エンデの村で食べること—インドネシア東部でのつながりのある暮し

Satoshi Nakagawa

2017-11-19 10:45

1 はじめに

この論文で、私は、私の調査地エンデの事例を通して、とりわけ「食べる」ことを通して、エンデの社会を文化人類学的に紹介してゆきたい。私は一九七九年から始めて、四〇年近くエンデの人びとの暮しを追っている。その間にさまざまな意味で変化が起きている。この論文では一九九〇年代前後を「民族誌的現在」として語ることとする。この章の対象はエンデの社会であり、切り口は文化人類学である。この節では、この二つ、すなわち対象と切り口について簡単に紹介しよう。

★ きょうのお話し

エンデはインドネシアの東部、フローレスと呼ばれる島の中央に住む人たちの名である。フローレス島は四国くらいの大きさの島であり、人口は百万人ほどである。この小さくそして人口もさして大きくない島に、数え方によるが、五から十ほどの言語が喋られている。エンデはその一つの言語(エンデ語)を喋る人たちである。エンデの人口は十万人程度、生業は焼畑である。

★ エンデはどこにある

東南アジアの中のインドネシアNTT州の中のフローレス島 ,エンデの位置,map

★ 大きさ、その他

文化人類学を特徴づける考え方の一つに「文化相対主義」と呼ばれる考え方がある。この論文では、エンデの文化を紹介する中で、文化相対主義の考え方の片鱗を示せればと思っている。

★ 文化人類学って?

相対主義」と言うのは、「それぞれがそれぞれに」ということだ。ある高校の生徒たちを考えてみよう。鈴木くんはよい成績をとることをとりあえずの目標にして学校に来ているとしよう。彼の成績はどれも平均以上だ。とりわけ英数国の成績はたいへんに優秀である。もう一人の学生、中村くんはいずれスポーツ選手になることが夢だとしよう。あなたは鈴木くんの数学の成績のよさを褒め、中村くんの百メートル走の速さを褒めるだろう。あなたは、それぞれを、それぞれの目標を基準にして評価しているのだ。正しいやり方である。中村くんの自らの目標を無視して、彼の英数国の成績で、中村くんが鈴木くんより「下」であるなどと評価してはするのはおかしいのだ。

キム・カーダシアン、アリエル・ウィンター、テイラー・スイフト、

大原麗子、石田あゆみ、山口百恵

上戸彩

★ それぞれがそれぞれに

しかし、社会や文化が単位となるとこのような当たり前である筈の相対主義がないがしろにされることがある。自分の社会の基準で他の社会を評価してしまうのだ。

★ でもね・・・

2 「貧しさ」って何だろう?

この章で問題にしたいのは、豊かさ・貧しさという評価である。私たちは、私たちの基準だけで他の社会・文化を評価していないだろうか— これが、「豊かさ・貧しさ」という考え方を通して私があなたに問いかけたい疑問である。

国際貧困ライン

「東南アジア」ということばを聞いて、「貧しさ」という語を連想する人は多いだろう。インドネシアという国は「開発途上国」に分類される。開発が行き届いていない貧しい国である、というわけだ。インドネシアの中でも、フローレス島のあるNTT州は「遅れた州」として認知され、じっさい、エンデの中のいくつかの村は「開発に取り残された村」という指定を、中央政府から受けている。

★ エンデは貧しい?

「豊かさ」・「貧しさ」とは何だろうか?最も有名な定義は世界銀行による国際貧困ラインであろう。二〇一五年に改訂された基準によれば、そのラインは「一日 1.90ドル」とされる。これよりも下の支出をする人びとが「貧しい人々」とされるのである。この基準を使えば、(フローレス島のある)NTT州はインドネシアの中で貧困ライン以下の人数が最も多い州の一つとなる。このような数字を聞いて、あなたはエンデをかわいそうな人たちだと思うかもしれない。

★ 貧しさって何?

インドネシアの貧困地域 ,貧困,

★ 「かわいそうなエンデ人」?

