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わたしが擁護したい文化相対主義はピジョンホール相対主義である。それはコードモデルと水源地モデルとによって支えられる相対主義である。そのような文化相対主義は「異なった文化に属する人々は異なった世界に住まう」と主張する。
コードモデル:エンコード・デコード水源地モデル:一つの暗号帳の共有 → テーゼ (1) 異なった文化に属する人びとは異なった世界に住む
第3講義はデイヴィドソンの「概念図式という考え方そのものについて」という論文である。彼によれば、「概念図式」すなわち「文化」という考え方は不可能だ、というものである。わたしたちの議論の脈絡に合わせて言いかえれば、コードモデルと水源地モデルに従う限り、「異文化は理解できない」という結論が否応なしに導かれる、ということであった。
直前の講義「文化を捨てる三つの方法」では、このような文化概念の脆弱性に気づいた人びとの文化の捨て方について述べた。
テーゼ(1) から テーゼ(2) が導かれる(デイヴィドソン)テーゼ(1) 自身を捨てる(「文化」を捨てる) —- 「文化を捨てる三つの方法」(濱本、デイヴィドソン、野矢)
野矢の議論がクリプキの規則論を思い出す、というコメントは正しい。
直前の講義は、すでに述べたように、寄り道である。しかし、そこでの議論は人類学についてのひとつの議論を、この講義の中に導き入れることになる。 [ under construction ]
この講義を (C) の紹介として読むことも可能であることを言い添えておく。もちろん、本来の目的はデイヴィドソンの議論から (A) に至る議論である。
デイヴィドソンを越えるための第一歩 (A) に至るための (C) の素描
わたしの意図を繰り返しておこう:わたしはデイヴィドソンの議論(概念図式が不可能であるという議論)に反して、概念図式あるいは文化の考え方を、そしてその延長として、文化相対主義を擁護していきたいのである。 1
テーゼ(1) を死守するテーゼ(2) を導かないようにする —- 「文化」を捨てるならば、(誇張して言えば)人類学の意味がない。人類学のやろうとしていること(ぼくの人類学において)は、異文化を見ずとも、他者を見ればすむだろう「文化」のある相対主義が欲しいのだ
この章は、その第一歩である。
第一歩に過ぎない裏デイヴィドソンを、ウィトゲンシュタインに繋げる(処女作野矢を最新作野矢に繋げる)
この章ではデイヴィドソンの「概念図式」の議論を、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における独我論にむすびつけることである。テーゼ (1) を死守するためになぜそうしなけれいけないかは、次の章に示すことになる。
この章のアイデア、デイヴィドソンの「概念図式」(Davidson 1984 (1974))の結論を、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』 (Wittgenstein 1961)において展開する独我論に結び付ける、というアイデアは、基本的に、野矢の最新作『語りえぬものを語る』 (野矢 2011)によっている。また「則天去私の共同体」のアイデアは野矢の処女作『心と他者』(1995)(文庫版は2012年、(野矢 2012 (1995)))によっている。
デイヴィドソンからウィトゲンシュタイン『語りえぬものを語る』(2011年)則天去私『心と他者』(1995年)
メイランドとクラウスは、デイヴィドソンの「概念図式」論文への解説の中で次のように言う:「或る人が目の前にある物をはっきり見ているとき、その物が同じ椅子なのか、異なる二つの椅子なのかを、彼が決定できない場合、誤訳じゃないかしらん彼には椅子の固体のどのような基準もないのである。つまり彼は椅子の概念をもたないのである」 (メイランド と M 1989 (1982): 112)と。「他の概念図式」と思われるものが、概念図式であると言えない限り、この概念図式をも「概念図式」と言えないことになる、というわけである。
他の物を椅子と決定できない人は「椅子」の概念をもっていない他の物を概念図式と決定できないのだから、「概念図式」という概念に意味はない
野矢は、同じことを次のように語る:
☆
