この章では、よいフィールドワーク(とりわけ人類学におけるフィールドワーク)のやり方について述べていきたい。フィールドワークの具体的な「技法」については、残念ながら一般的に述べることは困難である。それはフィールドワークのテーマ、そしてフィールドの性質によって千差万別となってしまうのだ。質的な調査が主体なのか、量的なそれが主体なのか、あるいは、インターネットが常に使えるような場なのか、使えなくても、コンピュータがその場で使えるようなフィールドであるのかどうか、コンピュータが使えなくても、乾電池の入手が簡単なのかどうか、町なのか、村なのか、寒いところなのか、暑いところなのか、その他さまざまな要因によって、具体的な技法は変化する。町から遠く離れ、電源もない村でつちかった私の技法を伝授したところで、それが役に立つ人は数少ないだろう。
一方、抽象的な技法、あるいは奥義があるとすれば、それはフィールドワークの途上で自ら学んでいくしかないものだろう。
以上を踏まえた上で、なお、具体的な技法ではなく、しかし、禅問答にはならないような(学ぶことが簡単にできる)フィールドワークの技法があるとすれば、それは、「すれ違い」を大事にする心構えだと私は思う。それは、フィールドワークにおいてしばしば出会うものでありながら、むしろ、フィールドワークを阻害するものだと思われているからなのだ。すれ違いに込められた負の価値を正の価値に転換すること、それがこの章で伝えたい「技法」である。
そのことを示すためにも、まず、フィールドワークが何のためになされる営為なのかを確認しておかなければならない。いささかテクニカルな言い方をさせてもらうが、フィールドワークはあくまで民族誌を書くために行なうのだ。その目的に照らして、始めて「よい」フィールドワークとは何なのかが理解できるはずだ。
私の最初のフィールドワークは四半世紀以上遡る 1979年から二年間にわたって行なった東インドネシア、フローレス島中部、エンデと呼ばれる人びとの間でのものである。フィールドワークの最中の私を、もし外側から観察する人がいるとすれば、彼女は現地の人びとに混じって、単に生活しているだけにしか見えない私を発見することになるだろう。私を他の人びとから区別する手立ては(顔や身体つきを別にすれば)手に持ったノートくらいのものだろう— しばしばそのノートさえも持たない時もある。「単に生活している」—これが参与なのである。人びとと同じ言葉を喋り、同じ話題に興じること、これが参与なのだ。
いつ:1979年から現在までどこで:東インドネシア、フローレス島のエンデ
外側から観察すると、「単に生活している」だけ
その話題は(もし日本語に訳して、そしてほんの少しの文脈的知識さえ加えれば)エンデを知らない日本人にも理解できる話題かもしれない— 今年の最初の雨であわてて種蒔きした男(エンデの人びとは焼畑耕作民である)が、その後、雨が降らずにおろおろしているといった話などは、日本人にも(エンデに関する初歩的な生態学的な知識さえあれば)理解できよう。しかし、すぐには理解できない話題もある— 私の「妹」(私は彼らの親族関係に埋め込まれている)を襲った病気はいったい誰が「起こした」(タウ)かという話題を考えてみよう。エンデでは大半の病気は妖術師(アタ・ポゾ)が「起こした」と考えられている。妖術師とは、人間の姿をして村の中に住みながら、じつは、自身の子供を殺し、死者の肉を食らい、人を呪いによって死に至らしめることのできる能力を持つ不気味な存在として語られる。妹にいろいろ聞いてみて分かったことがある— 数日前にある男が妹に種籾を借りにきた時、妹はその申し出を断わってしまっていたのだ。会話に参加していた皆が言う— 「その男はきっかけ(プッウ)を求めていたのだ」と。そしてそれを「きっかけ」に、その男が妖術を施し、妹が病気になったのである—と皆が納得する。エンデを知らない日本人には「とてもついていけない」話題であろう。
種蒔きの時期を失した男の話〜分かりやすい「妹」の病気(妖術師の)話〜ついていけない
自分の子どもを殺す屍肉を喰らう呪いによって人を病・死に至らしめる —- ポゾの死者祭宴
私(人類学者)は、日本に帰ると民族誌を書く。日本語で書くならば、読者は日本人である。「妖術師」について読者に分かるように書かなければならない。いろいろな方法がある。私の住んでいた村の成員の経済的・政治的状況の中で、その男(妖術師とされた男)の特殊な位置を浮かびあがらせることが出来るかもしれない。彼が、日本風に言えば、「新興の成金」であることを示せれば、「嫉妬」という読者になじみの考え方に訴えて、妖術師告発を読者にも分かるようにすることができるだろう。
