2026-06-30 (Ver 0.72-beta)
去年(2025年)の夏のことだ。 例年通り、私はズパドリ村のハニ先生とリヴァの夫婦の家にお世話になった。 その日、ハニ先生たちは、牛の借りを返すために二人で隣の県まで牛を買いにいっていたという。
ハニ先生になぜ牛を買いにいったのかを聞くと、イマ(ハニのワイフ・ギバーにあたる)に借りていた牛を返すためだというのだ。 話を聞くと、この牛には長い長い交換の物語がついていた。 今回の発表は、この交換の鎖を紹介することを目的とする。
この交換の連鎖はとてつもなく楽しい物語だった。 KAPAL で発表したくて すぐに手を挙げた。とは言え、なにか枠組(問題と解決)がないと発表にはならないので、とりあえずのものを用意した — それが歴史と構造、そしてそれをアウフヘーベンする実践という枠組である。
第1章「はじめに」で「構造と歴史、そしてそれをアウフヘーベンする実践」という粗い枠組を紹介する。第2章でエンデの「構造」、第3章で「歴史」を詳説する。そうして、第4章「実践」で、ハニの牛を巡る物語を披露する、以上がだいたいの筋である。
この論考の目的はエンデにおける実践について見ていくことである。 私のこれまでの KAPALにおける発表は、基本的に規則(あるいは構造)についての考察であった。 今回は、そこで述べた構造が、いかに歴史という偶然の出来事の積み重なりに耐えてきたかをみて行きたい。
この節では、歴史と構造について述べる。
C. レヴィ=ストロース (レヴィ=ストロース 1972) そして M. サーリンズ (Sahlins 1981) の二人の「歴史と構造」論を比較することから議論を始めよう。
サーリンズの Historical Metaphors and Mythical Realities (Sahlins 1981)は、ハワイ王国の歴史の中での構造と歴史の弁証法について述べたものである。彼の議論は、概ね以下の通りである。(1)人間は基本的に構造にしたがって行動(実践)する。(2)実践が予期せぬ出来事(歴史)に遭遇したとき、構造が変容するのだ、と。
レヴィ=ストロースは「歴史学と民族学」(レヴィ=ストロース 1972)において、構造を対象とする民族学と歴史を対象とする歴史学を比較する。彼の主張していることは、構造と歴史の関係に関してまとめると、構造は何があろうと変化はしない、ということである。
大きく異なる二人の「構造」観なのだが、実は、レヴィ=ストロースとサーリンズの二人が言う「構造」は、かなり違ったものを指している。レヴィ=ストロースにとって、構造とは「人間の精神」 (レヴィ=ストロース 1972b) である。二項対立などがその候補となるだろう。それらの構造は、言わば種としての人類に固有のものなのである。それゆえ、簡単に変化するものではないのだ。 それに対して、サーリンズの「構造」は(ビジュアルな比喩をつかえば)もっと浅いものだ。彼は構造の変容として次のような例を挙げる:かつてハワイでは女と男は食事をいっしょにすべきではないという禁忌(タブ)があった。これがクックら外来の人間によって無視され、最終的に王でさえ、女性といっしょに食事をするようになったというのだ。かくして構造はいとも簡単に変容(この場合は消滅)してしまうのだ。
ここでレヴィ=ストロースの有名な比喩 (Lévi-Strauss 1960) を使おう。サーリンズの扱っているデータはジグソーパズルのピースであり、レヴィ=ストロースの言う構造は、それらのピースを作り出す数学的な公式(そしてそれに従って動くカム軸 (cam-shaft))なのである。「カム軸」というのは、わたしには縁遠いものなので、「歯車」という比喩に変えたい。レヴィ=ストロースのいう構造とは、パズルのピースを作り出す機械の歯車、あるいはそれを動かす数学的な公式なのである。
| 構造 | |||
|---|---|---|---|
| 浅い | サーリンズ | ジグソーのピース | タブ |
| 深い | レヴィ=ストロース | ピースをつくる歯車 | 二項対立 |
