣の巣箱はまったく見えないことになる。 これと同じように、 われわれは、文化毎に互いに区切られた巣箱に 入れられているのだ。 異文化に住む人は まったく違った世界に住んでいるのである --- これが命名のもつイメージである。 この論文を通じてわたしが擁護したいのが、 このピジョンホール相対主義である。

相対主義をこのような譬えを用いて説明した途端に、 相対主義という理論のひ弱さが見てとれる筈だ。 「複数の区切られた巣箱を見ているのは誰なのだ?」という 疑問が提出されるのである。 それは神の視点であり、 われわれはそのような視点を持つことができない、 と反対者は続けるだろう。 このことについて徹底的な議論をしたのが ドナルド・デイヴィドソンである。 次章ではデイヴィドソンの議論を紹介し、 それが独我論と通底していることを示したい。 すなわち、 わたしが論敵としたいのは、 独我論としての普遍主義なのだ。

3. 普遍主義

この章ではデイヴィドソンの議論を手掛りとして、 相対主義の敵としての普遍主義を独我論として展開して いく。

ここで議論の展開に関するいくつかの注を書いておこう。 以下この論文では、「文化」と「言語」を、 「理解」と「翻訳」を、 そして「意味」と「規則」を 同一視して語る。 さらに付け加えるならば、 文化相対主義と 個人を基盤にした相対主義、 たとえばプロタゴラスの相対主義との 区別もつけずに議論する。

3.1 概念枠組

デイヴィドソンの 「概念枠組という考えそのものについて」 [Davidson 1984 (1974)]という論文を 相対主義への反論の代表として取り上げたい。

デイヴィドソンは、 ピジョンホール相対主義の考え方のエッセンスを 「概念枠組」というキーワードの中に見る。 ある文化を担う人びとはある枠組を通して 世界を把握する。 異なる文化の人びとは違った枠組を通して 世界を把握する。 かくして「異なった文化に属する人びとは 異なった世界に住む」ことになる。

彼の概念枠組理論(すなわち 文化相対主義)への批判は明快である。 神の視点を持っていない鳩は、 それが巣箱の一つの区切りにいる限り、 その他の区切りを見ることはできない 筈である。 同様に、 異文化が翻訳不可能だとすれば、 その当該の文化が 文化であるということが どうして分かるのか? 分かるはずはない、とデイヴィドソンは言う。 あるモノが 翻訳不可能であるならば、 それが文化(言語)であると言うことは 不可能である。 それゆえ異文化の存在を前提とする相対主義は 不可能であるー 「QED(証明終わり)」というわけである。

3.2 ウィトゲンシュタイン

デイヴィドソンが主張するのは テーゼ (1) が間違いであることである。 議論は、 テーゼ (1) が正しいとすれば 不可解な状況が存在することとなる、という 背理法をつかってなされる。

ここでデイヴィドソンの主張を (デイヴィドソンの意図とは逆に) テーゼ (1) は正しい、 そして、それから帰結する 不可解な状況こそが、むしろ、 われわれの生きている世界である、と解してみよう。 その時、 デイヴィドソンの議論は、 『論理哲学論考』 [Wittgenstein 1961] における ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの独我論と 奇妙な一致を示しはじめる。

哲学者野矢茂樹の助けを得ながら、 簡単にウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で 展開する独我論を辿ってみよう。

野矢は『他者の声、実在の声』 [野矢 2005]で ウィトゲンシュタインの 『論理哲学論考』 [Wittgenstein 1961]に展開される 独我論を、 通常の独我論とは違う、ユニークな独我論、 「言語論的独我論」として再提示する。

『論考』を独我論に位置づけようとするのであれば、それ は言語と 世界を 同等視するような、すなわち、 論理空間 ・・・・・ と世界の可能性の広がりとを 同じものと捉えるようなところに成立する独我論でなけれ ばならない。そこでこれを、現象主義的独我論と区別して、 言語的独我論と呼ぶことにしよう。 [101--102: 野矢 2005]

以降、 とくに断わらない限り「独我論」という言葉は、 ウィトゲンシュタインの言語論的独我論を指すものとして 使用する。 なお、「論理空間」とは、 野矢の簡単なまとめによれば 「いまの私に開かれている 思考可能なものの総体」である。