村の政治的・経済的状況「その男」の特殊性—例えば、新興成金なじみの「嫉妬」概念を使用して「分からせる」
もう少し遠回りの方法もある。エンデにおいて「正しい」社会のイメージとは、自分の「母方のおじ」(母の兄弟)を中心として構成される整然とした親族の世界である。親族の網の目の中に細かい規範が設定され、「よい社会」は、それらの規範を遵守する社会として想像されるのである。そのことを念頭に置いた上で、妖術の語り方を見ていくと面白いことに気がつくことになる— 妖術師のイメージは、言わば、母方のおじの鏡像となっているのだ。エンデにおいて「悪」(妖術師)は「善」(母方のおじ)を否定することによって成り立ち、また「善」は「悪」を否定することによって成り立っているのだ。
エンデの正しい社会—「母方のおじ」を中心とする整然とした体系妖術師のイメージは「母方のおじ」の鏡像である
父系制母方交叉イトコ婚
母方のおじは姉妹の子供に病・死をもたらす妖術師は父系の親族/非親族に病・死をもたらす —- 死において母方のおじは、死者の「頭」をもらう死において妖術師は、死者の「頭」を買う
以上のことを示すだけでも、読者にエンデの世界を分かってもらうという民族誌の役割は果たしたことになるだろう。しかし、最悪の場合、読者は「彼ら」エンデの人びとを、あるいは敢えて非・pc な言葉を使わせてもらえば、「原住民」を、「文化に拘束されたバカな原住民」と考えて、(自分自身は文化などには拘束されていない自由な人間だと考えて)私の民族誌を閉じるかもしれない。
文化に拘束された哀れな原住民文化に拘束されない自由なわれわれ
そのような事態を避けるために、民族誌を次のように続けることが可能であろう。日本の中の(例えばマスメディアによる)北朝鮮の語りをエンデの妖術師の語りの隣に並べてみるのだ。北朝鮮についての語りは、例えば、「美しい日本」についての語りと対照できるだろう。「悪」(北朝鮮)は「善」(日本)の鏡像としてイメージされていることを示すのはさ程難しいことではないだろう。
悪の象徴としての北朝鮮〜「妖術師」善の象徴としての(美しい)日本〜「母方のおじ」 —- お互いに支えあう「鏡像」の関係
私たちもまた「文化に拘束された原住民」なのだ。少々奇を衒った言い方を許してもらえば次のようになる— 人類学は「彼ら」を「私たち」と同じ高みに上げる(援助する)のではなく、「私たち」を「彼ら」と同じ高みに上げる、そのような活動なのだ。
彼らをわたしたちと同じ高みにあげる(援助)のではないわたしたちを彼らと同じ高みにあげるのだ
この章はフィールドワーク(とりわけ人類学のフィールドワーク)についての章である。この節(「はじめに」)で私が言いたかったことは、フィールドワークは民族誌と一対になって始めて完成する、そのような営為だ、ということである。人類学者はフィールドに行ったきりでもなければ、書斎に篭りっきりでもない— 彼女は二つの場所を行ったり来たりするのだ。
フィールに行ったきりではない書斎に籠りっきりではない —- フィールドと書斎という二つの場所の往復運動なのだ
以上を念頭に置いた上で、(人類学の)フィールドワークについて語っていこう。
フィールドワークは、いささかロマンチックに言えば、たしかに出会いであると言えよう。それは『ウルルン滞在記』のような感動をもたらす出会いであることを私は敢えて否定しない。しかし、フィールドワークは、同時にすれ違いでもある。とりわけ(フィールドワークも終わりに近づくと分かってくるのだが)フィールドワークの初期の頃は、出会いというよりすれ違いの連続なのである。
出会いであるが、同時にすれ違いの連続でもある
ある古典的な民族誌の最初の部分は、いかに人類学者が現地の人びとから排除されたかを延々と書いている。フィールドワークの創始者として名高いマリノフスキーは、日記の中でコンラッドの小説『闇の奥』のつぎのような一節を引用をしている —「黒ん坊を根絶やしにしろ!」と。
エヴァンス・プリチャード:『ヌア族』マリノフスキー:「黒ん坊を根絶やしにしろ」『日記』
異文化の架橋者であるべき人類学者が、私が「はじめに」で書いた想像上の読者と同じような状態に陥ってしまっているのだ。「私たち」の高みから見ると、「彼ら」がいかにも腹立たしい人びとと見えてしまう時があることを、すれ違いの時があることを、以上の例は示している。
