死の心情(死の人類学その1)

1 序:死の儀礼の人類学(メットカーフ:)

1.1 生と死の問題

死は普遍的なものである。しかし、死が呼び起こす反応は文化によって様々なものがある:死体は焼かれたり、埋められたり、犠牲をともなったり、いぶしたり、防腐加工したり、酢につけたりする。

経験的にみれば、多くの葬送儀礼に於て、生と共同体の徴表が、死と分離の表象を凌いでいる。

あらゆる社会において死の問題は、人々が人生を送り、自らの経験を評価する際の最も重要な文化的価値を浮き彫りにする。死を背景として生は透視され、社会や文化の根元的問題が浮かびあがってくる。

1.2 「死の認知」運動

1.2.1 死と臨終の問題は今日的問題である。

1.2.2 我々の「死」に対する態度(アメリカの場合だが、日本の場

合にも当てはまるだろう)

アメリカ人はあまりにも完璧に死から自らを隠ぺいする。

多くの人は死体を見た経験すらない。

死体は、念入りに詰めものをされ、美しく飾られた肉体である。

人間の死に限らず、動物の死さえも、現代のアメリカ、日本の人々は滅多にみることはない。

2 ヨーロッパの死(死の歴史学)(U&Y)

フィリップ・アリエスによる『死を前にした人間』(Aries,1977)

5つの死に対する態度は、4つのテーマに基づく5つの変奏曲。(1)自己意識、(2)暴力的な野生の死に対する社会の防衛機構、(3)他界の生についての信仰、そして(4)悪の存在についての信仰

2.1 飼い慣らされた死(中世前期まで)

共同体は成員の死によって脅かされた露呈されたその弱点を補うために死を儀礼化する。あるいは、死に体現された自然の未知の力に対処するのが死の儀礼化である。揺るぎない他界への信仰。死は眠りのような休息への入口であり、死後の休息はキリストによる最後の復活の日までの待機の期間である。

2.2 自己の死(中世中期以降)

自己の生と死についての自覚が成長する。自分の死を司る儀式のやり方や死後の処理についての遺言を残す習慣が一般的となり、個人の生の記録としての墓碑銘がさかんにつくられる。眠りのような死に変わって、死後の審判の強調と、個人の魂の不死・永世の観念が行き渡る。

しかし、社会の防衛機構と悪の存在への信仰は残る。

2.3 遠くて近い死(16世紀以降、人文主義と宗教革命、合理主

義、科学技術の進展の時代)

「自己の死」のモデルは、18世紀まで引続き支配的である。その陰で、自己の暴力的な姿をとった死が徐々に現れ始める。

死に対する防衛機構が弱まり、死が野生の状態に逆戻りするのだ。人は死から遠ざかり、またそれとはうらはらに死に魅せられる。

2.4 汝の死(19世紀、ロマン主義)

共同性の中に埋没した個人ではなく、また自己そのもののための個人でもない、特定の他者「汝」に情愛を向けたものとしての自己。死の恐怖は、自己の死ではなく、「汝」の死にたいして向けられる。死は、我と汝の愛の絶頂として美化され、悪の表象は消え去る。

死後の世界は地獄ではなく、この世で愛し合ったものの再会の場となる。

2.5 転倒された死(現代の死)

死の現実性を社会のあらゆる所から被い隠そうとする企図が支配する。死は汚れたものとみなされ、病室に閉じ込められる。死にゆくものも、自己の死を知らされない。あたかも死が存在しないかのごとくに全ては進行する。

説明原理としての悪はすでにない。死を飼い慣らした全ての装置の欠如の中で、死を無視しようとし、そうしきれない分だけ、死の恐怖、孤独な病室で医療機器に囲まれた死の恐ろしさが無防備な個人に直接的に襲いかかる。

3 様々な死

アリエスのなした業績は、ヨーロッパの死を相対化したことである。必要以上にある特殊な型の文明に資料を限ることは、エスノ・セントリズムに陥ることとなろう。(U&Y:14)