3.3 語り得ぬものとしての他者

ウィトゲンシュタインの議論は続くー 言語の限界が世界の限界であり、 その外側 とは「語り得ぬ」ものなのである。 そして他者とはまさに、 この論理空間の外側の別名に他ならないのである、と。

こう述べれば、 デイヴィドソンの議論との類似は明らかであろう。 デイヴィドソンの議論の「概念枠組」を 「論理空間」に置き換えて読みかえればいいのだ。 論理空間の外側には語り得ぬ他者が、 そして、 概念枠組の外側には語り得ぬ異文化が広がっているのだ。 そして、ウィトゲンシュタインの警句が響くー 「語り得ぬものについては 沈黙しなければならない」と。

3.4 独我論の風景

この独我論から帰結する風景を描いておきたい。 ウィトゲンシュタインは言う 「独我論を徹底する と純粋な実在論と一致する」 ( [Wittgenstein 1961] (五・六四))と。

ウィトゲンシュタインの独我論と実在論との 同一性の議論を、 野矢はすばらしい喩えで説明する。 「世界のすべてが自分のものだとして育て られてきた」 [140: 野矢 2011] そのような王様を考えてみよ、と。 そのような教育の結果、 「彼は「自分のものではない」ものが何ひとつ想像 できず、「これもまた私のものだ」などという庶民的考えをもつこともな かった。「私の」という所有格は、彼にはまったく無用 だった」ということになろう。 独我論も同じである。 他者の心のないところでは、 わたしの心さえも存在しない。 たとえ端的に心に関する事象、 痛みや悲しみをとりあげても、 「それはもはや心の描写としての眼目を失い、 世界描写に等しいものとなっ てしまうのではないだろうか」 [125: 野矢 2012 (1995)]。 そして野矢は次のように結論する: 「[独我論の中で]「唯一の私の心」 という言い方はできない」 [125: 野矢 2012 (1995)]と。

すべてを所有する王の語彙に 「わたしのもの」や「所有」がないように、 独我論者の語彙に 「わたしの心」や「見え」は存在しない。 そして、「概念枠組」も存在しない。 ウィトゲンシュタインの独我論には 「わたし」は存在しないのだ。 徹底した独我論は、むしろ、 無我論になるのである。

そしてこのような独我論の中に広がる風景は 純粋実在論の世界である。 他我が存在するからこそ、 自我(わたし)が存在する。 だからこそ、 他我の見えに対して、 わたしの見えが問題になるのだ。 独我論は「わたしの見えが 唯一の見えだ」と 主張するのではない。 それは他我の垣間見える現象主義的独我論に過ぎないのだ。 それはいまだ認識論の世界を引き摺っている 独我論なのである。 独我論の中にはわたしは無いのだから、 見えもまた存在しない。 すべては存在の世界、 純粋実在論の世界なのである。

純粋実在論の世界とは、 影のないあるいはのっぺらぼうの世界と呼べよう。 認識論の風景には、 わたしの知ることのできないもの、 「ここからは見えない場所」 (たとえば建物の裏側など)、 「わたしからは知りえない他者の心」などの、 欠損部分としての影がある。 純粋実在論の世界には、 そのような影はないのだ。

3.5 反・反自文化中心主義

「概念枠組」の中に現れる一つの立場を、 ウィトゲンシュタインの言語論的独我論に重ねあわせた。 ここでは、 それが普遍主義と重なるものであることを 示していきたい。

議論のとっかかりとしたいのは リチャード・ローティの「反・反自民族中心主義」 ( [Rorty 1991b]および [Rorty 1991c])である。 この立場は、 彼が ギアツの「反・反相対主義」 [Geertz 2000] への反論として主張する立場である。 彼はギアツの議論、 反・反相対主義が、けっきょくは 反自民族中心主義であると捉える。 そして、この捉え方は正しい --- ギアツは、むしろ、ヨーロッパ中心主義 という名前の 自民族中心主義に異を唱えているのだから。

ローティの議論はこうである。 ギアツの心意気は分かる (ギアツの議論に政治的には賛成できる)。 しかし、われわれはけっきょく 自分がいまいる立場から逃がれることは できないだろう(ギアツの議論は認識論的には正しくない)。 わたしは、(いつもの皮肉な調子でローティは続ける) 「金持ちの北アメリカのブルジョワ」 [201: Rorty 1991cm4_dnl ] としての 立場からしか発言はできないのだ、と。 以上がローティの自民族中心主義の擁護である。

