一つの状態から他の状態への変化を含むあらゆる儀礼には、共通した構造がみられる。
自文化中心主義的な進化主義の影を完全に払拭するもの。結婚式での模擬戦闘は野蛮な過去の名残ではなく、「分離」という機能を劇的に表わすものであるとされたのだ。
ヴァン・ジュネップのこの研究を著名にしたのは、ヴィクター・ターナーによる境界性の研究である。
「過渡の状態」という見解を発展させた。その状態にあるものは、通常の社会適役割に対して、「どっちつかずで中間」に位置し、社会的道徳的価値の多少とも超越的で神聖な核心に達すると考えた。
「境界性」の自立という方向に研究は向かっていく。
もともとヴァン・ジュネップの研究が「境界性」の自立の方向に向いていったのは、葬礼の研究によって出ある。
葬送の儀式について考えようとする場合、分離の儀礼がその最も目だつ部分であって、それに比べると過渡や統合の儀礼はさほど手の込んだものになっていないことが予想されよう。しかしながら、資料に当たってみると、分離の儀礼は数も少なく、単純であるのに対し、通過の儀礼の法は、時として一種の自立単位として、認めねばならないほどに長期におよぶ複雑なものになっている。[1960:146]
死を瞬間的にはみない社会:ボルネオ島etc
これらの社会では、死ぬべき運命にある者がもはや生きてはいないけれども、最終的にはまだ死んでいないという時期:「間の期間」(エルツ)
「あいだの期間」の終わりに「大祭宴」が開かれる。
死者のなきがらはあばかれ、儀礼を受け、新たな場所へ移される。
「あいだの期間」の最小限の期間:骨が乾燥して、腐肉がはがれ落ちるのに必要な時間。
「あいだの期間」(即ち、乾いた骨だけが残るまで)死体は腐敗と無定形の苦しみを受ける。
(ボルネオにおいては)肉体の運命は、霊魂の運命のモデルとなる。⇒死体が崩れ異臭を放つのと同じように、死者の霊魂も宿なしで脅威の対象となる。それはまだ死者の社会にはいれないために、人間の居住地の周辺でみじめに過ごしている。「大祭宴」はこのみじめな時期に終止符を打つのだ。
大祭宴:乾燥した死者の骨を祝福、霊魂が祖先の国に達したことを確認、遺族たちの通常の関係が修復される。
死体の二次的処理と供儀とを結びつけているのは、死んだ対象が次の段階に進むには、まずこの世で破壊されなければならない、という理論。
究』(池上、川村訳)(未来社)(OIU 385/HU/1245)