この本はいかにして生まれたか

解説『文化の中の自然と文化』

中川敏

2020-09-20

1 はじめに

この授業ノーツはまちがいでなければ、ぼくの生まれて初めての授業のノーツだと思う。大阪国際大学の(ぼくにとっての初年度) 1988/9年度の「文化人類学」そして「比較文化」の授業であろう。

この講義は、いわば、試供品として提供されている。このセクションでは、講義メモが、「試供品」であることの意味を説明しておきたい。

この講義は、わたしが生まれてはじめて「授業」なるものをひきうけた時(1988年)に作成した1 受業ノートに基く原稿である。現在では私は受業のノート、あるいは口頭発表のノートは、そのまま原稿になるように書いている。しかし、この時点ではノートは単なるメモであり、メモとメモの間がどのように繋っているかは、曖昧なままになっている。これが、この原稿が試供品である理由の第一である。

もう一つの理由は、この原稿には引用が引用としてマークされていない、ということである。どこからどこが引用で、どこからどこが私の「地の声」なのかがわからないのだ。このような書き方は学術論文としては失格である。

試供品である最後の理由は、内容の稚拙さである。きちんとした作品とはなっていないのだ。

「人類学」という言葉をまったく知らない学生(1年生、2年生が対象だ)を、驚かすことが、この授業の原動力だったのだ。なにか理論的なことを言うのではなく、ただ、「わたしたち(日本人)のやり方」とは違った、一目を魅く事例(それもなるたけショッキングな事例)をいろいろ挙げる ― これが、この講義シリーズの中で私が行なっていることである。ただただ学生を驚かせたいという意図が見えみえである。

本来ならば、 (1) 「わたしたちのやり方」もまた(他の人たちから見れば)おかしな やり方であるという考え方(相対主義という考え方)を、さらには、 (2) 一つひとつの「やり方」の 意味 は、全体(文化)の中でその「やり方」の占める位置なのだという考え方(全体論という考え方)にまで話をすすめるべきだったのだ。

目次はここ にある。

2 大阪国際大学での授業

このような自転車操業を反省して、次年度あたりから構想を練った受業をこころがけた。その成果が『交換の民族誌』(中川 1992a) (中川 1992a) であり、『異文化の語り方』(中川 1992b) (中川 1992b) であるのだ。

中川敏. 1992a. 交換の民族誌―あるいは犬好きのための人類学入門. 京都: 世界思想社.

―――. 1992b. 異文化の語り方―あるいは猫好きの ための人類学入門. 京都: 世界思想社.


  1. ちなみに大阪国際大学でのことである。