2.0 以下は上野千鶴子『資本制と家事労働』のまる写しである。
「女性優位の思想は、右側に対する左側の優位の中にある。左は女性的受動的自然能力を示す。イシス(Issis)女神の左手がナイル河流域で演じた役割こそこの関聯を示すのに十分である」(富野敬照訳『母権論』:94頁)
乱婚性(HaEterismus)(Ha\"eterismus(?))
|
| ←女性の反抗
↓
母権
結婚前の一時期を乱婚により、そのあと、一定の男性との結
婚を可能とする。
産出地母神デメテールの原理
敬けん、貞淑、平和と正義の守護者としての女性
物質的、感性的な母と子の結び付き
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|←−精神の自然現象からの解放
↓
父性は天の光と結合し、母を必要としない不死の原理
バフォーエフェンのこの図式が、モルガン、エンゲルスに引き継がれることとなった。
私たちは、時代とともに女性の権利が拡大し男性のそれに近づいてきたという印象をもっている。しかし、通文化的にみると、私たちの文化では実現されたことのない様な権利を女性に認めている伝統的文化が数多く存在してきた。例えば、ホピ族、イロクォイ諸族といったアメリカインディアンがそれにあたる。
ホピ族は妻方居住をとる母系制社会を形成している。つまり、男は結婚すると妻の所に婿入りし、子供はすべて母親の集団に属する。ホピ族は、日干し煉瓦作りのプエブロという集合住宅に居住しているが、同じ母系リネージに属す女性たちは、プエブロの一定区域にまとまって住んでいる。世帯の中心は女性であり、彼女たちはいつでも自分の夫を追い出すことができる。夫あるいは父親は常に家族の中のよそ者であり、また息子あるいは兄弟は成人すれば結婚して出てゆく存在である。ホピ社会における女性の力は家庭内においては言うにおよばず、公の場においてもかなりのものである。(R.M.キージング 1982:119ー8)
イロクォイ諸族は、文化的に5つの部族からなり、イロクォイ同盟というまとまった政治組織を形成していた。+
+イロクォイ同盟[アメリカ合衆国のモデル]は、母系的に継承される50人の男性酋長会議によって統治されていた。+
+イロクォイ社会は妻方居住と母系制によって組織されていた。女性は家庭内において中心的な役割を果たすだけでなく、母系集団内に継承される男性酋長の 任命罷免権 を有していた。(前掲書:119ー122)
これらの社会とは対称的に、女性の権利を極端に制限している社会もある。例えば、ギリシャの遊牧民サラッカツァニ族の場合、男性は丘で家畜を見張って一日を過ごすのに対し、女性は厳重に家に閉じ込められている。+
+思春期の少女は早くから、行動を制約し、つつましく歩き、けして走らないように教えこまれる。もし男性の眼をまっすぐ見つめでもしようものなら、襲われたがっているとみなされる。+
+妻にとっての唯一の楽しみは、息子が成長して彼女を支え、老後の安楽を保証してくれることである。夫の名誉が傷つくといけないので、妻は夫に虐待されても、文句を言うことすらできない。妻は召使であり、夫は妻の神である。(???)
