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1-3 ダンゴムシのエージェンシー

物理姿勢と志向姿勢

2013-09-16 22:19

中川 敏

1 序
1.1 ポイントとキーワード

2 実験室の民族誌
2.1 擬人化のいましめ
2.2 機械としてのダンゴムシ
2.3 不思議なダンゴムシ
2.4 心をもったダンゴムシ
2.5 ワンダーボーグ

3 姿勢
3.1 姿勢による違い---デネット
3.2 沸騰する鍋の見方---物理姿勢
3.3 赤くなった人間の見方---ジョーンズ革命
3.4 クーラーの欲望---志向姿勢

4 まとめと展望
4.1 展望

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(C) Satoshi Nakagawa
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1. 序

ポストモダンの人類学が 「実験的民族誌」を提唱することによって、 これまでの民族誌における 二つの点に異議を申し立てた。 一つは書く側、 民族誌家の権威への異議申し立てである。 もう一つは書かれる側、 原住民のエージェンシーの欠如に 対する異議申し立てである。

これまでの授業で 示したことは、 この二点、どちらも そのまま受け入れるわけにいかない 論点を含んでいるのだ、ということである。 民族誌家の権威を問うことは、 ある種の認識論的ジレンマに人類学を 追い込むことになる。 そしてエージェンシーは、 それほどナイーブに認めるわけには いかない概念なのだ、 これがこれまでの授業で示してきたことだ。

第一部の残りの授業では、 ポストモダンの人類学の挑戦に より肯定的に答えていきたいと思う。 第一部のとりあえずの目的は、 新しい実験的民族誌を提案することである。

1.1 ポイントとキーワード

1.1.1 ポイント

1.1.2 キーワード

2. 実験室の民族誌

もう一度「説明と理解」の対立を 思い出していただきたい。 フォン・ウリクトの 説明派と理解派との対立に関する嘆きを紹介した。 それは調停不可能な対立なのだという嘆きを。 今回の授業の冒頭に取り上げるのは、 じつは対立はそれほど深刻ではないと 思わせる兆しがある。 説明から理解へと 観点が移動していく面白い民族誌がある--- 『ダンゴムシに心はあるか』 [moriyama-dangomushi]という本である。 フィールドは実験室、 原住民はダンゴムシたちだ。

2.1 擬人化のいましめ

著者、森山はまず 安易な擬人化をすることを いましめる。

ジガバチのエサ捕獲行動を 見てみよう。 ジガバチは 「産卵の時期になると地面の適当な場所に縦穴を掘って、 土の塊で入り口を閉じ、獲物であるイモムシを探 し」に行く。 イモムシを毒針で打ち、 麻酔して穴の近くまで運ぶ。 穴の中にイモムシを入れる前に、 ジガバチはかならず穴の内部を点検し、 それからあらためてイモムシを中に入れて、 卵を産みつけるのである [moriyama-dangomushi: 166]。

いかにも「心」の働きによるかのように 見えるこの点検という 行動も、 じつは、機械的なものなのだ、と 森山は言う。

ジガバチが穴の内部を点検している 最中にイモムシの位置をずらしてみる。 すると、 ジガバチはイモムシを穴の入り口まで 動かした上で、 また穴を点検するのだという。 [moriyama-dangomushi: 166] すなわち、 「捕獲・点検・産卵」は 「思考や判断といった知能に基づいて作業 しているわけではな」く、 「刺激と連鎖の結果にすぎな い」のである [moriyama-dangomushi: 167]。

これらは進化の中で獲得された 行動なのである。 ドーキンスはミツバチの同じように 複雑な行動を例にする。 [dawkins-selfish-genes-j: 86--88] ミツバチには腐蛆病 [ふそびょう]と いう細菌性の病気がある。 ある系統のミツバチは他の系統にミツバチより この病気にかかりにくい。 というのは、この系統のミツバチは 特殊な「衛生的な」行動を取るからである。 彼女らはこの病気にかかった 幼虫を見つけると、 巣室の蓋をあけ、 幼虫をひきずり出し、 巣の外へと捨てるのである。 [dawkins-selfish-genes-j: 86]

この「衛生的な」行動は 思考や判断によるものではなく、 遺伝子によるものであることが 証明されている。 この行動はメンデルの法則にしたがって 遺伝するのである。 それは「青色の目」と同じく 劣性の遺伝子である。 「衛生的な」ミツバチとそうでないミツバチを 交配した世代には 「衛生的な」行動は出現しない。 いったん消滅したこの行動は、 しかしながら、 交配の次の世代において再び出現するのである。 1 すなわち、「衛生的な」行動は、 遺伝子が司っている行動であり、 個体が「心」をもって、 あるいはエージェンシーをもって、 行動しているわけではないのである [dawkins-selfish-genes-j: 87]。