ひとは自分の概念枠を離れられない。これは相対主義の言い分にほかならない。それゆえ、自分の概念枠の下に翻訳することができないものは理解できない。だとすれば、私は私の概念枠をはみ出たもの、自分と異なる他の概念枠の存在を捉えることができないだろう。かくして、相対主義をつきつめることによって、まず「他の概念枠」という考え方が却下される。そして、他の概念枠がありえないのであれば、「自分の概念枠」という言い方にもポイントはなくなる。・・・かくして、相対主義の考え方を徹底することによって、概念枠という考えは消失する。 (野矢 2011: 141)
徹底した相対主義には「他の概念枠」がない「他の概念枠」がなければ、「自分の概念枠」もない「概念枠」を語ることに意義がない
概念枠がなくなった相対主義は、けっきょく独我論に酷似する、というのが野矢の議論である。すなわち、ある種の徹底した独我論が語るように視点が一つしかなければ、「他の視点」という考え方に意味がなくなる。そして「他の視点」がありえないのならば、「私の視点」という言い方に意義がなくなるのだ。これが野矢の言うデイヴィドソンとウィトゲンシュタインの相似である。 2
徹底した独我論には「他の視点」がない「他の視点」がなれば「自分の視点」もない「視点」を語る意義はない
以下、なるべくわたしの言葉を多く交じえながら、この野矢によって指摘されがデイヴィドソンの相対主義とウィトゲンシュタインの独我論の類似を語り直してみよう。
この小節では、全体の議論の筋道の全体像をスケッチ風に描いておきたい。その次の小節において、この小節で描かれたモノに複雑な色をつけていきたい。
スケッチ風な全体像次小節で色をつけていく
デイヴィドソンの議論とウィトゲンシュタインの議論には二つの共通点がある、というのが大事な論点である。
他者(異文化)の不在視点(概念図式)の不在
デイヴィドソンの議論は背理法である。これこれ仮定すると、けったいな結論が導かれる。ここで正しいとされている仮定は、概念図式/枠組、そしてそれをささえる二つのモデル、コードモデルと水源地モデルである。だから二つのモデルは間違っている、これがデイヴィドソンの議論の筋である。
議論は背理法である二つのモデルが正しいとすれば→おかしい→だから「概念図式/言語/文化がある」は間違い(たぶん)→「墓碑銘のすてきな乱れ」(「言語は存在しない」→「文化は存在しない」)
背理法ではなく、「二つのモデルが正しいとすれば、こういう風になる」という議論に読み換えてみよう。このように論じているのを「裏デイヴィドソン」と呼ぶ。裏デイヴィドソンの議論は、概念図式/枠組は一つだけだ、という議論になる。異文化は存在しないのだ。
二つのモデルが正しいとすれば概念図式/枠組は一つだけだ → 異文化が存在しない
裏デイヴィドソンの議論の帰結が、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の独我論(野矢の言う「言語論的独我論」)とそっくりであること、これがこの章のひとつのポイントとなる。
図を見ていただきたい。ピジョンホールの一つの穴から見るかぎり、ほかの穴(文化)は(文化としては)見えない—
それは暗闇である。その周囲の暗闇こそが概念図式の外部、すなわち異文化なのだ。
ウィトゲンシュタインの独我論は次のような図で表わすことができる。
この図で、周りを暗闇で取り囲まれているのが独我論者である。周囲の暗闇こそが論理空間の外部、すなわち他者である
デイヴィドソンの反相対主義:概念図式の外部(暗闇)こそが異文化であるウィトゲンシュタインの独我論:論理空間の外部(暗闇)こそが他者である
もう一つの共通点を説明する「概念枠組」「概念図式」をフィルター、眼鏡の比喩を使って説明したことを思い出してほしい。その比喩の群に、さらに一つの比喩、「視点」を加えたい。 [ under construction ]
概念枠組/概念図式をフィルター、眼鏡などという比喩を使って説明したさらに「視点」という比喩を使うことに問題はないだろう
こうすることによって、裏デイヴィドソンの議論、「概念枠組は一つしかない」を、「視点は一つしかない」に置き換えたいのだ。
「概念図式」は一つしかない → 視点は一つしかない
ここでのポイントは、視点が一つしかないと、視点には気づかれない、ということである。他の視点があることによって初めて人は視点に気がつくのだ。視点が一つしかなければそれが視点だという事にさえ気づかれない。
他の視点があって初めて 、自分の視点に気がつく一つしか視点がなければ、(他の視点がなければ)それは視点としては見なされない概念枠組が一つしかなければ、それは概念枠組としては認識されない(こういう言い方は神の言い方だが)
ウィトゲンシュタインの独我論、とりわけ野矢によって語り直された独我論もまた、同じような道筋をたどる。「私」が一人しかいなければ、それを「私」としては認識はされないのだ。
視点がなければ、他者がいないだけではない。そこには私さえいなくなるのだ。
