(災因論)
生と死は、人間存在にとって、避けることのできない大きな問題を投げかける。病は、その生と死のはざまに存在する過渡的な状態である。この様な「病」に対して、それぞれの文化が、どの様な「(象徴的)意味」を付与しているのか−−それを探ることによって、各文化の「生」と「死」という問題に対する解答を見いだすことができるのだ。
病は、単に物理的、生理学的な状態ではない。それには、様々な意味が付与されているのだ。
最も一般的にみられるのは、「罰」としての「病」という表象形式である。
例えば、『旧約聖書』には、ヤハヴェに不従順なものは肺病、熱病、炎症になるとある(レヴィ記24:14、「申命記」28:21−22)。
法華経 . . . にも、法華経の教えを拒否するものは、皮膚に潰瘍が生じたり、かいせんにかかり、頭髪が抜け痩せ衰えようと書かれている。
『ヴェニスに死す』において:
病気は秘密の愛に対する罰であり、...(ソンタグ:56)
天罰としての役割をもつ以上、梅毒には(禁断のセックスとか売春とかに対しての)道徳的審判という意味合はあるけれども、心理的なそれはなかったのである。
『イーリアス』第一巻、アガメムノーンがクリューセースの娘を誘拐した罰に、アポローンはアカイアにペストを送る。+
『オイディプス王』では、罪を犯した汚れた王がいるために、テーバイはペストに見舞われる。
Acquired Immune Deficiency Sydrome
『読売新聞』(1987・2・26社説)「性の自由化天国といわれるわが国は、エイズショックを天の声とし自らを律することが安全への道だということを強調したい。」
西岡一『生命への警鐘』(クレス生活科学部):203「こうしてエイズが流行するのは、愛を忘れた現代の性が、最も原始的な生命体であるウィルスによって痛烈なしっぺ返しを受けているのではないでしょうか。」
この様に、文学、宗教イデオロギーに現われた「罰としての病」という表象は、基本的に、(個人の)病が社会に対して、何等かの「負」の作用を行うという考え方に基づいているのだろう。
ニューギニアの西セピック地域では、身体の<秩序喪失>を”ウォラ”(wola)と呼ぶが、これは形容詞形をとると<悪い>意に通じ、また<有害な><禁止された><特別に危険な>という意味でも用いられる。...+
”ウォラ”で表現されるのは、皮膚病のような外的疾患、精神的疾患、身体的不具の場合であり、それに対して、全身的な病気、たとえば、発熱、呼吸困難、内的疾患の場合は”ネイゲグ”(neigeg)を用いることになっている。(植島:134)
腺ペストをさすpestilenceから派生した形容詞pestilentの比喩的な意味は、『オックスフォード英語辞典』によると「宗教、道徳、公の平安を脅かす」(1513年の用例)であるし、pestilentialは「道徳的に有害な、破壊的な」(1531年の用例)であった。(植島:134)(全く同じ引用がソンタグにあり)
中世のペスト体験は道徳的汚染という考え方とかたく結びついていて、人々は病気に見舞われた社会の外にスケープ・ゴートを探すのを常とした。(一三四七−四八年、ペスト禍に襲われたヨーロッパの各地で前例のないほど多数のユダヤ人が虐殺されたが、ペストがおさまると、それも実質的には終熄した)。近代以降の病気ではスケープゴートと患者の区別はそれほど容易ではない。この時期の病気はそれぞれが個別化して来るけれども、流行病の隠喩を幾つか引き寄せることもある。
(6.1) 古代ギリシア=追放、施療院、しるしづけ
ヘロドトスはらい病について大旨次のような記述を残している。
市民の内でらい病や白らいにかかったものは、町にも入らず、ほかの人々(...)とも交際しない。+
ペルシア人の言うところでは、この病気は太陽神(日の神)になんらかの罪を犯したためにかかるのだという。+
この病気にかかっている外国人はすべて国外に放逐するし、白鳩にさえ同じ罪をきせて追い払う人も少なくないというのである。[ヘロドトス上巻110頁]+
らい病の患者は市民権を剥奪されたので、施療院...に入れられるか、乞食として放浪するしかなかった。+
彼らは、誰からもらい病患者とわかる上衣をつけ、「人が近づいたら、ガラガラを鳴らすか、角笛を吹くか、拍子木をたたくかして、自分のいることを知らせなければならない」のである。+
(6.2) 日本(植島:89)=排除、放浪
こうして神の怒りに触れた人々は諸国をさまよい歩き<巡礼>の旅を続けることになったのである。日本でも、かつて四国遍路はらい病乞食のたむろする<聖地>であった。
「罰」でもなく、「美しい病」にも分類できない意味特徴を帯びる病もある。
サモア諸島では、癲癇性患者は占い師になることになっている。
スマトラのバタック人なども、呪術師の職能者には病気がちの、体の弱いものを選ぶ。
ヒステリーの語源がヒュステラ(子宮)にあるように、癲癇性のまひはむしろ<女性的な病気>であった。
病は、単に「負」のイメージをのみ帯びているわけではない。特に「近代」社会に於て、特殊な意味を担わされているいくつかの病気がある。
(9.1) 『絶唱』?