私がこの章で主張したいのは、エンデの人は貧しくはない、すくなくとも彼ら自身の基準に照らせば貧しくはないのだ、ということである。その基準からすれば、むしろ、日本の私たちのほうがかわいそうな人なのである。

★ エンデの暮し

石器時代の経済学

鈴木くんと中村くんの話を思い出して欲しい。異なった基準が問題なのである。二人を共通に、たとえば数学の成績だけで順番をつける、あるいは百メートル走の速さだけで評価することのおかしさを思い出して欲しいのだ。

私が暗示しているのは、文化・社会によって評価の基準が違っているということである。世界銀行の基準はお金であった。私たちはすべてをお金に換算して評価しがちである。モノの価値をその価格で、サービスをその代価で、さらには、ある人間の価値を受け取っている給料で判断することに慣れている。マーシャル・サーリンズという人類学者は、「原始の豊かな社会」( (サーリンズ 1984)所収)という論文において、お金ではないあらたな豊かさの基準を提唱する。それは時間である。食べるために必要とされる働く時間が多ければ多いほど「貧しい」社会であり、それが少なければ「豊かな」社会であるというのだ。簡単に言えば、暇な時間が多いほど「豊かである」と考えようというのである。そして、サーリンズは、採集狩猟民こそが最も「豊かな」社会であり、近代資本主義社会よりも「豊かである」と主張する。じっさいマックス・ウェーバーによれば、ヨーロッパにおいても、「資本主義の精神」の到来する前にはお金を稼ぐことよりも、暇な時間をとることが優先されていたという (ウェーバー 1955 (1920))。採集狩猟の人びとは、眠る時間を削って働く日本人をかわいそうな人たちだと思うであろう。

★ もう一つの貧しさ・豊かさ

★ 狩猟採集民の人が

もう一つの基準

私がエンデの人々の社会を紹介することで示したいのは、またもう一つの基準である。それは人と人との繋りである。繋りの強い社会が豊かである、そのような基準をもつ社会が存在する、それを示したいのだ。世界銀行の貧困基準でどのように計られようと、エンデは決して貧しい社会ではない、すくなくとも彼ら自身にとって貧しい社会ではないことを示したい。

★ またもう一つの豊かさ

3 エンデで食べること

さて、エンデの食べることから話を始めよう。

★ 食べ物

シルカヤバナナとパパイヤ芋,果物,

バナナの木バナナパパイヤを用意(竹の床/高床)

,バナナ,

記名性と無記名性

まず、大きな違いが日本とエンデの食事にはあることを指摘したい。あなたが食べたきょうの朝食を思い出してほしい。それが、たとえば、トーストとベーコンと卵焼きだったとしよう。あなたはパンの作り手、もっと遡って小麦の作り手を知っているだろうか。ベーコンの作り手、豚の飼い主、鶏の飼い主 — それらの人びとをあなたは知らないだろう。エンデでは、誰もが自分で食べるものに関して、それを作った人たちを知っている。

もっと一般化して、日常の身の回りの品を考えてみよう。あなたの服を作った人、原材料を作った人、机を、家を作った人を、私たちはたいていの場合知らない。このような性質を「無記名性」と呼ぼう。私たちは無記名性のモノに囲まれて生きている。日本の生活空間の無記名性に対して、エンデでは身の回りの品には、ほとんど全て名前がある。エンデの生活は「記名性」に満ちているのである。

★ 私たちの食事

エンデの村では、食べている食物のほとんどを誰が作ったかは誰でもが知っている。自分の身の回りの品のほとんどもまた誰が作ったか知っているのだ。

★ エンデの食事

エンデの記名性の原因を、あなたはエンデ社会が自給自足だからだと考えるかもしれない。「自給自足」という言葉を厳格に考えれば、ロビンソン・クルーソーのような生活、すなわち、自分で食べるものをすべて自分で作るという生活となるだろう。社会は人々の繋りによって作られているということから考えれば、このような厳格な自給自足はどのような社会の中でも考えられない。どの社会でも交換が行われているのだ。たしかにエンデでは交換の範囲が狭く、日本の社会では交換の範囲が広いかもしれない。しかし、それは程度の問題に過ぎない。自給自足は記名性の原因ではない。

