結婚

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出自理論をとるにせよ、縁組理論をとるにせよ、最も大切なのは「結婚」である。

出自理論にとっては「再生産」の理論として、縁組理論においては「交換」の公式化の理論として。

それは生物学的な再生産と社会学的な婚姻とを結び付ける役目もしている。

この章では「婚姻」についてみる。

2 カテゴリー・ミステイク

君にチェスの「キャッスリング」を、「将棋の言葉で」喋ることが出来るか。ここでは、「将棋の言葉」に何ら新しい定義をしてはいけないとする。『王と飛車が開戦後まだ一度も動いていないとき、指し手は王と飛車をこれこれの形で動かすことが出来る』、『王を囲うこと』等々。答は明らかに「ノウ」だ。出来るとすれば、それは新しい定義を(不格好ながらも)「将棋の言葉」で定義することである。『我々は「飛車」を次のように定義する』『我々は「王」を次のように定義する』、等々のあとに、『我々は『王の囲い』をこれこれと定義する』と行なう事なのである。

たとえば、馬を「理想的な馬」とみなして、将棋の角、チェスのビショップを見ることの馬鹿らしさ。

3 婚姻

婚姻とは、一人の男、一人の女、その間に生まれた子どもからなる一集団の法律的基礎を作り、その男と女に「親の地位(parenthood)」を認め、親であることから生じる権利と責任を彼らに与えるものである。(G:6)

3.1 G.P.マードックによる定義

経済的協力をともなわない性的結合は普通のことであり、性的満足を抜きにした労働の分担という男女の関係も存在する。...しかし婚姻は、経済的および性的な面が一つの関係に統合されたときにのみ存在するものである。組み合わせは、婚姻においてのみ成立するものである。このように定義された婚姻は、いままでに知られたあらゆる社会において見出される。さらに、どんな社会においても、婚姻は、両当事者の同居という要素をともない、またすべての社会において核家族の基礎となっている。(p.8)

3.2 核家族(基本家族)マードックによる定義

核家族(ニュークレア・ファミリー)は、その定型として、婚姻関係を結んだ男女と、その二人の間にできた子どもとから成り立っている。(p.1)

核家族は、普遍的な人間の社会的集合形態である。それは、家族の唯一の普遍的な形態としてか、または、より複雑な家族形態が派生する基礎的単位として、あらゆる人間社会において、明確かつ強力な機能集団となっているものである。(p2)

たとえより大きな家族形態が存在していようとも、また、より大きな単位が小さな単位の負担の一部をどの程度引き受けるかはべつとして、核家族は常に認められ、かならず性生活、経済生活、子どもの出産、養育など、明確かつ重要な機能を果たしている。(p.3)

3.3 そのほかの定義

女が産んだ子どもの法律上の父親と母親となるような男と女の結合(Malinowski1930:123ー43)

女の産んだ子どもが二人の正当な嫡出子とみなされるような結合(N&Q)

3.4 英語の結婚という言葉の4つの使い方(リーチ)

3.4.1 嫡出

「夫」と「妻」との間、そして「妻の夫」と「妻の子供」との間における法的な権利と義務。それ故、結婚は一人の女性の子供に社会における嫡出の地位を与えた。

3.4.2 同居

夫と妻とその子供たちが一つの世帯を形成するための実際的な手配、たとえば「彼らの結婚は破れた」という句は、離婚による契約関係の終結よりも居住集団の分解について言及するものである。

3.4.3 結婚式

夫と妻を、互いにまず法的に強制力のある契約関係に入らせる儀式

3.4.4 姻族関係

夫と妻の人格に代表される、姻族関係によって結び付いた二つの「家族」をつなぐ同盟の関係。現在では、イギリス人は姻族関係を過小評価する傾向があるが、しかし、それでも、「彼女はよい結婚をした」という言い方は、夫自身の個人的特質よりも、夫の直接の親族の社会的、財政的立場に言及することの方が多い。

3.5 帰結としての、たとえば「父」の概念

それは、(1)私の「母」の法的夫(ある種の権利義務関係をもつひと)であり、(2)私の生物学的な父(私を産んだ人に授精した雄)であり、そして、(3)なんらかの権利義務を私との間に持つ人である。