(9.2) 『ああ野麦峠』?
(9.3) 『野菊の墓』?
(10.1) 『ジョーイ』
(10.2) 『ある愛の詩』
(10.3) 『赤い疑惑?』(山口百恵)
「女性の穢れ」についての先週までの授業において、「女性」が ★けがれた、排除すべき存在であるとする社会
★超自然力を持った、恵まれた存在である社会(アパッチ族における初潮の女性に対する扱い参照)
をいくつか見てきた。その種類とよくにた扱いのレパートリーが、「病」に対しても見られる。
この事は決して偶然ではない。
肺病は顔にでるものと理解されていたのに加えて、顔色こそ19世紀礼節の要でもあった。飽食は無作法、病的な顔つきであるのが魅力的とされたのである。(ソンタグ:41)
この様な悲しみを感じ取るには−−とは、つまり、結核にかかるのにはという意味でもあるが−−「感受性の強い」人間であることを必要とする。結核の神話は古くよりある憂欝症−−4つの体液説によればこれも芸術家の病気であった−−この憂欝症の観念の長い歴史のほとんだ最後を飾るものである。
結核患者はドロップ・アウトとなり、更にまた健康な場所を求め続ける放浪者ともなった。19世紀の始めから、結核が故郷を去る新しい理由に、旅から旅への生活を送る新しい理由になりもしたのである。...おまけに、結核患者によいとされる特定の場所までできあがった。19世紀初頭ならイタリア、ついで地中海か南太平洋の島、20世紀になると山とか砂漠とか...
1944年のスプトレトマイシンの発明及び1952年のイソニコチン酸ヒドラジッドの使用によって、ついに正しい治療法が確立され、神話はぷっつりと終息してしまうのである。
大体、腫瘍があるということ自体が何がしかの恥ずかしさを掻き立てるものだが、...昨今の大衆小説の中に登場して、かつては結核が引き受けていた、若い命を摘み取るロマンティックな病気としての役割を果たしている非腫瘍系の癌もある。(エリック・シーガルの『ある愛の詩』のヒロインは白血病に命を奪われる−−これは「白い」、結核に似た病気で、胃癌や乳癌の場合とは違って、外科的な切除は考えられない)。
ロマン −−> 狂気
ロマン化できない苦痛 −−> 癌
たいていの人々は、癌との対比で、結核をひとつの器官のみに関わる病気と考えるものだが、...結核を取り巻く神話が脳、喉頭、腎臓、長い骨などの結核菌の棲みつく他の部位とは仲がよくなくて、肺臓に結びつく伝統的なイメージ(息、生命)とうまく合うことこそ、その理由である。
結核は上部の霊化された部分にある肺が持つとされる性質を引き受けるのに足して、癌はどうかと言えば、はい、そうですとは答えにくい場所(結腸、膀胱、直腸、乳房、子宮頚、前立腺、睾丸)を攻撃してくる。(ソンタグ:25)
人を霊化する、繊細な病気であった。19世紀文学には、殊に若い人が結核によって苦しまず、怖がらず美しく死んでゆく描写が多い。『アンクル・トムの小屋』のエヴァお嬢さん、...。...ディケンズは、結核とは死を「霊妙なものとする」「恐ろしい病気」であって、
魂と肉体とがゆるやかに、静かに、厳粛に戦うが、その結末がどうなるかは歴然としていて、日毎に少しずつ、滅ぶべき部分は衰弱してそげ落ち、霊はその荷を軽くしてますます輝きを増し、力づく...
と描写している。(ソンタグ:23−)
デイヴィッド・ソーロウは1852年に「死と病とは結核ゆえの熱性の輝きのように、美しいことが多い」と記した。結核の方はあでやかな、しばしば叙情詩的な死につながるものと考えられたりしたが、癌についてそんな具合いに考えることはない。癌が詩の材料になることは滅多にないし、たとえそうなったとしても、スキャンダラスな扱いしかうけないだろう。(ソンタグ:28)
結核の神話によると、たいがい何か情熱的な感情がまず合って、それが結核を誘発し、結核となって外化するのだと言う。だが情熱は挫折し、希望はついえるものである。それに一般に情熱とは言っても、ふつうは愛の形をとるにせよ、政治的情熱とか道徳的情熱となることがないでもない。...
癌の神話によると、たいがい何等かの感情の噴出が絶えず阻止されるのが原因でこの病気にかかるのだと言う。...
