それでは、この様な男と女の対立の際だつ成人式の儀礼をいくつか見てみよう。
北米中部において、成人になることは戦いを意味している。すべての男にとって、戦争によって獲得できる名誉は大きい目標である。(文化の型:55)
彼らは、氷に穴をあけさせて飛び込ませたり、口に水を含んで走らせたり、戦争の訓練で恥をかかせたりという具合いに彼ら[少年たち]をいじめるのである。南カリファルニアのインディアンは、人を刺す蟻のいる丘に少年を埋める。(文化の型:156)
少年の成人式は決してきびしい訓練ではない。子供たちが軽い鞭打ちで泣き叫ぶなら、そのことは儀式を非常に価値あるものとすると考える。子供はいつでも、彼の儀礼上の父親につき添われており、その老人の背中にしがみつくか、または膝の間にひざまずいて、鞭打ちを受ける。...少年自身がユッカの鞭を持ち、そして自分が鞭打たれたようにカチナを鞭打つことで、成人式は終る。...[成人式]は子供たちに集団における地位を与えて、子供たちを価値あるものにする。鞭打ちは老人たちが子供たちの生命を祝福し、救済するために求めるものと見る行為なのである。(文化の型:156ー7)
オーストラリアでは、成人になることは排他的な男性儀礼、即ちその主な儀礼的行為から女を除外した男性だけの儀礼への参加を意味している。女がもしその儀礼に用いられるうなり板[ブル・ローラー]の音を聞いたならば、誰であろうと殺されてしまう。
...成人儀礼は女性との性的つながりに対する象徴的な拒否の儀式である。男たちはこれによって象徴的に自己完結的なものになり、そのコミュニティ全体に責任を負う一員となる。そのために彼らは徹底的な性的儀礼を実行して、超自然的な保証を与えられるのである。(文化の型:55)
「太るための家」の制度。この地方では女性の美しさはどれだけ太っているかが基準になっている。思春期の娘たちは、何年も別の場所に隔離してすまわされ、甘い脂肪の多い食事を与えられ、体を動かさないで油をていねいにすりこむ。この期間中に娘たちは将来の義務を教育される。この隔離は、太った娘たちのパレードで終わりを継げ、やがて彼女たちをほころしげに迎える花婿との結婚をむかえるのである。(文化の型:57)
女)(恐怖)
娘の性的成熟に対する恐怖が..強く現われている。3−4年におよぶ隔離は”生きたままの埋葬”と呼ばれていて、その期間中娘は野生の中で一人で生活する。普通の通路からとおく離れた場所に木の枝で作った小屋にひとり住むのである。
この娘を一目見ることも恐ろしいこととされ、その足跡さえ道や河を不浄にすると信じられている。娘はなめし皮の大きい被りものをつけているが、それは顔や胸をかくし、背中から地面にとどく。腕と足は野獣の筋で作られたバンドをまくが、それはこの娘の体に溢れている悪霊から彼女を守っているものである。この娘は自分が危険状態にあるとともに、すべての他人にも危険を及ぼす源となっているのである。(文化の型:58)
経血は世界で最も不浄なものとみなされている。女性は月経の期間中隔離されていたし、、また月経の女性がいる場で行われたいかなるシャーマン儀礼もその女性がいるために効力のないものとなってしまうとされる。彼女たちはサケの怒りにふれるのを恐れて、いかなる河を越えて渡ることも、海に近づくこともできない。シャーマン治療の甲斐もなく生じた死は、ふつう、かれらのスギ皮の家の中に経血の跡があるためだと信じられていた。
それゆえ人喰い人の最後の魔除の儀式においては、司祭は社会的地位が最上位の4人の女性の経血がついたスギ皮を人喰い人の目前でいぶした。魔除の儀式が効を奏して、人喰い人の踊り型が段々冷静なものとなり、4番目の踊りの頃までには彼は大人しく静かになり、狂乱は過ぎ去るのである。(文化の型:260)
[プエブロ]の周囲の諸部族は、自分たちの部落に、月経期間中の女の人のための小屋を持っているからである。普通、彼女は、まったく皆から隔離されており、自分自身の血を使って、自分だけの食事を作る。家庭生活においてさえ、彼女との接触は穢れであり、そしてもし彼女が狩猟者の道具に触れるならば、それらは、役に立たなくなる。
)
プエブロは、月経のための小屋を持たないばかりか、月経の時の女性を警戒もしない。月経期間中も、女の生活に差別がない。(文化の型:180)
ある部族では、娘たちの初潮は超自然が与える強力な自然の恵みである。私のであったアパッチ族の人々の間では、聖職者たちがみずからひざを追って厳粛に幼い娘たちの列のまえにすすみ、彼女の手に触れて与える祝福をうけていた。すべての赤ん坊や老人も、同じようにしてその病気を除いて貰うためにやってきた。
これらの娘たちは危険の源として隔離されることはなく、むしろ超自然の恵みを支配する存在として丁重に扱われていた。(文化の型:58)