市場経済と無記名性

じつは、交換の方法にこそ無記名性と記名性をわける原因がある。

日本ではほとんどすべての交換は市場《しじょう》を通して行われる。そしてこの市場を支えるのがお金である。あなたが会社員だとしよう。あなたは生きるために、すなわち食べてゆくために、会社で仕事をする。しかしあなたは名前のある誰かを相手に仕事をして、その人から食べるものを得ているわけではない。あなたは会社という無記名の制度を相手に仕事をし、お金を受け取り、たとえば、スーパーという無記名の制度からお金を使ってパンを得ているのである。このような会社やスーパーなどの無記名性の制度が市場を構成するのである。会社の中ではあなたは名前を持った個人ではなく、営業課の課長という無記名の人間であり、スーパーでは客という、じっぱひとからげの、すなわち、無記名の人間なのだ。一枚の百円硬貨に個性はなく(記名性はなく)、どの百円硬貨も同じであるように、あなたも単なる課長であり、いつでも取り替え可能なのだ。

★ 日本—名前のない生活

それではエンデでは市場経済でないどのような別の交換が行われているというのだろうか。それについてすこしづつ述べてゆきたい。

★ エンデ—名前のある生活

エンデの日々の食卓

★ エンデで食べること

とりあえず、エンデの食事に戻ることとしよう。ここではタイトルにある「ご馳走」ではなく、日常の食事から紹介してゆきたい。

まず動物性の食物、肉から見てゆこう。エンデでは肉はスーパーでグラムあたりでパックで売られているわけではない。そもそも店というものはエンデの村にはほとんどない。村のほとんどの世帯は犬、鶏、山羊、豚、牛を数頭ずつ飼っている。肉を食べるとはそのような動物を一頭屠ることである。それゆえ日々の食卓には(あとで述べる「ご馳走」の場以外では)鶏かせいぜい犬が供せられることなる。

★ まずは肉・・・

牛と鶏鶏を料理する山羊 ,,

牛豚

,動物たち,

豚床下に飼っている豚鶏

,動物たち,

続いてエンデの食事のうちの植物性の食物、米、芋、野菜について紹介していこう。

ほとんどのエンデの世帯が数種類の動物を飼っていることについて述べた。同じようにほとんどの世帯が畑をもっている。米・芋・野菜などはその畑から持ってくるのだ。

★ さて、お米、野菜などなどは・・・

フローレス島は山がちの島である。ほとんど平地が存在しない。そのような斜面を開墾して、エンデの人たちは焼畑を作っていく。エンデの一年は開墾から始まり、火入れを経て、収穫そしてその後の休息の期間で終わる。一年を司る農作業はたんなる農作業ではない。それはまた多くの儀礼を含む一連の活動なのである。

村のまわりは山山やま海も見えます(思い出の椰子酒)こんな急勾配のところを開墾します ,風景,

開墾が終わると火入れをします火入れです ,火入れ,

火入れ火入れ火入れ畑はこんな急勾配のところです

,火入れ,

火入れが終われば種蒔きですとっても急勾配です ,火入れ,

★ エンデの「買い物」

焼畑は一年・二年で放置されることもあるが、たいていの世帯ではいくつかの焼畑を常畑として維持する。囲いを強固にして、中に野菜などを栽培するのである。

一日の仕事を終えると、エンデの人びとは畑からその日および翌日の食事のための野菜と、煮炊きのための薪木を家に持って帰る。そして家族に食事が出されるのだ。食事時(準備してから食器を洗うまで)の客にはかならず食事が供される。人はそれを拒むことはない。

夕方畑から帰ってくる人夕方畑から帰ってくる人

薪も持って帰ります台所はこんな風 ,,

★ 食事は与え・受け取るもの

【市民講座ではここを最後にもってゆく。】

ラドゥという名前の若者がいた。私も一度か二度会ったことがある。彼は両親の家に住むことなく、村から村へと渡り歩いていた。軽度の知的障害があったのだと思う。エンデの人は「頭が弱い人」と表現していた。彼がやってくれば、人びとは何も言わずに受け入れた。ラドゥは大喰らいで有名だったが、また力持ちであり、人の言うことはよく聞いた。彼が訪れた先の家では、様々な力仕事を彼に頼んだ。そして食事を彼に与えたのだ。彼が飢えることはなかった筈だ。