フィールドワークにおいて、気まずい「すれ違い」が頻繁に生じる一つの領域は、「お金」にまつわる領域である。フィールドワークでさまざまなもののやりとりに関する難題に人類学者は遭遇する。そして、そのような場面でのすれ違いほど(フィールドワークの遂行において)たちの悪いすれ違いはないのだ。「ラポール(親密な関係)はどこへ行ってしまったのだろう」 — 人類学者は悩むこととなる。
私の最初の調査も一年を過ぎ、落ち着いてきたころのことだ。私はメインの村だけでなく、比較のために隣の文化圏(言葉はエンデの言葉からは方言程度の違いしかないので、学習は容易であった)に属する村にちょくちょく出掛けるようになっていた。ある日私は、呪術についていろいろ聞こうと思いたち、その地方で有名な語り部のところを訪れた。彼は見返りにお金を要求した。私は腹が立ってならなかった— 「私は商売をしているのではないのだ」。私は、立腹を隠し、適当な言い訳をつぶやきつつ彼のもとを辞した。
隣の文化圏にちょくちょく行くようになる呪術について有名な語り部のところへ行く「金をくれ」と言われる「商売してんじゃないんだい」
私だけがお金に関して気まずい思いをした人類学者というわけではない。人類学者のエッセイからいくつかのエピソードを拾っていこう。
森本利恵は、調査地トンガに入ったばかりのときを回想して、トンガの「コレ」(頼み)について書く。みなが彼女のところに薬をもらいにくるのだ。あまりにみながやってくるので、「島の病院に行って。ここは病院じゃないし、私は医者じゃない」 と断わったところ、瞬く間に次のような噂になったという。
「コレ」(頼み)の殺到「わたしぁ薬屋じゃない」
「今度のジャパニ(日本人)はドケター(医者)だと聞いていたのにカーカー(うそつき)だ。ジャパニなのにオファ(愛)がないし、アンガコビ(親切じゃない)だ」
森本は、「無垢な原住民」を期待して現地に赴き、そこに「貪欲な原住民」を見出し、途方にくれてしまうのだ。
次の例はパプアニューギニアのイワムの人たちの間で過した民族誌家の体験だ。イワム族の基本的な思想は平等主義である。イワムには「富むものは貧しいものに与えなければならない」という考え方があると吉田集而は書く。そのような人類学的な説明のあと、著者の感動的な旅立ちの日の記述が続く—
私がイワム族の村をでるときは、ほんとうにかなしくなった。その前日におわかれパーティーなどを開いてくれ、たがいによき隣人、友人であったと演説してくれる。そして、徹夜で太鼓と歌とが響きわたる。しかし、夜があけて、私が村びとにモノをくばりはじめると、状況は一変する。 ほとんどの人が不平不満をぶちまける。大声でわめきちらす。「私にはこんなモノしかくれないのか」と。・・・村びとのおおくは不満の声を天にむかってなお叫んでいる。その人びとに手をふって、私は村をでる。わずかの手がそれに答えてくれるだけである。 ・・・「なんという物欲のつよい人びとか」と私は暗澹たるおもいでむらをたったものである。
イワムでの分かれの日〜パーティー、演説御土産を配りはじめる「わたしにはこんなモノしかくれないのか」と不満だれも吉田に手を振らない
吉田の状況も私や森本の状況と同じである。彼が最後の最後に見出したのは「貪欲な原住民」だったのである。
中村香子は東アフリカ、ケニヤ共和国のサンプルという牧畜民での自らのフィールドワークの体験を次のように語る。
次の日、また街を歩いていると、ナイロビにいる友人たちの母親が全員、街で私を待ちかまえていた。私はみんなに砂糖を買ってあげた。. . . そのうちに私は一分とまっすぐには歩けないほどたくさんの人にたかられるようになった。. . . いったい残金はいくらあるのだろうかと財布を開いて確認する暇も場所もなく、へとへとに疲れてしまった。しかもおカネを受け取った多くの人びとが、当然といった顔で礼も言わずに立ち去っていった。
ある人に砂糖を買うナイロビで人びとが彼女を待ちぶせするお金の無心をする誰も「当然」といった顔で立ち去る
中村もまた「貪欲な原住民」を見出し、途方にくれるのである。
以上紹介した(現代の)人類学者のすれ違いの経験は、かつて植民者が経験したすれ違いと対照してみると興味深い。
経済が社会から離床した国から来た「白人」と経済が社会に埋め込まれた国の「原住民」の葛藤
先程引用した人類学者・マリノフスキーからの例から始めよう。彼は、彼の友だちの言葉として次のような白人農園主のぼやきを引用している— 農園が忙しいときには、「あの黒ん坊たちは、たとえ kaloma や煙草を積んでやったって泳ごうとはしないのだ」 。
西カメルーンのバクウェリ (Bakweri) たちを働かそうとしたイギリス人、ドイツ人も同じような失望を味わう。バクウェリたちは利益を生み出すことに無関心なのである。