しかし、これが一人の人間に物質化しないような社会も多々ある。

4 婚姻、核家族に対する例外

4.1 ムタ結婚(中近東イスラム教徒)

巡礼の期間、あるいは一人の男性が商業目的のための長期の旅行にでている期間に行なわれる短期的契約である。契約は最初からその結合の持続期間を明確にする。夫は「妻」のその奉仕に対して支払いをするが、それ以上の、妻と夫の間におけるような義務はない。しかし、もしその女性が妊娠して子供が生まれると、その子供は嫡出であり、父親の他の相続者同様の相続権を持つ。

これは、日本における人工授精の際のドナーと「そだての父親」等を考えれば、簡単に理解はできるかも知れない。

4.2 シワフ・オアシス(西エジプト)

シワフのすべての正常な青年壮年男子は男色を行なっている。...彼らは、この事を恥とは思っていない。彼らはそれについて、女性への愛について語るのと同じくらいあからさまに語り、彼らの争いの、ほとんどとは言わぬまでも、多くは、同棲愛の競争から発している。

ごく最近までは男と女の結婚と同じように、男と男の結婚も祝福されていた。少年との結婚は非常に華麗に、また世間周知の上で祝われ、少年に対する「花嫁価格」は少女に対するものの十五倍にもなり得た。

4.2.1 女性を嫁として提供することによって永続的な姻族関係を活性化し

なければならないという、継続している義務が、適当な娘がいない場合には少年を提供することでも果たし得るというさまざまな事例が世界の他の各地から報告されている。

4.2.2 エトロの例

4.3 ?(どこに書いてあったのかな−−末成論文?)

男が「母親」として機能する社会。

4.4 オノトア族(ミクロネシア、ギルバート諸島)

未婚の女性は、子どもを生む資格がない。父親の認定されない庶出の子どもはせいぜいのところ社会の端のほうに位置づけられるだけである。しかし、男が自発的かどうかは別として、子どもの父親であることを正式に認めれば、子どもは社会で完全な権利を獲得し、他の子どもたちと同等に、財産相続の資格を得ることになる。

オノトア社会では、子どもの財産権や親族権の合法性を認めるに際して、婚姻は必要とされていないのだ。(グッドイナフp.14)

4.5 トラック諸島(ミクロネシア)

女性は、初潮を迎えたということだけで、性的関係を結び、子どもを出産する資格を得ることとなる。その後彼女が生んだ子どもたちは、自動的に彼女の属するリニッジやクランの立派な成員となり、それによって社会の合法的な一員として受け入れられる。父方の親族を持っていないということでハンディキャップを往古とはあっても、いかなるかたちの汚名をも着せられることはない。

4.6 ヌアー族(南スーダン)の亡霊婚(幽霊結婚、冥婚)

Evans-Pritchard 1951: 109-116

4.6.1 ヌアー族概観

ヌアー族は牛の移牧を行なう人々である。彼らは分節的リニッジに組織されている。+

4.6.2 結婚と花嫁代償

+結婚の契約は夫から妻の近親男性への花嫁代償の牛の移譲を必要とする。この牛の移譲に基づいて、その女性の生物学的な子供たちはふつう、彼女の父の出自集団ではなく、夫の出自集団の成員であるとみなされる。牛の支払いが子供たちを嫡子とする。単なる同棲では、そうならない。

ふつう夫は生きている男性であり、牛の元の所有者であると同時にその女性の子供たちの生物学的父親(ジェニター)でもある。+

4.6.3 内縁婚(コンキュビネージ)

妻とその子どもに関する所有権のために牛の贈与が行なわれない結合については内縁婚という名称を用いている。

男性は”内縁の妻”に産ませた子どもに関する所有権を得るために牛を支払うこともあるが、そのばあい、妻、及びその他の子どもたちに対する所有権は得られない。

内縁婚は、男性およびその親族が女性の両親およびその親族に牛の支払いを全額完了した場合に、「婚姻」に転化する。

4.6.4 幽霊結婚(ghost marriage)

