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1-1 失敗した革命

ポストモダン実験的民族誌

2013-09-16 21:45

中川 敏

1 第1部の序文

2 序
2.1 ポイントとキーワード

3 「実験的民族誌」とは
3.1 『文化を書く』の衝撃
3.2 書き手の主題化

4 パンドラの箱をあける---認識論的転回
4.1 パンドラの箱をのぞく---マルクス
4.2 パンドラの箱をあける---マンハイム
4.3 パンドラの箱をしめる---マンハイム
4.4 パンドラの箱を再びあける---ポストモダン

5 パンドラの箱を再びしめる---反反自民族中心主義
5.1 描かれていない描く手
5.2 パンドラの箱を再びしめる---ローティ

6 まとめと展望
6.1 方法論的独我論
6.2 展望

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(C) Satoshi Nakagawa
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金持ちだからといって差別しないでちょうだい
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クレイグ・ライス『死体は散歩する』

1. 第1部の序文

第一部は心の理論を提供する。 ・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

第1部は、具体的には、 「民族誌」のあり方について、 理想の民族誌があるとすれば、それは どのようなものかについて語る。 それを、わたしは、 とりわけ1980年代以来提唱されている 「実験的民族誌」というものの 批判的な継承として提示していきたい。

2. 序

2.1 ポイントとキーワード

2.1.1 キーワード

3. 「実験的民族誌」とは

以上を共通理解として、 この講義のテーマである 「実験的民族誌」ということばについて 説明していこう。 人類学を専門とはしないあなた方に 人類学の学説史を説くのは いささか気が重いのだが、 この言葉、 「実験的民族誌」を語るには 学説史はどうしても避けて通るわけには いかない。

3.1 『文化を書く』の衝撃

1986年に『文化を書く』 [z.clifford-marcus-writing] という本が出版された--- この本が人類学者に与えた影響は 大きなものであった。 1 この本に影響された人類学を 「ポストモダンの人類学」と 呼ぶことが慣習である。 この講義でもそう呼ぶこととする。

3.2 書き手の主題化

「実験的民族誌」に焦点をあてて ポストモダンの主張を述べれば、 二つにまとめることができる。 一つは書く側、 もう一つは書かれる側の問題である。 民族誌家と原住民の問題だ。

この講義で書く側、 次の講義で書かれる側についての、 それぞれポストモダンの人類学が 指摘した問題を取り上げていく。

* * * * *

民族誌の書き手を問題とするとは、 有名な論文のタイトルを借りて言えば、 「民族誌家の権威」 [clifford-authority] を問題にする、ということである。

近代的民族誌の 創始者とも言うべきマリノフスキーは次のように 言う---

[この島を]所有しているような感じを 抱く。それらを記述し創造するのは、この私なの だ。 [malinowski-diary-j: 213]

マリノフスキーが 当然とした (そしてその後だれもが当然とした) 民族誌家の権威を問う、 それが「実験的民族誌」の目指したものなのだ。

端的に言えば、 インフォーマント同様、 一人称単数(「私」)をも 民族誌に導入し、 「私」である民族誌家の権威を 問おうという動きである。

4. パンドラの箱をあける---認識論的転回

この節では、 民族誌家の権威を問う作業が、 言わば、パンドラの箱を開けることであった、 さまざまな災厄を世界にふりまく行為であった ことを示したい。 それは人類学に 認識論的な窮状をもたらしたのである。

その議論に入る前に、 ポストモダン人類学の 政治論的側面について触れておこう。

ポストモダンの人類学が行なう批判が 政治論的側面を持っていることを 太田は強調する(たとえば [ohta-93])。 それは、たしかに、 重要な指摘である。 太田の指摘を、いささか戯画化して まとめてみよう。 現代の世界には弱者と強者がいる。 人類学の中で描かれているのは、 たいていの場合、 弱者の「文化」 (それが何であれ)である。 そしてそれを描くのは強者である。 後に取り上げるローティの言い方を 借りれば、典型的には 「北アメリカの白人ブルジョワ男性」 [rorty-bourgeois]なのだ。 ポストモダンの人類学 2 は、このような 政治的な構図をこそ問題にしているのだ、 と太田は言う。 この政治的側面を抜きにして 認識論的側面を語るのは ポストモダン人類学の矮小化であると、 彼は言う。

