前章までは「古き良き」時代、人類学が、文化相対主義に基盤を置きながら、さまざまな議論をしてきた時代を書いた。
その時代、とりわけて「相対主義」の論理的基盤を大声で主張する必要はなかった。しかし、現在はそのような分けにはいかない。そのために、とりあえず作り上げたのがピジョンホール文化相対主義である。
「概念の相対主義1 の行く手には大きな岩壁が立ちはだかっている」と野矢は言う。それがデイヴィドソンによる「概念図式という考え方そのものについて」という論文である。
この章は、その論文を説明することに費される。その議論が正しければピジョンホール文化相対主義は成立しないことになるのだ。
この章では、その「大きな岩壁」を描写していきたい。
最初の節では、相対主義にたいして真摯に取り組んだ人類学の先輩、浜本に敬意を表して、彼が取り上げた二人の人類学者の反相対主義の議論を(浜本による反論も含めて)紹介する。
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濱本が30年前(1985年)に書いた論文「文化相対主義の代価」
から、二つの人類学からの文化相対主義に対する批判を取りあげる。一つはブロックによる「現在の中の過去と現在」、もう一つはスペルベルが『人類学とは何か』の中で展開する批判である。ともに、文化相対主義の前提からは、じっさいにある変化というものを説明できない、とまとめることができる。ブロックは社会の変化を、スペルベルは個人の変化を持ち出してくる。
[ under construction 濱本の答 ]
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[ under construction 浜本の答 ]
いささかいい加減で
ピジョンホール相対主義を完膚なきにまで叩きのめしたのがデイヴィドソンの「概念図式という観念について」である。
「概念図式」論文は、いわば、軽いジャブから始まる ― ウォーフも、「理解できない、翻訳できない」と言いながら、説明してるじゃん、と。デイヴィドソンは言う、「ウォーフは、ホピー語がわれわれのときわめて異質の形而上学を組み込んでいるので、ホピー語と英語とは、彼の言う「目盛りの調節」ができないということを説明しようとして、英語を使ってホピー語の文の実例の内容を伝えている。クーンはわれわれの革命後の慣用語―それ以外の何であろうか―を使って、革命以前では事柄がどのようであったかを見事に言ってのけている。」
同じ趣旨の指摘はすでに何度もされていた。マンデルバウムは、同じくウォーフについて「彼は・・・ 英語を使って他の諸言語に含蓄されている世界像を解明できたのである」と述べ、パットナムは「ガリレオが『共約不可能』な観念を持っている、と言いながら、続けてそれを詳細に説明するというのは首尾一貫していないと言わざるを得ない」と宣言する。
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さて、いよいよメインの議論にとりかかりたい。以後、「概念図式という考え方そのものについて」論文を、「概念図式論文」あるいは(誤解のないだろう場面では)「概念図式」と呼ぶこととする。
この論文を再録したにおいて編者のメイランドとクラウスは次のように、デイヴィドソンの戦略を紹介している。「或る人が目の前にある物をはっきり見ているとき、その物が同じ椅子なのか、異なる二つの椅子なのかを、彼が決定できない場合、彼には椅子の個体化のどのような規準もないのである。そしてもし彼に椅子の個体化の規準がないのなら、椅子とは何であるかを知らないのである。つまり彼は椅子の概念をもたないのである」 (112) と。言っていることは、ある人が、ある物を「椅子」と呼びながら、もう一つ同じように「椅子」を同定できないならば、その人は「椅子」の概念をもっていない、ということなのだろう。
If a person cannot determine whether what is before him is the same chair or two different chairs when he can see clearly, then he does not have any criteria of individuation for chairs. And if he has no criteria of individuation for chairs, then he does not know what a chair [62/3] is; he does not have the concept of a chair.
デイヴィドソンの「概念図式」はまさにそのような議論となる。すなわち、文化相対主義者すなわち概念図式論者による前提を考えると、けっきょく彼らが考える
その中でデイヴィドソンは概略つぎのような議論を展開する。以下、文化と言語を同一視して記述する。
異文化が理解(翻訳)不可能だとすれば、その当該の文化(言語)が文化(言語)であるということがどうして分かるのか。あるモノが理解(翻訳)不可能であるならば、それが文化(言語)であると言うことは不可能である。証明終わり。
もうすこし丁寧に説明してみよう。これまで外の世界に発見されていなかった島に降り立ったあなたは原住民とコミュニケーションをはかろうとする。最小限の [ under construction ]
デイヴィドソンの批判は次のように言い換えることも可能であろう:「ピジョンホール」の構図は鳥瞰図である。いったい誰がそのような鳥瞰図を得ることができるのか。それは神の視点である。そのような立場に立ちうる人間はいない。私たちが持ち得るのは一つひとつのホールの中からの視点、虫瞰図のみである。
[ under construction 「時間の始まる前」 ]
「異なった文化に属している人びとは異なった世界に住む」が文化相対主義のテーゼであった。いま、その避けられない帰結「異なった文化は理解できない」がつきつけられたのだ。これを「相対主義のテーゼ (2)」と呼ぼう。もしテーゼ (2) が成り立つのならば、人類学は文化相対主義に基づく異文化理解という、その成立基盤を失なうこととなる。
一つの解決はテーゼ (1) を捨てることだろう。そうすることは、すなわち、「文化」という考え方自身を捨てることとなる。宣言しておく、わたしはそれは嫌である。しかし、多くの人類学者がそのような道を辿っている。その道の見取り図を描くのが次の章、「文化を捨てる人びと」である。
文化を捨てる道が間違っているとわたしは証明できない。わたしが行なうのは、これからの議論はテーゼ (1) を維持しながらも、どのようにテーゼ (2) を回避する道があることを示すことである。本の残り(次章を除く)全体は、そのやり方を模索することに費される。テーゼ (1) を維持するというのは、とりもなおさず、「ピジョンホール文化相対主義」に固執するということである。わたしの目標とするのは、テーゼ (2) を回避することのできる新しい「ピジョンホール文化相対主義」である。これを「ピジョンホール文化相対主義バージョン2」と呼ぼう。そのようなバージョンアップした「ピジョンホール文化相対主義」を作りあげる見取り図を作ること、それこそがこの本全体の目標なのだ。
テーゼ (1) を捨てる、捨てないという二つの方策を見ていく際に、「概念図式」の著者デイヴィドソンに二役を演じてもらうのが分かりやすいと、わたしは考える。一つを「表デイヴィドソン」ともう一つを「裏デイヴィドソン」と呼ぼう。