このようにして、 ローティは、 ギアツの反自民族中心主義 (ギアツの言う「反・反相対主義」)を退ける。 ただし、 彼の立場は単純な自民族中心主義ではない。 彼は、ギアツの心意気には同意しているのだ。 彼は、いわば、この単純な自民族中心主義から出発して、 なんとか異文化に手を伸ばそうとする、 そのような立場を標榜するのである。 これこそが彼の言う「反・反自民族中心主義」なのだ。

ローティの自民族中心主義が、 独我論に近い考え方だということを あらためて指摘するまでもないだろう。 問題は、出発点を独我論に置きながら、 彼が軽々と相対主義への理解を示す点である。 独我論に他者は(そして異文化は)存在しない筈なのに。

ローティが独我論から他我を認める議論に 移れたのは、 彼の独我論が現象主義的独我論だったからである。 現象主義的独我論は、すでに述べたように、 認識論的な独我論である。 それは「わたしの見えが正しい」と主張する 独我論である。 それは他我が垣間見える独我論である。 もともと他我が(そして異文化が)議論の前提にあるのだから、 他我(異文化)について語ることが容易だったのだ。

わたしがこの論文の中で、 文化相対主義の敵として措定する普遍主義は、 自民族中心主義、すなわち現象主義的独我論ではない。 [3] そうではなく、 わたしの対峙する普遍主義は、 ウィトゲンシュタインが展開する、 純粋実在論となる言語論的独我論としての 普遍主義である。

4. 文化

議論を整理しよう。 文化相対主義とは、 テーゼ (1)、すなわち 「異なる文化に住む人びとは異る世界に 住む」を主張する立場である。 そして相対主義への批判は、 テーゼ (1) が必然的にテーゼ (2)、 すなわち 「われわれは、 異なる文化を理解できない」を導くと主張するのだ。

これまで紹介してきた議論は テーゼ (1) を認め、 それゆえテーゼ (2) をも認める議論である。 それはウィトゲンシュタインの独我論であり、 デイヴィドソンの「概念枠組」論文が導く 一つの立場であり、 そして普遍主義である。

わたしが展開したい議論は、 (1) を認めた上で、それが 必ずしも (2) を導かない、 すなわち「異文化理解は可能である」とする議論である。 それこそが正しく「文化相対主義」を名乗ることができる 立場であろう。 わたしは飽くまで テーゼ (1) を認めた上での議論をしたいのである。

わたしの立場を議論する前に、 この章では(やや議論の本筋とは脱線するが)、 これまでの文化相対主義をめぐる議論を整理しておきたい。 それらは、一言でいうと、 普遍主義と文化相対主義の対立を認めない立場、 テーゼ (1) を認めない立場であるとまとめることが できるであろう。 テーゼ (1) を認めないとは概念枠組の存在を、 すなわち文化の存在を否定する議論である。

このような迂回を経ることによって、 わたしが自らに課したタスクの困難さを 理解してもらえると期待する。

4.1 墓碑銘のすてきな乱れ

デイヴィドソンは 「概念枠組」論文 [Davidson 1984 (1974)]で 決して独我論を主張したわけではないことを 繰り返しておきたい。 デイヴィドソンはテーゼ (1) (あるいは 「概念枠組」)を認めると、 おかしな結論になる(テーゼ (2))、 [4] だから概念枠組という考え方は間違っている、と 主張しているのだ。 それでは、 デイヴィドソンは、言語をどのようなものと 考えているのだろうか。

彼の言語観を表わしているのが 「墓碑銘のすてきな乱れ」という論文 [デイヴィドソン 2010] である。 この論文は、その過激な宣言、 「言語などというものは存在しない」 [170: デイヴィドソン 2010]で 有名である。 言語と文化を同一視しているこの論文の脈絡で言えば、 デイヴィドソンは「文化などというものは存在しない」と 宣言していることになる。

この宣言、「言語などというものは 存在しない」の「言語などというもの」には 注記が必要である。 全文を引用しよう、彼はこう言っているのだー 「もし言語というものが、 多くの哲学者や言語学者が考えてきたようなもので あるとすれば、 言語などというものは存在しない」 [170: デイヴィドソン 2010]。 否定されているのは 「多くの哲学者や言語学者が考えてきた言語というもの」 である。