その頃[第二次世界大戦後]には、バクウェリが反・進歩的であるという評判は固まっていた。当時公に使用されていた語は「無関心」 (apathetic) であった。バクウェリに関して次のようなことが言われていた:もっと土地を獲得することなどせず、彼らは自分らの所有しているものを浪費していた;彼らはそれらの土地をいくばくかの利益を稼ぐために余所者に貸していた。ときには、そのような利益を稼ぐことさえしなかったのだ。彼らは利益に無関心なのだ。
シレシア (Silesia) の農業労働者の意欲を高めるために、給料を二倍にした経営者は失望を味わうことになった。労働者たちは、半分の労働によってかつてと同じだけの給料を得ると、それ以上は(少なくとも、経営者に役に立つことは)何もしなかったのである。
トロブリアンド:煙草を積んでも働かないバクウェリ:利益に無関心シレシア:給料を二倍にしたら半分の時間しか働かない
現代の人類学者が経済には無頓着であるような「彼ら」を期待したところに、経済主義的な反応が返ってきて困惑したのに対し、かつての植民者は経済主義的な「彼ら」を期待したところに、経済に無頓着な彼らの反応に困惑しているのだ。
もちろん問題は私たちの思いこみにある。
経済主義的な態度を(ウェーバーにならい )「資本主義の精神」と呼ぼう。その反対の態度を(よい言葉が思いつかないので)仮に「伝統主義の精神」と呼ぶこととする。そして資本主義の精神に則る交換を「市場交換」、伝統主義に則る交換を「贈与交換」と名付けることとする。
経済主義的な態度:「資本主義の精神」「市場交換」経済主義的でない態度:「伝統主義の精神」「贈与交換」
植民者の困惑は、ウェーバーの図式に則るならば、ある程度簡単に説明ができる— 植民者たちは自分自身の持っている価値観(資本主義の精神)を「彼ら」におしつけていたのだ、と。資本主義の精神は富の獲得それ自身を目的とする生き方である。人は、その目的に照らして理にかなった行動をとる。利益は最大にして、損失を最小にするような、行動をとる。「合理的経済人」が誕生するのだ。伝統主義の担い手もまた合理的行動を取るのだが、その行動は資本主義の理には、もちろん、かなっていない。伝統主義の精神の担い手にとって富の獲得は人生の目標ではないのだから。ひとつの理しか見えない植民者に、「彼ら」の行動は非合理にしか見えないのだ。
資本主義の精神とは—富の獲得が自己目的その理に照らして合理的な行動—最大の利益・最小の損失 —- 伝統主義の精神は富の獲得を自己目的とはしない彼らの合理性が、植民者には非合理にみえる
資本主義の精神は決して人間に普遍的なものではなく、むしろ西洋近代の中で生まれた特殊なものなのである。ウェーバーは、西洋でさえもかつては伝統主義の精神をもって生きていたことを、ある時代の西洋の繊維工業の前貸問屋の生活をもって生きいきと描写している。当時の商人たちは(トロブリアンドやバクウェリ、そしてシレシアの人びとと同様)一定の利益を得てしまうと、残りの時間は、「居酒屋で ・・・ 痛飲したり、気のあった仲間と集ったりし」 ていたのだ。市場交換よりも贈与交換こそが価値あるものだったのだ。
西洋も、かつては伝統主義だった(ウェーバーの記述)富の獲得は自己目的ではなく酒を飲み、友と語ることが目的だった —- 資本主義の精神は、西洋近代に特殊なものである
しかしながら、人類学者の困惑は、ウェーバーの図式ではうまく説明できない。むしろ、ウェーバーの図式を人類学者がもっているがゆえに、困惑が生まれているのだ。「彼ら」が資本主義の精神を欠き、伝統主義の精神を持っているということは、とりもなおさず、「彼ら」は経済主義的には振る舞わない、ということではないのか。それではいったい何故「彼ら」は最大の利益を得るように振る舞うのだ—これが人類学者の困惑なのだから。
もし「彼ら」が伝統主義者であるならば、「最大の利益」を獲得するように行動しないはずである —- ところが、彼らは「貪欲」なのだ
ウェーバーの図式が、もちろん、間違っているのだ。しかし、私たちは、ここで「風呂の水を捨てるのに赤子もいっしょに捨ててしまう」という誤ちを犯さないようにしなければならない— ウェーバーの図式は、少なくとも、植民者の困惑を説明しているのだから。ウェーバーの説明を変更して人類学者の困惑を説明できるようにすることが私たちの当面の目標ではあるが、その説明が植民者の困惑を説明できないことになるのは避けなければならないのだ。
ウェーバーの図式が間違っている、ということだ —- 植民者の困惑を示せていることは忘れないように