しかしながら、 もし政治論的側面から(これから 述べる)認識論的な問題を解決できるので ない限り (そして解決できないと私は信じる)、 私は太田の議論こそ、 すなわち 認識論的な袋小路を抜きにして 政治論的な側面を語ることこそ、 ポストモダン人類学の矮小化だと思う。 3

以降、私は 実験的民族誌の 認識論的な方向のみを問題にしていきたい。 その政治論的な含意は、認識論をめぐる議論の中で 示されていく筈である。

4.1 パンドラの箱をのぞく---マルクス

民族誌家の権威を認識論的に問うとは どのようなことなのか、 それを先ず明かにしたい。 歴史的に語ろう。

第一ステップはマルクスによる イデオロギー批判である。 「存在が意識を規定する」という 有名なマルクスの言葉がある (『経済学批判』 [marx-grundrisse])。 「おまえが持っている考え方は おまえの階級や立場や 利害関係に決定されているのだ」という 虚偽意識告発である。

マルクスを民族誌家に、 同時に「おまえたち」を原住民に重ねてみよう。 民族誌家は、 いわばマルクスのような作業をしているのである--- 「おまえたちのもっている考え方は おまえたちの文化や制度に影響されているんだ」 と。

4.2 パンドラの箱をあける---マンハイム

マルクスの告発の中で 不問に付されている対象がある--- それはマルクス自身である。 人類学的状況に重ねてみれば、 民族誌家自身が不問に付されている、という ことである。 第二のステップはこうだ--- 「そう告発するお前は何者なのだ」と。

この第二のステップを取るということは、 言わば、パンドラの箱をのぞくような 作業である。 第二のステップとった途端に、 すなわち、 「そう言うお前は何者だ」と 問うた途端に、 目の前に無限が広がるのだ--- 「「「そう言うお前は何者だ」と言うお前は 何者だ」」と言う問いが待っていることに 人は気づくだろう。 そしてその背後には、 「「「「そう言うお前は何者だ」と言うお前は 何者だ」」と言うお前は何者だ」という問いが、 すなわち 無限の問いが待っているのである。

マンハイムは 『イデオロギーとユートピア』 [mannheim-ideology]の 中でそのような一歩を大胆に取る。

書き手自身の 立ち位置を問うことは、 それ自身無限退行に陥ってしまう、 そのような営為である。 それは 書くことに対する 確たる基盤をなくしてしまう問いなのである。 4

4.3 パンドラの箱をしめる---マンハイム

パンドラの箱を閉めたのは 張本人のマンハイムである。 マルクスのイデオロギーを 発展させる中、 この無限退行の問いに気のついた マンハイムは 『イデオロギーとユートピア』 [mannheim-ideology]の中で 無限退行を避けるために、 書き手を「浮動する知識人」として、 一切の立場や利害関係から自由な者としたのだ。 いわば彼は、 自らに神の視点 (アルキメデスの支点)を与えたのである。 5

4.4 パンドラの箱を再びあける---ポストモダン

マンハイムによって閉められたパンドラの箱を ポストモダンの人類学は 自信満々に再び開ける。

彼らはそれを閉める護符、 「浮動する知識人」を捨てた。 そのような神の視点は存在しない、と 一蹴したのだ。

パンドラの箱を開けたままにした 代償は、 どのような意味であれ「真理」の放棄であり、 「何をしてもかまわない」 (anything goes) であることを、 端的に宣言したのは杉島である。

私たちがとるべ き戦略の方向は ・・・・・ 表 象の概念に基づくリアリズム=実在論を民族誌的研 究から放逐することである。 なぜなら、 民族誌的研究は、 住民との対話であれ他の何であれ、 現実を正しく表象することを 目的とするものはなくなるからである。 [sugishima-95: 208]

わたしのこの講義以降の目的は、 捨てさられたリアリズム、実在論を 取り返すことに費されれる。 しかし、それは後の問題だ。 しばらくは ポストモダンの人類学によりそって 議論を進めていこう。

5. パンドラの箱を再びしめる---反反自民族中心主義

「民族誌は文学のようなものだ」と ポストモダンの人類学者は言う。 6 民族誌家自身の立ち位置を問う ポストモダンの人類学は 民族誌家自身による内省的な傾向を強める。