★ ラドゥ

数年前、私がいつもの村に着いたとき、隣に見慣れぬ老女が居候をしていた。隣の主人に聞くと、数週間前にやってきて、そのまま居ついているのだそうだ。知的障害がある(エンデの人は「頭が痛い人」と表現する)のだが、特にまわりに迷惑を与えるわけではない。「いつまでいるのかな」と私が問うと、彼は「さぁね。気がむいたら出てゆくだろう」と言う。じっさい数日後に彼女は自分の息子の家に戻っていった。

エンデでは食事を与え、受け取ることは当たり前のことなのだ。

4 エンデで与えること・繋がること

エンデでは(日本のような)市場経済ではないもう一つの交換があり、それが日本とエンデの大きな違いを生んでいる、と私は述べた。そして、前節の最後に食事を与え、それを受け取ることについて述べた。この与え・受け取る交換こそが、市場経済と違うもうひとつの交換なのである。この交換を「贈与交換」と名付けよう。

★ エンデの生活

市場経済と贈り物

★ 贈り物とはどんなものか

贈与交換はじつは日本において存在しないわけではない。社会の片隅に(人の生き死にに関係しない程度に)贈与交換は存在している。たとえば誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、お年玉などの制度がそれである。日本の例をつかいながら、市場経済と贈与交換の違いを見てゆこう。

市場経済の例としてスーパーでの買い物を考えてみよう。あなたがスーパーで七七九円の豚肉を買ったとする。あなたはレジで一〇〇〇円を払い、その豚肉と二二一円のお釣りをもらう。当然である。一円の単位まで計算した上での貸し借りなしのきれいな関係が保たれるのだ。お釣りが少なければ、あなたは怒ってもかまわない。当然である。豚肉の色がおかしいと思えば交換してもらえばいい。当然である。人と人との関係に焦点をあててみよう。レジ担当の方と購買者であるあなたとの関係である。この関係に何も変化はない。二人はまったくの他人であり、他人のままに終わるのだ。当然である。

★ 売り・買いの世界

★ 売り・買いの世界(続)

贈り物を考えてみよう。あなた(仮に男性だとしよう)が好意をもっている女性に花束を贈ったとしよう。ちなみに、花屋で一五三五〇円で買った花束だ。女性は花束を受け取った。。翌日彼女が思わせぶりに、リボンのかかった箱をあなたに渡す。どきどきしながら箱を開けたあなたが見たものは・・・

★ 与え・受け取る世界

一万円札、五千円札が一枚ずつ、そして百円玉が三枚、五十円玉が一枚、ぜんぶで一五三五〇円の現金がそこに入っていたのだ。一円単位で貸し借りなしのきれいな関係が保たれていたのだ。二人は交換の前他人であり交換の後もまた他人であるのだ。

★ 与え・受け取る世界(失敗例)

もちろん、この例は失敗した贈与交換である。贈与交換は市場経済の交換となってはならないのである。それでは成功した贈与交換とはどのようなものであろうか、それを見てゆこう。

箱の中にたとえば手袋がはいっていれば、あなたは喜んでいいだろう。贈与交換は成功したのである。その手袋を見て、安そうだなと思っても、あなたは怒ってはいけない。スーパーでお釣りが少ないのとは違うのだ。色が気にいらなくても受け取らなければならない。スーパーで品物を交換するわけではないのだ。

★ 与え・受け取る世界(続)

★ 与え・受け取る世界(結果)

豚肉が無記名であったのに対し、手袋が記名性をもっている(彼女の名前を、人格を担っている)ことも忘れてはならない。そして、もっとも大事な市場経済との違いは結果する人間関係である。交換の前に他人であったかもしれない二人は、いまや(少なくとも)友達となったのである。