次のように言いたい— 伝統主義の精神が資本主義の精神に変わった、というわけではないと。そうではなくて、二つの精神が一つの文化に共存しているのだ。変わったのは(二つの精神に対する)価値判断なのだ。そう考えることにより人類学者の困惑の謎は解消するはずである。問題は共存の仕方である。二つの精神は単純に並び立っているだけではない、と私は主張する。
伝統主義の精神が資本主義の精神に変わったのではない二つの精神は併存している —- 二つの精神への価値判断が変わったのである共存の仕方が彼我で異なっているのだ
この脈絡で、この章の冒頭のエンデにおける「妖術師と母方のおじの共存」の議論を思いだして頂きたい。妖術師をめぐる語りは母方のおじをめぐる語りの鏡像であるという、あの議論だ。母方のおじをめぐる語りは「善」の、そして妖術師をめぐる語りが「悪」を表わし、それぞれがコインの裏表のようにして、お互いを支えあっているのだ。
「母方のおじ」の語りと「妖術師」の語りはお互いに支えあう
二つの精神(資本主義の精神と伝統主義の精神)の共存の仕方は「善」・「悪」といった単純な仕方ではないにせよ(それは文化によって異なっているはずだ)、お互いがお互いを支えあうという構造は共通しているのである。
手始めに「私たち」の文化における共存の仕方を探ってみよう。
お手伝いのお駄賃とアルバイトの給与の違いについて考えることから始めたい。まず、あなたがお母さんのお手伝いをしてお駄賃をもらった場合から考えよう。お駄賃は、あなたの母親が「かけがえのない」あなたの親切に対して、あなたの全人格を評価した上であなたに与えられているのだ— 「いい子だねぇ」と。お手伝いのお駄賃はあくまでも贈与なのだ。
お手伝いのお駄賃—(伝統主義の精神、贈与交換)アルバイトの給与—(資本主義の精神、市場交換)
かけがえのない「あなた」全人格(好物、苦手な科目、思い出、etc)「いい子だねぇ」お駄賃は贈与である
アルバイトの給与はどうだろうか。雇用主はあなたを「かけがえのない」人格として評価などしていない。事態はまったくの逆の様相(鏡像)を呈している。あなたはいくらでも「替わりのきく」人びとの中から選ばれたのだ。あなたが選ばれた基準は、決してあなたの全人格ではない— 雇用主は「いい子だねぇ」などとは言いはしない。そうではなくて、資本主義の市場の情け容赦のない原理、すなわち「最大の利益、最小の損失」の原理で選ばれたのである。あなたの給与は市場交換の一部なのだ。あなたは、言わば、棚に陳列された商品の一つなのである。消費者が安くていいものを選ぶように、雇用主があなたを選んだのは、あなたが当該の職種に関して能力を示し、少ない給与で満足するが故なのだ。あなたと同じ能力で、さらに低い給与で満足する人間が現れれば、雇用主はすぐさまあなたを解雇するであろう。あなたと同じ給与を要求し、あなたより能力のある人間が現れれば、雇用主は、やはり、あなたを即座に解雇するだろう。アルバイトの給与が示すのは、あなたがいくらでも替わりのある人びとの中から情け容赦のない原理によって選ばれた人間なのだ、ということである。
代りのきく駒一つの能力(その職種に固有の)最大の利益と最小の損失(安くていいもの)〜あなたは商品給与は市場交換なのだ
お手伝いのお駄賃が伝統主義の精神、アルバイトの給与が資本主義の精神を表わていることを強調する必要はないであろう。
この二つの精神がお互いに鏡像を成していることは納得されたであろう。次の問題は、価値判断である— 妖術師が悪であり、母方のおじが善である、そのような価値判断が、私たちの文化に共存する二つの精神に言えるのだろうか、そのような問題である。
問題は、価値判断だ母方のおじが「善」で、妖術師が「悪」といったような
この問題に答える最も手っ取り早い方法は、「一人前」という言葉の用法を考えることであろう。あなた自身の体験を思いだして頂きたい。小学校までの「お手伝い・お駄賃」と中学校、高校で始めて体験する「アルバイト・給与」との間の差である。家庭でのお手伝いでお駄賃をもらっても決して一人前とは言われない。アルバイトをして、「世の荒波」にもまれて始めて「一人前」となるのだ。すなわち、私たちの文化では、資本主義の精神に対して(伝統主義の精神よりも)高い価値が置かれているのである。
お手伝いは「取るに足らぬもの」アルバイトは「一人前」 —- すなわち、「資本主義の精神」>「伝統主義の精神」
しかしながら、私たちの文化における二つの精神への価値判断はそれだけでは終わらない。