...彼は[ウィルヘルム・ライヒ]は癌を「感情的に諦めてしまうところからくる病気−−生物エネルギーの萎縮、希望の放棄」と定義する。(ソンタグ:33)
結核をめぐる空想の中には、初期の資本主義的蓄積の態度が反映している。つまり、個人のエネルギー量には限りがあるから、それを適切に使用しなくてはならないというわけである。(十九世紀のイギリスの俗語では、オルガスムは「来る」のではなく、「消費する」と表現した。貯金と同じで、エネルギーも減ることがあるし、無計画な出費を重ねると無くなったり、使いきったりすることにもなる。肉体はみずからを「消費」し、患者は「浪費」するというわけである。
癌の事を言うのに使われる言葉は、別の経済危機を−−武統制、無計画の、異常な成長からくる危機を連想させる。最もエネルギーを持つのは患者ではなく、腫癌の方であり、それこそ統制のきかないものなのである。教科書的な説明によれば、癌細胞とは成長を「抑制する」メカニズムを放擲してしまった細胞の事である。
初期の資本主義では、消費、財蓄、経理の管理が必要とされる−−それは欲望の合理的な制限に基礎をおく経済である。結核は十九世紀経済人(ホモ・エコノミクス)の負の活動、つまり消費、浪費、生命力の消耗といったイメージを利用して描かれる。
高度資本主義は拡張、投機、新しい欲求の産出(満足・不満足の創出に関係する問題である)、信用購入、流通性を必要とする−−それは欲望の不合理なまでの充足に基礎をおく経済である。癌は二十世紀経済人の負の活動である異常成長、エネルギー抑制、つまり消費拒否のイメージを利用してかかれる。
医者も注意深い患者もこの種の戦争用語のことはよく知っている、あるいは、それに慣れてしまっている。打からこそ、癌細胞は単に増殖するだけではなく、「侵す」といわれるのだ。...癌細胞はもとの腫瘍から、体のずっと離れた他の部位に「植民地を作る」こともある。まず小さな前哨点を作るのである(「小転移」)。この前哨点は発見が困難であるけれども、あると考えざるを得ないのである。...「防衛力」、...「徹底的な」外科手術...「走査」...「腫瘍の侵略」...
治療法にも軍事的なものがつきまとう。放射線療法は空中戦の隠喩がつき物で、例えば患者は有毒の光線によって、「空爆される」。化学療法は化学戦争となる。治療の目的は癌細胞を「殺す」事になる。...
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| | 結核 | 癌 |
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|時間 | 疾駆 | 歩く、蔓延 |
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|階級性 |貧困、零落の病 |中流生活 |
| |乏しい医療、痩せた |豊かさ、過剰 |
| |体、暖房のない部屋 | |
| |ひどい衛生設備、栄 | |
| |養不足の食物 | |
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|環境 |環境を変えると |環境を変えても |
| |治る |治らない |
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|苦痛 |苦痛の少ない安楽死 |七転八倒の死 |
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|情熱 |情熱的な感情が結核 |感情の噴出が絶えず阻止さ|
| |を誘発 |れるのが原因 |
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|意志 |意識の霊化をする |意識が圧倒され、抹消され|
| | |る |
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|知性、 |繊細になり、本当の |反知的な細胞が増殖し、自|
|自我 |自分になる |分でないものに替わられる|
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Illness as Metaphor
4月号
ドレには三つの基本観念が語源的に見いだされる。
する>という語の複合からなるということを意味している。
病気というのはつねに通過儀礼の役割を果たしているのだ。そして、チュクチェ族の例でもわかる通り、かつては医師とは、全快した病人であり、自ら治癒に成功した病人なのである。
医師は下層自由民の業務であった。そしてそれはもとよりかなり土着的な民間信仰の色彩が強かったようである。
かなり古くから体の各部を専門に担当する医師たちがおり、また、薬草屋はことのほか繁盛していたようである。「個人的な医学の実践は、占い師や、パラメディカルの療術師たちによって街角で始められ、それは目医者、耳医者、歯医者、薬草屋、吸角療法師、床屋、あんまへとひきつがれた」。[『中国の医学』]
中世のヨーロッパを襲った舞踏病にも次のような表現がつきまとう
ほう、なんとしたことか、こいつまるで気ちがいみたいに踊っているぞ!うん、タランチュラ(舞踏ぐも)にかまれたんだな。
. . . 十四世紀に舞踏病が流行したのは、ペストがヨーロッパ中を襲い、人口の4分の1を奪ったのと同じ時期であった。実際にタランチュラによってかまれて起こるとされた舞踏病も南イタリアなどで記録されているが、多くは集団ヒステリーか又は中枢神経系に起こる感染症ではないかと推理されている。