さて、色をつけていこう。
野矢は『他者の声、実在の声』 (野矢 2005)でウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(トラクタートゥス) (Wittgenstein 1961)に展開される独我論を、通常の独我論(現象的独我論)とは違う、ユニークな独我論、「言語論的独我論」として再提示する。
通常の独我論は現象的独我論でありウィトゲンシュタインのそれは言語論的独我論であるそれは言語と世界を同一視する、すなわち、わたしの世界を論理空間の広がりと同一視する、そのような独我論である
☆
『論考』を独我論に位置づけようとするのであれば、それは言語と世界を同等視するよう[101/2]な、すなわち、論理空間[footonote omitted]と世界の可能性の広がりとを同じものと捉えるようなところに成立する独我論でなければならない。そこでこれを、現象主義的独我論と区別して、言語的独我論と呼ぶことにしよう。
「論理空間」とは、野矢の簡単なまとめによれば「いまの私に開かれている思考可能なものの総体」である。
いまの私に開かれている思考可能なものの総体
言語の限界が世界の限界であり、その外側(絵では暗闇となっている)とは「語り得ぬ」ものなのである。そして他者とはまさに、この論理空間の外側の別名に他ならないのである。
言語の限界が世界の限界その外側は「語り得ぬもの」である「他者」とは論理空間の外側の別名である “Whereof one cannot speak, thereof one must be silent.”
前回の発表(「ダンゴムシに怒りを感じるとき」)は、この「どうしようもなく正しい」独我論を前提にして、それでも他者について語ろうとする試みであった。
ここでは、戦場を個人から社会に移しかえて、同じ試み、独我論から抜け出そうとする試みを繰り返すこととなる。
「ダンゴムシ」→「他者の見つけ方」「引用」→「異文化の見つけ方」
この独我論から帰結する風景を描いておきたい。ウィトゲンシュタインは言う「独我論を徹底すると純粋な実在論と一致する」(五・六四)と。
☆
Here we see that solipsism strictly carried out coincides with pure realism. (5.64)
独我論を徹底すると純粋な実在論となる
ウィトゲンシュタインの独我論と実在論との同一性の議論を、野矢はすばらしい喩えで説明する。「世界のすべてが自分のものだとして育てられてきた」 (野矢 2011: 140) そのような王様を考えてみよ、と。そのような教育の結果、「彼は「自分のものではない」ものが何ひとつ想像できず、「これもまた私のものだ」などという庶民的考えをもつこともなかった。「私の」という所有格は、彼にはまったく無用だった」ということになろう。独我論も同じである。他者の心のないところでは、わたしの心さえも存在しない。たとえ端的に心に関する事象、
痛みや悲しみをとりあげても、「それはもはや心の描写としての眼目を失い、世界描写に等しいものとなってしまうのではないだろうか」 (野矢 2012 (1995): 125)と。そして野矢は次のように結論する:「「唯一の私の心」という言い方はできない」 (野矢 2012 (1995): 125)だろうと。
すべてを所有していると教育された王彼には「わたしのモノ」という考えがない —- 独我論も同じである「私の心」は存在しない世界の描写は、わたしの心のに映ったもの(認識論)ではなく、端的に世界描写(存在論)になるのだ
すべてを所有する王の語彙に「わたしの」や「所有」がないように、独我論者の語彙に「わたしの」や「心」は存在しない。まとめよう。独我論には「わたし」は存在しない。そしてそこに広がる風景は存在論の世界なのだ。
「独我論は純粋実在論になる」と言ったウィトゲンシュタインは、続けて言う: ``The I in solipsism shrinks to an extensionless point and there remains the reality co-ordinated with it.’’ と。そこには「私」さえいなくなるのだ。独我論は、皮肉なことに、「我」のない風景を描くのだ。それは「無我論」となる。
「私」は存在しない「心」は存在しないそこに広がるのは純粋存在論の世界である
純粋存在論の世界とは、認識論の世界に比べれば「影のない」あるいは「のっぺらぼうの」世界と呼べよう。認識論の風景はわたしの知ることのできないもの、たとえば「ここからは見えない場所」、「わたしからは知りえない他者の心」などの影を持つ風景である。