今度は(贈与交換として)クリスマスのプレゼントと(市場交換として)スーパーマーケットでの買い物を考えてみよう。スーパーのレジで、あなたはお金を渡し、品物とお釣りを受け取る。ここでは1円に至るまで計算された等価の交換が行なわれる。それに対して、プレゼントは等価でないことこそが重要なのだ。試みに、あなたが密かに思う恋人にプレゼント(例えば、5万6500円の何か)をした場合を考えてみて欲しい。そして、お返しのプレゼントの包みを開けてみて、そこにきっかり5万6500円の現金が入っていた場合を。これは相手からのプレゼントの拒否の印であることを、あなたはすぐに察するであろう。プレゼント(贈与交換)はレジでのやりとり(市場交換)の否定として成立しているのである。さらに大事なことは、恋人からの等価のお返しは関係の断絶を示しているのだ。すなわち、プレゼントは関係を、ラポール(親密な関係)を作ることを本来意図したものだ、ということである。
市場交換は等価交換贈与交換は非・等価交換 —- プレゼント(贈与交換)での等価交換(市場交換)=関係の拒否 —- 贈与はラポール・愛を求める
ここにおいて、贈与交換のもつ、すなわち伝統主義の精神のもつ、私たちの社会でのもう一つの位置が明らかになってきたはずだ。ディケンズの『クリスマス・キャロル』の筋を思い出そう。物語の冒頭でみなに嫌われていた守銭奴スクルージは、最後には愛に、そしてラポールに、目覚め、守銭奴であることをやめるのだ。クリスマスの精神とは、まさに、伝統主義の精神である。
『クリスマスキャロル』守銭奴スクルージが愛に目覚める伝統主義の精神(愛・ラポール)>資本主義の精神(卑しい守銭奴)
私たちの社会の二つの精神の価値基準には二種類があるのだ。一つの価値基準によれば、資本主義の精神、そして市場交換こそが「一人前」であり、伝統主義の精神、そして贈与交換は「取るに足らぬ」ものなのだ。しかしもう一つのそれによれば、伝統主義の精神、そして贈与交換こそが「愛」の精神であり、資本主義の精神、そして市場交換は「守銭奴」の卑しい精神なのだ。
岩井克人は『ヴェニスの商人の資本論』 においてシェイクスピアの『ヴェニスの商人』の一つの新しい読み方をわたしたちに教える。この物語は、ふつう考えられているようなポーシャとシャイロックの対立の物語ではない。重要な対立を担う登場人物の一方はじつは、アントニーオである、というのだ。アントニーオは共同体の内の原理、岩井の言うところの「兄弟主義」、あるいはわたしの言うところの「伝統主義」を体現する登場人物である。『ヴェニスの商人』は共同体内の原理、すなわち伝統主義の精神(アントニーオ)が、共同体の外の原理、すなわち資本主義あるいは市場主義の精神(ポーシャとシャイロック)にうち負かされる物語なのである、と岩井は説く。
市場主義:共同体の外(「他人」)と成立するアントニーオは共同体の内の原理、「兄弟主義」(「伝統主義」)を体現する筋書は一つの市場主義(ポーシャ)がもう一つの市場主義(シャイロック)を打ち破るというものである換言すれば、伝統主義が市場主義に打ち負かされる物語なのだ
シェークスピアの時代、資本主義の精神が伝統主義の精神の上位に置かれるようになったのである。「一人前」の価値基準が社会の表に立ったのだ。しかし「愛」の価値基準が死んだわけではない。それは、言わば、裏の基準として、例えば、文学などにその姿を保っているのである。『クリスマス・キャロル』に並べて、例えば、さらにO・ヘンリーの「賢者《マギ》の贈物」を挙げることが出来るだろう。
シェークスピアの時代、「一人前」が「愛」に勝つ〜「表」の価値判断「愛」は裏の基準となり、文学などに残る
植民者は表の価値基準をもって「彼ら」に接し、期待と違った伝統主義の「彼ら」を見いだして困惑したのである。そして、人類学者は裏の価値基準をもって「彼ら」に接し、期待と違った資本主義の「彼ら」を見いだして困惑したのだ。
植民者の困惑〜「表」の価値判断で「彼ら」を見る人類学者の困惑〜「裏」の価値判断で「彼ら」を見る
かくして私たちの困惑は解消した。しかし、だからといって、彼らのことを分かったわけではない。彼らを分かるためには、彼らの文化における二つの精神の、そして二つの交換の共存の仕方を探らなければならない。共存の仕方に彼我のずれがあることは確かなのだから。
困惑は解消したがまだ理解はしていない —- 共存の仕方に彼我のずれがある
状況を確認しておこう— エンデの「語り部」に呪術について聞こうとしたら、彼が支払いを要求した、そのような状況だ。
われわれと共通する考え方われわれとは異質の(説明を要する)考え方