内省的な「実験的民族誌」として P・ラビノーの『異文化の理解』 [rabinow-morocco]を、 その典型例として挙げることができるだろう。 民族誌家がインフォーマントたちと共同して 相互理解をつくりあげていくそのような 過程としてフィールドワークを書きあげた 失敗作である。

5.1 描かれていない描く手

文学作品を文学作品として (「つまらん」)として 批判するのは、 しかしながら、 わたしの意図するところではない。 著者の意図するところではないだろうが、 『異文化の理解』を人類学として見てみよう。

民族誌家の権威を認めず、 民族誌家とインフォーマントの 相互理解に焦点を置こうとする 『異文化の理解』という実験的民族誌の試みと 似た構図を エッシャーの『描く手』に見ること ができることを指摘することから 議論を始めたい。

[描く手]
図 『描く手』

エッシャーの『描く手』 (図 escher-hand)を見てみよう。 この絵は、じっさい、 ポストモダンの人類学の 理想とする姿のようにうつる筈だ。 一本の手がもう一本の手を描いている、 そして同時にその手自身がもう一本の手によって 描かれているのだ。 まるで、 民族誌家とインフォーマントの間の 相互理解の構造を エッシャーが予感していたかの如くである。

ポイントは、 この絵は ジョークであるということである。 決定的な落ちがある--- 『描く手』を「描いている手」が描かれていない のだ。 たしかに二本の手が描かれている。 そして二本は互いを描きあっている。 私が言っているのは、 この絵をじっさいに描いたエッシャーの手のことだ。 その欠点を埋めるべく、 もう一つの「じっさいに描いている手」を 描いてみよう。 そうしたところで、 その手を描くエッシャーの手は、 やはり描くことはできない。 じっさいの描き手を描くことは 不可能なのだ。

ポストモダンの人類学が 民族誌家の権威を打ち砕くために 採用せよと言う 多声的民族誌についても、 けっきょく、同じことが言える。 民族誌の中にいかに沢山の声を 書こうとも、 それらの声を選び出しているのは、 一人の民族誌家なのだ。 「パンドラの箱」を出た妖魔は言う--- 「それを書いているお前は何者だ?!」と。

5.2 パンドラの箱を再びしめる---ローティ

パンドラの箱は開けっぱなしなのだ。

閉めることとしよう。

ポストモダンが嫌った マンハイムの答、 「浮動する知識人」 は一つの解決策だ、と私は思う。 「傲慢な」という形容詞をつけて その答を非難するのはたやすい。 しかし「傲慢な解決策」の 代替案がラビノーの『異文化の理解』である限り、 その非難は成り立っていない。

5.2.1 ギアツとローティ

マンハイムほどに 自分に自信をもてない私が ここで解決策として示すのは、 同じ方向であるが、 より傲慢さの少ない解答である。 この節で パンドラの箱を閉める手伝いを 求める先は哲学者、ローティである。 彼の主張する 「アンチ・アンチ自民族中心主義」 を一つの解決策 (あるいはその道筋への出発点)として 紹介したい。

5.2.2 反反相対主義

ギアツは人類学の培ってきた相対主義が さまざまな問題を抱えながらも、 擁護すべきものだと考えている。 彼は、「反・反相対主義」 [geertz-anti-anti]と題された論文の中で、 近頃の相対主義に対する反論、 反相対主義の風潮に憂慮を示す。 ギアーツは相対主義に反対するそのような潮流に対して、 反・反相対主義という立場を打ち出す。

5.2.3 二つの相対主義

議論がややこしくなるが、 後の理解のために、 相対主義について簡単に説明しておく 必要があるだろう。 ポストモダンの人類学の主張に 政治論的側面と認識論的側面があったように、 相対主義の人類学にも 同じ二つの側面がある。 ポストモダンの際と同じように いささか戯画化して述べよう。 政治的な主張は 次のようになる。 「異なる文化を、 われわれとそれが異なるというだけで、 それを低いものと見てはいけない。 それはもう一つの文化なのだ」と。 認識論的な主張は次のようになる 「他の文化に住む人びとが見る世界は、 われわれの見る世界とは異なる」と。 この後者の相対主義を、 キャッチフレーズで言えば、 「それぞれの文化にそれぞれの真理がある」と なろう。 どちらの側面が語られているかを 判然とさせないままではあるが、 相対主義は、 人類学の中で、 人類学らしい立場として、 いままで主張されてきた。