独我論の風景:のっぺらぼう、影のない認識論の風景:影(いまここからは見えない場所、他者の心)がそこら中にある
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以上で、裏デイヴィドソンとウィトゲンシュタインの議論が重なりあうものであることは示せたであろう。
何だか納得のいかないものを感じるだろう。「一匹狼、友の会」という会の存在を聞いたときのような。「独我論の共同体?」というわけだ。独我論者の世界に他者はいない。そのような独我論者が何人集まろうと、そこに共同体が現れるのを期待はできないだろう。 — これが違和感のもとである。
ウィトゲンシュタインの議論とデイヴィドソンの議論に違いがあるのだ。わざわざ指摘するまでもないのかもしれないが、ウィトゲンシュタインの独我論が個人を対象にした議論であるのに対し、裏デイヴィドソンの議論は、共同体を対象にした議論である、ということだ。
ウィトゲンシュタインの独我論:個人裏デイヴィドソン:共同体「一匹狼、友の会」みたいな・・・
裏デイヴィドソンの議論を具体化するためにすべきことは、独我論者を集めることではなく、独我論的(「独我論的」と、比喩的にせよ、名付けたくなるような)特徴をもつ共同体を考えることである。
裏デイヴィドソンについておさらいしておこう。彼は、水源地モデルとコードモデルすなわちコード・デコードの信奉者である。彼は規則が一つの共同体において共有されるという言語観を持っているのである。そして、「概念図式という概念そのものについて」の議論を通じて、けっきょく概念図式は一つしかないという結論を得たのである。
コードモデル水源地モデル→ 規則の共有概念図式は一つしかない(すなわち、概念図式はない)
この時、「概念図式という観念そのものついて」おいて描かれる文化は(あるいは「独我論的」な特徴をもつ共同体は)、野矢の言う「則天去私」の共同体に重なることとなる、とわたしは主張したい。
同じ言語観(コード・デコード、規則の共有)を仮定すれば、則天去私の共同体(野矢)に重なる
野矢は則天去私の共同体の起源神話を次のように描く。
☆
「幸福な意味盲」なる存在を考えてみよう。彼は生まれつきの本性が十分なものであるため、いっさいの教育を受けることなく社会の慣習に従い、規則に従う。そしてけっしてそれらの諸規範に背くことなく、また、新たな約束事が入りこむこともない。さらに彼を無菌状態におくために、幸福な意味盲たちだけの集落を作ろう。そうして彼[327/8]らは、他人の誤解や誤ちを糾弾することからも無縁となり、完璧に単相的な 3 世界を実現する。われわれの目からすれば、彼らは完璧に規範に従っている人びとであり、いわば「則天去私」の集団である。 (野矢 2012 (1995): 327–328)
社会の慣習に従い、規則に従う(意味盲の)男彼は諸規範に背くことはない —- そのような男を集めて集落を作る誤解も糾弾もない集落となる(わたしたちの目から見れば)彼らは完璧に規範に従っている
則天去私の共同体とは、すべての人が規則に従い、慣習に従うそのような共同体である。「天に則り、私を去る」、すなわち人びとは規則について考えることなく、行動がそのまま規則に則った行動となるのである。
すべての人が規則に従い、慣習に従う完璧に規範に従う「則天去私」の集団である(「天にのっとり、わたくしを去る」、何か考えなくとも規範にのっとっている)
私は裏デイヴィドソンの議論は必ず則天去私の共同体を導くと言いたい。残念ながら、私が言えるのは、則天去私の共同体が裏デイヴィドソンの描く共同体と重なるという事のみだろう。
則天去私の共同体は想像しにくいかもしれない。ここでいくつかの近似値を考えることから始めよう。
まずそれらの近似値を挙げる前に言っておきたいのは、「則天去私の共同体」のイメージは、 (B) の人類学、「文化なしの人類学」を唱導する人類学者たちが批判する「かつての人類学」すなわち、 (C) のイメージに合致する、ということである。
一つのやり方は則天去私の共同体を説明と理解の議論の脈絡に関連づけることである。第一部『心』のダンゴムシの議論を思い出してほしい。『ダンゴムシに心はあるのか』 (森山 2011)の議論である。
森山のダンゴムシに対する態度は二段階に分けられる。最初、彼はダンゴムシに心を認めない。そして、最終的に、彼は「ダンゴムシに心はある」と結論づけるのだ。それは「説明と理解」に対応づけられる二つの態度なのだ、とわたしは述べた。 [ under construction ]
心のないダンゴムシ:心のあるダンゴムシ:とつぜん説明できない行動をする
