フェミニズム理論に対する人類学的異議申し立て(続く)
先週は、(オスとメス即ち)生物学的性別(セックス)と、(男と女、即ち)文化的性別(ジェンダー)がいかに違ったものであるかを、概観した。その際に、ある特定文化における「男」と「女」の意味は、ブラック・ボックスとして扱った。既にその文化における「男」と「女」の意味はわかったものとして扱ったのだ。
今週は、様々な文化における「男と女」の実際の意味付けについて見て行きたい。
女は、単に、社会的に劣位であるのみならず、象徴的にマイナスのイメージを持っているのだ。単に「よくない」から更には「汚いもの」、「恐ろしいもの」といった烙印を押されているのだ。
金関 (丈夫 1982) (金関 1982)
女性は単に・・・
あるところに一人の少女がいた。ある日、外に出て入ったの で、母がおかしいなと思っていると、泣き声が聞こえた。どうしたのかと思って、行ってみると、少女はかがんだままで、泣いている。どうしたのか、と尋ねると、おしっこがしたい、と言う。母が娘の陰部を見ると、とても小さかったので、このせいだと思い、厭勝[まじない]人を招いて、神に祈願をかけると、効験があり、数日後に大きくなる。何年か何事もなく過ぎる。あるとき、玉門に白いものが生えてきたので、何かなとみると、歯だった。父母はなんとかして取ろうとするが、娘はいたいので厭がる。年頃になって、婿を迎えるが、婿は一夜で不帰の客となる。父母は、一人の男を頼み、娘を捕まえさせ、老婆が棒で歯を取った。娘は苦痛で死んでしまった。
「プヨン」社に60才の処女がいた。名前を剃刀婆[ピータ イポホ]といった。というのは、陰部に歯があって、陽物を切り取るからだ。
ある家に娘があった。年頃になったので、婿を取るが、婿は 一晩で死んでしまう。不思議には思ったけど、娘と二人で泣いて葬式を済ませ、数日を経る。いつまでも一人はかわいそうと思い、また婿を取るが、彼もまた一晩で死んでしまう。これはおかしいと、母が娘の陰部を見ると、歯が生えていた。さっそく砥石でその歯をへらした。次の婿は偕老の契りを結んだ。
むかし、カタグリヤン、パクリヤンの二人が狩猟の帰り、渚 に漂っている箱をみつけた。槍で引き上げると、中から美女が現われた。その女の腰布をまくった。白い歯のある陰門を見たので、犬で試すと、犬の陰茎はすぐに切り取られてしまった。二人は、砥石で歯をすり減らして、もう一匹の犬を試したら今度はうまく行った。カタグリヤンとパクリヤンはともに、自分の妻にすると言い合った。二人で渚で動かずにいた。その様子が社にも伝わった。その時の社の頭シハシハウの耳にはいった。シハシハウは喜び、すぐ渚に赴いた。シハウシハウは二人に言った。おまえらはまだ若年だ、俺は妻をなくして久しい。俺に譲れ。というわけで、シハシハウはその女を妻にした。バサカラ、ルアサヤウ、ラリヘンの3人が生まれた。
インド、ポリネシア、北アメリカアメリカ大陸、東北アジア 、北ロシア、南スラブ
ヤップ(ミクロネシア)のンギ・パラン妖怪
この他にも枚挙の暇がないくらいに例は数限りない。私の現在依拠している本『女の民俗誌』 (瀬川 1980) (瀬川 1980)の著者、瀬川清子自身がいやになっているくらいに。
上記の忌みの根底にあるのは、「血」の穢れの観念である。
出産、月事の穢れの忌をするところ母家の神をまつる所にはいることは許されない。倉、井戸のみ。
火をかけないもの(漬物、味噌)はよいが、火をかけたもの(煮たもの)等は母家の「火を汚す」ので、持って行くことを禁じられた。(−>宍[しし]食いの禁忌と同じである−−「火がえ」)
河に行って、身を清める。他家(寺、小児)で「まことにすみませんが」といって、お茶をいっぱい貰ってから忌みがあける。(合火アイビ、同火ドウカ)
「家族に月事のものがでると、当人は残ったご飯を持ち出して、土間にむしろを敷いて食べるか、仮屋に移って食べ、[常時、村から20人くらいの婦人が集まることになる。]家中の鍋釜を洗って火のケガヘ(火をかえること)をした。「火を堅くせよ。火さえ大切にすれば火難がない。」と戒められたそうである。