2.2 機械としてのダンゴムシ

森山の実験室に戻ろう。 森山の対象はダンゴムシである。

彼はまずダンゴムシの歩行の仕方について 観察を続ける。 ダンゴムシが続けて障害物に 遭遇するとき、 ダンゴムシは直前の方向 (たとえば右)と違った方向 (左)へと曲る。 これを交替性転向 [moriyama-dangomushi: 78])と 呼ぶ。 森山は交替性転向を 左右非対称脚運動という メカニズムを想定して説明する。 これは左右の脚 (ダンゴムシには7対の脚がある) の活動量を調整する 神経機構である。 右に曲るとき、ダンゴムシは 左側の脚を右側の脚より多く動かすことになる。 このようにして生じた 活動量の違いを じょじょに小さくする機構、 それが左右非対称脚運動である。

次に森山は 丸いアリーナにダンゴムシを置き、 その行動パターンを調べる。 アリーナの外側は水で満たされている。 ダンゴムシは長いあいだ水につかると 死んでしまう。 それゆえアリーナの縁まで来たダンゴムシは アンテナで水を探知するとそれを避けるように 方向転換をする。 そして左右非対称脚運動により、 ふたたび縁に近づくことになる。 図 dango-water「水のアリーナ」を 見よ。

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図 水のアリーナ

2.3 不思議なダンゴムシ

さまざまな実験の中で、 森山は ダンゴムシの行動を、 左右非対称脚運動および アンテナの走触性から説明していく。 そしてそれらの行動が生まれてきた 進化の歴史を推測する。

いくつかこれらの説明を 逸脱する行動、 森山はこれを「変則行動」と呼ぶ、が 現れていることに、 森山は気づく。 そのクライマックスは 「乗り上がり」行動である。

丸いアリーナに、(1) 内側に壁、そして (2) 水と壁の間に できあがった通路に障害物を置いた そのような舞台である。 予測したように 水と障害物の間を歩いていく ダンゴムシはいるのだが、 そうせずに変則行動を取る ダンゴムシがかなりの数あらわれたのだ。 「障害物への片アンテナ接触の後、 交替性転向によって障害物から 離れるだけでなく[sic]、 しばしば障害物のほうへ わざわざ向き直って両アンテナ接触を生じ、 これへ乗り上がった」 [moriyama-dangomushi: 128]のである。 図noriagari 「環状通路の乗り上がり」を見よ。

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図 環状通路の乗り上がり

2.4 心をもったダンゴムシ

このとき森山は ダンゴムシの「心」を確信することとなる。

彼は心を「未知の状況において、 予想外の行動を発現させる潜在力」 [moriyama-dangomushi: 163]を持つ 源ととらえる。

物語はここで終わる。 続編はマリノフスキーの民族誌のように エージェンシーに満ちた 楽しい民族誌になるのかもしれない。

2.5 ワンダーボーグ

森山の旅を、 われわれの言葉に置き換えてみよう。 森山はまず、ダンゴムシの行動を、 決定論の世界の中で、 法則定立による説明を試みる。 そこで見出したのが 「交替性転向」というパターンであり、 それを制御する 「左右非対称脚運動」と 「アンテナ性の走触性」である。

10年ほど前に 「ワンダーボーグ」という 完全自律型 昆虫ロボットが発売された (図 wonder-borg。 状況を判断するセンサーそして 走行のためのモーターを持つロボットである。 そして、 あなたは(ワンダースワンを使って) ワンダーボーグをプログラムできる--- センサーからの情報に基づき (場合に応じての) モーターへの指示をあらかじめ 埋め込んでおけるのだ。 2

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図 完全自律型昆虫ロボット、ワンダーボーグ

森山と同じ実験室装置、 たとえば丸いアリーナを作り、 ダンゴムシと同じように 交替性転向のパターンをもって 縁を歩くワンダーボーグのプログラムをすること は容易である。

あなたはワンダーボーグのプログラマである。 ワンダースワンを使用して、 「アンテナ性の走触性」と 「左右非対称脚運動」をプログラマし、 ワンダーボーグにアップロードしたところだ。 丸いアリーナにワンダーボーグを置く。 スイッチを入れれば、 もはやワンダースワンとは無関係に、 すなわち「自律的」にアリーナの縁にそって 歩行する。