単に困惑したり、腹を立てたりすることは、参与(分かること)には通じない。この場に参与していくためには、二つのことを確認しなければならない。一つは、私たちにも共通する一つの考え方である。伝統主義の精神、あるいは贈与交換が「愛」という、あるいは「ラポール(親密な関係)を作り出す」という性質を持つという考え方である。贈与された物には、マルセル・モースの言うように 贈り手の人格がやどっている。あなたが恋人に贈ったプレゼントには、あなたの人格がやどっているのである。それがゆえに贈与はラポールを作り出すことができるのだ。一方、資本主義の精神、あるいは市場交換においては、物(商品)に人格はやどらない。スーパーマーケットで買った鉛筆の中に、レジの人の、あるいは鉛筆の作り手の人格を感じることはないだろう。市場交換は関係を切る、そのような交換なのだ。あなたのプレゼントに対して等価交換で応じた恋人は、関係を切ることを願ったのである。エンデの市場交換の代表的語彙であるンブタあるいはグティ(「買う」)は、「切る」という意味をも持つことは、この文脈において暗示的である。
贈与は愛・ラポール贈与には人格が宿る —- 贈与は関係を作る市場は関係を切る —- ンブタ、グティは「買う」と「切る」の両義
語り部の行動を理解するためのもう一つの鍵はエンデに特有の所有についての、とりわけ呪術の知識の所有に関する考え方である。まず呪術の知識について説明しよう。呪術は何よりも効果を持つ(ビッサ)ことを期待して施される — 呪術とは、病気を治癒し、豊作を齎すのものなのだ。そのような効果は、事物の「母」(イネ)の名前を知ることによって達成される、とエンデの人は考える。特定の病気には特定の母がある。その母の名前を唱えれば、病気は呪術師の言うとおりに消えていく(病気は治癒する)のだ。稲には母がある。稲にその母の名前を唱えることにより、稲は呪術師の言うとおりに沢山やって来る(豊作になる)のだ。呪術師は母の名前を唱えるとき、それが誰にも聞こえないように注意して、ひそひそ声になる— その知識(母の名前)が「盗まれる」ことを呪術師は最も恐れる。
呪術は効果をもつ(病気治癒、豊作招来)効果を持つのは「母の名前」母の名前を盗まれるのをエンデの人は怖がる
呪術がこのような効果を持つためには、知識(母の名前)はその正当な所有者によって唱えられなければならない。問題は、呪術の知識(母の名前)の所有の考え方である。エンデでは、呪術の知識は物のように扱われるのだ。すなわち、物がもとの所有者から移動すれば、もとの所有者にはその物は残らないように、知識も人手に渡れば、もとの所有者には残らないのだ— それはもはや呪術の知識ではなくなってしまう。効果を持たないのである。知識が盗まれるのを恐れるのはこのためなのだ。
呪術の知識(母の名前)は物のようである(渡すと手元に残らない) —- 渡すと効果をなくす〜だから「盗難」を恐れるのだ
語り部の行動が分かってきただろう。彼は知識を贈与するわけにはいかないのだ。呪術の知識を贈与することは、知識に贈り手(もともとの所有者)の人格がやどることとなる。貰い手はその知識の正当な所有者にはなり得ない— その知識にはまだもとの所有者の刻印がついているからだ。かくして、その知識は呪術の名に値しないものとなってしまう— なぜなら効果を持たないのだから。譲渡された知識が呪術となるためには知識がもとの所有者から切り離されなければならない。そのためにこそ、知識はンブタ(買う/切る)されなければならないのである。
呪術の知識を「与える」ことはできない贈り手の「人格」が残り、完全に譲渡されないので、効果がないそれゆえ、知識はンブタ(買う/切る)されなければならないのだ
語り部は守銭奴のように行動していたのではなく、エンデの呪術の知識の譲渡のゲームの中で理にかなった行動をとっていたのである。
足早に先程紹介した人類学者のエッセイの結論部を拾っていこう。そのそれぞれが、当該の文化の論理を発見し、困惑を解消していくプロセスを示している。
トンガについて、森本は次のように語る。
. . . コレは村で盛んにおこなわれる。コレにはあるルールがあり、あらかじめコレをしていい相手かどうか、頼み手と頼まれた相手の関係により決められているのだ。 . . . コレにはさらにルールがある。コレを引き受ける際には、初回のコレは断わり、2回目、3回目と頼み込まれて、「仕方ない」と了承するのが正しい受け方である。 . . . 最終的に笑顔で「たいしたことないわ」と、受けとることで自分の寛容さを強調するのである。
コレにはルールがある特別な関係の間で行なわれる何度か断わったうえで、「いやいや」受け入れる寛容さを強調する
吉田は、旅のあとに、次のような理解に達する。