+しかし、例外的な状況では、花嫁代償の牛は、死んでいる花婿、あるいは女性の牛の所有者からもたらされることもある。どちらの場合でも、花嫁代償の牛の元の所有者が花嫁の子供たちの「父」とされる。この様な場合、誰がジェニターであるかはほとんど重要でない。

結婚以前に死んだ若い青年が、それにもかかわらず(彼が牛を持っていることが常に条件ではあるが)結婚でき、子孫を持つことが出来るように手配することは、聖書にかかれているレヴィレートの制度と似ているが、しかし、女性が法的な「父親」になるのを認める工夫は、最初はより奇妙なものに見える。しかしそれは完全に論理的なのである。

4.6.5 女性の夫・父

ヌアー族の法的虚構によれば、男性だけが牛の所有者になれる。しかし、もしある男が直接の男性相続人無しに死ぬと、彼の牛は娘が相続することになる。この娘は、社会学的には男性なのである。彼女は、妻をめとって、死んだ父のリニッジの存続をはかることができる(し、また、そうすべきなのである)。(その女性がふつうのやり方で花嫁代償を払って結婚した)その妻は、一人の匿名のよそ者と同棲するが、彼女が妊娠しても、そのジェニターは生まれる子供に対して何の法的地位も持たないし、その子供も同様である。その子供の法的父親は、その母親の花嫁代償の牛を支払った女性なのである。

  1. 教訓

英語圏の人々が通常同一個人の別称として考える「父」「夫」「妻の子を生ませた人」といった社会的役割がそれぞれ区別されているばかりでなく、全く予想しがたい形式で分散しているということを示すことにある。

4.7 ナヤール(キャサリン・ガフ/グッドイナフによる要約)

4.7.1 ナヤール概観

ナヤール社会は、ジャティと呼ばれる一群のカーストより成る。

カーストは地主集団である。

土地所有権は、母系によって結ばれた血縁集団によって保有されていた。

4.7.2 母系合同集団タバリ

タバリとよばれる母系合同集団の各成員は、共通の屋敷内に一緒に住み、共通の世帯としての経済を営んでいた。そして、成員の内の最年長の男性が、この集団の諸事を統率していた。

男たちはこの集団家屋内に自分の身の回りの物を置、そこで、食事をとり、そこを自分の家とみなしていた。

4.7.3 外婚集団タラヴァド(複数タバリ)

幾つかの集団は、共通の母系祖先によって相互につながっており、近接した地域にまとまって居住することによって、タラヴァドと呼ばれる外婚集団を形成していた。

4.7.4 ターリ結びの儀式

そこでは、娘は、初潮が訪れる前に、ターリ結び(ターリという紐を若者に首にかけてもらう)の儀式を受けることになっていた。

ターリ結びの儀式が終わって2、3日後に、若者は娘のもとを去り、其れ以後は、娘に対する何らかの義務をも負うことは無かった。

若者は、娘の年齢に応じて性交をする場合も、しない場合も在るが、性的特権は娘とともに暮らすその数日間だけに限られていた。

娘と彼女の未来の子どもたちは、いつかその若者が死んだときには、喪に服する事を義務づけられているが、それ以上の事は、何も彼に対する責任を負わされなかった。

ターリ結びの儀式は両当事者が性的特権、同居、経済的協力を持続するような関係をもたらすものではなかった。その儀礼の役割は、娘に対して、その所属するタラヴァドによって公認された男と性的関係にはいる資格を与え、そのタラヴァドの成人の女性成員としての地位を確立させることにあった。

それはまた、女性は初潮を迎える前に、”結婚”すること−−ヒンズーのターリ結びの儀礼を通過すること−−というヒンズーの宗教的要件をみたすものであった。

4.7.5 愛人関係(サンバンダム?)