男女間の分業を、生物学的性差に求める学者もいる:マードック
男性は狩猟・放牧・交易などの広域に渡る活動に、女性は家庭やその周辺での食料獲得の仕事に従事しこれがジェンダーの専門化と協働に発展したとみる。つまり、生業活動におけるジェンダーは身体的強靭性や生殖機能の違いで決まる。
サタワル(ミクロネシア)では男性=漁労、女性=農耕
トラック社会男性がタロイモ栽培をするとイモが神によって枯渇されると信じられ、タブーとなっている。
トラックでは、料理は男性の仕事である。
ヘア・インディアンでは性の分業の度合は非常に低い。
ミードはジェンダーの内容や性役割が生物学的条件によってではなく、文化的に決定されることを主張した。
女性は生命の再生産に関わらざるをえないのに対し、男性はそれか自由で文化の創造に関わる。
女性がすべての哺乳動物のメスと同様、生殖や育児に関わる 役割をおっているゆえに、自然により近い存在である。
主観的、個人主義的性向をもつゆえに、男性のそれより自然に近く、低次元である
子どもの社会化の過程で、母−息子、母−娘の関係の構造的差異が「男らしさ」、「女らしさ」のパーソナリティを形成するとともに、女性の劣位性を再生産する。具体的には、母親は娘と自分を同一視し、娘は母親のまねをすることで「女らしさ」を身に付け、娘は自己を確立し、自立することよりも、母親と心理的依存関係のもとに成長し、それを次世代へと受け継いで行くのである。
(???) (Rosald 1974)
男性と女性の社会的活動が家庭的と公的とに分化する傾向から、「家庭内志向」と「公的志向」の二つの概念によって、それらの役割や関心領域を類別する。そして、女性は出産とりわけ育児に束縛されるので家庭内志向の性質を帯び、家庭外における政治的・軍事的な活動と言った公的領域を男性に委ねることになる。
民族誌的蓄積がふえるにしたがって、ジェンダーの多様性が益々明かとなってきた。しかし一方において、報告されたすべての文化に、「女は男より劣る」というジェンダーの非対称構造が共通して見いだされることが一般に認められるところとなった。
多くの民族誌の中に共通して見いだされるジェンダーの非対称構造の普遍性に関して、これまで多くの議論がなされてきた。それらの議論は大きく2つに分けられる。一つは民族誌に著わされた非対称構造は調査と分析における偏向によってもたらされるので非対称構造の普遍性自体を再考すべきとする議論であり、いま一つは普遍性を認めた上で生成のメカニズムを明らかにしようという議論である。
フェイソーンによれば、これまでのニューギニア高地社会の 研究は、男性中心主義による偏向が大である。男性中心主義は、情報提供者が男性に限られる傾向、女性研究者でさえ当該文化では男性とみなされる可能性、研究者があらかじめ男性と女性の領域を想定していることによっている。その偏りゆえに、これまでの研究は、経血が汚染力を持つとされることを強調し、精液も汚染力があるとされる事実を見落としてきた。(Faithorn 1975 1976)
またリーコックは、女が月経小屋に入る場合には「男性が女 性を社会から排除している」とするのに対し、男が男子小屋に入る場合には「男性が女性を聖なるものから排除している」とする、文化人類学的解釈における男性偏向を指摘する。(Leacock 1972)
ワイナーは、かつて男性文化人類学者マリノフスキーが調査 をしたトロブリアンド諸島において調査を行い、マリノフスキーが理解することのなかった、交換における女性の主体的役割を明らかにした。(Weiner 1976)
ストラザーンは、フランスの男性文化人類学者レヴィ=スト ロースが「普遍的に男性対女性の関係は文化対自然の関係にある」とするのに対し、彼女の調査したニューギニアのハーゲン社会における男女の象徴体系を反証としてあげ、レヴィ=ストロースの見方を西欧文化の偏見であると批判した。(ストラザーン1987)
ジェンダーの非対称構造の普遍性の生成のメカニズムを明らかにしようとする研究者は、まず非対称構造が普遍的であることを女性の地位が比較的高いとされる諸文化における男性優位を示すことによって例証する。
アラペシュ社会では、男女の役割は協力的で相補的であるとされるが、妻は夫の「娘」であるとみなされ、権力を握っている男性の儀礼の際には、女は何も知らない子供のように振舞わなければならない。チャンブリ社会において、女性は家庭の経済を牛耳っているが、道徳性と知識において女性が男性に劣ると特徴づける儀礼の秩序を信奉し、その儀礼に従事することが必要だと思っている。女性が政治に対し強い影響力をもつイロクォイ社会でも、酋長になることができるのは男性である。