(瀬川 1980: 2122) (瀬川 1980: 2122)
もともと月事=仮屋/出産=産屋[うぶや]だったが、M20年頃から合同となる。
小屋があって、月事の意味と死の意味には、ベツガマ(別釜)にするといった。
別屋はないが、月事の際には食器・食膳を別にして飲食するという。天草地方でも、婦人が山の小屋に篭ることがあった。
家の端に葺き下ろしたサンカケに竈があって、婦人のベッタク(別食をする)用にあてた。忌みの間は漁をする家にはいることができないので、親類の家に泊まり、髪をすすぎ清まってから帰宅した。+
+同県西宇和郡では、この孤独な食事を切り火といった。
正月にベツ(月事)があればヒヤ(別屋)にいて、水あてがいをされてベッカ(別火)の食事をし、正月のシメオロシまで出られなかった。
秋祭りの竈払い後は、氏子中、ベツのある人、お産をした人、不幸のあった家の人は汚れていて罰があたるからと言って、別屋というところに小屋がけをして、ヨケていたという。
大島では不浄の人の使用する道路と、神事に関わる道路はかくぜん区別されていた。
別棟の物置。ヒガワルクナル(月経になる と)ここに食べ残りのお鉢を持ち出してホリ(溝)を一つ渡った真似をしてから食べたという。もちろん食器もヒドコ(火処)も別で、月水中は母屋の囲炉裏端によることができなかった。
現在の日本で、男性性器名に対する忌避の情が少ないのに対し、女性性器名に対するタブーは強烈であるのも、これらの(女性の)「血」の穢れの観念に関係するのかも知れない。(SatoC)
「死人に宿貸しても、産婦には宿貸すな。」
「死人は福を置いていくが、産児は福をもっていく」
「死の宿は借りてもよいが、産の宿は借りるな」
ハツハナの儀礼:(娘が一人前になった場合)親類や村人に披露する。
月水の穢れの観念自体が理解されない。
月水がながつづきしたり、異常があったりした場合は、神女になる兆しだと考えられたこともある(カミチ「神血」をいただいた)
この様な「女の穢れ」は、(女だけを取り出すのではなく)男女の対に対する観念図式の中で理解して行くことが、より妥当である。
多くの文化が、男と女の二項対立を主要な隠喩として象徴二元論を展開し、男と女の違いを社会的であるのみならず、宗教的宇宙論的なものとして位置づけている。そのような象徴二元論は、文化ごとに多様な様相を呈し、したがってジェンダーもそれに応じた文化ごとの多様性を示している。
例えば、南米のチリ中央部に居住するマプーチェ族は、表1のような象徴二元論を展開している。
女(子供) | :男 |
左 | :右 |
年下 | :年上 |
従属単系血縁集団 | :有力単系血縁集団 |
贈物の受け手 | :贈り手 |
近親相姦 | :結婚 |
異民族 | :マプーチェ |
俗人 | :僧 |
罪 | :儀礼による償い |
下 | :上 |
月 | :太陽 |
寒 | :暖 |
冬 | :夏 |
北 | :南 |
西 | :東 |
夜 | :昼 |
病気 | :健康 |
悪霊 | :祖霊 |
妖術師 | :霊媒 |
貧困 | :豊饒 |
飢え | :充満 |
制原理、夫方居住の優勢な社会である。
優り、社会的宗教的宇宙論的に好ましく価値あるものと結びついている。例えば、政治の中心となる長老は男性であり、長老は、マプーチェ社会にとって最も重要な豊饒儀礼のための会議を開く。この会議に女性が参加することは禁じられている。
は、男性として扱われ、神々の息子と密接な関係があるとされる。それに対し女性の祖先は、祖霊として名を連ねることはなく、一般的な祖先クイフィチェに含まれてしまう。また女性は、妖術と深い関係があるとされている。(ファーロン 1972)
アフリカのタンザニアに居住するカグル族は、以下のような象徴二元論の体系によって世界を理解し社会を組織だてている。
女 :男
第二の :第一の
後ろ :前
下 :上
弱い :強い
ブッシュ :集落
統御困難な :規則的な
死 :(生?)