3.1 哀悼傷身(石川栄吉)

この項では、やや「特異な」死の表現法である「哀悼傷身」について民族誌を覗いてみよう。

3.1.1 トンガ諸島

哀悼者は髪を切り、体を傷つけて血を流し、あるいは火傷を作った。欠歯を行うという記述もある。

「大勢ではないが、ある人々は友人や親族を失ったことの遺憾の証として、わが身を傷つけているが、この傷は残っている傷跡からみて深くかつ危険なものだったに違いない。」

彼らは槍を自分の内腿、両わき腹、わきの下、頬に突き刺すという。

3.1.2 サモア

哀悼者は、着衣を引き裂き、頭髪をかきむしり、顔を殴り、燃えさしで体を焼き、石や棍棒などで頭を打って、裂傷を作り、流れ出る血で全身を染めるに任せた。

3.1.3 フツナ

貝殻でもって、顔、腕、胸を切りさいたという。断髪、欠け歯、火傷の報告はない。

3.1.4 ウヴェア

貝殻で頬を切り、顔一面を血だらけにする。死者が酋長の場合は、棍棒、槍、手斧で頭に裂傷もしくは刺傷をつくり、腕を噛み、胸を切りさき、燃えさしを体に押しつけた。

3.2 チベットの鳥葬(「すばらしい世界旅行」1990年7月1

5日)

3.3 死者の二次処理(M&H)(ボルネオ、ベラワン族)

死体は洗い清められ、衣装を着せられた後、密封した壷の中に保管される。分解作用が進行するが、この時人が取っておきたいと願うのは、[染料作成、発酵食料作成のときのように]液体ではなく沈澱物の方である。液体は壷の底にさしこまれた竹の管で流しだされる。

最後に、遺骨が壷から取り出され、最終的な保管のため小さな容器の中に納められる。ちなみに、米の醸造酒用の壷は、死体を最初に保管するために使用した壷と同じものである。

3.4 ミイラ作り(スンバその他)

4 死の儀礼と人類学の誕生(学説1)

死だけを扱った人類学的研究は少ないが、死は人類学の中心的理論に取って、非常に重要だった。

4.1 埋葬法、死をめぐる信仰−−>進化論、伝播論に取って

、重要だった。

4.1.1 19世紀の理論家(マクレナン、モルガン、ラポック、

ウエイク)

性道徳の進化、それと社会構造の進化の関連

4.2 世紀末の理論家(タイラー、フレイザー:主知主義者た

ち)

死や死後存在に関する信仰に注意−−>初期の人間たちが死や仮死の状態、たとえば睡眠や夢などを深く考えたことが、霊魂という概念の起源であり、それ故あらゆる宗教の起源である。

フレイザーやタイラーにとって、死に関する未開人の信仰が宗教の起源や本性という問題の安易な解答を用意するもの。

==>思弁的、反論のしようのない一般化、「われわれ」に関わらない安全な理論化

4.3 デュルケームと宗教社会学(個人から社会へ)