illison 1981の要約)
オトナー等によって唱えられた《男性:女性::文化:自然》図式に対する一つの反例としても重要である。
空間: ドゥサ : コレ
時間: 男女の区分の否定 : 再構成
男女の社会的・家庭的・性 野生の領域、死後の
「界
的相互作用−>男性の存在 −>男性の死後、精
ヘ、
を汚染 新しい世代の生命力
だす精霊となる
男は集落の境界を越え、他集落の男たちと戦争や同盟を結び、森で狩猟した獲物の肉や羽・皮を儀礼的交換や儀礼に用いる。
森の中の<野生的な>存在は、超越的な聖なるものであり、男は儀礼を通して、それと同一になる。
女は、男の設けた集落の境界の内側で、子供や豚・作物の世話をし、料理を作る
女の意味論
女は作物・豚などの栽培、飼育、社会化された豊饒と関連。この様な豊饒=人間の懐胎過程
男の所有物である豚・子供の養育。男の所有権と相克する養育という絆は、女の両義的な力を表わす。
女の養育は、子供・豚を育てると同時に破壊し、呑込むといわれる。そして、ギミの人喰いの元型(プロトタイプ)は、女が、子供としての男を食べることである。
な食人行為である
月経は死産に比される。
経血は男性と女性の境界の破壊、世界における男性の独立し
た存在の終局を表象するとされる。
おそれである。
性交、及び食事を通して、女との接触は、男を汚し、危険に落とす
特に、月経の血は極力避けられる。女の性器から流れ出る血は、女性器が「人を殺すこと」の現れである
危険な女を集落に閉じ込め、性交と共食を避け、自らを聖なる森<野生>に結びつけることによって、男は浄性と超越性を得るのである。
5年から10年の間隔で、結婚で結ばれたクランの男たちは、それぞれの姉妹の息子を男子儀礼に参加させ、「極楽鳥のような真の男」になることを説く。
儀礼の歌謡の中:男性がコレ(自然界)の要素と同一視される
木ノ実−>成人男子
鳥−−−>若者
山−−−>祖霊の集合
川−−−>精液
月経がなく、樹皮のスカートの下に聖なる楽器「鳥」を隠し持っていた姉妹から、兄弟がフルートを盗んだ。
その時、彼は彼女の「フルートとしての子供」を解放し、独立した男性存在を創造した。女性は傷つけられ、月経を始めたのだ。
男性が集合的祖霊に加わることは大事な事である。これは女性を通じてのみ可能である。
女性は死体を盗み、耕地でその一部を食べ、残りを編み袋にいれて、男子家屋に向かう。
男性は消化が終るまで、彼女たちを男子家屋に引き留める。(彼女たちは男性として扱われているのだ)
女性は男子家屋から解放される前に、死者の兄弟や息子から与えらえれた「野生の肉」を食べなければならない。−−−>女性に(祖先の生命力の化身としての)「野生の肉」を食べさせることによって、男性は女性の体内にある死者の精霊を解放させるのである。
婚入した妻の初潮の儀礼において、集合的祖霊は子供として再生する。これも女性を通じて行われる。
男性は彼女に、「祖先の精液」(夫のクランの川から取られた水)をのませ、「精霊の子供」(オポッサム)を食べさせる。
フルートの神話と同一のテーマ:男性(精霊)を摂取した女性から、男性(精霊)を解放することによって、《女性が男性を編入に殺す》という自然の状態に矯正を行う。
女性 : 男性
両性の混合 : 両性の分離
生命の中断 : 人間と人間以外の存在の周期的連続性
儀礼では、経血の流れを非難する歌謡を女に教える:この血はまた彼女の兄弟の血でもある。
経血は赤色インコのクチバシの水とされ、男子イニシエーション儀礼で「月経」を経験する兄弟の血であるとされる。
(ギリソン)鳥のくちばしは男根の象徴。少年の経血は、また精液をも表わす。
(ギリソン)女性によるフルート神話論理の逆転:男性が姉妹のフルートを盗んだとされるが、女性は兄弟の経血=精液を内在化しようとし、フルートの盗みを否定するのだ。[なにをいっているのかようわからん−−原典を見なければいけないかな]
編)『現代社会人類学』弘文堂
and Complementarity of the Sexes in Ndumba Initiation" in Herdt, Gilbert H. (ed) 1982 Rituals of Manhood: Male initiation in Papua New Guinea University of California Press: Berkeley, Los Angeles, London.
女性人類学』(至文堂)
MacCormack, C. P. and A. M. Strathern (eds) 1981 Nature, Cultナre and Gender (Cambridge UP): 143-174