既に述べたように日本では贈与交換はあるが、それは社会の片隅である。社会を成り立たせているのは飽くまで市場経済である。エンデは贈与交換の社会である。そこでは贈与交換こそが社会を成り立たせているのである。それはどのようにして可能なのだろうか。次の節では、エンデの贈与交換を追っていくこととする。

★ 与えること・受け取ること

贈り物のやり取り

エンデの村ではさまざまな契機で人びとが集まる。私が村に入ったばかりの頃、夜中、ある家に村人がほとんど全員集ったことがある。その家の女性がたいへんな難産だったのだ。村の女たちは家の中でその女性の出産を助けようと必死だった。男たちは山刀を腰にさし、家のまわりをぐるりと取り囲んだ。難産の女性を妖術師が殺しに来るのを防ぐためだ。女たちの介護、男たちの守りは一晩中続いた。翌朝無事に健康な赤ん坊が産まれた。とても感動的な一晩だったことを今でも覚えている。

★ 集まる人々

それ以降も頻繁に村の人びとが集まる場面に遭遇した。高い木から落ちて大怪我をしたとか、重い病気にかかったとか、さまざまな場面で人びとは集まる。そして集まった人びとにはかならず食事が提供される。日々の食事とはちょっと違ったご馳走が供されるのがこのような機会なのだ。

緊急時で最たる機会は人の死である。

日本のほとんどの葬式は葬儀会社がとりしきる。それはたいへんお金のかかる儀式である。そして、葬儀会社との連絡をも含め、喪主たちは忙しく立ち回る。葬儀のあと数日たってやっと死を悲しむことができたという話を、何度か聞いたことがある。

エンデでは葬式にはお金はほとんどかからない。そして葬式の間、喪主はただただ死を悼んでいる。すべては周りの人がやってきてとりしきっていくのである。エンデの葬式を紹介しよう。

たいていの場合、遠くから聞こえる大砲のような音が死の合図である。死者が出た村では、竹筒と石油を使って立て続けの大きな音を出すのだ。遠くの村々はその音で死者が出たことを知る。自分の村で死者が出た場合に最初に聞こえるのは竹筒の音ではなく、リタナンギと呼ばれる死者を悼む泣き声である。死を知った村人がその家に集まり、死者を悼むのである。

死者の家はしばらくの間は混沌とした状況である。人がひっきりなしに訪れ、死者に抱きつき、リタナンギを歌うのである。しばらくすると、ある種の活動が始まり、状況は秩序だったものへと変化する。集ってきた人びとが手分けをして来たるべき葬式の準備を始めるのである。男たちは手際よく客のための場所を作り、どこからか椅子を集めてくる。数人の男たちは、竹筒と石油で知らせの音をたてる。遠い村に住む重要なシンセキに知らせるためのメッセンジャーたちが派遣される。いったん家に帰った女たちが薪木や米などをもって死者の家に戻ってくる。死者の家の豚や牛が、なければ隣近所から借りてきた豚や牛が殺される。とやかく言う者はいない。動物は、いずれ適当な時に返すのだ。男たちは動物を屠り、解体にかかる。女たちはすでに何十人と集まっている。彼女たちは米粒の石抜きをし、ご飯の用意を始める。男たちによる肉の解体が終われば、それを調理するのは女の仕事である。

しばらくすれば他の村からシンセキが集まってくる。豚をもってくるもの、織物をもってくるもの、米を持ってくるもの、山羊をもってくるもの、牛をもってくるものがいる。客たちに食事が供される。幾つもの村から客がやってくる。食事はその都度供される。帰ってゆく者もいれば、そのまま残る者もいる。

殘った者たちは徹夜をする。タバコや酒や食事が出される。

翌日埋葬が行われる。多くの客は埋葬の日にやってくる。彼らもまた贈り物をもってやって来て、食事を供され、御返しの贈り物を受け取って帰ってゆく。

【写真挿入 sapi-ngawu】

近親の人たちにとってこれから三日間の喪が続くことになる。彼らは三日の間様々な禁忌を守り、夜は徹夜するのである。村人たちや、シンセキたちは入れ替わり立ち替わり死者の家を訪れる。とりわけ村人は客というより、客(シンセキが主となる)の食事の材料を運び、料理し、饗応する側となる。客にはずっと食事が供される。四日目の真夜中から明け方にかけて死者と別れる儀礼が執り行われ、喪があけることとなる。