探求されるべき課題は、集団から取り出した一単位としての個人。「集合表象」がいかにして個々人を統合し、また各個の独自性を際だたせておくのか。

この問題提起の枠組みの中で、死とは人間の社会的存在や限定が持っている曖昧さや矛盾をあばきだす、重要ではあるが厄介な問題となる。

5 普遍なるものと文化:死に対する情緒的反応

死の持つ最も目につく特徴の一つ:遺族に対して強烈な情緒的衝撃を与える。

5.1 心情と社会統合に関するラドクリフ=ブラウンの理論

5.1.1 ラドクリフ=ブラウンの『アンダマン島民』

アンダマン島民が「すわり込み、泣きわめき、涙をぼろぼろと流す」機会は全部で七つある。

  1. 二人の友人ないし親族が久しぶりに再会したとき

  2. 和解の儀礼

  3. 服喪期間の終了時

  4. 人が死んだとき、親族、友人が死体を抱いて

  5. 死者の骨が墓から収容されたとき

  6. 婚姻の際、親族は花婿と花嫁のためになく

  7. 加入式の様々な段階で、若者や娘の女性親族が

5.1.2 説明

儀礼の目的は二人ないしそれ以上の人々のあいだにある社会的きはんの存在を肯定することにある。

すべて社会的紐帯を強調し、肯定する機会である。そこに参加する人々は、彼らを結びつけているような心情を実際に感じていないかも知れない。にもかかわらず、この強制的な儀礼への参加は、彼らが現に持っている積極的感情を強化する(もし持っていなければ、それを産出する)。

5.2 葬送の心情とデュルケームの社会理論

5.2.1 資料:オーストラリア、ワラムンガ族(スペンサーとギ

レン)の哀悼傷身

あるトーテム儀礼が終り、演者や見物人の一団が聖所を立ち去ろうとしたとき、突如として刺すような叫び声が野営地から聞こえた。一人の男がそこで死に瀕していたのだ。ただちに人々は全力で駆出し、多くは大声で絶叫し始める。

「われわれと野営地とのあいだには深い水路があったが、その土手の上を何人かの男たちがあちこち散って座り込み、膝のあいだに顔をうずめて泣き悲しんでいた。

あちこちから出てきた女たちは、あるものは死体の上に伏し、あるものは立ち止まったり、ひざまずいては、ヤム芋の堀棒の尖った先で自分の頭頂を突き刺し、顔中を血だらけにして、大声で泣き続けていた。

次にその場に殺到した大勢の男たちが死体の上に身を投げ、彼らが近づくと女たちは起き上がり、とうとう数分後には、渾然一体に混じりあった群衆が見えるだけになった。

かたわらではサブンガルティ・クラスの3人の男が、まだ儀式用の装飾をつけたまま死体に背を向けて大声で泣きながら座っていたが、1、2分後には、同じクラスの別の別の男が叫び声を挙げ、石のナイフを振り回しながら飛び込んで着た。彼はキャンプに到着すると、突然両腿をぐさりと刺し、筋肉を縦に切りつけ、立っていられなくなるとすぐに開いた傷口に口を押しあてたが、男は憔悴して地べたに横たわったままであった。」

例の男は、夕刻も遅い時間になるまで死ななかった。彼が最後の息を引き取ると、再び同じ光景が繰り返されたが、今度は泣き声も更に大きく、男も女も本物の狂乱にとらわれて、駆け回ってはナイフや鋭利な棒で自分の体を切りつけ、女たちは戦闘用の棍棒で人の頭を殴りつける。この刃傷沙汰から身を守ろうとするものもいない。

ついにおよそ1時間ほどして、たいまつ行列が出発し、平原を横切って一本の木の所へ到着すると、その枝の中に死体は放置された。

5.2.2 説明

オーストラリアの原住民の年祭りにおいて、集団として再統合する人々の演ずる儀礼が連帯間を増進する。

しかし、死をめぐる暴力的で、破壊的で、非計画的な否定的行動がこうした社会学上ポリアンナ的ともいえる機能を果たしうるのか。

儀礼的表現が内的情緒から生じた結果だと主張できないことは明か。

RB−>儀礼的落涙に参加する人々は、その情緒を感じるようになる、と主張。感じる情緒は、悲哀ではなく、一体感。

ED−>葬儀に参加することによって、感じるとされる情緒は、悲哀であり、ふんぬである。

この儀礼の雰囲気は、喚起の儀礼のそれとは異なっているとは言え、情緒的覚醒という事実は両者に共通である。

肉親の死に直面して発動される一体感は彼らの悲哀を反映したものに他ならない。

5.3 タンザニアのニャキュサ族−−アフリカの一部族の葬式における情

5.3.1 民族誌的設定

社会関係は家族、村、族長配下、という三つの集団成員資格によって決定される。

この社会関係は、2種類の機会に表現される。すなわち、畜牛交換と葬式への出席である。

5.3.2 埋葬儀礼の男女の活動

女は泣き、男は踊る。

5.3.3 ニャキュサの死の観念

悲しみの他に、ある恐怖の要素を表わしている。即ち、死後世界の恐怖、精霊の恐怖、流行病の恐怖、妖術師に対する恐怖等々。

5.3.4 啼泣儀式(女たち)