凶兆 :吉兆
妊娠のための血 :精液
体内の血 :骨
流動性の :固体の
水(雨) :大地
山 :谷
熱い :熱くない(正常の)
支配的であるべき:受動的であるべき
母系親族 :父の母系親族
汚染 :清浄
炉 :中心柱
生の :料理された
カグル族は100程の母系氏族からなり、各々の氏族は固有の領域と関連をもち、領域内の土地の分配と雨乞いと豊饒儀礼に対する権利を保持している。
カグル族は、複雑で ありながらも一貫性の高い、広範囲の事象を包含するジェンダー論を展開している。
人間の生命は女の血と男の精液が結合して形成される。やがて精液は骨となり、血は体内満ちる。女は血のように流動的であるのに対し、男は骨のように堅固である。
女の血は母系クランの連続性を表わすと同時に豊饒 性を象徴する。この点に関して女の血は、彼らの生業である農耕にとって不可欠の、雨または水と関連している。
女の血は、雨または水同様、危険で汚れたものである。豊饒で危険であることは、女を火に結びつける。家の構造における炉と中心柱の関係は女と男の関係に同じである。
また女は男よりも野生に近い存在とされる。たとえば、飼育動物種および栽培植物種にはそれぞれに対応する野生の動植物種があるが、飼育栽培種は男性に野生種は女性に関係づけられる。女性は、社会の連続性を保証する存在であると同時に、野生動物のように男性による統御を必要とする危険をはらんでいる。(Beidelman 1973)
ここでとりあげた僅かな例からも窺えるように、男女のありようは、各文化に固有の世界観や社会体系の一部をなし、文化ごとに多様な様相を呈している。
(柄木田 (柄木田 1984) (柄木田 1984) による Meggitt 64 の要約)
メギット (Meggitt 1964) (Meggitt 1964) は、ニューギニア高地社会における男女の対立の偏差をマエ型とクマ型の二つの類型に区分した。
生命の液体が皮膚に存在する。また精液としても現われる。生命液は精神的活力と自信に連合する
性行為に耽溺する事で、生命液は失われる月経の血は男性を病気にし、生命液を汚染する
男子家屋と女子家屋があり、少年は5才前後から男子家屋で寝泊まりする。
15才くらいの少年は、サンガイと呼ばれる儀礼に参加する。結婚するまで、サンガイに定期的に参加する
姻族として結びつく集団間の頻繁な戦争「我々は敵と結婚する」
男女間関係
男女の反目の欠如
妻達は敵対集団の出自を持つ−>女に対する恐怖
女性による汚染を恐れない
居住
男女が別々に住むことが規範ではあるが、多くの男性が妻の家屋に居住する。
性的魅力が威信と連合している。性と豊饒が儀礼の基本的テーマである。
少年のイニシェーション儀礼は、豚祭りと結びついているが、まれにしか(15年)行われない。またイニシェーション儀礼を通過する少年も少ない。
クマ族は、友好的な集団と通婚する永続的敵意は、姻族の属性ではない。男性は自己のクランの伝統的な敵との婚姻を禁じられている。戦争によって死者が出ると、死者に対する賠償が支払われ、講和儀礼が行われるまでは、通婚が禁止される。
男性は常に女性を支配しようとするのに対し、女性は男性が女性に否定している配偶者の選択権を行使することによって、男性の目標を妨害する。
女性は婚姻以前に自由を経験するため、単調な家事に従おうとせず、婚姻以降も独立を主張する。
したがって、「クマ族の男性の主たる関心事は心理・性的穢れの仮定的な危険を避けることではなく、男性の優越性の自負を脅かす『信頼し得ない』女性...に対抗することである。男性は常にこれに成功するわけではなく、このため多くの点で女性は相対的に高い地位を享受している。」
(柄木田によるR.Kelly1976の要約)
(Kelly 1976) (Kelly 1976)
シギサトは昼間はヒクイドリの体に、リニッジの土地の果実等で生活する。出自集団の成員もその土地から食物を得ている。
出自集団の成員は、そのシギサトから魂を得て、その魂が人の性別を決定する。