政治論的な相対主義と反対する立場が 「自文化中心主義」であり、 認識論的な相対主義と反対する立場が 「普遍主義」あるいは「絶対主義」である (cf [hamamoto-sai])。 同じように後者の反相対主義(普遍主義)を キャッチフレーズで表わせば、 「真理は一つ」となるであろう。

5.2.4 反反自民族中心主義

ギアツの議論に誘発された ローティの議論を取り上げるわけだが、 まずはギアツの議論を紹介しよう。 ローティがじっさい反論しているのは ギアツの「多様性の利用」 [geertz-diversity]という論文である。 この中で相対主義をめぐる立場は、 ことさらに、政治論的地平で議論される。 冒頭に引用されるのはレヴィ=ストロース [ls-view]である。 レヴィ=ストロースは、「なんらかの価値観 や考え方に忠誠を誓うのは決しておぞましいことで はない。エスノセントリズムこそが文化の統一性を 保つ働きをもっているのだから」と宣言する。ギアー ツは問う―― 「道徳的なコスモポリタニズムに代 わるのは道徳的なナルシズムしかないのだろうか?」 [geertz-diversity: 72]と。 レヴィ=ストロースに続いて引用されるのが、 ローティの、臆面もないタイトルの(ギアーツは ``marvelously titled'' と形容したが)「ポスト モダン・ブルジョワ・リベラリズム」 [rorty-bourgeois]の論文である。 ローティは、 「自分自身のグループに対する忠誠はそれだけでじゅ うぶんに道徳的なのだ」 [rorty-bourgeois: 199]と語る 哲学者として引用される。「レヴィ=スト ロースそしてローティの『それぞれがそれぞれに』 道徳の二つのバージョンは」、ギアーツは言う、 「文化的多様性についてのよくある見解に基づいて いるのだ── 『他の信念は、われわれが(他の場 所で育っていたならば)もったかもしれない信念、 他の価値観は、われわれがもったかもしれない価値 観・・・・・である』という見解に」 [geertz-diversity: 75]。

・・・・・ 【ギアツの現代社会---クラブではなく、 バザールだ】 ・・・・・

それらの通俗的な見解に対して、ギアーツは反 論する--- 多様性のほんとうの利用法というのは そうではない。 多様性を知るということは、 自分自身のグループの統合を保つために、 他の人が自分達 といかに違うかを目測するためなのではない。そう ではなくて、これから理性が横切らなくてはいけな い場所の地形を知るためなのだ、 と [geertz-diversity: 83]。 現代の社会は、すべての人間が同じ価値を共有している 英国の紳士のクラブのような社会ではなく、言って みればさまざまな価値観をもった人間があつまる クェートのバザールのような社会である [geertz-diversity: 86]。 このような社会でこそ、とりわけ、 多様性に対するこのような考え方が 重要であるのだ、とギアーツは言う。

ローティのギアーツへの答え [rorty-ethnocentrism]は、 ギアーツに引用された 「自分自身のグループに対する 忠誠はそれだけ でじゅうぶんに道徳的なのだ」 [rorty-bourgeois: 199] という考え方を より説得的に示すことに費やされる。

彼の立場をもっとも印象的に示す個所は、 ギアーツの現代の社会の比喩としての 「英国の紳士のクラブではなく、 クェートのバザール」を逆手にとり、 「バザールを中心にして、 英国の紳士のクラブがま わりを囲む」 そのような町を比喩として用いているところだろ う。 バザールで、 あなたは、 あなたと大きく異なった人びとと 出会うかもしれない。 しかし、 あなたは彼らと取引さえすればいいのだ。 一日の仕事のあと、 あなたは、自分のクラブに引き上げ、 そこで自分と道徳を共有する人びとと くつろぐことができるだろう。 そんなふうに、ローティは その挑発的な比喩を続ける [rorty-ethnocentrism: 210]。 われわれ 「金持ちの 北アメリカの ブルジョワ」 [rorty-bourgeois: 201]に それ以外の何ができ るというのだ、