女たちは啼泣儀式のあいだ、お互いに歯らに樹皮布の帯を巻き付け合う。「私がこの布を彼女たちに与え、腹のまわりに巻かせるのは、彼女たちがぶるぶると震え、恐怖におびえているからです」男たちが帯をしめないのは「彼らは、女たちのように恐がらないし、それほど震えない」からだ。

5.3.5 舞踏(男たち)

啼泣が縮小して、舞踏が幅をきかす。

踊り手の数は徐々に増え、それにつれてドラマーや見物の群衆も増加する。喧噪と興奮がまし、悲しみの徴は消滅する。

埋葬の踊りは戦闘の踊りであり、死者を讃えるためである。死者が女性の場合は、彼女が戦士を生んだ事を讃える。

強い性的な要素もあり、部族間の侵略の時代が終息するにつれてこちらのモチーフが主になりつつある。

「この戦闘の踊りは哀悼であり、われわれは死者を悼んでいるのだ。われわれが踊るのは、われわれの心の中に戦いがあるから、−−つまり、悲しみや恐怖の激情がわれわれをじりじりさせるからだ。血縁の男はその激情的な悲しみを和らげる。つまり、彼は家の中に入って泣き、それから出てきて戦闘の踊りを踊る。彼の激情的な悲しみは踊りの中で耐えられるものとなる。。悲しみが彼の心を縛り付けた。そして舞踏がそれをとき放つのだ。」(Wilson 1939: 13)

5.3.6 社会的統合というわけではない(少なくとも直接的には

埋葬に於て暴力行為が発生するのはごく普通のことである(部族間の遺恨、一部の若者と少女の恋愛)  −−−−−>「したがって、儀式は社会的統合を促進するという単一の機能を持つどころか...既存の反感が喧嘩という形で明瞭に表現され、新たな反感が発生する機会だった」(Wiloson 1939:14)

5.3.7 付録−−元の本では話はまだ続く

  1. 生と死(M&H:64)

ニャキュサ族も、生を肯定することによって、死に直面する必要性を感じている。死を思念することは、恐怖や悲哀、そしてその様な感情の不確かさに拘泥するばかりであり、彼らはこうした思念から注意をそらしたいという欲求を表現し、次第に「現在の生をその最も強烈な特性の中で認識し、戦闘の踊りや、生の誇示や、快活なお喋りや、多量の肉を食うこと」(Wilson 1939:24)などに向かうのである。

  1. ある埋葬事例の叙述(by Wilson −−− d

iambil dari M&H:64−)

省略

5.4 文化と心情(M&H:68)

5.4.1 普遍的心情の危険(M&H:69−70)

心情を扱う場合には、保証のない普遍的結論、あるいはそうした仮説に走りたいという誘惑は特に大きくなる。参加者が経験するはずもない感情を、彼に押しつけようとする誘惑も大きい。情緒的側面は、行動の分析にとってある種の普遍的説明の枠組みを提供するどころか、調査者に対して最も微妙な文化的変異の認識を要求するのである。

5.4.2 ジャワ(Geertz 1960)

「もの静かで、慎み深く、無感動とも言える見送り。もはや不可能になってしまった関係を簡素な儀礼によって放棄すること」

6 参考文献

6.1 内堀、山下『死の人類学』(弘文堂)

6.2 岩田(編)『生と死の人類学』(講談社)

6.3 R.エルツ『死と右手の優越』

6.4 ファン・ヘネップ『通過儀礼』(弘文堂)

6.5 メットカーフ、ハッティントン『死の儀礼:葬送習俗の人類学的研

究』(池上、川村訳)(未来社)(OIU 385/HU/1245)