オートナーによれば、女性は、種の存続に関係する月経、妊娠、出産、授乳といった生理的機能によって、動物同様の子供を文化的存在に変える育児という社会的役割によって、母子にみられる非媒介的で私的な関係を通じて形成される精神構造によって、より自然に近いとみなされる。女性に付されたこの「自然性」ゆえに、より高次のレヴェルで文化に関与しているとみなされている男性に対する、女性の普遍的劣位が生じるのである。(オートナー1987)
ロザルドは、人類の経験に普遍的である「成人女性の生活のかなりの部分が出産と育児に費やされる」という事実を、非対称構造の普遍性生成の要とする事によって次のような議論を展開する。女性は母としての役割を果たすために家庭内領域に留まる。それに対し男性は、家事労働から自由であるために対外的な活動をし公的領域を形成することができる。公的領域は家庭を包含し超越している。非対称構造の普遍性は家庭内領域と公的領域の普遍的構造的対立と関連している。家庭内領域と公的領域の対立の度合は文化によって異なり、対立が弱いほど非対称性の度合が少ない。さらにロザルドは、男女平等を実現するためには男性が家庭内領域に女性が公的領域にかかわらなければならないと付け加える。(ロザルド1987)
程度の違いはあるにせよ、オートナーもロザルドも女性と生理的機能とのより深い関連を、普遍的な非対称構造を構成する核と考えているが、彼女達は決して、女性の劣性は生物学的必然であると主張しているのではない。彼女達の主張は、反対に、文化が、女性と生理機能との関連を利用して、男女の非対称構造を普遍的に構築していることを強調する。
ある意味で、これらすべては生物学的決定論 になりかねない。すなわち、救いはないのだ。あるいは不可能なものとしての意識革命。
伝統的マルクス主義的フェミニズム、ドグマチックなマルクス主義的婦人解放論
階級支配を廃絶すれば、男も女も解放される。
階級支配に対する性支配の理論。−−>性支配一元論
ソロコフによる「家族」の定義−−>年長の男性による女性の抑圧と搾取。/性支配=長老支配
マルクス主義的フェミニズムとラディカル・フェミニズムの両方の立場。階級支配と性支配の間には弁証法的関係がある。
これが上野の立場である。
社会理論 | マルクス主義 | フロイト主義 |
---|---|---|
対象領域 | 生産関係 | 再生産関係 |
支配形態 | 階級支配 | 性支配(長老支配) |
近代社会 | 市場 | ブルジョア単婚小家族 |
構造 | 市場原理 | エディプス・コンプレックス |
制度 | 資本制 | 家父長制 |
社会理論 | マルクス主義 | フロイト主義 |
---|---|---|
対象領域 | 生産関係 | 再生産関係 |
支配形態 | 階級支配 | 性支配(長老支配) |
近代社会 | 市場 | ブルジョア単婚小家族 |
構造 | 市場原理 | エディプス・コンプレックス |
制度 | 資本制 | 家父長制 |
再生産はヒトの生産
生産手段を持つものと持たないものの間に対立、抑圧、搾取が起きたように、再生産の手段を持つものと持たないものの間に階級関係がある。−−→女ではなく、男(再生産手段=女の管理)。再生産手段(女)を有して、それをばらまける長老と、それを受け取る人々。
モノの領域のレッセ・フェールに相当する。それまでは、長老は再生産手段(女)の配分に頭を悩ませていた。
「再生産関係それ自体を再生産するしくみ...つまりお父ちゃん、お母ちゃん、子どもという関係の中で、どうやって子どもが大人になって生野かを、父権的な家族構造を次の世代に再生産する担い手になっていくのか、というメカニズムを分析した、すなわち、抑圧の解明の理論...」(17)
単に生殖のみではなく、教育(いかにして質の高い大人にするか)でもある。
再生産労働とは、子どもを社会化するための労働。(公の領域と私の領域の分離)
1 社会主義婦人解放論
2、3 (ネオ)マルクス主義フェミニズム
4 ラディカル・フェミニズム
2 家族は剰余価値を生産することで資本制に貢献する。資本制的家父長制 (Capitalist patriarchy)
3 市場の中の家父長制原理(秘書は社長の女房役)「家父長制的資本主義」
出産・育児は「他人の再生産」である(『ドイツ・イデオロギー』)。
主婦労働と「家事労働」の違い:家事労働とは、他人に委ねることのできない再生産労働のことである。様々な主婦労働は、性分業が成り立った後に附加された雑多なものが混じっている。
子供が自分で自分を作る(出産・育児をする)わけにはいかない。「主婦労働」は大人の再生産(風呂を炊いたり etc)である。
農奴や奴隷は再生産労働をやっていたのではなく、生産物に関わっていた。家政をとりしきり、子どもの教育をやるといった家事使用人、執事は近代社会以降である。