しかし、いまにしておもう。私は彼らのアイ・グリスをまったく無視していたのだ。彼らがアイ・グリスするごとに、私は村をでるときあなたにあげるとか、あるいはすでにあげる約束をしていて、これはすでに私のモノでないとか答えておくべきであったのだ。アイ・グリスに返答しない私に、彼らはすっかりそれは自分のモノだとおもいこんでいたのだ。・・・
ごめんなさい、イワム族の私の友人たち。私はまったく誤解していたのだった。
アイ・グリス(ものほしそうな目)は請願であるアイ・グリスに答えないのは(請願への)承諾の印であるそれゆえ、全ての人が、物をもらうべく約束をしてきた
中村の困惑に対して、サンプルの友達が次のように教える。
「私、もう疲れちゃった。みんな私の顔を見るとおカネ、おカネって。私だって一生懸命働いておカネを稼いでるのに、彼らは私にたかることしか考えていない」。力なく言う私に、友人のモランはしばらく考えてからこう言った。
「キョーコ、僕たちはミルクに慣れすぎている。ミルクは今日なくなるまでしぼっても、明日になればまた出る。僕たちにとっておカネはミルクみたいなものさ。みんなきみのところに来て、今日は出るかどうかためしにしぼっているだけだよ。牛も出ないときは出さないんだから、きみも出せるときに出せばいい」
これを聞いた私は、急に目の前が明るくなった。そうか、おカネはミルクだったのか。だから明日にもち越す必要もないし、ためておくこともできない。たくさんあるところからないところへと自然に流れていく。そして私は、彼らが愛してやまない「牛」だったということか。
牛のミルクは出るときには出るが、出ないときには出ない牛のミルクは貯められない毎朝「出るか出ないか」をチェックするのだ —- 中村は牛だったのだ
サンプルは牧畜民である。彼らにとっておカネはミルクのようなものなのだ。
これらの民族誌に出てくる「彼ら」は、守銭奴ではないが、また同時に愛だけで生きているわけでもない。彼らは彼らのゲームのルールに則って、すなわち、合理的に生きているのだ。
「彼ら」は守銭奴でもなければ愛に生きているわけでもない —- 彼らの理にかなった行動(合理的行動)をとっているのだ
フィールドワークの出会いは大切である。しかしもっと重要なのは、じつは、すれ違いなのである。すれ違いは、彼らの異質さを私たちに突き付ける— しかし同時にそれは私たちの(彼らにとっての)異質さを浮き彫りにする作用をもっているのだ。
彼らの異質さを(わたしたちに)突き付けると同時に— 私たちの(彼らにとっての)異質さを気づかせるのだ
人類学者はしばしば「民族誌家」と呼ばれる。そしてそのように呼ばれることを人類学者は誇りに思う。それは自らが地域研究者でもあるという自負からくる誇りではない。そうではなくて、人類学という営為が、(「彼ら」の間での)フィールドと(「私たち」の間での)書斎、その二つの場所の往復運動からなっているという自覚から来る誇りなのだ。エキゾチックなものをなじみのものとし、そしてなじみのものをエキゾチックなものとする、それがフィールドワークと民族誌が行なっていること、すなわち人類学者が行なっていることなのだ。
エキゾチックなものをなじみのものとし、なじみのものをエキゾチックなものとする
マリノフスキー 『西太平洋の遠洋航海者』
(泉 靖一(監訳)中央公論新社『世界の名著』59巻 1967 (原著 1920))
本文でも紹介した「フィールドワークの創始者」、マリノフスキーによる、トロブリアンド諸島の人びとについての民族誌である。
E・E・エヴァンズ=プリチャード『ヌアー族—ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』
(向井 元子(訳)平凡社 1997 (原著 1940))
本文で引用した本である。何度も再解釈が行なわれている古典というにふさわしい民族誌である。
C・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(1 および 2)
(川田順造(訳)中央公論新社 2001 (原著 1955))
「旅の嫌いな」人類学者による文学的な民族誌・紀行文である。
M・ロザルド『知識と感情—イロンゴットの自己の観念と社会生活』 (M. Rosaldo 1980 Knowledge and Passion—Ilongot Notion of Self and Social Life, Cambridge University Press)
首刈りで有名なフィリピンのイロンゴットの民族誌である。彼らの首刈りを理解することがテーマである。