二人の「構造」観は、次のような物語としてまとめる事ができよう。文化は構造をもつ、文化が歴史と直面する時、その軋轢の中で表面上にある構造、パズルのピースしての構造は変容するのだが、深層にある構造、パズルのピースをつくりだす歯車は変容しないのである、と。
この章ではエンデの「構造」について簡単に述べよう。 ここで述べている構造が、深い構造なのか、浅い構造なのかという問いを念頭に置きながら、この章の説明を聞いてほしい。
エンデをエンデたらしめているのは交換である。 ここでは、交換について、(1)私が『交換の民族誌』 (中川 1992) で描いた側面と、 (2)近年の KAPAL での発表(「アキカエシ三部作」) (中川 2020、 中川 2022、 中川 2023) で紹介した交換のもう一つの側面にわけて、紹介しよう。
『交換の民族誌』 (中川 1992) において、私はエンデの交換を次のようにまとめた。
| タイトル | 動詞 | 関係 | 交換原理 | 関係 | 場面 |
|---|---|---|---|---|---|
| 市場交換 | 売る 買う | NR/NR | 等価 | 無関係 | 市場 |
| 贈与交換 | 与える 受け取る | WG/WT | 互酬性 | 親族関係 | 村 |
エンデには厳格に区分された二つの交換の領域がある。一つは、私たちにもなじみの、市場交換の領域であり、そこでは非親族同士 (NR/NR) が等価交換をする。彼らは売り téka そして買う mbeta のだ。 もう一つが贈与交換の領域(ワイザキ)であり、そこでは親族同士が、とりわけワイフ・ギバーとワイフ・テイカー (WG/WT) がその関係にふさわしい交換をするのである。ワイフ・テイカーが象牙を、動物を与え pati ワイフ・ギバーは受け取る simo のだ。その場を支配する論理は等価性ではなく、互酬性である。
私が『交換の民族誌』(およびそのほかの論文)で強調したのは、エンデにおける「モースの原理」の重要性である。モースは『贈与論』 (Mauss 1990 (1950)) の中で言う:「友達関係が贈与を作り出すだけでない;贈与が友達関係を作り出すのだ」と。エンデでは NR/NR が売買をするだけではなく、売買することが NR/NR 関係を作りだすのだ。あるいは、WT が WG に象牙を与えるだけでなく、しばしば象牙の贈与が WG/WT 関係を作り出すのだ。
『アキカエシ三部作』で強調したのは「アキカエシの原理」である。 「アキカエシの原理」が活躍するのは、交換の裏舞台、すなわち負債においてである。 交換に二種類あったように、負債にも二種類ある。 一つは、市場交換の中の負債である。それらはスプsepu (あるいはソンゴ songgo) と呼ばれ、厳格に取りたてられる。 もう一つは贈与交換(ワイザキ)の中の負債であり(とくにエンデ語の名前はない)、 それらは「バランスがとられれていない」という雰囲気があるだけであり、決して取り立てが来るわけではない。
私が「アキカエシ三部作」で強調したのは、エンデの人たちは後者、即ち、互酬性の中の負債を積極的に評価しているということである。この負債が人と人との関係を作ってゆくのだ。そして、この負債が関係をつくっていくという原理、すなわちアキカエシの原理が、さまざまな規則の背後にあるということを、私は示していったのである。
| タイトル | エンデ語 | 関係 | 交換原理 | 関係 |
|---|---|---|---|---|
| 市場交換 | スプ | NR/NR | 等価 | 無関係 |
| 贈与交換 | (アキカエシ) | WG/WT | 互酬性 | 親族関係 |
モースの原理、アキカエシの原理が、その他の規則(たとえば母方交叉イトコ婚、ワイフ・テイカーが象牙を与えるなどなど)の背後にある、あるいは、 より深いところに位置しているは確かであろう。 しかし、だからといって、それらの原理が(二項対立のように)人類に共通してある構造であるとは、考えにくい。 それでは、これらの原理をどのようにとらえればいいのだろう。