ターリ結びの儀礼が済んだ後は、娘の家の男たちが承認した者ならば、べつの男がその娘と性的関係に入ることもあった。その男は、娘と同じジャティの出身であるか、あるいはより上層のジャティの出身でなければならなかった。

4.7.6 妊娠及び父性

女が妊娠した場合、妥当なカーストの一人もしくはそれ以上の男がその子どもの父親であることを正式に表明しなければならなかった。さもなければ、女は不適格な男と関係を結んだと推定され、その子どもと共に、彼女のタラヴァドやジャティから追放されることになっていた。

男は女と助産婦に贈り物をすることによって、子どもの父親であることをみとめた。彼はその後子どもに大して相当な関心を見せることもあるが、子どもは、彼に対して父系カーストの中で父親に用いられる親族名称を使わず、また彼の死に際して喪に服する義務もなかった。

彼はその子どもに対して、社会化、教育、保護または経済的援助を刷る義務を負うことはなかった。其れらの親としての通常の義務は、子どものタバリの男たち−−子どもの母方のオジや母親の姉妹の息子達−−に課せられていた。

4.7.7 まとめ(グッドイナフ)

ナヤール社会の三つの正式な取り引き

  1. ターリ結びの儀式

娘を成人とし、性的関係を結ぶ資格を与えるものであった。

  1. サンバンダム(結合形式)

これは、男に持続的な性的特権を与えるとともに、女に対しては子どもを受胎し出産する資格を認めるものであった。

  1. 父親を認定する行為

これは、子どもが合法的な性関係によってつくられたことを認め、したがって、母親のタラヴァドやタヴァリの成員である

4.8 「伝統的」ナヤール(南インド・ケララ州)(キャサリン・ガフ/

リーチによる要約)

4.8.1 ナヤール・カースト

ナヤール人は中央ケララで中心的な農耕カーストを成している。...次に要約する「古典的」説明は、20世紀のものではなく、十八世紀の政治的脈絡に言及するものである。

その時期には、多くのナヤールの男性が軍役のため長期に渡って故郷を離れていた。地方の候国の王族はナヤール人だったが、しかし支配的な地主の多くは、ナムブディリ・カーストのブラーマンたちだった。儀礼的地位においては、彼らはそのシステムの頂点にあり、王たちよりも上位に位置づけられていた。当時のケララにおけるナムブディリ・カーストの役割は、中世ヨーロッパの神聖ローマ帝国におけるカトリック教会の役割に似ていた。

4.8.2 タラヴァド母系リニッジ

ナムブディリは父系リニッジに組織されていた。+

+ナヤールはタラヴァドとして知られている地域化した母系リニッジに組織されていた。タラヴァドという語はまた母系リニッジの成員の農場/合同世帯をも意味した。

公式的な意味では、ナヤールのタラヴァドはインドの農村地帯の各地でみられる父系合同家族世帯の母系版だったが、しかし奇妙な点は、入ってくる配偶者(すなわち、地域に定住している女性の「夫」)は法的地位をなんら持たなかったことである。

4.8.3 カラナヴァン

まれな例外を除けば、タラヴァド内部の事柄と財産についての完全な権威は最年長の男性カラナヴァン(?)の手にあった。法的地位を持つ他の共住者は、カラナヴァンの姉妹と弟たちと、姉妹の子供たちと姉妹の娘たちの子供たちだった。

4.8.4 ジェニター兼愛人

子供たちのジェニターはその配偶者との関係においては認められた地位を有していたが、彼らは配偶者を夜訪れるだけだった。

彼らは「妻」のタラヴァドの家では食事をとらなかった。この訪問という限定された接近でさえ、カラナヴァンの同意を必要とした。このジェニター兼愛人は法的権利も、経済的権利をも持たなかったが、彼がその関係を継続する意志を持つ証拠として、公に「妻」になんらかの記念の贈物をする祭りがあった。

4.8.5 サンバンダム

少女とその恋人の関係を表わすのに用いられる語はサンバンダムだが、この語は南インドの他の伝統的なタラヴァド世帯のほとんどが消滅した現代のナヤール社会において「結婚」を意味する普通の語でもある。

一人の娘はサンバンダム関係にある多くの恋人を、同時にあるいは続けて、持つことができた。彼らは彼女より下のカーストのものであってはならず、またリニッジ外婚の原則が適用されていた。その関係は、一生続くこともあったが、大した儀式もなしに始まり、また終るものだった。女性の子供たちは、彼らのジェニターと考えられている男性を、近隣社会では「父」を意味する語で呼びかけた。

4.8.6 未婚と既婚の厳格な区別

この一見放縦な性的状況にも関わらずナヤールは未婚の少女という地位と母親という地位との間にはっきりとした区別を設けていた。母親の地位にまだ達していない娘が妊娠することはたいへん非難されるべきこととされていた。