さらに同じワンダーボーグを 障害物のついた丸いアリーナに置こう。 この時、ワンダーボーグがとつぜん 障害物に 乗り上がったときの驚き、 それこそが 森山の驚きだったのだ。

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

3. 姿勢

この節では 両立論の擁護を展開する。

まず、 これまでの議論をまとめておこう。

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・

この節の中心になるのは デネットによる「姿勢」の議論である。 説明と理解の対立、 あるいは非両立論と 両立論の対立を、 彼は、 観察される対象(「システム」)への 観察者の態度、姿勢(スタンス)の中に 解消していく、というのが 彼の議論の筋道である。

3.1 姿勢による違い---デネット

デネットは、 観察者の対象となるシステムへの 姿勢(スタンス)の違いについて述べる。

システムに対するスタンス(姿勢)を デネットは三つ (物理姿勢、設計姿勢、志向姿勢)に 分類する。 ここでは論を簡単にするために 物理姿勢と志向姿勢の二つに 的をしぼろう。

3.2 沸騰する鍋の見方---物理姿勢

あるシステムの物理的組成から (物理法則に従って) そのシステムの入出力を予想する、 これが物理姿勢である [dennett-intentional-j: 26]。 問題となる物理法則はラプラスの悪魔のような壮大なもの [dennett-intentional-j: 26]から、 実験室の科学者、そして 家庭の主婦/主夫のもっている 民俗物理学的なものまでさまざまであろう。

化学者や物理学者は実験室 でこの戦略を使ってとらえがたい微粒子たちのふる まいを予測しているが、台所で料理を作る人でも同 じようにして鍋をずっとガスにかけておくとどんな 結果になるか予測できるのである。 [dennett-intentional-j: 27]

料理をしている人が 操作者 (manipulator) であるというのは 分かりやすいだろう。 そして、 この姿勢こそが、 自然科学者の、 ワンダーボーグのように ダンゴムシを観察していた研究者の、 そしてラドクリフ=ブラウンに代表されるような 民族誌家の姿勢なのである。

3.3 赤くなった人間の見方---ジョーンズ革命

続いてデネットは 志向 [インテンショナル] 姿勢 [スタンス] を挙げる。 これは、 システムが志向性 をもっているとして、 すなわちそのシステムに 内的表象が存在するものとして 扱う、そのような姿勢 [スタンス]である。

哲学者セラーズの描く 哲学的SF、「ジョーンズ革命」 [sellars-mind]が、 志向姿勢を理解するのに 役立つだろう。

それは わたしたちの祖先たちの物語である。 かつて地上にいた祖先たちは、 (祖先たちははすでに言語を獲得している) 共同体のメンバーを描写するに 行動主義的な語彙、 「心」を想定しない語彙 のみを使用していた。 セラーズはこの時代の 先祖たちを 「ライル的な先祖」と呼ぶ。 3 「怒り」とか「悲しみ」など 内面に言及する語彙はなかったのだ。 感情それ自身が存在しなかった。 信念も、欲望も、意図も存在しなかった (それらを語る言葉が存在しなかった)。 鉄について、 「それは固い」であるとか、 「赤くなった鉄は熱い」とかの語り方を わたしたちはする。 この時代の祖先たちは 人間についても同じような 外側からのみの語り方を していたのだ。 「赤い顔をして、 ある特別の パターンの表情をした者は 暴力的な行動をとりやすい」であるとか、 「視線をさげ、口を『へ』の字にして、 涙を流している者は、 人との交流を避けやすい」等々の 語彙をつかって、 共同体のメンバーを描写していたのである。 それはそれで 共同体を維持するのに、 それなりの役割を果たしていただろう。

ある時、 ジョーンズという男が革命を起こす。 それは「内的発話」という考え方の発明である。 ある者が 自分の内部だけで 人には聞こえずに発話を起こなっていると 想定するのだ。 たとえば、 ある日 A が B の面子を失わせるような 発現を公共の場でしたとしよう。 その時、A という男が次のような 内的発話をしていると考えるのだ--- 「おれは恥ずかしい思いをした。 それは B のせいだ。 B に仕返しをするにはどうすればいいのか。 B が不義密通を働いていることを おれは知っている。 次の機会に 公衆の面前でそれを暴露してやろう。 そうすることで B を恥をかくだろう」と。 A に内面が、 すなわち、 感情・信念・ 欲望そして 意図が付与されるのだ。 これらに基づく内的発話こそが 「思考」なのである。