エヴァンス=プリチャードは「フィールドワークと経験的伝統」 (Evans-Pritchard 1951) というエッセイの中で次の様に書いている — 「人類学者は、彼が研究している人々の文化が課している限界の中で生活する・・・彼はその文化の年輪 (cultural grain) に従うしかないのである」 (p. 83) と。 私が言いたいことは、原理(たとえば「アキカエシの原理」)は、EPの言う「年輪」と呼ぶにふさわしいだろう、ということである。そして、「年輪」は、浅い構造よりは深い位置、しかし深い構造よりは浅い位置、
「そこそこの深さ」に位置していると言えよう。
| 構造 | 比喩 | 具体例 | |
|---|---|---|---|
| 浅い | サーリンズ | ジグソーのピース | タブ |
| そこそこ | EP | 年輪 | アキカエシ |
| 深い | レヴィ=ストロース | ピースをつくる歯車 | 二項対立 |
さまざまな出来事、その積み重なりとしての歴史が、私がエンデとつきあってきたこの50年間に起きた。 その内のいくつかは構造(ワイザキ)が現実化することを阻害するような変化である。
ここでは財の供給の不足となった出来事と、 財への需要の膨張となった出来事とを、構造に抗する歴史の代表例として紹介しよう。
その様な歴史の一つとして、供給の不足を挙げることができる。 すなわち、ンガヴ(婚資)として使うべきさまざまな財(象牙、金細工、動物)が不足するという事態である。
私がエンデに入ったばかりの頃(1980年代)、「この頃象牙がなくなってしまった」という話をよく聞いた。かつて、象牙が 10本以上という婚資は普通だった。現在では象牙は 1本から、せいぜい 3本くらいである。村人たちが町の中国人たちに象牙を売ってしまったからなのだ。 1980年前後という時代は、教育熱が高まったころであり、村人は教育費として現金を必要としていたのだ。中国人は中国人で、増えはじめた観光客が象牙を求めていることに気づいた時期であった。
補填のための現金はそれなりにエンデの社会に流入してきた。マレーシアへの出稼ぎは、 1980年代半ばから始まり、1990年代にピークを迎えた(詳しくは 中川 (1999) を見よ)。出稼ぎは、社会にいろいろな変化を齎したが、ここでは「婚資のインフレ」をとり挙げたい。 未婚の男が大勢出稼ぎにでかけた。彼らは帰国すると同時に結婚した。現金をたくさんもっていた彼らは言われるままに婚資をはらい、結果として婚資のインフレをもたらしたのだ。婚資のインフレは、結果としては、婚資の供給の減少と同様の効果を齎すこととなった。
もう一つの構造(ワイザキ)への阻害となるであろう要因として人口圧がある。 利用できる財が限られているにも拘わらず、それを利用しようとする人間が増えているのである。
ズパドリ村のあるのはエンデ県のナンガパンダ郡である。ナンガパンダ郡の人口は、1979年では 19000人 (Kantor Sensus dan Statistik Propinsi Nusa Tenggara Timur 1980)、2024年には 23000人である (BPS Kabupaten Ende 2025)。人口は増加してはいるが、あまり大きな増加ではない。しかし、ズパドリ村の周辺を見ると、人口の増加率はかなり大きくなる。ズパドリ村にある小学校の校区は三つの村落から成る。その校区の世帯は、かつて(1960年くらい)は20軒弱であった。現在は合計で100軒に近くなっている。
次章で取り上げる「ハニ先生の牛」の事件が起きた 2025年を見てみよう。 2025年には、この三つの村で結婚が5つほど同時に進行した。結婚にはいくつもの段階(ボウ、トゥー・バンダ、結婚式などなど)がある。また、婿側と嫁側がともにこの三つの村であった場合もある。というわけで、私が滞在していた2025年の夏の 3週間の間、ほぼ毎日どこかで交換(ワイザキ)が起きていた。
贈与交換(ワイザキ)のための財(ンガヴ)が少なくなり、高価になった。 さらにはそれを求める人間の数は急増している。 エンデのワイザキはハワイのタブ(浅い構造)のように消滅してしまうのだろうか? あるいは二項対立(深い構造)のように全く変化を受け付けないのだろうか?