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次に山岸(山岸俊男 1998)は、「針千本ゲーム」を見てみよう。 [ under construction ]
「規則はもはや規則ではなく、自然の法則となるのである。世界は単相的なものとなる」 (野矢 2012 (1995): 327–328) のである。
針千本の世界、あるいは(説明だけの)ダンゴムシの世界にあるのは因果論の世界である。
エンデの事例
次にルーマンとギデンズの信用 (confidence) と「信頼」(trust) (luhman-confidence?) の議論を紹介したい。信頼とはあなたが負けるかもしれない賭けである。それは常に「リスク」と表裏一体のものであるとルーマンは言う (luhman-confidence?)。信頼のゲームでは、常に数えること、記録することが重要になる。なぜなら、信頼には、つねに裏切りの可能性があるからだ。
ソンガ、マザ—社会関係クマ・ギジ、ペッイ—負債の関係 —- ギデンズ、ルーマンの言葉を使えばソンガ、マザ—信用 (confidence) クマ・ギジ、ペッイ—信頼 (trust)
信用のゲームは対照的である。人は数えることも、記録することもしない。近い将来に、だいたい同じようなものが返却されることが期待されるだけである。そして、あたかも何も起きていなかったかのごとくに人びとは行動する。マザされた豚が、いまでもそこで餌を食べているかのごとくに。信用は近代にない制度である。われわれには信用をプレイする余裕はないのだ (giddens-modernity?)とギデンズは言う。
信用 (confidence) —だいたいのもの、なくてもあるものとする信頼 (trust) —数え、記録する、裏切りの可能性 —- 「近代に信用はない。われわれはそれをプレイする余裕はない」(ギデンズ)
野矢は則天去私の共同体における規則のあり様について次のように描く。
☆
だが、汚染されたわれわれの目を離れ、彼らに内在的な観点に立てば、そこでは自然と規範は融合し、むしろ規範は消失していると言うべきだろう。すべてはあるがままに自然にふるまわれる。あるべきようもなく、かくあるべきであったこともない。「かくある」と手を広げておしまいである。この至福が、彼らを規範から盲目にする。 (野矢 2012 (1995): 328)
規則は規則ではなくなり、自然の法則である(野球の共同体のスナップショット)「かくあるべし」は存在しない「かくある」だけである世界は単相的である
この引用に続けて彼は次のように言う:「そしてわれわれはといえば、この楽園からはいつということもなく、おそらくは「ものごころ」ついたときから、はじき出されているのである」 (野矢 2012 (1995): 328)と。
この楽園からわれわれは「ものごころ」ついたときから追放されている
[ under construction ]
こう書くと近代(われわれ)は楽園に住んでいない伝統(かれら)は楽園に住んでいると考えるかもしれない。ちゃう!
授業の中で、「則天去私の共同体とはディストピアですか?」という感想/質問が聴講した学生さんからあった。わたしは則天去私の共同体はユートピアともディストピアとも思わない。というのは、野矢とは違い、わたしは「則天去私の共同体」はわれわれの身近にあると考えているからだ。それはゲームにおいて現われる。
のめり込んだゲーム
野球に、あるいは将棋にのめりこんでいる時、わたしたちは野球の、あるいは将棋の規則に意識的ではない。それらはわたしたちにとって自然の法則のようなものとなってしまっているのだ。
[ under construction ]
これまでの議論を別の視点からまとめると面白いことが分かってくる。それは、則天去私の共同体とは普遍主義に他ならないのである。わたしはもともと二つのモデル(コードモデルと水源地モデル)を、相対主義の出発点として設定した。それにもかかわらず、帰結したのは普遍主義だったのである。
相対主義の出発点として2つのモデルそこから帰結する則天去私の共同体とは普遍主義の徹底した形である
[ under construction 反・反自民族中心主義 ]
本論とは別の形で本論の議論をまとめてみよう。一言で言うと次のようになる:「この章で描かれている独我論こそが、普遍主義の徹底した形である」と。
ウィトゲンシュタインの独我論裏デイヴィドソンの則天去私の共同体 → これらは中川の考える普遍主義なのだ(vs 相対主義)
「概念枠組」の中に現れる一つの立場を、ウィトゲンシュタインの言語論的独我論に重ねあわせた。ここでは、それが普遍主義と重なるものであることを印象主義的に簡単に示したい。
