この章は、イントロである。揺さぶりをかけることを第一目標とする。即ち、世界中の様々なセックスとジェンダー観を紹介することにより、自文化中心のセックスとジェンダー観を揺るがせるのである。
動物は、遺伝子によって区別される雌雄いずれかの性をもつ。人間もその例外ではない。しかし、人間の普通の生活において遺伝子が問題になることはなく、人々は生まれた子供の外性器によって、男女を区別し、男か女のいずれかとして育てて行く。社会化の過程という観点からみると、人間の男女のあり方は、生物学的雌雄の差によって生得的に決定されるものではない。しかし後天的であっても、性によるアイデンティティーの差は容易に転換できない性質のものである。後天的でありなおかつ変更がほとんど不可能であるのは、男女の差が、生物学的所与や個人の創造ではなく、文化によって形作られているものだからに他ならない。
文化人類学者の力を借りるまでもなく、男女のありかたが、文化によって多少異なることは一般に認められている。ある文化で女にふさわしい事象が別の文化では男にふさわしい場合がある。例えば、厳粛な儀式の会場に男性がスカートを着てきたら、人々は眉をひそめるであろうが、その男性がスコットランド人とわかれば納得するであろう。また、文化によっては、伝統的に男性の方が女性よりも派手な服装をするということは一般に理解されている。
しかし、この様な理解は、服装等の部分的な男女の差に限定されたものである。しかし例えば男らしさ女らしさといったより包括的な問題になると、私たちの常識的理解は、生物学的決定論即ち「男と女の差は雌雄の差に基づいた生得的で普遍的なものである」という考え方に傾く。私達の考える男女の差は、私達の文化によって形成されたものであるにもかかわらず、私達の精神に深く根ざしているため、私達の文化固有のものであることに私達は普通気が付かない。
このような常識や先入観に対して、文化人類学は通文化的な資料を提出することにより、私たちの社会における男女の差異が普遍的で生得的なものでないことを示唆してきたといえる。 (青木 1991)
生物学的なカテゴリーで、授精時に染色体の作用で決定されるオスとメスの違い。
生物学的な性の差異に基づいて、社会集団や個々の文化が規定する地位と役割カテゴリー
性器結合に関する諸行動
アメリカの女性人類学者マーガレット・ミードは、ニューギニアの3つの部族 ―アラペシュ、ムンドゥグモル、チャンブリ― における調査に基づいて、次のような論を展開した。 (???) (青木 1991)
アラペシュ社会においては、人々は農耕に従事し、栽培養育することを目標とし、子供を大切にしている。協調性が社会的に重んじられ、人々は男女とも、受動性優しさといった、アメリカ社会において「女性的」とされる気質をもっている。
それに対し、ムンドゥグモル族は、首狩を行い、子供を邪険に扱う。男女とも、攻撃的で凶暴であり、謂ゆる「男性的」気質を示している。
また、チャンブリ族の人々は、漁業や交易を行っているが、それを取り仕切っているのは女である。女は積極的能動的実践的であり、男は依存心が強く繊細で非実践的である。言い替えれば、女が謂ゆる「男性的」気質を、男が「女性的」気質を持っている。
以上の事実から、「男らしさ」「女らしさ」は、生物学的雌雄に基づく生得的普遍的なものではなく、文化によって後天的に形成されるものであり、文化ごとに異なるものである。 (Mead 1935) (Mead 1935)
いかなる文化も、服装、言葉使い、役割、行動様式、気質などに関して、 それぞれ固有の「男と女の差」を設定しているのである。文化人類学では、文化的な性差をジェンダーと呼び、 生物的所与としての性(セックス)から区別している。
プルタークによれば、コスでは、花婿が女性の衣服を身に付けて新婦を迎えるというし、アルゴスでも、婚礼の晩、新婦は、偽りの髭をつけると伝えられている。スパルタでは、花嫁は頭を剃り、靴をはき、男の着物をきて、ひとりで暗い寝台に横になって待っており、花婿はこっそり彼女の所に忍んで行くのだという。 (植島 1998: 79)
(青木 1991)
男として振舞う「女」−人間のメス− がアフリカのヌエルなど多くの文化に多数存在する。
女性は自分が不妊症だとわかると、普通の男女の結婚と同じように、正式な手続きを経て若い女と結婚する。定められた牛の婚資を支払い、通常の結婚と同様の儀礼も行う。不妊女性は通常、自分の父系親族のなかから男をえらび、自分の妻と性交渉をもたせる。その結果生まれた子供にとって不妊女性は父親となる。