前産業社会では家事労働領域はなかった。生産領域と再生産領域の分離はなかった。ウチとソトが「生産」と「再生産」の関係にはなかった。(ウチでやる機織)
市場と賃労働
イリイチ『シャドウ・ワーク』 (イリイチ 1990: 228229) (イリイチ 1990: 228229) に出てくる「アメリカでの家事の変容」議論をここで紹介しよう。
1810年代のニュー・イングランドでは、食糧の加工・保存、ろうそく作り、せっけん作り、手紡ぎ、機織り、靴作り、羽根布団作り、腰掛け作り、小動物の飼育、果樹園の手入れ、これらすべては家屋敷において行われた。女性とは、生活の資を供する家の女主人だったのだ。
1830年代においては、商業的農場経営がサブシステンス農業に取って代わりはじめた。女性は、就労前の子供たちが住み、夫が憩い、夫の所得の消費される場所の守り役となっていったのだ。
『大草原の小さな家』
生産領域の「家族」の外への組織化。「私」の領域の確立。
(14.1) 資本主義的市場化:保育労働の購買。ベビー・ホテル、ベビ
ー・シッター
(14.2) 社会主義的共同化:保育所を国家が取り仕切る。
(15.1) 家事使用人
初期産業化社会。家事労働の配当が、性支配ではなく、階級支配によっている。
(15.2) 主婦
「歴史的に言うと家事使用人の後で主婦という社会的存在が出て来る。主婦と言うのは実はかつて家事使用人がやっていた労働をやっている人です。主婦労働を家事使用人にまかせることができるというのは、話の順序が逆なんで、家事使用人のやってる労働を後で、主婦がやるようになるこれだけの話です。」(30)
資本制の純化。家族、国家、共同体と言った資本制以外の原理はすべて手枷足枷とみなす。地域共同体の破壊。伝統的家族の解体。市場への労働者の供給。<−女・子供==マージナルな人間
市場の社会からの離床 (disembedment)。
家族を壊すと社会を維持するコストが高すぎる(貧民、スラム、犯罪)。1601年エリザベス救貧法−福祉は、産業による旧秩序解体の社会的費用。
個人を家族から抽出せずに、家族を共同体から抽出する。−>一家の家長が労働者として市場に参入する。1833年工場法:労働者保護法ではなく、女・子供を市場から締め出すための法律。
「公」と「私」の分離(イリイチ「シャドウ・ワーク」)
レッセ・フェールから管理型資本主義へ。(第一次大戦から1930年代)
非婚女子労働者が労働市場に大量に参入する。戦争と不況による性支配と階級支配の揺らぎ。−−>職業婦人「仕事か家庭か」(それまではおんなにとって、「仕事」という選択肢はなかった。
60年代以前の大不況、60年代の高度成長、70年代の構造不況
非婚女子労働者とはまた違う種類の女子労働者:主婦労働者(パート・タイマー)(単純補助型労働市場、すなわち二重労働市場があったため)=「家父長制的資本制」
家父長制にとって:強化している。女性は働くことによって主婦役割から「抜けでた」のではなく、むしろ「完遂」する事になる。<−子供の教育の質を高める(再生産の質の向上)。
誰が再生産コストを払うのか(現物費用と貨幣費用)
市場の外でほったらかしにする。−−>どうも思わしくない。子供が思ったほど生まれない、子供の質が高くない。
女:「再生産領域に残る」出産退職をして収入を失い、再生産労働を現物費用として100%肩に背負う。
保育労働。
女:「生産領域に巻き込まれる」
−−>a,bともに不払い労働を押しつけられている。
−−>西ドイツ:割の合わないことはやらない:人口減少
何が良いか、という話 ― まったく人類学的ではないかも知れないが……。
(Wage for Housework)
−−>現実的に不可能:シャドウ・ワークを貨幣に換算すると、かるくGNPをこえる。現物費用を混ぜざるをえない。分担:家族、市場、国家
ともに再生産費用を家族の領域に押しつける。
これもうまくいかない。
扶養手当−−殆ど意味がない。単身者の雇用がふえる。(市場の原理にかなっていない)
子供を生む可能性のある女性をきぎょうがとらなくなる。(アメリカでおきつつある《子無し幹部社員》と《子持ちヒラ》)
再生産の領域が国家の領域に編成されることはいいこととはいえない。(この辺の理屈が分かりにくい:SATOSHI)
専業主婦と勤労主婦との間に亀裂が深まる恐れがある。
保育サービスを国家が負担する。社会主義の国。
経験的に様々な実験を見る
レッセ・フェールを続けると再生産の質と量に問題が起きる。
所得の再分配を全面的に押し出す。
再生産の社会化(保育所、子どもの数)
イリイチイヴァン. 1990. シャドウ・ワーク ― 生活のあり方を問う. 同時代ライブラリ. 岩波書店.