4.8.7 ターリ結びの儀式

初潮の始まる前に行なわなければならないこみいった儀礼(タリを結ぶ儀礼)において、すべての娘は彼女のリニッジに対してエナンガルという地位を持つ母系リニッジ出身の儀礼的夫と「結婚」するのが正常の手続きだった。+

+ナヤールの母系リニッジ間のエナンガル結合は、一つの近隣集団内部において同じ様な地位にあるすべてのリニッジを結び付ける恒久的な姻族関係の連鎖を形成した。その関係は、相手リニッジの人生危機儀礼において、表面化するものだった。

4.8.8 エナンガル(婿)の立場のリニッジ

エナンガルの立場にあるリニッジは、新生児の命名式、出産後6カ月目に行なわれる米飯の食い初め、少女たちの初潮前の「結婚儀礼」、少女の初潮儀式、女性の最初の妊娠式、そして喪に関する儀式や死の穢れに関連するさまざまな機会に、参加する代表を送らなければならなかった。

4.8.9 ターリ結びにおけるエナンガル

こうした行事の第三番目のものが最も重要である。各リニッジは、彼らのエナンガルのタリを結ぶ儀式において「夫」(エナンガル)の役を果たす適当な青年を提供しなければならない。+

+この儀式はほぼ十年ごとにその集団のすべての未成熟な娘たちのために行なわれる大規模な集合的行事である。その様な「初潮前の結婚」は三日三晩続き、そのあいだ新郎新婦は祖先の家の一室に隔離された。この「結婚」は公式の離婚によって集結した。+

+エナンガンは、その後、その娘にもその娘の子供たちにもいかなる特別な権利も持たなかった。ただその娘の子供たちは、隣接する他の社会では「父」に用いられる敬称で彼を呼んだ。子供たちはまた彼の葬儀で特別の義務を果たさなければならなかった。

4.8.10 《サンバンダム》対《ターリ結び》

この場合、成人した娘とそのサンバンダムの恋人との間の非公式的な手順と対照的に「結婚」(タリを結ぶ式)と「離婚」(布を引き裂く式)のどちらも大規模な公の行為だった。その象徴的意味もまた非常に明白だった。タリを結ぶことは南インドのほとんどの結婚式にみられる特色である。引き裂かれた布は「結婚」が終ったことを示した。

4.8.11 ナムブディリの結婚について一言

一般的様式を論ずる前に述べておかなければならないもう一つの民族誌上の特性がある。ナムブディリの地主貴族の父系拡大家族では、長男だけが嫡子が生まれるように、完全なヴェーダの儀式によって結婚することが許されていた。+

+この限定によって、世襲財産としての私有地が絶えず分割されることが防がれた。弟たちはナムブディリの妻を持てなかったものの、しかし、彼らが母系カースト(即ちナヤール)の女たちを認知された連合いとして得ることはまったく正常でかつふさわしいことだった。

5 文化と自然

ラドクリフ=ブラウンの「身体的父」と「社会的父」の区別に関して、清水はこれを妥当ではないとする。そして、そこに「自然」の意味の二重写しがあるとし、次のように整理する(清水:50)


     −−−−−−−−
     |             |
「自然」       「文化」
本源的自然          |
               −−−−−−−−
               |             |
          「自然」       「文化」
     (文化的自然)      (文化の自画像)

これをARRBにあてはめればつぎのようになるとする。


     −−−−−−−−
     |             |
「身体的父」   「社会的父」
(ラドクリフ=ブラウンの定義する)
                    |
               −−−−−−−−
               |             |
     「身体的父」        「社会的父」
          (個別の社会が定義する)

より正確を期するならば、清水の言いよどむ「本源的自然」を、「観察者(即ち、人類学者)の持つ自然像」とでも言い替えるべきであろう。

6 参考文献

6.1 リーチ『社会人類学入門』岩波書店

6.2 グッドイナフ『人類学における記述と比較』弘文堂

6.3 清水昭俊1989「「血」の神秘−−親子のきずなを考える」(田

辺繁治(編)1989『人類学的認識の冒険』同文館)