彼はコミュニケーションに関しての 二種類の理論を考える。 一つは事前理論であり、 もう一つは当座理論である。 デイヴィドソンは言及していないが、 この二種類の理論は、 D・スペルベルとD・ウィルソン [スペルベル、ウィルソン 1999]の言う 「コードモデル」と 「推論モデル」に相当すると考えていいだろう。 コードモデルは、わたしの言うところの 「コードモデル」に正確に対応する。 共有された暗号手帳によるメッセージのコード・デコード としてコミュニケーションを見る見方である。 推論モデルは、 彼らがH・P・グライスから取り入れた考えであり、 会話の際に コードモデルを補う役割をするモデルである。 例えば、 「この部屋は息苦しいね」という発話を、 「窓を開けて欲しい」という要望と解釈する際に 援用されるモデルである。 [5]

デイヴィドソンの言う 「多くの哲学者や言語学者が考えてきた」言語とは、 この事前理論(コードモデル)にもとづく言語である。 直前の紹介からも分かるように、 スペルベルとウィルソンは、 コードモデル(事前理論)と 推論モデル(当座理論)の両方が、 会話の際に作動していると考えている。 デイヴィドソンは、事前理論(コードモデル)は 必要ない、 当座理論(推論モデル)だけで 言語を理解するには充分なのだ、と主張しているのである。

4.2 ズレ

冒頭で述べたように、 濱本の「代価」論文 [濱本 1985]は、 テーゼ (1) を認めない立場である。 議論の中で大きな位置を与えられているのが、 「ズレ」という概念である。 彼は言う: 「言語が自らのうちに自分自身との「ズレ」を 含み、 また不断にそうした「ズレ」を生みだすことによって 特徴付けられる体系である、という 言語に関するきわめて基本的な事実」 [112: 濱本 1985]があるというのだ。

濱本論文は議論は明快なのだが、 肝心のキー概念、「ズレ」が非常に分かりにくい。 わたしには「自分自身とズレ」ているものという 言い方が理解できなかったのである。 前節の事前理論と当座理論の対立を 導入すれば、 「ズレ」が何を意味するのかが分かりやすくなるだろう。 ズレとは、 事前理論と当座理論のズレなのである。 言葉は、つねに字義通りの意味からズレていくのだ。 それこそが、 濱本が詩人を登場させて言いたかった点なのであろう。 [6]

4.3 水源地モデルの批判

野矢は、わたしの辿っている道、 すなわち、 独我論を認めた上で 「語りえぬ他者」を語ろうとする道を 辿る先人である。 独我論の導く結論から 脱出しようとするための彼の戦略は多岐に渡る。 [7] 現在の文脈でとりあげるべき野矢の戦略は、 彼の水源地モデルの批判である。

彼はコードモデルそして水源地モデルが 前提とする規則観を、 ウィトゲンシュタインの規則論を引きながら 批判するのである。 コードモデルそして水源地モデルが前提とする規則観とは つぎのようなものであるー 「ある規則がある、 そしてある実践がある。 その実践がその規則にのっとったものであるかどうかを、 実践と規則を照らしあわせてわたしたちは判断する」。 ある実践が規則にのっとった実践である、という判断を 語る仕方、 言わば「規則の実在論」が間違っていると、 野矢は言うのだ。

野矢の議論は説得的である。 じっさい、 野矢の議論を踏まえてはじめて わたしは、 デイヴィドソンの 「墓碑銘のすてきな乱れ」の議論を、 それなりに理解できたような気がしたのである。

4.4 独我論からの出発

以上の濱本・デイヴィドソン・野矢の議論を紹介して わたしが行ないたかったのは、 「相対主義の代価」議論の大勢は テーゼ (1)、 すなわちコードモデルと水源地モデルの否定にあるということを 示すことである。 すなわち、それらの議論は文化というものの存在を 否定するのである。 わたしは人類学者として、 「文化」あるいは「概念枠組」という考え方を 固持したいのだ。 それゆえ、 テーゼ (1) を否定しない。 すなわちピジョンホール相対主義の立場をとる。 そして、 その立場を取ることが、 決してテーゼ (2)、すなわち異文化理解の不可能性を 導かないことを示すことなのだ。 [8]

