フィールドワークとは

Satoshi Nakagawa

Sun May 23 12:24:08 1999

1 人類学とフィールドワーク

1.1 人類学について

異文化を理解する。一種の哲学である。人間とはなにであるか、を実証的に考える。文化—公共性が人間の必要条件だ、という思い込み。ここが哲学と違う。

ある意味で、「他者」を前提とする想定する学問である、ということもできる。1

その意味でマーケッティングと似ているのかも知れない。「他者としての顧客」(eg. 高齢者)、「顧客を創造する」(P. ドラッカー)

高齢者へのマーケティングをつねに念頭において聞いて頂けると、理解が用意かも知れません。

1.2 フィールドワークと人類学

人類学というのは、自分の専売特許が何なのか、について自信のない学問でもある。しかし、あまりにその非理論性に声高に主張する人はいないが、やはり、「フィールド・ワーク」を挙げるしかないのかもしれない。

たとえば……

1.2.1 人類学者のタイプ分け

「あなたの理論的な傾向は?」(機能主義、構造主義、開発と人類学、観光人類学、その他)

「あなたのフィールドは?」

1.2.2 フィールド・ワークと人類学

そのフィールドワークもじつは、人類学の誕生当時はなかった。人類学は、いわば、「文化の考古学」にすぎなかったのだ。そして、生きてはいるが、死んだものとして、西洋以外の文化が標本化されていったのである。

アームチェアー・アンスロポロジー

フレーザー『金枝篇』その他。_EM(進化論・伝播論)にあわせての、 (宣教師、植民地行政官、探検家によって出版された)民族誌のパッチワークとしての人類学。

参与観察(participant observation)・長期滞在・言語の獲得・トレーニング

1.2.3 フィールドワークとアンケート調査

フィールドワークの意味を明らかにするのは、「人類学者が嫌っている」といわれるアンケート手法との差異によって示すのがてっとりばやいやり方でしょう。

アンケートの場合は、あらかじめ問いがあり、答えは選択肢である。アンケートの方法が、といういみではなく、アンケート自身がめざすものが、という意味で。

人類学者は、「あらかじめ申請した研究題目とちがう成果をもってかえる」ので、基金拠出者の評判がわるい。それはすべてフィールドワークの結果なのだ。


仮説はある。仮説がなければ、モノはみえない。— レントゲン、

2 わたしのフィールド・ワーク

続く二つは、マーケティングと一番結びつけにくい部分かもしれません。しかし、このような部分ぬきに、話をすることは、たとえ、異種格闘技の舞台でも、人類学者はできないのです。あしからず。

2.1 なんで東インドネシアだったのか

卒業論文で、ティモール島をした。修士論文でスンバ島をあつかった。それで、博士論文ではフローレス島を扱いたかったから。

なぜ、ティモール島を。オランダ語の200ページの論文を読んでしまい、これを捨てるにしのびがたかったから。

現在の学生は、じっさい行ってから決めて来ることが多い。もしかしたら、理想的な状況かも知れない。(そうでないのかも知れない)。

2.2 インドネシアという国、フローレスという島、エンデ

インドネシアは、(1) ジャワ、(2) その他の大きくて、有力な島 (バリ・スマトラ・スレウェシ)、そして (3) 外島 の区別が大きい。

1979年当時、町と村の格差が大きい、と政府に意識された。たとえば、(当時唯一の)TV局(NHKのような局)の番組で、コマーシャルが禁止された。といっても、村では、少なくともフローレスの村では、テレビはまったくなし(現在でも)。

2.3 1979年3月27日

2.4 ジャカルタからバリ、クパンを経て、フローレスへ

2.5 自給自足にちかい経済(1979年)

2.6 現在のエンデ

マレーシアへの出稼ぎ。しかし、そのわりに、市場経済の影響は少ない。出稼ぎの金 –> 婚資経済へ入る。(婚資については後述)

3 交換の人類学

3.1 けちの交換

3.2 気前のよさの交換、無意味の交換

3.3 反論(1) 社会の周辺だ

3.4 反論(2) 地球の周辺だ

4 なにをどんなふうに調べたのか

4.1 調べたいことは交換ではなかった

:宗教、神話・儀礼・社会組織(土地の主、愚かさと賢さ、異邦人)・結婚(すでに研究が積み重ねられていた)、象徴的類別(聖・俗、男・女、右・左 等々)

ところが……

4.2 ひとびとの語りあうこと

4.3 結婚が交換であったこと

4.4 ひとびとのなかにはいること

交換を知ること。たとえば、…

5 商品開発のフィールドワーク