霊媒を媒介にして、妖術を治療し、また妖術師が誰かを示す。
生と死は霊的生命力が一人の人間から他の人間に伝達されて行く過程の補完的・相補的な側面である。
妖術と性行為は、この伝達の行われる二つの方法である。
人間はアウスルボとハメを持つ。両者ともスギサトによって分け与えられ、死後も集合的死霊として存続する。
一生を通じて、人の生命原理は増減をする妖術師は、人の生命原理を取り去ることによって自分の生命原理を増大させる。
息切れは典型的な、生命原理の現象の兆し。<−性行為、あるいは妖術の結果、起こるものとされている
ともに、一つの生命原理型の人間に伝達される形式である
男の生命原理は、多く精液にある性行為において生命力は子供に移される。−>スギサトの生命原理を増加する
女性が跨いだ食物やタバコを摂取すること新生児を17日間、見たり触ったりすること
NB−>月経の穢れとは関係しない(マエ・エンガ)(男性の浄化儀礼もない)
新しく耕地を開く期間。サゴヤシを切り倒してからデンプンの生成が完了するまで。狩猟のための罠が仕掛けられている期間。サゴ虫が成長する期間。新しいロング・ハウスが建設されている期間。交易の4日前から交易の全期間。
耕地、出作り小屋、ロング・ハウス内部や周辺での性行為は公的な非難とコミュニティーからの追放
性行為は男性を食物、タバコの共有から隔離し、社会の外(男性コミュニティーの外)へと位置づける
男は自然に成長しない。少年は、男性でない=精液を持っていない。<−精液を植え付けねばならない(同性愛)。
若者は10代後半から20代前半にかけて、約3年の間隔で男子成長儀礼のために原生林の周辺に立てられた儀礼小屋に隔離される。この儀礼には部族の大部分の男性が参加し、多くの時間が狩猟に費やされる。この儀礼の間の同性愛行為によって年長者から若者に精液が与えられる。
同性愛行為に時間・空間の制限はない。
異性間性行為 | 同性間性行為 |
精液の喪失 | 精液の獲得 |
弱さ | 活力 |
老衰 | 成長 |
死 | 生 |
若者からみた同性愛行為。妖術師からみた妖術。子供からみた生殖。
−−>すべて生命力の増大
成人男子からみた同性愛行為、性行為犠牲者からみた妖術
−−>生命力の減少
子供 | 父 |
若者 | 精液提供者 |
妖術師 | 犠牲者 |
女(妻) | 男(夫) |
女性は枯渇の作用者、子供は受益者。妖術師は作用者で受益者。
しかし、この同一視は「女性が攻撃的で、性行為が統御されない」という潜在的な特徴に適合する。
寡婦とその子どもは、男性の死に荷担したとみられる。
若者は否定的にはみられていない。彼は作用者で、受益者である(妖術師の様に)。「統御されない性行動」というテーマがみられる。自分と同年代の若者と性関係を持ち、その生命力を奪おうとするものはサーゴとよばれる。サーゴはすべて妖術師である。
Kelly, Raymond. 1976. 「Witchcraft and sexual relations: An exploration in the social and semantic implications of the structure of belief」. Man and Woman in the New Guinea Highlands, 編集者: P Brown と G. Buchbinder, 3653. American Anthropological Association.
Meggitt, M. J. 1964. 「Male-female relationships in the Highlands of Australian New Guinea」. American Anthropologist 66 (Pt 2): 20424.
丈夫. 1982. 木馬と石牛. 法政大学出版会.
瀬川清子. 1980. 女の民俗誌―そのけがれと神秘. 東書選書. 東京書籍.
柄木田康之. 1984. 「ニューギニア高地における男と女の象徴性」. 女性人類学. 至文堂.