この様な人たちは、社会生活においても男性として行動しなければならない。(和田正平 1988:224ー5)
多くのバントゥ語族の社会では、飢饉・かんばつなどによって部族社会が危機に陥る時には、少女が男の衣装をつけて、男の仕事(牛追いなど)を努めることになる。 (植島 1998: 79)
牧夫が病気になると、すべての男性的仕事は女性によって取り行なわれることになる。彼女らは男の衣服を身に付け、牛の群れとともに暮らし、女性の不能を嘲る言葉を周囲の男たちに向かって投げつけるのである。 (植島 1998: 79)
(青木 1991) インドネシアのスラウェシのバレ・トラジャ族のあいだでは、女装をして女としてふるまう「男」―オスの人間―が数多くいた。+
+バレ・トラジャ社会の男女間の分業は明確に区分されていた。男の職務は共同体を眼に見える敵から護ることであり、一方女性の職務は見えざる敵、すなわち、死霊・悪霊から共同体を護ることであった+
+何等かの理由で戦闘の任務を放棄した男性は女性の衣服を着なければならなかった。また自らも「おとうさん」のかわりに「おかあさん」という呼称をつけて呼ばれるのをのぞみ、「おじさん」ではなく「おばさん」と呼ばれることに喜びを感じた。+
+かつては、このような人は女性の仕事である司祭の地位につくために修行した。(J.M.ファン・デル・クルーフ 1972)
男の呪術師はたいてい女の衣装を纏い、あるものは盲でびっこで情緒的に不安定である。 (植島 1998: 79)
チェクチェ族では、シャーマンは、心霊の象徴的<妻>として女性の衣装をつけたり、男同士で公然と結婚したりすることが知られている。
ある男は、子供の頃から周期的に一定の病気を発病していたが、これを治療するため、お告げを得て女装した。神霊は、病人を癒すため、それを識別しやすくするために、女性の髪型を要求することがあるとも言われる。少し進んだ段階では、女装した男性は、職業的・仕事的にも全く女性化する。女性の仕事である針仕事や皮みがきをはじめ、筋肉もすっかり女性的な感じになる。この段階になると、男の性的興味をひくことを求めるようになる。(植島 1998: 102)
(栗本 1980) (栗本(慎)1980) (Bogoras 1904) (Bogoras 1904)
ボルネオの海洋ダヤク族のシャーマンであるマナング(manang)は、部落首長の次という高い社会的地位にも関わらず、そのある者は、女の衣服を身につけ、女の職業につくのだ。時には<夫>をとることさえあるという。
(植島 1998: 103)
南ボルネオのヌガジュ・ダヤク族には二種類の祭司がいて、男性祭司のバシル(「生むことの出来ない」の意)は、性的不能者であり、女の衣服を身に纏っているし、女性祭司バリアンは売淫をはたらくのである。 (植島 1998: 103)
男性は女性の月経に模して血を出し、妻が妊娠するとつわりをまねる。そのうえ、男性は「妊娠できる」と信じているという。(Meig,1976)
妻の分娩とその後の6日間、夫は妻と同様隔離され、食物禁忌を守り、生業活動にも従事しない。(Blackwood,1934)
柳田國男の『産育習俗語彙』(1935年)に記されている。 (植島 1998: 108)
ベッテルハイムは ・・・ 精神分裂病の子供たちを観察して、 男性の女性(の性的特権)に対する羨望がいかに本質的なものかということを示した。
出産行為の演技はイニシエーション儀礼(成人式)にほぼ普遍的な要素のであって、 万聖節の宵祭では、<妊娠した>男の子を見ることが出来るのだ。
Bogoras, Waldemar. 1904. The Chukchee. Memoirs of the American Museum of Natural History ; V. 11; Publications of the Jesup North Pacific Expedition ; V. 7. E. Stechert.
Mead, Margaret. 1935. Sex and Temperament in Three Primitive Societies. New York: William Morrow; Company.
栗本慎一郎. 1980. “同性愛の経済人類学.” 現代思想 8 (1).
植島啓司. 1998. (新版)男が女になる病気. 集英社文庫. 集英社.
青木恵理子. 1991. “男と女.” In 文化人類学を学ぶ人のために, edited by 米山 俊直 and 谷 泰. 京都: 世界思想社.