5. アスペクト

結論となるこの章は、 とつぜん経験主義的な様相を呈することになる。 議論は次のように運ばれる。 まず、 ウィトゲンシュタインの言う独我論は、 現実世界では自閉症に相当することを示す。 ウィトゲンシュタインの言うことが 正しければ、人間はすべて自閉症であることになる。 しかし、そうではない。 ということは、 ウィトゲンシュタインは、 人間のある能力、 自閉症者に欠けていて、 定型発達者には備わっているある能力を考慮に入れ忘れた ことになる。 [9] ここで注目したい自閉症者特有の欠如した能力とは、 「複数の視点をもつ」という能力である。 それは、 視点の所有者としての他我を認める能力である、 と言い換えることができよう。 これこそが議論にとりこまなければいけなかった 能力なのだ。

発達心理学的に述べれば、 人間は1才から1才半までは 独我論者(自閉症者)である。 そして、 この時期に幼児は鏡像段階 [ラカン 1972]を経過する。 幼児は他我を獲得するのである。 [10] 他我の獲得は自我の獲得へと導かれる。 この鏡像段階に獲得される能力こそが、 「複数の視点をもつ」という能力なのである。 [11]

最後に、この「複数の視点をもつ」能力を 理論的に洗練させていきたい。 それは二段階の議論となる。 第一の段階として、 この能力がウィトゲンシュタインの言うアスペクト把握 能力に重なること、 とりわけ野矢の言う複相 (「相」は「アスペクト」の翻訳である)議論と 重なることを示したい。 そして第二の段階として、 複相の議論を、 修辞論の中の「引用」をめぐる議論に重ねることによって 議論の深みを増していきたい。 最後の引用論は 議論の輪郭を示すにとどめる。

5.1 自閉症

自閉症は、 ウィトゲンシュタインの独我論、 他我も自我も存在しない独我論、 の現実態であると見ることが可能である。

自閉症児における他我と自我の不在を、 酒井保は、彼らの人称代名詞の特殊な 使い方の中にみる [148: 酒井 2001]。 現象学の視点から自閉症児を見てきた 村上靖彦は、 有名なクレーン現象を引きあいにだして、 それを「超越論的主観性はあるけれども、 行為主体に想定されるはずの純粋自我はない状態である」 [159: 村上 2008] とまとめる。

自我が存在しなければ、 視点も存在しない。 それゆえ独我論の中の世界は 純粋実在論の世界となる。 それは影のない、のっぺらぼうの世界であろう、 とわたしは語った。 次の引用を読んでほしい。

ガーランドにとって、見えないものは 端的に存在しない。 奥行きと裏側が存在しない。 ・・・・・ 物がタンスの下に入ってしまったときには、 端的に消え去った・存在しなくなったということになる。 [88: 村上 2008]

これは野矢による独我論の描写ではない。 村上による自閉症児の前に広がる 純粋実在論の風景の描写である。

5.2 複数の視点

ウィトゲンシュタインの独我論を自閉症と 重ねた上で、 次に行ないたい作業は、 定型発達者にあるが 自閉症児には欠けている能力の同定である。 それは他我の獲得(ひいては自我の獲得)に密接に 関連している必要がある。

この文脈で、 玉井収介の挙げる次のエピソードは重要である。

ある日彼 [自閉症児]は、 明治村にいった。ここには昔、京都市内を走っていた電車が ある。展示品であると同時に、広い構内の交通機関の役も果たしている。 昔通りの服を着た車掌さんがいて、 観光写真に収まってくれる。 彼はその車掌さんに、

「京都の市電は廃止になった?」ときいた。

「廃止になったよ」

同じ質問は7、8回つづいた。 彼はいまここで乗ってきたではないかといいたかったの であろう。 そういういいかえができないのが、自閉症児の特徴のひとつでもある。 [110--111: 玉井 1983]


玉井は自閉症児に欠けている能力を 「ここは博物館である。したがってここで動い ているにしてもそれは社会に通用するものではない」 [111: 玉井 1983]という「二重構造」 [111: 玉井 1983]を 把握する能力と呼ぶ。