アンチ・アンチ 自民族中心主義のもと、 ローティは言う--- 「わたしたちは、 わたしたちの立場を越えて 発言することは出来ない」 [rorty-ethnocentrism]と。

5.2.5 認識論としてのローティ

ギアツとローティの論争を紹介する前に 行なった相対主義をめぐる地図を思い出して 欲しい。 相対主義論争には 政治論(あるいは道徳論)的な側面と 認識論的な側面がある、とう指摘だ。

わたしが言いたいのは、 発端のギアツの議論が多分に 道徳論的であったのに対し、 ローティの議論が認識論的である、という点である。

ローティの(認識論的な)反反自民族中心主義は、 普遍主義でもなければ、 ましてや「自民族中心主義」でもない。 それは、 「真理が一つなのか複数なのかは分からない」という 意味で普遍主義に対立する。 それは 「私は私の立ち位置からしか発言できない」と主張する 意味で 相対主義に対立するものなのだ。 それはギアツの主張するような物分かりのよ過ぎる 相対主義に反論すると同時に、 根拠のない多声的民族誌に対する 強いアンチテーゼとなっている。

私が主張したいのは、 他者へ向けての旅の出発点はここ、 すなわち「反反自民族中心主義」にしかない、という ことである。

エッシャーの比喩を使えば、 われわれは、 描くことの出来ない描く手をつねに 意識しなければいけない、ということだ。

6. まとめと展望

さて・・・

これまでの ポストモダンの人類学の中で 一人称単数を とり入れる内省的民族誌が 失敗であるならば、 実験的民族誌は 成功の見込みのないものとして 諦めるべきものなのだろうか?

「そうではない」と 私は思う。 これまでのやり方が間違っていたのだ。 正しいやり方があるはずだ、 そのように私は考える。 次の章はその具体的な方策を探すことに費やされる。

6.1 方法論的独我論

ローティの「反反自民族中心主義」の 別の言い換えをしてみよう。 ローティは、つまるところ、こう言っているのだ: 「私の立ち位置は分かる。 人の立ち位置については、 とりあえず分からないことにしておこう」と。 このように言い換えてみれば分かるが、 この議論は一種の独我論である。

独我論として言い換えることによって、 理想の民族誌に向けての旅とは、 すなわち、 他者を見つける旅なのだ、ということが 分かってもらえるだろう。

6.2 展望

他人がいることをわれわれは知っている。 問題は、他人をモノとして見るのではなく、 人として、他者として見ることである。 すなわち心の探求である。

第2章では、 その探求を学説史の中に置くことにより、 それがいかに困難なものであるかを描く。 第3章では、 他者という問題系を日常に置くことから 始める。 結論は、 他者を見つけるのは とんでもなく容易なのだ、ということとなる。 そして 第4章は、 そのようにして見つけられた他者が、 単に操作の対象としての他者であることを 指摘することから始める。 操作の対象であることを越えた他者、 それを見つけられるであろうか、 それが第4章の目的となる。

・・・・・ 【異文化の他者、独我論】 ・・・・・


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Bibliography

* * * * *

ENDNOTES

[1] とは言え、わたし自身は、じつは、 その頃 人類学界から遠ざかっていたので、 「祭の後」にしかその影響を 知らなかったのだが・・・。 [Back]

[2] 太田はここでは直接的には サイードの議論そして ポストコロニアル批判を語っている。 [Back]

[3] 政治論的な議論は、 ポストモダンにのみ関わるわけではないが、 第四部で行ないたい。 [Back]

[4] ここでは、 「ある議論が無限退行を引き起こすならば、 その議論は間違っている」という判断を採用している。 この判断については、 第4部において、 相対主義との関連でもう一度取り上げたい。 [Back]

[5] これが 納得のいかない答えだ、ということは 誰でも考えたことだと思う。 わたしも、 学部時代に「社会学概論」で この議論を聞いたとき、 「なんといい加減な」と思ったことを覚えている。 ただし、こうしないことには 泥沼が待っているこは、 院生時代になって納得した。 [Back]

[6] 「民族誌が文学にすぎないと言っている わけではない」という (文学にたいへん申し訳ない)言い訳を 彼らはしている。 しかし、言い訳には根拠がなければ意味がない。 [Back]