エンデからの回答(実践)は、そのどちらとも違っている。 これから述べる「ハニ先生の牛」の物語が告げるように、むしろ、ワイザキはいよいよ盛んになっているのだ。 それを可能にしたものは、深い構造でもなければ、 浅い構造でもない。 「アキカエシの原理」(そこそこの深さの構造)なのである。
それでは、なぜハニ先生が牛を借りるにいたったかの物語をはじめよう。
私の住んでいる村の名前は「ズパドリ」という。村での「私のお父さん」はアプさんという方であった。彼は1990年代には亡くなった。私はその娘、リヴァとその夫、ハニ先生の家にいつも世話になっている。彼らの家はズパドリ村にある。
ハニ先生の母親(ンボポさん)はアプさんの妹である。リヴァとハニの結婚は「母方交叉イトコ婚」ということになる。この結婚は系譜的に言えば確かに母方交叉イトコ婚なのだが、「婚資で結びつけられたキョウダイ」ではないことは付け加えておこう。ンボポさんは嫁ぎ先の村がきらいで、一家はずいぶん前からズパドリ村に引越していた。というわけで、ハニはリヴァと結婚しても、ズパドリ村に住んでいるのだ。
ぼくらが村に着いた日、彼らはその日がとても忙しい日だったと語った。彼らはその日、隣のナゲケオ県まで行って、牛を買いにいっていたというのだ。もちろん、人類学者は、彼らがなぜ牛を買ったのか、誰かに与えるためなのかを聞いた。牛は、イマから借りていた分だという。イマは、リヴァの父系親族、すなわちハニのワイフ・ギバーである。以下、その大ざっぱな「ハニが借りた牛の物語」のあらすじである。
物語は、アプ(リヴァの父親)の異母弟であるンバハの死から始まる。ンバハの葬式に、ンバハの娘(ルシ)が牛をもってきた。喪主であるンバハの親族、彼らのワイフ・ギバーに与えるためである。この牛を「牛 (a)」と呼ぼう。牛 (a) はとても大きな牛だったという。イマは(結婚にそなえて)この牛 (a) を借りて、手元に置いていた。
その少し前のことだが、ハニの妹ネラの義父 (HF) がなくなった。ハニたちはこの葬式に出席した。喪主たちから見れば、ハニたちはワイフ・ギバーとなる。喪主たちは、牛をハニたちに与えた。このハニの手元にある牛を 「牛(b)」と呼ぼう。
イマの結婚の第一段階の婚資を運ぶ際に、イマのグループは牛 (a) を持っていこうとした。婚資を運ぶ第一段階では、それ程(a 程に)大きな牛は必要とされない。ハニがたまたま持っていた牛 (b) がちょうどいい大きさだったので、イマはその牛 (b) を借りた。そして、彼はこの牛 (b) を彼の嫁のグループ(ワイフ・ギバー)にもっていった。この時点では、イマがハニに牛 (b) 一匹を負うている勘定である。
イマの結婚の第二段階(トゥー・バンダ)が近づいたので、ボウが行なわれた。ボウとは婚資をあつめるために、花婿が自分のグループとワイフ・テイカーたちを呼びあつめる集会である。イマのボウに呼ばれたハニは、想像上の牛 (b) を彼の貢献とした。1 この時点で、イマの恩義/負債はなくなった。
ここでいったん物語を止めよう。
注目して欲しい取り引きがある。それは、私がこれまで「借りる」と訳している取り引きである。 原語は「マザ」 (marha) である。 もともとこの語は、「もっていく」「つかむ」という意味のしごく日常的な語である。 交換の文脈では「借りる」という意味になる。
実は、「マザ」が、エンデにおいて、構造と歴史を仲介する契機となるのである。
「マザ」については、「豚と発動機」 (中川 2012) という論文の中で、詳細に説明している。重複となる部分もあるが、簡単に説明したい。
豚の世話をしているリヴァに彼女の世帯の豚の頭数を聞いたことがある。彼女がいうには「五頭だ」というのだが、私は二頭しか見たことがなかった。「あとの三頭はどこにいる?」と聞くと、「人が来て、マザしていった(取っていった)んだ」との答だ。リヴァは存在しない三頭の豚を、あたかもそこにいるかの如くに勘定したのである。 婚資などのために動物や象牙が必要なとき、村人はしばしばこの方法を採用する。やり方はあっけないほどに単純である— 彼らは、そのような状況に陥ったとき、動物や象牙に余裕があることをあらかじめ知っている家にいき、動物あるいは象牙をマザしていいか聞くのである。 マザによる負債の返却はいそぐ必要はない。もし、ある男が豚をマザしたならば、彼に余裕が生まれたとき、あるいはもとの所有者が返却を希望したとき、彼はだいたい同じくらいの大きさの豚を返却することが期待される。