村上は自閉症児の特徴として、 ごっこ遊びができないことを挙げる。 この特徴を彼は フッサールの言葉「知覚的空想」 [Husserl 2005] を使って説明する [111: 村上 2008]。 「知覚的空想」とは 「石を知覚しながらケーキと思い見なし、自分自 身でありながら、同時にママの役を演じる、 という知覚と空想が重なり合う現象である。」 [111: 村上 2008] そして(村上は言う) 自閉症児にはこの知覚的空想の能力が欠如しているのである。 人類学者ならば G・ベイトソンの議論 [Bateson 1972]を 援用して、 メタ・コミュニケーション能力の欠如と言う方を 好むかもしれない。 一人の子供が石を前にして遊び相手に言う、 「ケーキをどうぞ」と。 ここには、 「これはケーキだ」というメッセージと同時に、 「これは遊びだ」という メタ・メッセージが伝えられているのだ。 メタ・コミュニケーションの能力が欠如していれば、 相手はその石を口に入れてしまうだろう。 そして、じっさい、自閉症児はしばしば 石を口に入れるのである [120: 村上 2008]。

玉井の例に戻れば、 博物館の中では「これは電車だ」というメッセージと 同時に、 「これはほんとうは(博物館の外では) 電車ではない」というメッセージもまた 伝えられているのだ。 自閉症児は二つ目のメッセージを把握できない のである。

5.3 複相とアスペクト盲

以上述べてきた自閉症児に欠けている能力、 すなわち「二重構造の把握」「知覚的空想」「遊び」の 能力をまとめて説明できる仕方がある。 ウィトゲンシュタインによるアスペクトの議論である、 とりわけ、それを発展させた 野矢による 複相(「相」とは「アスペクト」の翻訳である)と アスペクト盲の議論である。

ウサギにもアヒルにも見える反転図形がある。 Aがこの図の前に立ち、 「これはウサギだ」 (1) と言う。 この状況を、野矢は「単相状態」と呼ぶ [210: 野矢 2012 (1995)]。 この状況ではアスペクトは介在しない。 見え(アスペクト)は問題にならず、 ウサギはそこにあるのだ。 ちょうど独我論に我がないように、 単相に相(アスペクト)はないのだ。 Bが同じ図の前で言う、 「これはアヒルだ」と。 これもまたBにとっての単相状態である。

二人が会話しはじめると、 それがウサギなのかアヒルなのかという 問題が生じる。 その論争が終わった後の、 論争の報告を考えてみよう。 Aは報告する、 「Bにはこれがアヒルに見える」 (2a) と。 あるいは、同じことだが、 「Bは「これはアヒルだ」と言う」(2b) と。 見え(アスペクト)が介入してきたのだ。

最後の段階を考えよう。 Aがこう言うのだ、 「わたしにはこれがアヒルに見える」 (3) と。 この段階に達すれば、 Aは「これをウサギとして見る」ことも可能となる。 この段階を野矢は「複相状態」と呼ぶ。

(1) は純粋実在論の世界であり、 (2) から (3) にかけて認識論の世界が広がるのである。

単相状態にアスペクト(相)はない。 ここで、単相状態だけ生きている人間を考えてみよう。 すなわち「として見る」ことの出きない人間である。 このような人間こそが、ウィトゲンシュタインが 『哲学探求』 [Wittgenstein 1968] で問題にする 「アスペクト盲」である。 野矢を引用しようー 「アスペクト盲は 「あの雲はなんだか猫に見える」とは言わない。 そしてまた私が「この黒板消しを スリッパとして見てごらん」と促しても、 何をしてよいのか分からない。 タクアンを卵焼きに見立てることもできない」 [166: 野矢 1999]。

このアスペクト盲の描写が 自閉症児の描写と酷似していることは、 あらためて指摘するまでもないだろう。 彼らは石をケーキとして 見ることができないのである。 わたしは、 自閉症とは、そして独我論とは、 アスペクト盲だと言いたいのである。 すなわち、 独我論が議論に入れるべきだった 人間の能力とは、 アスペクト把握の能力なのである。 そして、 テーゼ (1)の立場に立ちながらも、 すなわちピジョンホール相対主義の立場に立っても、 人間の能力としてアスペクト把握の能力を 考慮すれば、 テーゼ (2)、すなわち異文化理解の不可能性が 結論することはないのである。 文化相対主義は可能なのである。 なぜなら、 人間に備わっているアスペクト把握の能力が、 純粋実在論の世界に他我の視点を、 そして異文化を導入することを可能にするのだから。