「内的発話」を想定して、 共同体のメンバーの行動を予測したところ、 これまでのライル的な方法より よい結果を出すことに、 人びとは気づいた。 それ以来、 人びとは「内的発話」を、 すなわち「思考」をメンバーに付与するように なったのである。

3.4 クーラーの欲望---志向姿勢

セラーズの描写するジョーンズ革命によって 作られるシステムに対する姿勢、 これがデネットの言わゆる 志向姿勢なのだ。 われわれがシステムに対して、 それが内的表象をもっていることにして 立ち向かうとき、 われわれは志向姿勢をもっているのである。

デネットは言う---

内的表象が存在するものにだけ 信念や欲求を帰属させる(べきだ)という のではない。 われわれは志向戦略が有効な対象を発見すると、 その内的状態や 内的過程を内的表象として解釈しようとするので ある [dennett-intentional-j: 42]

わたしの言葉で言い直すとこうなる--- 内的表象があるから志向姿勢をとるのではなく、 志向姿勢がシステムに内的表象を与えるのだ、と。 4

サーモスタットの ついているエアコンディショナー を考えよう。 クーラーの設定温度を26度にする。 室内温度が30度くらいだとする。 クーラーは作動をはじめ、 室内の温度はぐんぐん下がる。 26度から25度、24度となる。 サーモスタットが起動し、 スイッチが切れる。 温度は再び上昇しはじめる。 25度、26度、27度、28度--- サーモスタットが起動し スイッチがはいる。 温度は下がりはじめる。

このシステムに対して 人が志向姿勢でのぞむことは 考えられることである--- サーモスタットは 「気温を一定にしようとしている」という 欲望をもっているのだ。 そして、 「いま気温は何度だ」という 信念を持っているのだ、と。

デネットのポイントは、 サーモスタットから人間へ至る 過程に 「周囲の世界の内的表象を本当に 持っている システムへと移行するのに、 魔法のような瞬間があるわけではない」 [dennett-intentional-j: 42] という点である。 サーモスタットも人間も ともに内的表象を、 すなわち、思考を持っているのだ。 単純なものと複雑なものという差異は あるが、 そこに絶対的な断絶はないのである。

4. まとめと展望

さてわれわれは何を達成したのだろうか。 出発点は エージェンシーを問題にしたのだ。 ところがそうした途端に、 エージェンシーと決定論の対立に巻き込まれた。 その対立を「両立論」として切り抜けない限り 人類学は成立しないことになる。 われわれは両立論を デネットの「姿勢」議論を採用することで、 なんとか生き延びさせることに成功した。 5

4.1 展望

さて、 われわれは本当に他者を発見したのだろうか?

この疑問は、 説明と理解の論争の中のドレイの議論に 端を発している。 ドレイは次のように言う--- 二つの違いは研究者の 観点の違いを表わしていると言うのだ。 一方はエージェントの観点を採用し、 もう一方は操作者 (manipulator)の 観点を採用しているのである [dray-laws: 154--155]。

わたしが先の問いで問いたいのは、 この章で展開した「理解」、 すなわち「志向姿勢」に 操作者性はないのだろうか?という問いである。

・・・・・ 【工事中】 ・・・・・


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Bibliography

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ENDNOTES

[1] もうすこし複雑であるが、ここでは 省略する。 [Back]

[2] このようなプログラミング、 その最小単位こそが遺伝子である、 というのがドーキンスの 『利己的な遺伝 子』 [dawkins-selfish-genes-j]の 趣旨である。 [Back]

[3] ライルが『心の哲学』 [ryle-j-mind]で提唱した 哲学に忠実な語彙、という意味である。 [Back]

[4] デネットがこれを否定している と読める箇所もある。 「人工物/生物/人間が、 ある観察者の視点からは信念者だが 別のもっと賢い観察者の視点からは 信念者ではないと考えるのは 耐えられなくはないか? これはきわめて極端な解釈論であり、 信念を志向戦略の有効性という 観点から考えるべきだと主張した私は その信奉者だと思った人々もいた。 渡しいの言いまわしににはそうした解釈を 誘発するところがあったと 認めざるをえないが、 今ここでそれを否定しておきたい。」 [dennett-intentional-j: 34] [Back]

[5] ただし真理の進化論的反実在論という かなり大きな代価を支払った。 [Back]