もし、村人の言うままに財(ンガヴ)の統計とったならば、豚や牛は、実際の数よりずっと多くなるだろう。さきほどの例だと、牛 (a) の実物はイマの手元にあるのだが、ンバハの子孫(たとえば息子)はその牛を「あたかもそこにあるかの如くに」して所有物の一頭に数えている筈である。一頭の牛 (a) が「二頭」と数えられているのだ。 次に、イマが牛 (b) を嫁側にもっていく前の時点を考えてみよう。牛 (b) の実物は、イマの手元にあるのだが、牛 (a) の時と、同じようにハニ先生は、その牛を「あたかもそこにあるかの如くに」して所有物の一頭に数えている筈である。 さらに、ハニ先生の手元にはない、言わば、「あたかもそこにあるかの如くに」していた牛 (b) を、彼は人に与えることととなるのだ。
私が主張したいことは、マザの実践が歴史の試練(財の不足)を乗り越えることを可能にしたのだ、ということである。実践が歴史と構造をアウフヘーベンしたわけだが、このとき問題になっている構造は年輪としての構造、すなわちアキカエシの原理である。
| 構造の深さ | |
|---|---|
| 浅い | 「象牙をつかう」などのルール |
| ほどほど | アキカエシ |
| 深い | (二項対立?) |
それでは、ハニ先生の牛の物語にもどろう。
ハニの母(アプの妹)ンボポが亡くなった。ンボポの娘(ハニの妹)、ビビが(喪主であるワイフ・ギバーへの贈り物として)牛 (c) をもってこようとした。この牛 (c) が途上で逃げてしまった。みなが怖がったので、牛 (c) はンボポの葬式にまにあわなかった。
ハニ(喪主になる)たちはビビの牛 (c) を葬式の饗宴に出す予定であった。その牛が届かなかったので、彼らはイマから牛 (a) を借りて(マザ)、その場をしのいだ。この時点で、ハニはイマに牛一頭の借り(恩義/負債)があることとなる。
後日、ビビが牛 (c) をもってきた。ハニはこの牛 (c) をイマではなく、カニス (WB) に贈った。カニスはンボポの生家の人間(アプの息子)であり、ンボポの葬儀では最も重要なワイフ・ギバーとなる。 なお、この牛はすぐにカニスの手を離れたことを付け加えておこう。カニスは、彼の妻の「弟」にこの牛 (c) を贈った。「妻の弟」は、この牛 (c) を彼の花嫁のグループ(ワイフ・ギバー)に贈ったという。
ハニ先生はイマからマザした牛の借りを返す必要があった。通常、マザの「負債」は重いものではなく、あわてて返す必要はない。ただし、マザした牛は(ハニ先生の母)ンボポの葬式のためだった。リヴァが言うには、「ンボポの気が休まらないだろうから、早めに返却したかったんだ」ということだった。
「深い構造」(文化の歯車)(もしあるとすれば)は変容しようがない。 歴史によって変容・消滅の危機にあるのは「浅い構造」(文化のパズルピース)である。 浅い構造が変容の危機にあった時、「そこそこの構造」(文化の年輪)がそれを助けにくる、 これがこの論文の描く物語である。
浅い構造とは(エンデで言えば)「人は母方交差イトコと結婚しなければならない」という規則だったり、「ワイフ・テイカーはワイフ・ギバーに象牙や牛を与えなければならない」という規則だったり、「女性が FZS と結婚しなかった場合は、ジャワ・トサという贈り物をする」 (中川 2020) という規則だったりするだろう。あるいは(ハワイでは)「男と女は食事のときいっしょにいてはいけない」という規則(タプ)である。歴史の流れの中で、いくつかの規則(浅い構造)は、タプのように歴史の流れの中で消えていってしまっただろう。
しかし、(擬人化を許してもらえば)文化の年輪がそこなわれそうになった時には、年輪は浅い構造を助けにくるのだろう。アキカエシの原理がマザを再興したように。
マザは透明な接着剤として、婚資の流れをつなぎあわせているのだ。それでは、「かつて婚資の流れのなかにマザはなかったのか?」と聞かれたならば、 残念ながら、私は「なかった」と断言はできない。確実に言えることは、あったとしても、マザは現在ほどに幅をきかしてはいなかた、という事だ。(人類学者のフィールドノーツに残らなかった程度に。)(人類学者に都合のいい答え方をすれば)マザを必要とする程には財は不足していなかったと言えるだろう。 マザはいわば、規則の危機に際して、アキカエシの原理が呼びだした新しい規則なのである。