ここで人類学の民族誌に頻出する 信念文を考えてみよう。 信念文とは、 「エンデの人たちは 『死は妖術のせいだ』と信じている」という 類の文である。 このような信念文が、 直前の例文の一つ (2b) に相当することを示して、 この論文の本文の結論としたい。 (2b) を再掲しようー 「Bは「これはアヒルだ」と言う」。 (2b) が信念文の原型である。 (2b) を、 「Bは「これはアヒルだ」と信じている」という 信念文に変換しても、 意味の変化はまったくない。 すなわち人類学に頻出する信念文は、 決して他者の(あるいは異文化の人びとの) 心の中に侵入する描写ではない。 それはアスペクト把握にもとづく報告の仕方なのである。 [12]

6. 結論にかえて、あるいは拡張引用論

冒頭の宣言、 「この論文の目的は 『文化相対主義が可能である』ことを 示すことにある」は果たしたと考える。 敢えて議論を復唱はしない。

最後の章で行ないたいことは、 まとめではなく展望である。 この論文は、たしかに、 安心して文化相対主義を標榜して 人類学を行なうことを可能にするために 書かれたものである。 そのタスクは、 人類学者のもつアスペクト把握を 指摘することで、 異文化理解の可能性を示すことによって 果たされた。 ここで強調したいポイントは、 アスペクト把握の能力は 決して人類学者だけに備わっているのではなく、 人間全体に、 人類学の対象である人間全体に 備わっていることである。 わたしは、 アスペクト把握という概念は民族誌を描く際に おおいに活用されるべき道具であると考えている。 多くの民族誌的事実が アスペクト把握を引き合いに出すことで その意味を説明できると考えているのだ。

そのためには、 この概念の抽象度をさらに上げる必要があるだろう。 わたしは、 「アスペクト把握」を「引用」の一種として とらえたい。 以下は、あるかもしれない当論文の続編への予告編である。

6.1 のめりこむことと一抜けること

引用の議論をする前に、 わたしが『言語ゲームが世界を創る』 [中川 2009]の中で展開した ある議論を、 これまでの単相・複相の議論に取り込んでおきたい。 わたしは当該の著書の冒頭の章で、 ゲームに対する二つの態度、 「のめりこむ」と「一抜ける」を議論の中に導入した。 二つの態度の対照は、 ゲームのルールの可視性に関連する。 将棋にのめりこめば、 ルールは見えなくなる。 それは言わば自然法則のようなものとなるのだ。 ところが、そこから一抜ければ、 ルールがありありと見えてくる。 これが当該の本での描写である。 これを単相・複相の言葉で 語り直したい。

プレイヤーがゲームにのめりこめば、 世界は単相状態になる。 言い換えればプレーヤーはアスペクト盲となるのだ。 「私は、自分が従っている意味や規則といった 規範など意識してはいない。 なめらかな生活と実践の中にあって、 私はまさにアスペクト盲として、 盲目的にそうしているのである。」 [168: 野矢 1999] ところが、いったん一抜けると世界は複相状態になる。 プレイヤーは、 「これは遊びだ」というメタ・メッセージを 了解した上でプレイをすることになるのだ。

6.2 引用論

単相・複相の議論を引用論へと 接木する作業を行ないたい。 まず引用論について簡単に紹介したい。

引用について、 入門書的に説明すれば、 次のようになるであろう。 言葉には二つの使い方がある。 使用 (use) と言及 (mention) である。 「中川は大学の教員である」という文において、 ここに登場するすべての言葉は使用されている。 これに対して、 「中川は漢字で二文字である」という文では そうではない。 後者の文において、 「中川」は言及されているのだ。 言及の典型的な例こそが引用である。

引用論には膨大な蓄積があるが、 基本的には上記のように、 引用を言及の典型として見る議論であった。 その流れに転機をもたらしたのが、 デイヴィドソンによる引用論 [Davidson 1985]である。 彼は、引用とは言及と同時に使用でもあることを 指摘したのだ。 「中川は『相対主義が可能だ』と言った」という文を 考えよう。 たしかに、 第一段階の理解として、 引用の部分をモノとして見ること、 すなわち「中川は P と言った」と見る段階を 想定するのは間違いではない。 しかしこの文の十全な理解のためには、 引用された内容、すなわち 「相対主義が可能だ」の内容 の理解が必要である。 すなわち、 引用とは言及であると同時に使用でもあるのだ。

デイヴィドソンによる引用論が、 これまで述べてきた単相・複相の議論と重なるであろう ことが直観的に見てとれるであろう。 わたしの行ないたいことは、 一方で、 引用論を修辞学から解放してより 広い範囲をカバーできるように拡張すること、 他方で、 単相・複相(のめりこむ・一抜ける)の議論を 修辞学としての引用の中に取り込む、という 作業である。 これを仮に「拡張引用論」と名付けよう。