★ 日本のお葬式、エンデのお葬式

★ 混沌から秩序へ

男たちが天幕をはりはじめます女たちがやってきますいっぱいの女たちです女たちが贈り物をかついでやってきます ,,

贈り物あれこれ贈り物

,贈り物,

エンデの葬式とは、言わば、人の死を契機とした、壮大な贈り物の交換のアリーナなのである。葬式において喪主は、いわば、負債を背負うこととなる。後日、手伝ってくれた人たちが手伝いを必要とする状況になれば、彼はすぐに参上するだろう。贈り物をもってきた人たちにはなんらかの機会に贈り物をもって行くことになる。このようにして贈与交換は、エンデの社会で作動しているのである。

★ 贈り物のやりとりとしてのお葬式

★ 結婚式

結婚の贈り物としての牛象牙 ,,

皆が協力して食事を作ります女たちは米の準備をします女たちは料理をする ,女たちの準備,

男たちは動物の解体です解体しますみなで解体します解体

,男たちは解体,

食事ができたできた食事をバケツリレーどんどん

,食事ができた,

そして食べますもちろん、女たちも,食事,

終わった順に皿洗いみんなですれば皿洗いも楽しいかもしれません ,あと始末,

大勢で働くこと

葬式や(ここでは述べていないが結婚式)などで贈与交換が作動するというだけでは、エンデと日本の違いがそれほどはっきりしないかもしれない。形だけとは言え葬式や結婚式には贈与が(香典、結納といった形で)関与しているからだ。この節で取り上げるのは、日々の生活の中での贈与交換である。エンデの社会の特徴として、身の回りの品が記名性に満ちていることについては既に述べた。記名性の大きな原因として私は贈与交換を挙げたが、もう一つの原因として分業の程度の小ささを挙げることができる。エンデの人びとは身の周りのモノのほとんどを自分で作ることができる。大きなモノとして家を考えよう。日本で誰かが「家を建てた」と言っても、あなたはその人自身が家を建てたとは思わないだろう。日本で「ある人が家を建てる」とは彼女ないしは彼が市場経済を利用して(お金を使って)家を建てることを専門としている人を雇うこと、すなわち、「家を建ててもらう」ことを意味しているのだ。

★ 大勢で働くことの目的

エンデではほとんどの男性が家の建て方をしっている。多くの場合、家を建て始めてから住むまで数年かかる。自分ですこしずつ作っていくからである。ただし、いくつかの節目(定礎の時、屋根を作る時など)において大勢の人を呼んで共同作業(ソンガ)をする。以下屋根を葺く日のソンガを紹介してゆこう。

小さいソンガでも村の世帯すべて(せいぜい五〇ほどであるが)を呼ぶ。他の村に住むシンセキにも声をかける。作業日の前夜から村人たちや近しいシンセキが集まってくる。ある人は客として、ある人は手伝いとしてやってくる。動物が屠られ、料理の用意がされる。また翌日の作業がうまく行くように先祖へ祈りそして供犠が捧げられる。そして客には食事が供せられるのだ。

当日、女たちは着飾ってやってくる。村人ならばたいていは贈り物である現在の家作りには必須のトタン板を頭に乗せてやってくる。特別な関係にあるシンセキは動物(山羊や牛、そして豚)をもってやってくる。彼女らは贈り物を家の者あるいは手伝いの人たちに手渡し、食事を供される。そして御返しを受け取り、帰ってゆく。

女たちがトタン板をもってきます女たちがトタン板をもってきますまだもってきます

【写真挿入 women-coming-1】

まだまだ持ってきます受け取ります

,女たちがやってくる,

男たちは作業着でやってくる。モノの交換は女たちが担い、男たちは労働を供与するのである。屋根を葺く作業は熟練と体力を必要とする。若い男たちは、熟練の男たちに言われるままに単純作業(釘の用意など)に従事する。熟練の男たちは屋根の上でトタン板を配置してゆく。