本文では「徹底した独我論」について述べた。ここで「徹底していない独我論」について考えてみよう。
「独我論を徹底すれば純粋な実在論になる」という議論を説明した時に(わたしの説明が不十分だったのだが)「独我論は、やっぱり、認識論にしか聞こえません。『隣りの人がどんなご飯を食べているか分からない』、これが独我論ですよね」という質問/感想が受講生からあった。これが「徹底していない独我論」のとってもいい例である。かつて「四畳半実存主義」という言葉があった。それにちなんで「四畳半独我論」とでも呼ぶことができる独我論である。あるいは「日和見的独我論」、「節操のない独我論」、「中途半端な独我論」、どんな名前でもよい。
「認識論にしか見えない」「隣の食事は分からない」
その学生の言葉にあるように、徹底していない独我論とは認識論の一種である。それは他者の見えかくれする、「他の視点」の見えかくれする独我論である。
他者が見えかくれする他の視点が見えかくれする
四畳半独我論者は主張する:「君らにはどう見えているか知らないが、私にはこう見えている。そして私の見えが正しいのだ」と。彼の前に広がるのは認識論の世界、見えの世界である。そこには「他者」がおり、もちろん「私」もいる。
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議論のとっかかりとしたいのは第1部『心の人類学』で紹介したリチャード・ローティの「反・反自民族中心主義」((Rorty 1991a) (Rorty 1991b)および (Rorty 1991b) (Rorty 1991c))である。この立場は、彼がギアツの「反・反相対主義」(Geertz 2000) (Geertz 2000) への反論として主張する立場である。
ミードの影響による(人類学あるいはアカデミックな世界だけではなく)一般の読者層に相対主義の影響が広がったことについて述べた。その後も、相対主義はいくつかの波を向かえた。 1980年代もそのような時代だ。それに対して相対主義への反動、反相対主義が生まれた。 1987年に出版されたブルームによる『アメリカンマインドの終焉』 (Bllom, 日付なし) を、その典型例として挙げることができるだろう。
そのような反相対主義の風潮に対して嘆いたのがギアツの論文「反・反相対主義」(Geertz 2000)である。
[ under construction ]
ローティはギアツの議論、反・反相対主義が、けっきょくは反自民族中心主義であると捉える。そして、この捉え方は正しい — ギアツは、むしろ、ヨーロッパ中心主義という名前の自民族中心主義に異を唱えているのだから。
ローティの議論はこうである。ギアツの心意気は分かる(ギアツの議論に政治的には賛成できる)。しかし、われわれはけっきょく自分がいまいる立場から逃がれることはできないだろう(ギアツの議論は認識論的には正しくない)。わたしは、(いつもの皮肉な調子でローティは続ける)「金持ちの北アメリカのブルジョワ」 (Rorty 1991b: Rorty 1991c) (201: Rorty 1991c) としての立場からしか発言はできないのだ、と。以上がローティの自民族中心主義の擁護である。
このようにして、ローティは、ギアツの反自民族中心主義(ギアツの言う「反・反相対主義」)を退ける。ただし、彼の立場は単純な自民族中心主義ではない。彼は、ギアツの心意気には同意しているのだ。彼は、いわば、この単純な自民族中心主義から出発して、なんとか異文化に手を伸ばそうとする、そのような立場を標榜するのである。これこそが彼の言う「反・反自民族中心主義」なのだ。
ローティの自民族中心主義が、独我論に近い考え方だということをあらためて指摘するまでもないだろう。問題は、出発点を独我論に置きながら、彼が軽々と相対主義への理解を示す点である。独我論に他者は(そして異文化は)存在しない筈なのに。
ローティが独我論から他我を認める議論に移れたのは、彼の独我論が現象主義的独我論だったからである。現象主義的独我論は、すでに述べたように、認識論的な独我論である。それは「わたしの見えが正しい」と主張する独我論である。それは他我が垣間見える独我論である。もともと他我が(そして異文化が)議論の前提にあるのだから、他我(異文化)について語ることが容易だったのだ。
わたしがこの論文の中で、文化相対主義の敵として措定する普遍主義は、自民族中心主義、すなわち現象主義的独我論ではない。 4 そうではなく、わたしの対峙する普遍主義は、ウィトゲンシュタインが展開する、純粋実在論となる言語論的独我論としての普遍主義である。