拡張引用論の中で、 博物館は引用符として語られることになる。 単相状況では(引用の内部の視点では) 電車は電車である(使用されている)。 しかし博物館を十全に理解するためには、 電車が引用されているものである (言及されている)という複相の視点をも 同時に見なければならないである。 将棋を十全に遊ぶためには、 のめりこむ(使用する)と同時に 一抜ける(言及する)必要があるのだ。 ポイントは「同時に」にある。 この二つの態度を同時に取ることが、 (拡張された意味での)引用理解の 必要条件なのだ。

再び信念文に戻ろう。 「エンデの人たちは 『死は妖術のせいだ』と信じている」という文である。 それは典型的な引用である。 その引用を言及にとどめるならば、 人類学者は珍奇な慣習を報告する旅人と変わらない。 引用が使用として使われるとき、 人類学者はエンデ人になりきってしまう。 人類学者は、この文を拡張した意味での 引用としてあやつるのである。 彼女は引用を言及する(それから一抜ける)と同時に、 使用する(それにのめりこむ)のである。

この拡張引用論は、 たとえば芸術(自然の引用)を、 とりわけ現代芸術(芸術の引用、すなわち 引用の引用)を考察するのに 大きな武器となるのではないだろうか、と わたしは考えている。 伝統的な人類学的対象としては、 たとえば、儀礼を挙げることができよう。 拡張引用論の中で、 儀礼は世界の引用として理解することができるかもしれない。 壮大な予感ではあるが、 社会を成り立たせているのは、 じつは引用ではないかと わたしは考えている。

Bibliography

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ENDNOTES

[1] 野矢は 「水源地モデル」を論難すべき考え方としていることを 付け加えておきたい。 [Back]

[2] 濱本の描く相対主義者は、 スペルベルやブロックのような反相対主義者の描く イメージとしての相対主義者からとっている。 [Back]

[3] 普遍主義と自民族中心主義との類縁関係については [濱本 1996]を見よ。 [Back]

[4] 「おかしな結論」をそのまま認めるのが、 ウィトゲンシュタインの独我論である。 [Back]

[5] この例文は、 関連性理論が、 オースティンそしてサールの 言語行為論と深く関連していることを示すために、 私の作った例文である。 [Back]

[6] 濱本が、デイヴィドソンのように 当座理論だけでよい、すなわち、 「言語というものは存在しない」と考えているのか、 それともスペルベルとウィルソンのように、 事前理論もまた必要だ、と考えているのかは、 わたしには分からない。 [Back]

[7] たとえば、彼は、 言語化されない経験に 独我論からのひとつの突破口を見出そうとしている [324--325: 野矢 2011]。 ここで指摘されている事実は、 中山康雄が わたしの『言語ゲームが世界を創る』 [中川 2009]への コメント [中山 2011] で述べた「人間に共通した経験」と 重なるのだろうと思う。 [Back]

[8] わたしは、それゆえ、この論文で テーゼ (1)の正しさを積極的に証明しているわけではない。 そうではなく、テーゼ (1) を正しいと仮定しても (文化相対主義の立場をとっても) 異文化理解が可能であることを証明したいのである。 [Back]

[9] わたしの議論に医療者の視点はない。 わたしが自閉症を取り上げるのは、 ヤコブソンが失語症を取り上げる時 [ヤコブソン 1973] と同じ視点である。 彼が失語症の症例から人間の言語能力を考察したように、 わたしは自閉症の症例から人間のコミュニケーション能 力を考察しているのである。 [Back]

[10] 鏡像段階については本論で触れていない。 この脚注で、鏡像段階のアイデアこそが、 この論文全体のアイデアを産んだことを述べておきたい。 さらに言えば、 歯科医で使用される歯のモデルについて 聞いたことが、 鏡像段階についての議論を思い出させ、 さらにはこの論文全体のアイデアを引き出したことを 述べておきたい。 [Back]

[11] より還元主義的に語れば、 鏡像段階と ミラーニューロンの発達との関連が考えられよう。 [Back]

[12] [濱本 2007]もまた、 信念文に関して、 このような結論を引き出していることを 付け加えておきたい。 [Back]