家作りがはじまりましたみな一生懸命です家作りしてます

【写真挿入 sao-3 】

開始時間も終了時間も決められているわけではない。ゆっくりやってきて、早めに帰っても誰も文句は言わない。そればかりではない。見渡せば、かなりの人数がじっさいの作業をしないで休んでいる。村の世帯主には当然かなりの年輩の人もおり、彼らにじっさいの作業を期待するのは、とりわけ屋根にのぼるような作業を期待するのは無理な話である。彼らは腰をおろし、じっさいの作業をしている人たちに対して、役に立たないような注文をつけ、文句を言う。休んでいるのは年輩の人だけではない。半分くらいが休んでいると言っていいだろう。何人かのグループに分かれて、雑談をしている。酒がふるまわることも稀ではない。そうなればますます雑談に花が咲くことになる。

★ 雑談する人びと

家作りですそれを見守る人たちがいっぱいあれこれ注文をつける人がいます

,家づくり,

家作りです見守る人たちですここにも見守る人たちが・・・ ,,

夜になれば、動物を屠り、すべてのソンガの参加者にご馳走が供される。誰がさぼった、誰が一生懸命働いたなどとあれこれ言う人はいない。

★ ソンガの食事

そして、もちろん、食事です家作りのあとの食事です

,家づくりの後の食事,

私は、エンデの村人からこんな話を聞いたことがある。「私がマレーシアに出稼ぎに行っていた時のことだ」と彼は言う。「たまたまその日の作業では日本人がボスだったんだ。こいつがとっても面白いことを言うんだ。『仕事をしている時には雑談をするな』ってさ」。聞いている人たちは一様にびっくりしたような顔をする。彼は話を続ける— 「日本人が言うには、『ちゃんと休憩時間をもうけてある。休憩時間に雑談をしろ。それ以外の時は仕事をしろ』ってさ」。この「面白い話」は聞き手にたいへん受けていた。彼らは、まるでおかしな冗談を聞いた時のように笑いころげているのだ。

この話を聞いたあなたは、「だからインドネシアは遅れているんだ」、「仕事時間に雑談したり休んでばっかりいたら、仕事が進まないだろう。合理性ということを全く考えていない」などと考えるかもしれない。その様な考え方は市場経済の考え方であり、エンデの人にとっては無縁であり、それゆえにとてつもなくおかしいのだ。

★ ソンガの冗談

この章の冒頭の議論に戻ろう。社会を計る物差しは一つだけではないのだ。市場経済に基いた私たちの社会がもつ物差しには、「進歩」、「合理性」などの目盛りが刻みこまれているだろう。エンデの社会はそのような物差しで計るべき社会ではない。それらはエンデの社会では大事なことではないのだから。大事なことは人と人との繋りなのだ。ソンガは仕事をする(たとえば屋根を葺く)以上の目的があるのである。そこは人が集まり繋りが作られ、贈与交換が行われるそのような場なのである。合理性ゆえに村の中の年輩の男をソンガからはずすなどというのは、冗談の中でしか語られない。

エンデでは贈与交換が社会を支えている。その目的は人と人との間を繋ぐことだ。知的障害があろうがなかろうが、人が家に来れば食事を供する。友だちが困っていればすぐにかけつけ、料理が必要ならば材料をもってやってくる。エンデではこのようにして繋がりのある社会が作られている。

★ お互い様の原理

私たちはお金を物差しにして全てを計る。それ自体悪いことではない。文化人類学者はそのことに文句を言っているわけではない。悪いのはその物差しが世界中で通用すると勝手に思い込み、よその社会をその物差しで計ることだ。地球上のすべての社会で、お金ですべてを判断する物差しが通用するわけではない。それぞれの社会がそれぞれに「豊かさ」を追求しているのだ。文化人類学の教える文化相対主義とはそのような教えなのである。

【市民講座用のラストのためにラドゥをここに持ってきた。】【[2017-11-18] けっきょく削除した。】

★ ラドゥ

★ 人類学の教え

★ それではまた

5 References